第五章 5

 育児日記。二二五一年、五月十日。午後十一時。


 予想したとおり、第一世代の子供たちは昨日から第四階層の議事室に集まって円卓に座り、未来について話し合うようになった。


 昨日は互いに気を遣って、様子見しながら話し合っていたようだったが、今日は違った。


 それぞれが一晩じっくり考えたからなのか、穏やかだった昨日の合議とは打って変わって、大論争が繰り広げられたのだ。




 はじめは、昨日と同様に穏やかな雑談をしていたのだが、すぐに政治的な討論へと発展していった。


 地上に出るか否か。オリガは最も意見が一致しやすい議題を選んだようだが、彼女が想定していたような円滑な議論はなされなかった。意見が割れてしまったのだ。それも、複雑な形で。


 幼い頃はみな地上に出ることを夢見ていたのだが、現実を知ったことで、夢よりも恐怖感がまさったようだった。



 アレクセイは、非武装進出派だ。世界はもう争いを止めていて、地上は平和になっていると予想し、相手を脅かさないように非武装で地上に出るという考えを持っている。



 ニコライは、武装進出派だ。望んで交戦をするわけではないが、敵国からの攻撃に備え、いつでも反撃できる用意をした上でシェルターから出るべきだと主張している。



 オリガとソーフィアは地上進出派ではあるが、もうしばらく考える時間が必要だとして、アレクセイとニコライのどちらにくみするかを保留している。



 マラートとエカテリーナは、籠城派だ。地上には進出せず、ベロボーグ計画の最終段階を保留し続けたまま、シェルターで暮らしたほうがいいと主張している。


 エカテリーナが連れて来た猫のラードゥガは、六人の気も知らずに円卓の上を自由に渡り歩いて、飼い主たちの吠え合いを傍観していた。




 論争は、主にアレクセイとニコライの間で巻き起こっていた。


 双方の主張を簡潔に言えば、アレクセイは楽観し、ニコライは悲観しているというわけだ。


 ニコライは、地上に出るには万全の備えをしておく必要があると言っているだけなのだが、兄弟姉妹はその反撃思想に強い拒否反応を示し、ベロボーグ計画の最終段階を履行する行為だと遠回しに非難する。


 オリガは過剰反応する兄弟姉妹を注意するが、誤解は解けなかった。


 それは仕方のないことだ。戦争という現実を知ってしまったのだから、正当防衛に対しても激しい拒否反応が出て当然だ。


 争いのない世界で育った彼らにとって、暴力とは、たとえ正当防衛であったとしても許容し難い行為なのだろう。




 結局、ニコライの主張は終始誤解されたまま、時間切れとなった。


 彼が夕食時に見せた悲哀と失望に塗れた顔が、どうしても忘れられない。


 誤解を解く助け舟を出してやりたいが、それは許されない。私は保護者でしかなく、ベロボーグ計画に関する合議には口出しできない。


 あの子達がしているのは、喧嘩ではなく討論だ。そう信じて見守ろう。





 夫婦部屋にいる父が育児日記を閉じるのと時を同じくして、個室にいるオリガも日記を書き終え、鬱屈した心持ちのまま、メインコンピュータ上に展開されている個人用記録領域を閉じた。


 彼女は激しく対立するニコライとアレクセイの間に入りつつ、ニコライを誤解するソーフィアとマラートとエカテリーナに注意を促しながら、どうして暴力を容認するニコライをかばうのかというような視線を浴びなければならず、わずか二日で激しく消耗していた。


 彼女は溜め息をつきながら机に突っ伏し、自らの腕に囲われた空間内で独り言を呟いた。


「たぶん、どっちも正しい。だから、お願い、攻撃し合わないでよ」


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