第九章 12
同日、午後一時。
久し振りの安眠から目覚め、綺麗に洗濯された制服に袖を通して事務室に戻ってきた五人の目に、新たなアンドロイドの姿が飛び込んできた。
トムレディーが上品な口調で、その初対面のアンドロイドを紹介する。
「皆さん、おはようございます。こちらは、私と同じCIAの嘱託職員で、古くからの友人でもあるアラカンです。普段は、育児係や執事をしています。とても素敵な紳士ですよ」
「はじめまして、アラカンと申します」
アラカンと紹介された男性型アンドロイドは、胸元に手を添えて、恭しくお辞儀しながら挨拶をした。
擬似頭髪は、全て後ろに撫でつけたコームバックヘアで、その上品な所作に相応しい外見を演出している。
高級そうな深い藍色のスリーピーススーツを着こなす彼の胸元からは、この初夏には適さないような暑苦しいベストが覗いているが、冷却装置を搭載した彼は涼しい顔をしている。
「アラカンという名は、トムレディーから名付けてもらったコードネームです」
そう説明したアラカンに乗じて、トムレディーは後回しになっていた自己紹介をした。
「私が名乗っているトムレディーという名も、コードネームなのですよ」
トムレディーというコードネームは、彼女がCIAに所属するきっかけとなった、とある事件の内容が由来となっている。
お転婆を意味するトムボーイという言葉から転じて、その優雅な風貌と振る舞いと口調から、淑女を意味する言葉を追加され、トムレディーと呼ばれるようになった。
そのトムレディーの友人である男性型アンドロイドが名乗っているアラカンというコードネームは、彼女の紹介でCIAの嘱託職員となった際に贈られた。
彼は最初に、悟りを開いた者を意味する仏教用語である
精神世界を探求することを好む性格を反映した名だとして、彼はそのコードネームを喜んで受け取り、今に至る。
アラカンは悲しみを湛えた目でアレクセイと視線を交わし、握手をしながら慰めの言葉を口にした。
「トムレディーから、あなた方の話を聞きました。とても気の毒に思っています」
その言葉には、演技も嘘もなかった。
機械らしく実直だが、人間のように心優しいそのアンドロイドに、第一世代の五人はすぐに心を許した。
対人プログラムを超越した何かが、アラカンには備わっているようだった。
言葉を交わすアラカンと新生ロシア人たちに、トムレディーが緊張を纏う音声で言った。
「挨拶はここまでにして、実務的な話をしましょう。我々の同僚による分析を伝える必要があります。信頼できる同僚と通信して分析会議を開いたところ、個々の分析結果が一致しました。あまり良い情報ではないのですが、どうか心安らかに聞いてください。ノヴェ・パカリーニャは恐らく、速やかにテロ作戦を実行するでしょう」
第一世代の五人は驚きと焦りが混ざった表情を見せたが、トムレディーは説明を止めなかった。
「あなた方から情報が漏れることを見越し、テロの実行を前倒しすると思われるのです」
ヴェガ分析官が、アンドロイドの不明瞭な説明を補足する。
「君たちから齎された情報によって、我々はノヴェ・パカリーニャのテロに対抗しやすくなる。そこで連中は、対策を講じられる前に事を起こそうとするはずだ。
つまり、いつテロが実行されてもおかしくはない。
連中の狙いは明らかになっていないので、具体的な対策を講じるのは困難だが、警備を強化して攻撃に備えることは可能だ。
そこで君たちには、新生ロシア人しか知り得ない情報から、テロ行為の目標を予測してほしい。
それと平行して、連中の代表であるブルガーニンの言葉を思い出し、なにかテロに関連してそうな発言がなかったかを分析してくれ。
トムレディーは、軍事施設と民間施設の通信網を常時監視するように。一番最初に通信障害が発生した場所が、テロ攻撃の最重要ターゲットである可能性が高い。連中は通信を遮断し、こちらの動きを鈍らせようとするはずだ」
ヴェガの指示に、トムレディーが頷いて答える。
「同感です。すでに通信網を監視しています」
「さすがだな。では、私はテロ警報を発令できるよう、上に掛け合ってみる。もちろん、君たちのことは伏せておくから心配しないでくれ」
ヴェガ分析官は事務室の隅で本部に連絡を入れながら、その合間に、トムレディーに一言だけ指示を出した。
「トムレディー、例の件を頼む」
「了解しました」
トムレディーは新生ロシア人の五名に向き直り、胸に手を当てながら言った。
「あなた方に、お願いがあります。相手はロシア式の技術を用いてテロを行っています。それに対抗するには、同じくロシア式の技術を駆使している、あなた方の力が必要です。平和を享受していた我々は、彼らに比べて技術革新の速度が低下しているはずであり、このままでは後手に回る公算が大きいのです」
本部との通信を終えたヴェガが、事務室の隅から戻って来て言った。
「技術をよこせと言っているようなもので、身勝手な願いだと承知しているが、どうか、アメリカ軍に技術を提供してはくれないだろうか?」
オリガが、第一世代を代表して答える。
「協力します。コーリャを助けるためなら、できることは何でもします」
ヴェガは、オリガの潤んだ瞳を見つめながら強く頷いて言った。
「ありがとう。では、ロボット兵たちに改良を加えてくれないか。主に、迷彩を見破る技術が欲しい」
「わかりました。でも、その前にひとつお願いがあります。保安上、許されるのならば、両親と話をさせてください」
すぐ隣で話を聞いていたトムレディーが素早く策を練り、オリガの要望に答えた。
「許可します。ただし、少しだけ時間がかかるでしょう。我々は今、複数の中継局を平行経由し、さらに、本部で使用されている暗号装置に潜り込んで発信元を隠して、探知されるのを防いで通信しています。あなた方の存在を完全に隠すためには、さらなる隠蔽工作が必要となります。少々、お時間をいただきます」
「ありがとう、トムレディーさん」
穏やかな表情の奥に、両親と弟妹にニコライの離反を伝えなければならないという悲哀を隠しながら感謝を述べたオリガに対し、トムレディーは五人の胸中を推察して呟いた。
「……心中、お察しします」
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