第九章 毒心

第九章 1

「こちら、アルファ。微弱なニュートリノ通信が確認された地点まで、残り三マイル。水平飛行から垂直飛行へと切り替えろ」



 トライアングル編隊を組む三機の静穏高速輸送機が、主翼に搭載されている高出力リニアモーターエンジンで駆動する合計四発のティルトローターの排気口を地表に向けて徐々に減速し、垂直飛行に移行した。



「これより、当機とベータ機とガンマ機の速度、高度、方位の同期を開始する。静穏状態と電磁波迷彩を維持したまま、こちらに操縦を委ねて、次の命令を待て」




 屈強な体に人工筋肉式外骨格型スーツを着込んで、中隊規模の実働部隊を率いる現場オペレーターのウルリク・トゥールソン隊長は、刑務所に向かう護送車に乗り込んだ警察官のようにアルファ機の最前席に座って、作戦の指揮を執っている。


 作戦目標の詳細は知らされていなかったが、それはいつものことだった。


 困難な任務であれば綿密な作戦説明が行われるのだが、今回はそれがなかった。つまり、今回の任務は危険ではないということだ。


 トゥールソンは鼻から大きく息を吸い、厚い胸筋をさらに膨らませ、そしてゆっくりと息を吐きながら太い顎を撫でて、非武装の目標をどのように取り扱うかを思い描いた。




 何でもない任務のように思えるが、上の人間が直々に俺を指名したのだから、目標はそれなりに重要なものと考えておくべきだろう。


 思いのほか、荷物は重いのかもしれないな。


 まあ、命を落とすような作戦ではないことは確かだ。楽に行こう。


 簡単な輸送任務なんだ、イメージトレーニングをするまでもない。中東、東ヨーロッパ、東アジアでの任務に比べれば、今回の任務など、よく眠る赤ん坊のお守りをするようなものだ。


 母親から赤ん坊を受け取り、その子をベッドに連れて行って寝かせる。それで終わりだ。引退まで、この程度の任務ばかりが続いてくれればいいんだが。




 五十歳を目前に控え、肉体的な衰えを痛感することが多くなったトゥールソンは、引退後の生活を考えることが多くなっていた。


 しかし、彼を必要とする所属部隊が、彼の引退を許してくれない。


 隊員は皆、新兵のように短く刈り込んだ彼のブロンドを見ながら、彼の後に続いて駆け足訓練するのを好んでいる。初心を忘れない上官を、心から尊敬しているからだ。


 そんな彼が有する抜群の統率力を、部隊はなかなか手放そうとしないのだった。


 トゥールソン率いる実働部隊が乗り込んでいる定員四十六名の静穏高速輸送機SH―66は、擬似透明化迷彩を搭載しており、あらゆる電磁波を吸収して無効化する。


 擬似透明化迷彩では防げない対迷彩レーダーの複合波長は、角ばった機体によって上下方向に反射して、索敵を回避する仕組みになっている。


 SH―66の隠密性は、視認やレーダー索敵の困難にさせるだけに留まらない。ローターガードに搭載されたリアルタイム・ノイズキャンセラによって騒音を打ち消すことで、横方向への騒音を、大型の猛禽類の羽音ほどの音量にまで軽減させている。


 構造上、ローター排出口の騒音だけは消せないのだが、その弱点を補って余りある接近優位性があるため、任務に差し支えはない。


 さらに、主翼の内部には小型の高排気量リニアローターがいくつも並んでおり、静穏性を追求したことで低下した推進力を補っている。


 主翼に並ぶ四発のティルトローターによって、充分すぎるほどの速度と安定性を実現し、さらに静穏性と機動性を両立したSHシリーズは、長年に渡って各国で運用されている。




 三機のSH―66は編隊を保ったまま、誰にも気づかれることなく旧ロシアの空を行く。


「目標の上空に到達しました」


 操縦手の報告を受けて、トゥールソン隊長が命令を下す。


「アルファ機は、出力を最大レベルに設定した通信妨害装置を、目標の手前に撃ち込め。ベータ機は目標の前方、ガンマ機は後方に、それぞれ三本の車両拘束杭を撃ち込め」


「了解。標的を設定……。発射用意。三、二、一、発射」


 普段は対戦車ミサイルなどが搭載されている胴体の下部から、機体内部に格納されていた直径八十センチほどの円柱体が現れ、次々に発射された。


 それらの車両拘束杭は、目標である装甲車の前方と後方に三本ずつ着弾した。


 目標の装甲車は、焦って何度も前後に動いて体当たりしたが、その杭はびくともしない。


 カメラを通してその様子を確認したトゥールソンは、着陸命令を下した。


 獲物を捕らえた三機が、砂煙を巻き上げながら悠然と着陸し、放射線に耐えられる人工筋肉式外骨格型スーツに身を包んだ兵士たちを吐き出した。


 総勢百人強の兵士たちは自動小銃を構えながら、車両拘束杭に囚われた装甲車を取り囲んでいく。


 装甲車からは煙幕や閃光弾が放たれたが、万全の対策を講じている兵士たちは、びくともしない。




 最後に輸送機を降りたトゥールソンが、装甲車に向かって強制的に通信を入れる。


「出てこい」


 すると、装甲車の中にいる若い男が応答し、激しい非難を展開した。


「どうして、こんな事をするんだ!」


 トゥールソンが、すぐさま切り返す。


「世界の安全のためだ。当然だろう」


 装甲車の中から、若い女が震える声で反論する。


「私たちは何もしない!」


「これまで俺たちが捕まえてきた連中も、そう言っていた。さあ、観念して出てくるんだ」


 トゥールソンのその言葉に、装甲車の中にいる別の男が絶叫した。


「オレ達は武器を持ってないんだ、悪意なんか抱いていない!」


 トゥールソンは太い顎をくいと上げて、レーザー工具を両手に抱えた部下に指示を出し、それから、装甲車を取り囲む兵士たちに大声で命令した。


「工兵がハッチバックを焼き切ったら、中にいるゲストをパーティーに案内してやれ。強引に扱っても問題ないだろう。驚くべきことに、武器を持っていないそうだからな」


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