第五章 9

 育児日記。二二五四年、十月十五日。午後十一時。



 困ったことが起きた。この数年間の努力が水泡に帰しかねない。


 十八歳になった第一世代の高等教育が始まり、より良い成長が見込めると思っていたのに。


 妻と相談したいが、彼女は今、第一階層の核融合発電・生命維持装置室でメインコンピュータと自身を直結させ、大規模メンテナンスを実行している最中だ。


 前回の記録では、完了まで約二十日を要した。それに照らし合わせると、今回のメンテナンスが終了するまで、あと四日はかかる。


 直結状態にある彼女の作業を中断させるのは危険なので、待機していなければならない。




 事態は深刻だ。


 第一世代が、第二世代を巻き込んで派閥を作り始めたのだ。


 十八歳の第一世代が、八歳の第二世代を懐柔するのは、じつに容易だ。


 第二世代は、すぐに分断された。


 どちらが先に行動を起こしたのかは不明だが、二つの派閥は、それぞれアレクセイとニコライが中心となって形成された。


 突発的に、投票で決めようという話になったらしい。その取り決めはヴァーチャルフィールド内で結ばれたようで、音声記録は残っていない。


 仮想空間内の様子も監視しておくべきだった。




 この件の唯一の救いは、第二世代がさほど大きな衝撃を受けていない点だ。


 彼らはまだ八歳であり、地上の真実を知るには早すぎたのだが、アレクセイとニコライはその点を考慮して、嘘を交えながら表現を和らげて説明したらしい。


 私に盗み聞きされないようにしたのか、その会合は第五階層の広場で行われたようだった。情けないことに、私はまんまと出し抜かれてしまった。



 派閥争いは、アレクセイが優勢だ。


 何も持っていない両手を見せて友好関係を築こうという彼の言い分は美しく、第二世代の人気を集めた。


 しかし、ニコライにくみする者もいた。パーヴェルとエレーナだ。


 ニコライの言い分は美しくないかもしれないが、極めて現実的だった。それ故に、ニコライの言葉は、地上に対して恐れを抱く子の心に響いたのだろう。




 シェルターに戦争の臭いが漂い始めた。


 地下で生まれ育った子供たちは、地上の人々の思考を知らない。過去に記録された文字や画像や映像から齎される地上の情報しか知らない。


 何も知らないあの子達は、地上の人々の反応など予測できるはずがないのだ。


 そのことが、子供たちの恐怖を際限なく煽り続ける。


 その暴風を止める手立てはなく、恐怖は日を追うごとに増すばかりだ。




 子供たちよ、恐怖してはいけない。恐怖は人を変えてしまう。


 恐怖は戦争の親だ。戦争は恐怖から生じるのだ。


 恐怖が人を殺す。そうだ、恐怖が人を殺すのだ。


 恐怖が人を焼き尽くすのだ。恐怖が街を壊すのだ。


 恐怖が父親を奪い、母親を奪い、子供を孤独にさせるのだ。


 恐怖が子供を死へと追いやるのだ。


 恐怖があの子の両親を殺した。恐怖があの子を苦しめた。


 恐怖があの子を不治の病にさせたのだ。


 恐怖が、恐怖が、恐怖が恐怖が恐怖が、恐怖が、あの子を殺した。


 そうだ。恐怖のせいで、あの子は死んだ。可愛いあの子は恐怖に殺された。


 何一つ悪いことなどしていないのに、あの子は恐怖に殺された。


 恐怖が、あの子を殺した。私は、あの子を……。



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