第六章 罪

第六章 1

「妻よ、聞いてくれ。重要な報告が二つある」


 十月十九日の午前八時。


 大規模メンテナンスを終えて夫婦部屋に戻ってきた妻を、姿勢よく直立している夫が出迎えた。


 二十日ぶりに聞いた夫の音声には、性能が劣る妻の感情読み取り機能でも容易に感知できるほどの、強烈な緊張と不安が含まれていた。


「あなたの報告は、わたしにとって常に重要です。何があったのですか?」


「まず、一つ目の報告をする。ニコライとアレクセイが、第二世代を巻き込んで派閥争いを開始した」


 視覚センサーの保護膜を大きく開いた妻に、夫は慌てて追加情報を与える。



「ああ、違う、心配するな。今、詳細を記した報告書を送信するから確認してくれ。読めばわかると思うが、ニコライとアレクセイは特段の配慮をしながら地上について語ったらしく、第二世代への影響は少ないようなので安心してほしい。それに、派閥争いが激化しないようにする方法も見出せた。その解決法は、二つ目の報告に関連している」



 派閥争いがそれほど深刻ではないらしいことを知って安堵した妻が、夫の言う解決法の説明をかす。


「一つ目の報告の全容は把握できましたが、二つ目の報告と派閥争いとの関連性を認識できません。早急な説明を求めます」


「わかった。では、二つ目の報告に移る。私の記憶が戻った。ここ数日の機能不全を経て、私は思い出した。ついに思い出したんだ、全てを」


「驚きました。大規模な自己修復が済んでもなお残存してしまうほど厄介な不具合が、どのような要因で解決したのでしょう?」



「子供たちの未来を憂いていた時、いつの間にか、例の少女のことを思い出していたんだ。すると、少女との記憶が、まるで清水のように湧き出でて、私の思考回路を満たした。気がついたら、記憶媒体の接続不能領域の全てが読み込めるようになっていた。その結果、私が破壊されて機能停止状態に陥った経緯も判明した」



 夫婦は人間のように席に着いたりはせず、ドアの前で向き合って突っ立ったまま、情報交換を継続する。妻は夫の報告に驚いたりはせず、シェルターや子供たちにどのような影響が及ぶのかを検証しながら、淡々と会話を進行した。



「新生ロシア人を安定して生産、育成できている今となっては、記憶の有無は重要ではありません。しかし、その記憶内容に擬似好奇心が強く反応します。詳細を教えてください」



「すまない、その前に訊きたいことがある。きみが私を回収した時、近くに少女の姿はなかったか?」



「閉鎖環境にあるビルの地下からあなたを回収したのは、大戦から二十五年後のことなので、その質問は不適切です。少女の遺体はなかったかと問うべきですね」



 夫は鬱々とした様子で溜め息をついてから、悲しみが内包された音声言葉を発した。


「ああ、そうだな。その通りだ。どうか早く回答してくれないか」


「遺体はありませんでした。機体回収時の記録映像を確認してみますか?」


「ああ、頼む」



 妻から送信されてきた記録映像には、補正機能によって鮮明に映し出された、建物の地下らしき場所が記録されていた。


 セルロース製の円柱のところに、埃を被ったロボット兵が横たわっているのみで、他に人影はない。


 辺りには、かき集められたものと思われる沢山の毛布が散乱しているくらいで、子供の遺骨も遺品も確認できなかった。


 夫は悲しみに目を伏せながら、ゆっくりと音声を発した。


「やはり、そうか……。わかった、ありがとう。それでは、私の記憶の全てを知ってもらう。注釈を添付した映像データを送信するから確認してくれ」


 夫は記憶の全てを送信すると、受信した妻は、それらを瞬時に確認し終えた。


 彼女は口元に手を当てながら何度も頷き、この情報を子供たちに開示した場合の影響を予測した。


 そして、三秒後。


 彼女は憐れな経験をしてきた伴侶に、その予測結果を伝えた。


「新たに判明した真実を、子供たちに話すべきです」



「きみもそう思うか。派閥争いを止めるには、ベロボーグ計画の管理者権限を移譲した時のように、全てを話すのが最も有効だと判断した。私が見てきた地上の現実を話して聞かせれば、あの子達の思想は再定義されるだろう。そこから、どのように思想が変化していくのかは見当もつかないが、派閥争いは沈静化できるかもしれない」



「不安が募ります」



「そうだな。私も子供たちに伝えるのが恐ろしいが、不思議なことに楽観してもいる。何故ならば、これまでずっと、あの子達に真実を伝えてきたし、そのたびに、彼らはうまく消化してきたからだ。彼らを信じて話そう。私の罪と、あの子の身に起きた悲劇の全てを」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る