第六章 6
地上に出るまでの生活日記。二二五四年、十月二十日。午後十時。
昨日に引き続き、今日も極めて重要な特別授業が行われた。
父さんと母さんは、地上に出る際の注意点を包み隠さず教えてくれた。
その内容は私たちにとって厳しい内容ではあったけれど、それによって得たものはきっと、このシェルターの容積よりも大きいと思う。
授業の途中、コーリャとアリョーシャが、久し振りに真っ向から対立した。
やはり相容れないみたい。でも、昔に比べれば討論の形になっていたと思う。
私たちは着実に成長している。でも、喜んではいられない。心配事が、もう一つ増えてしまった。マーリャの件だ。
彼が怖気づいてしまったことが、とても気がかり。きっと、優しすぎるところがあるカーチャも、同じように怖気づいていると思う。愛猫のラードゥガが、うまく慰めてくれていればいいのだけれど。
また合議の日々が始まる。戦争の話ばかりで気が滅入るけど、これは必要なこと。受け止めなきゃいけない。
ベッドに寝転がりながら、最も気になっていた独裁政権による戦争について考えた。少し休んで頭が冴えてきたし、書きながら考えをまとめてみようと思う。
どうして独裁政権について考えたんだっけ。
一人の人間が絶対的な権力を得て、国家と国民を戦争へと導く。きっとそこに、戦争の本質が隠されているのではと考えたからだと思う。
独裁政権が絶対的な権力を持つに至る理由は、なんだろう。
自ら進んで独裁者の剣となる若者が出現するのは、どうしてだろう。
シェルターで育った私には理解できない。
どうして独裁者に
人が、他人に頼り切るという状態に陥ったのは、なぜだろう。
心の空白を埋める何かを持っていたのかな。
他人に縋るという状況に逃げ込まなければいけなかったのは、どうしてだろう。
追われていたから?
なにが、人々を追いかけていたんだろう。
一人の人間に逃げ込まなければならなかった理由は何だろう。
人々を追い込む、何か。その正体は、どのようなものだろう。
圧力……。耐えられないほどの圧力……。
見えてきた。すべては、外圧によって生じた変化なのかもしれない。
欲に駆られた者が、隣人から奪おうとする。
奪われそうになった者は恐怖を抱き、衝突に備えるようになる。
欲に駆られた者は、じつは腹をすかせていて、止むを得ず奪おうとしてしまっただけなのだが、隣人はそのことに気づかない。
欲に駆られた者は強がって、腹をすかせていることを隠し、さらに隣人を脅かす。
奪われそうになった隣人は、欲に駆られた者の強がりを脅威とみなし、武装を急ぐ。
人々は、困窮していることを正直に打ち明けられず、助けを求められず、すれ違い、脅し合い、そして殺し合うのではないだろうか。
ひょっとしたら、あらゆる生活負担こそが戦争の火種なのかも。
極論を言えば、ちょっとした脅かしや嘘こそが戦争そのものなんじゃないかな。
それらが寄り集まって大きな圧力となり、国民の心の中に強烈な恨みと恐れを生じさせて、周辺国家はそれを外圧として認識し、警戒する。
こうして、不必要に恐れ合ってしまうんじゃないかな。やがて、不条理な憎悪が国を支配し、戦争へと向かってしまう。
独裁者の正体が見えてきた気がする。
独裁者というのは怯えの権化であって、人が抱く負の感情が質量を伴って人々の前に現れた存在なんじゃないかな。
民衆への外圧が、独裁者を作る。
外圧から守ってくれると思わせる者が、過剰な支持を獲得して独裁者となる。
恐れれば恐れるほど強くなる。まるで悪神そのもの。
だから、民衆を怯えさせてはいけないんだ。怯えは可燃性の強い油であり、戦争の火種を燃え上がらせてしまう。
他者を脅かすという愚かな行為が生み出してしまう結果を、人類は目の当たりにし、語り継いできた。
人類は戦争を止めることには失敗したけれど、私は、過去の失敗を伝えてくれた全ての人々に敬意を表したい。
彼らは、私に戦争の発生原因を教えてくれた。
彼らのためにも、同じ過ちを繰り返してはならない。きっと、地上の人々も同じ思いを抱いているはず。
脅威が恐怖を生み、恐怖は人々を怯えさせる。
怯えは愛国心という皮を被って、日増しに大きくなっていく。
脅威が、人の生存本能を悪しき方向へと導いてしまう。
だからこそ、私たちは武器を持たずに地上に出なければならないのかもしれない。
丸腰であることを示し、怯えさせることなく話をするしかない。私たちなら、できるかもしれない。
でも、地上の人々の怯えが、まだ癒えていなかったとしたら……。
疲労感を覚えたオリガは、メインコンピュータ内にある個人用記録領域で展開している日記を閉じ、両手で頬杖をつきながら首を捻って、壁に貼り付けられているディスプレイに映る、秋と名付けられている季節の風景を眺めた。
紅葉という現象を起こした木々が演出する景色は、普段であれば煌びやかな黄金を連想させるところだが、やや落ち込んでいる彼女の目には、寂しげなものとしか映らない。
彼女は深い溜め息をついて、ふと考えた。
人は、殺し合う宿命から
人間の悪意を熱心に探求するあまり、オリガの精神は地の底へと引きずり込まれつつあった。
しかし、彼女は沈まなかった。彼女の心を、記憶の中に存在する兄弟姉妹の手が掴み、日の照らす場所まで引き上げたのだ。
兄弟姉妹の意見は対立してはいるが、以前とは違って、感情的な言い合いや喧嘩をしなくなった。そのことが、彼女の憂いを綺麗に拭い去ったのだった。
救われたオリガは、自室でひとり呟いた。
「心配いらないよね。だって、兄弟姉妹だから」
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