第五章 7

 地上に出るまでの生活日記。二二五一年、六月九日。午後九時。



 議長の仕事は楽じゃない。


 またも合議が暗礁に乗り上げてから、さらに二週間以上が経ってしまった。


 コーリャとアリョーシャが仲違いしたままなのは見ていられないから、ついつい、円卓の外で調停を試みてしまう。


 でも、結果は相変わらない。


 コーリャもアリョーシャも、そんなことはわかってると言って、顔を曇らせながら立ち去ってしまう。



 二人は同じことを言った。二人とも、同じように苦悩してるんだと思う。大切に思うから、近づきすぎてしまうから、視線が交わらないのかな。


 きっと、どちらの意見も正しいんだと思う。


 だけど、どちらも間違っている気もする。


 外に出ずに籠城しようと言ってるマーリャとカーチャだって、みんなを危険な目に遭わせたくないから、そう主張しているんだと思う。


 それぞれが、みんなを守ろうとしてる。ただ、方法が違うだけ。


 みんなには仲良くしてほしい。私たちが住んでるこのシェルターは狭いんだから、人間関係だって外の世界よりも濃密なんだし。



 些細ないざこざが、まるで噴火という大災害のように感じられて、とっても苦しいし、怖い。


 食事のときも、授業中も、二人はよく口喧嘩をするようになった。


 仲裁することは苦にならないけれど、やっぱり悲しい。


 こうして合議の内容を日記に書くのも、なんだかつらい。さっきから、アリョーシャの言葉ばかりが頭の中で繰り返されてる。


『こっちは丸腰なんだから仲良くしようって、命を懸けて示さなきゃ』


 素敵な考えだと思う。でも、うまく言い表せないけど、なんだかすごく不安になる。




 オリガは日記への書き込みを中断し、両手で頬杖を突いて、透明樹脂製の机の下に投げ出されている自分の足を眺めた。


 寄り添うように揃えられたその両足は、ひどく心細そうに見える。


 地上という未知なる領域への恐れと不安が、無意識に両足をきつく寄り添わせるのだった。



 頬杖を突くのをやめ、緊張する両膝を優しく撫でてやろうとした、その時。


 フルートに似たまろやかな音色の呼び鈴が、二度鳴った。オリガの個室を誰かが訪れ、無線通信を介して入出許可を求めていることを知らせる音だ。


「誰?」


 オリガがスピーカーを通じて問いかけると、ドアの向こうにいる家族が答えた。


「父さんだよ」


「入って」


 今まで一度も個室を訪れたことがないのにと疑問に思いながら、オリガは電磁浮遊椅子に座ったまま、無線を使って部屋の鍵を開けた。


 入室した父が、ドアのところで立ち止まって会話を始める。


「突然すまないね、オーリャ」


「どうしたの、お父さん。私たちのことを愛称で呼んだら、お母さんから叱られるって言ってなかった?」


「ここに母さんはいないからね」


「そっか。それで、どんな用事?」


 父は、右の手のひらを胸に当てながら答えた。


「礼を言いたくてな。お前はいつもコーリャとアリョーシャの口論を仲裁してくれるから、助かっている。彼らは食事中でも授業中でも言い合いを始めるものだから、大変だろう?」


「そう思うなら、たまには一緒に口喧嘩を止めてくれたらいいのに」


「すまない。立場上、私たちはお前たちの論争に介入できないんだ」


「ベロボーグ計画の管理者権限を移譲したから?」


 そう問われた父は、握り締めた右拳を口元に当てながら素早く思案した。



 このままでは、母が子供たちに逆らえなくなっていることを知られてしまう。様子を見に来たはずが、逆に様子を伺われている。判断を誤った。話の筋を修正しよう。



「権限の移譲は無関係だ。子供たちの選択を優先しなければならないからだよ。口論の仲裁は、どちらかに肩入れしてしまうことに繋がる。平等に介入することなど不可能なんだ。わかってくれ。私は平等に接していたいんだ。その結果、きみに苦労をかけてしまって、すまない。思っていたより元気そうで良かったよ」



「私は平気。ああ、そうだ、いい機会だから相談に乗ってほしいな。いつまで経っても合議が順調に進まないから、合議そのものを保留しようかと思ってるの。まずは、もっと知識を深める必要があるんじゃないかと思えてきて。私たちはまだまだ幼くて、まだまだ勉強が足りない。そう、稚拙と言ってもいいくらい。だから、各自が勉強して知識を深めて、それから改めて合議をすれば、大きく進展するんじゃないかって感じたの。どう思う?」



 父は頭部前面に映し出された顔を微笑みの形に変化させ、顔を曇らせている愛娘に優しく語りかけた。


「お前がそう思うなら、私は賛成するよ。ゆっくり知識を深め、結論を出せばいい」


「ありがとう、お父さん。明日、みんなに提案するね。私たち、頑張って勉強するから」


「無理しない程度にね。じゃあ、邪魔して悪かった。私は戻るよ」


「うん、おやすみなさい」


「おやすみ」


 愛娘の笑顔を引き出してから退室した父は、音を立てずに廊下を歩きながら思考した。



 子供たちが納得いくまで知識を蓄え終えるのは、いつになるのだろうか。


 なにより気になるのは、ニコライとアレクセイの対立が終結する日が来るのだろうかという点だ。


 妻は、仲良し同士は口げんかを楽しむということわざを例に挙げて楽観していたが、私はそうは思えない。長い対立は遺恨を残す。


 合議を保留するというオリガの判断は正しい。あの子も、深刻な対立に発展するのを危惧しているのだろう。合議の保留は、二人の対立を止めるのに最も効果的だ。


 オリガは本当に賢い子だ。きっと、あの子達は最善の選択をして地上に出て、最良の結果を掴み取るだろう。


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