第九章 11

 その目つきの鋭い屈強な大男は、椅子を軋ませて勢いよく立ち上がり、皺の寄ったスーツをそのままに、低いがよく通る声で言った。



「報告だ。敵拠点のコンテナ船を制圧し、送られてきた画像と構成員の遺体を照合したが、代表と思われる男の遺体は見つからなかったそうだ。


 恐らく、新生ロシアの技術が応用された新型迷彩付きの小型航空機や浮揚艇を使って逃げたんだろう。


 コンテナ船を所有するフランスの海運会社に家宅捜査が入ったが、情報が上がってくるまで時間がかかる。ところで、トムレディー。どうしてコンテナ船の底部を爆破しなかった?」



「時間的余裕がありませんでした」



 トムレディーは、ニコライを生かすために敵の拠点を破壊しなかったことを伏せた。


 丸刈りの大男は、彼女の手腕を心から信頼しているらしく、経緯を詮索せずに話を進める。



「お前らしくもない。まあ、急を要する事態だったし、日常生活用のアンドロイド機体のままでの作戦行動だったのだから、仕方がない」



 国家防衛に関する話を優先しすぎたことに気づいた大男が、被害者である五人に向き直って、申し訳なさそうに挨拶をした。



「失礼した。私は、CIAに所属しているカール・ヴェガという者だ。トムレディーと同じ作戦本部で働いている。彼女からの通信で、全てを把握している。拉致され、拷問を受け、そして兄弟と離ればなれになってしまったことを、とても気の毒に思っている」



 返事はない。


 警戒の色を隠さない五人の様子を目の当たりにしたヴェガは、彼らが抱いている不信を払拭するため、高圧的にならないように気をつけながら、自らの立場を説明し始めた。



「トムレディーと同じく、私も拉致計画を知らなかった。本当だ。彼女が調べてくれたんだが、君たちの拉致はラングレー中枢の――、つまり、CIA長官が中心となって実行されたようだ。もし知っていたら、すぐトムレディーと共に計画を阻止していただろう。平和的に行動していた君たちを拉致するなど、どんな理由があろうとも許されない」



 またも返事はなかったが、五人の目に宿っていた不信感は、幾分か和らいだように見えた。


 ヴェガは続けて、本心から来る謝罪の意を伝えた。



「CIAが君たちの人権を踏みにじったこと。その結果、兄弟とはなばなれにさせてしまったこと。私では不足だと思うが、心より謝罪する。大変、申し訳なかった」



 五人は返事ができずにいたが、落ち度がないにもかかわらず真摯に謝罪するヴェガの気持ちを少しの抵抗もなく受け取り、傷ついた心にそっと届け、その傷を癒した。



 気持ちはなんとか通じ合ったが、沈黙は依然として続いている。


 遠くで職務を遂行している警察車両のサイレンの音だけが、隠れ家に虚しく響く。



 ここでトムレディーが、無言が続く両者の仲立ちをしようと、慎重にスピーカーを震わせ始めた。



「ヴェガ分析官は信頼できる人物です。私が保証します。だからこそ、この場に呼び出したんです。彼は、陸軍の情報分析部門での活躍がきっかけとなってCIAに引き抜かれた優秀な人物で、頭脳だけでなく、身体的にも精神的にも優れています。目つきが悪いせいで誤解されやすいですが、じつに温和な人格者ですよ」



 ヴェガはアフリカ系の母とメキシコ系の父の間に生まれ、努力の末に陸軍の士官候補生となったが、立っているだけで威圧感を与えてしまう巨体と、厳格な両親から受けた精神的虐待のせいで悪癖となってしまった鋭い目つきのせいで、トムレディーが言うとおり誤解されることが多く、不必要な苦労ばかりしてきた。


 だが今は、理解を示し、庇ってくれる仲間がいる。


 報いたい。心の底からそう思ったヴェガは、鋭い眼光を和らげながらも、強い意志を削ぐことなく真心を込めて発言した。



「私は、人権を踏みにじる行為を許さない。善良な一般人を拉致するなどという行為を見逃してしまったことを、本当に申し訳なく思う。私はこれから身を尽くして、拉致を計画した上の連中とテロ組織から、君たちを守る。君たちの力になると約束する」



 アレクセイはヴェガの瞳を見据え、その奥から伝わる嘘のない熱を信じ、小さく頷きながら呟いた。



「お願いします。兄弟姉妹を守ってください」



 その声は、外から聞こえてくるサイレンにかき消されてしまいそうなほどに小さく、か細いものだったが、明らかな信頼の響きを纏っていた。


 ヴェガは安堵して、険しい顔をいくらか緩めながら言った。



「信じてくれてありがとう。君たちを無事に助け出すことができて、本当に良かった」



 トムレディーはヴェガの肩に触れながら、親しげに話しかけた。



「無事に離脱できたのは、あなたが手配してくれた制圧部隊による陽動のおかげでもあります。それに、状況も味方してくれました。相手は海運会社に偽装して潜伏している立場なので、目立った防衛体制を敷けなかったようです。それが幸いしました。もし、海中に迷彩機雷や監視機器が仕掛けられていたら、救出は不可能だったでしょう」



「そうか。神が味方してくださったのだな」



 同僚と話し終えたヴェガが、五名の新生ロシア人に向き直り、またも申し訳なさそうに語りかける。



「早速だが、君たちに頼みがある。トムレディーから齎された情報を整理して策を練っていたんだが、我々には足りないものがあることがわかった。


 我々にとって、新生ロシア人の技術は未知のものだ。君たちの知識と技術がなければ、奴らの行動に対応できないだろう。


 ノヴェ・パカリーニャという組織からこの国の人々を守るために、どうか力を貸してくれ。我々も、ニコライさんの救出に全力を尽くすと約束する」



 五人が一斉に頷いて了承すると、ヴェガの目つきが一転して真剣味を帯びた。



「では早速だが、ノヴェ・パカリーニャという組織について、まだ我々に伝えていない情報があれば聞かせてくれないか?」



 オリガが口を開こうとしたが、アレクセイがそれを制して説明を開始した。その配慮は、彼女の精神的消耗を心配してのことだった。



「組織の名であるノヴェ・パカリーニャというのは、ロシア語で新世代という意味です。彼らは、俺たちと同じようにロシアの地下深くにあるシェルターで作られた新生ロシア人です。一から、全てを話す必要がありそうですね」



 アレクセイは、記憶している全ての情報を語り始めた。



 ベロボーグ計画。地下シェルター。両親の出会い。


 ロシア連邦で行われた、西側諸国による虐殺。


 平和的に地上進出することになった経緯。


 地上進出後に行われた拉致。尋問。拷問。


 ノヴェ・パカリーニャの構成員情報。


 ブルガーニン・セルゲイ・ミハイロヴィチ暫定大統領が、復讐を目論むようになった経緯。


 彼らと志を同じくする旧ロシア人が世界各地に点在し、手を組んでいるらしいこと。


 ブルガーニンの兄弟姉妹が別行動をして、世界中に拠点を構築しているらしいこと。


 そして、ニコライがノヴェ・パカリーニャに所属することになった原因。



 アレクセイが精神的トラウマと闘いながら全てを伝えると、ヴェガは何度も息を呑み、何度も深い溜息を吐きながら、激動の人生を歩んできた青年の話を聞いた。


 スモレンスク・シェルター出身の新生ロシア人たちは、善良なるCIA職員と協力関係を結び、国の安全とニコライを取り戻すために行動することを確認し合った。


 安堵感によって気が楽になったのか、ひどく落ち込んでいたオリガが口を開いた。



「ところで、ここはどこですか?」



 トムレディーが、彼らの父のように自然な微笑みを浮かべながら答える。



「ヴァージニア州のノーフォークです。ここは、私が独自に確保しておいた隠れ家のひとつです。安全ですから、心配せずに心と体を休めてくださいね」



 その甘い微笑みから大きな安堵感を得たオリガは、思わずトムレディーにプライベートな質問をした。


 その行動は、一種のホームシックによって誘発されたものだった。


 心に傷を負ったオリガは、両親の面影をトムレディーを重ねて、無意識のうちに甘えていた。



「普段のあなたが、どんな仕事をしているのか知りたい。そんなタイミングじゃないのかもしれないけど、聞きたいの」



「お気になさらずに、何でも聞いてくださいね。私は普段、国を守り、国を監視する仕事をしています。ヴェガも同様です。ヨーロッパ圏のロシアンテロリストの捜査をすることが多いのですが、しばしば、所属不明のロシアンテロリストの影がちらつくのを確認していました。いま思えば、その影こそがノヴェ・パカリーニャだったのでしょう。私は連中の尻尾を掴めませんでした。不覚です」



「嫌なことを思い出させてしまったみたいで、ごめんなさい」



「いいのですよ、オリガ。これは私の仕事が足らなかったせいです」



 トムレディーはそう言いながら、ふと窓の外を見た。


 白け始めていた世界はもう、すっかり朝日に照らされていた。


 人間には休息が必要であることを思い出した彼女は、すぐに手配した。



「車の中では眠れなかったようですから、ここで休まれてはどうでしょう。工場の仮眠室が、そのままの形で残っています。疲れているでしょうに、話をさせてしまってごめんなさい。さあ、こちらです」



 トムレディーは、疲労困憊した五人を仮眠室がある区画へと案内した。


 彼女は、中流家庭にあるようなウォークイン・クローゼットほどの広さの小さな仮眠室が並ぶ廊下を先導して歩き、一部屋に一人ずつ誘導して着替えを渡し、彼らの汚れた制服を預かって回った。



「洗濯した制服は、起きる頃には着られるようになっているでしょう。では、ゆっくりと休んでくださいね。私もバッテリー残量が十パーセントを下回っているので、工場内の充電スポットで休止します。おやすみなさい」



 彼女は父のようで、母のようだ。


 五人はそう思いながらニコライを想い、眠りに就いた。


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