第五章 3
兄弟姉妹を代表したニコライが、分析と認識が正しいのかどうかを確認するために、やや重く感じる口を開いた。
「つまり、ベロボーグ計画の最終段階を実行するかどうかは、オレ達の選択次第なんだね?」
問われた父は、大袈裟に頷いてみせてから回答した。
「そうだ。権限の移譲が済んだら、お前たちが管理者となり、全てを決定することになる。移譲をしないままでは、確実に地上戦争へと突入してしまうだろう。お前たちの母はそう命令されていて、逆らうことができないんだ。うかうかしていると、何らかの理由で母さんの命令優先順位が元に戻り、強引にベロボーグ計画を推し進めてしまう危険性もある。この先、どうなるかわからないんだ。だから決断してほしい。みんな、権限を譲り受けてベロボーグ計画の管理者となり、自らの手で未来を創り出す覚悟はあるか?」
父は、席に座る子供たちの表情を視覚センサーによって読み込み、表情分析機能によって、彼らの胸中を確認した。
六人の困惑反応の数値が同程度の勢いで高まっていくが、五秒も経たないうちに差異が生じた。
最前席に座っているニコライとアレクセイだけは困惑反応の数値が下がり、
少し遅れてオリガにも同様の変化が生じ、さらに遅れて、ソーフィアの決意反応も高まっていった。
エカテリーナとマラートは決意反応の数値が上がらず、不安反応の数値ばかりが高まっていたのだが、父はそれを負の反応であるとは判断しなかった。
何故なら、その不安反応は自己に向けられたものではなく、他者、つまり兄弟姉妹のことを心配することによって生じたものだったからだ。前者は恐怖反応も同時に検出されるが、後者では恐怖反応が検出されない。
父の問いかけから三十秒ほど経って、エカテリーナとマラートの決意反応の数値が上昇し始めた時だった。
アレクセイが振り向いて兄弟姉妹の顔を眺め、迷いが生じていないことを確認してから起立して、宣言した。
「ベロボーグ計画の管理者権限を譲り受ける覚悟ができました」
「よくぞ決断してくれた。では、妻よ。きみの権限を移譲するんだ」
母はゆっくりと頷いて、メインコンピュータに接続した。
ベロボーグ計画の管理システムに六名の遺伝情報と脳内活動特性が登録される。そして、担当アンドロイドが持つ管理者権限が返還され、新たに管理者登録された六名に移譲された。
権限移譲手続きは無事に完了し、ベロボーグ計画は第一世代の六名によって管理されることとなった。
「ベロボーグ計画の管理者権限が、無事に移譲されました。正確には移譲ではなく、返還でございますが。これにより、私は管理者ではなくなり、ただの母となりました。なにか、ご不明な点はございませんか?」
オリガは母の口調が変化したことに対する疑問を保留し、いつも授業でしているように挙手した。母が手のひらで彼女を指し示すと、彼女は着席したまま質問した。
「戦争相手の国々は今、どうなっているの?」
「不明です。わたしは、第三次世界大戦勃発時には既にこのシェルターの管理者として配属されておりましたので、ロシア連邦滅亡以降の歴史を把握しておりません。ただ一つ言えますのは、大戦終結後に敵国のロボット兵団が上陸し、ロシア連邦を滅亡させたということだけでございます。昆虫型の偵察機で調査した結果、地上の都市は廃墟と化しておりました」
母の回答に、第一世代は目を剥いたまま硬直した。
「皆様、なにか不都合でもございましたでしょうか?」
旧型アンドロイドである母には感情を読み取る機能が搭載されておらず、子供たちがどうして硬直しているのか見当も付かなかった。
七秒の沈黙のあと、形容できない恐怖に震える顎を懸命に動かして、ニコライが問うた。
「戦争が終わったあとも、敵国はロシア人を殺し続けたということ?」
「はい。戦争とは、そういうものです。このシェルターの隠蔽技術は完璧でございますから、御心配なさらないでください。他に御質問はございませんか?」
アレクセイが挙手して、質問機会を得た。
「じゃあ、現在の地上の様子を教えて。前に、地上は放射性物質で汚染されていると教わったけど、それは本当?」
「はい、事実でございます。ただし、地上に出られない理由に関しては、真実を隠しておりました。地上には敵国のロボット兵が駐留している可能性があり、発見され次第、殺害されてしまうでしょう。他に御質問はございませんか?」
楽しい思い出が詰まっている教室が、張り詰めた空気に満たされて静まり返る。
質問がないらしいことを受けて、母が話を再開した。
「真実を知ったばかりなのですから、頭が正常に働かないのは当然でございます。あとになって質問が湧いてくると思われますので、その際は通信によって御質問なさってください。いつでも結構です。最後に、わたくしめから一言だけ申し上げさせていただきます。ベロボーグ計画を最後まで実行するか否かの御決断は、お急ぎにならなくとも結構でございます。猶予は充分にございますので、焦る必要は――」
「本当に、もう質問はないのか。例えば、出生に関する疑問があれば言ってくれ」
特別授業の第一段階を終えようとした妻の言葉を、父が突然に遮り、子供たちが衝撃を受けるのではと懸念していた案件を持ち出した。
早いうちに全てを説明し終え、精神を揺さぶられる機会を減らし、精神的な後遺症を少しでも軽減してやりたいと考えたからだ。
父の配慮に対して、ソーフィアは強張った顔をほんの少しだけ緩めながら告白した。
「あたし達が機械の中で作られた存在だってことは、もう知ってるの。第二世代が産まれる前に、鍵がかかってなかった胎児保育室に忍び込んで見たから。あたしが扇動したの。勝手なことをしてごめんなさい」
子供たちが、自分はどうやって生まれたのかというような質問をしなかったのは、その答えをすでに知っていたからだった。
肩の荷が下りた父は、微笑みながら語りかけた。
「謝らなくてもいいんだよ。そうか、知っていたか。出生の秘密を知って衝撃を受けるのではと心配していたんだ。みんな、もう平気かい?」
第一世代は、口元に淡い笑みを浮かべながら頷いてみせた。
一人ひとりと視線を重ねた父は、頭部前面に満面の笑顔を映し出しながら語りかけた。
「産まれる方法なんか問題じゃない。ずっと一緒にいたんだ。お前たちは、私たちの子だ。なあ、そうだろう?」
父は左に立っている妻を見た。
発言を促された妻は、彼ほど高くはない性能を最大限に発揮して、子供たちに気持ちを伝えた。
「ええ、その通りです。わたくし達は、強い絆で結ばれた家族でございます。わたくしは、ずっと見守っておりました。皆様が小さな細胞であった頃から、ずっと見守っておりました。これからも、お傍におります」
両親の思いを聞いたことで、過酷な現実を突きつけられて磨り減った第一世代の子供たちの心は癒され、苦しさを覚えていた呼吸も元に戻り、強張っていた体は、きつい拘束衣が解かれたかのように脱力した。
適切な温度調整がなされているはずなのに冷たく感じられていた教室の空気は
過酷な現実と家族愛が入り混じる中で、第一世代は揃って同じ思いを抱いていた。
自分たちには、最高の両親がいる。怖くなんかない。
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