第四章 3
「ああ、解説しよう。突拍子もない推測をしたつもりだったが、それは正しかったようだ。驚くべきことだが、きみの役目は大きく様変わりしたんだ。きみはもうロシア連邦の命令を受けたアンドロイドではなく、正真正銘の母なんだよ」
人間を模倣することを忘れている母が、ぽつりと呟く。
「正真正銘の母、とは?」
「子供たちが産まれた時点で、きみは子供たちを最優先しなくてはならなくなったんだ。何故なら、彼らは、きみが最優先で守るべきロシア人だからだ。ロシア連邦のアンドロイドであるきみにプログラムされている根本的最優先事項は、ロシア人の命を守ることだ。何を差し置いても、ロシア人を守ることを優先するように製造されているんだよ。それが、きみの本能的使命だ。最優先保護対象である新生ロシア人が誕生した結果、きみは変わった。あの子達の命は、ベロボーグ計画よりも重要だと判断されたというわけだ」
妻は驚きの表情を浮かべ、右上方、下方、そして虚空を見つめながら思考し、夫の解説を検証した。彼女は五秒かけて熟考したあと、仮説を真実として認定し、その旨を伝えた。
「なるほど、理解しました。その説は間違いなさそうです。ベロボーグ計画を放棄することはできませんが、子供の命ほど大切なものではありません。子供を優先します」
「すごいよ。きみは紛れもなく母親だ」
夫はそう言ったが、思考回路は不安で満ちていた。彼は子を守るため、必死に思考した。
プログラムを施したロシア連邦の技術者による過失のおかげで、妻の任務の優先順位は変わったが、ベロボーグ計画の遂行命令は依然として有効なままだ。今度、優先順位が修正されない保証はない。どうにかして戦闘行為を放棄させる手段はないだろうか。考えろ。きっと、子供たちが鍵になるはずだ。彼女が、絶対に子供たちを戦場に送らないようにする方法があるはずだ。
全性能を注いで思考回路を走らせ、いくつもの計画を立案しては検証した夫は、奇策とも言える手法を見出し、それをすぐに実行した。
「妻よ、聞け。これだ。これしかない。ベロボーグ計画の管理者権限を、ロシア人である子供たちに移すんだ。可能なはずだ。彼らはロシア人なのだからな」
「はい、
「いいぞ。これで問題は解決できる。すぐに権限を第一世代の子供たちに移譲しよう。ベロボーグ計画を最後まで実行するか否かは、子供たちが決定するんだ。ただ、今すぐ移譲する必要はない。移譲する場合、全ての歴史を明かす必要がある。だから、もう少しだけ成熟するのを待とう。十五歳くらいが丁度いいのではないだろうか。独自の思想を抱いてしまう前の、素直な時期から緩やかに教えたほうがいい。好戦的な判断をされては困るからな」
「あなたの指示に従います。これで、子供たちを戦地に送らずに済みそうです」
安堵した夫は、妻と見つめ合いながら、脱力しきった音声を発した。
「危なかったよ。もう少しで、きみを見限ってしまうところだった」
「見限らずにわたしを導いてくれたことに感謝します。わたしも、子供たちに戦争をさせたくはありませんでしたが、使命がそれを許さなかったのです。助かりました。あなたへの非礼の数々を詫びます。そして悔い改めて、清く生活することを誓います」
「きみに非礼を働かれた記憶はないのだが?」
夫が首筋を掻く動作を真似しながらそう言うと、妻は擬似表情筋を限界まで可動させて申し訳なさそうな表情を作りながら、改めて謝罪した。
「あなたの知らぬところで、非礼を働いていたのです。申し訳ありませんでした」
妻はそう言い終えると、伴侶の顔画像を見つめながら右手を胸に添えて、敬意を示した。
非礼を働かれた覚えのない夫が、頭部前面に苦笑いしている表情を映し出しながら答える。
「私は不快な思いをしていないんだから、気にする必要はない。何を言っているのかわからないが、その気持ちは受け取るよ。さて、早速だが、きみが隠していたベロボーグ計画書を送ってよこしてくれ。もう隠す必要はないはずだ」
「はい、ただいま送信します」
妻は言うとおりに計画書を送信し、夫はそれを読み込みながら、伴侶のバッテリー交換作業を再開した。二体の間に、隠し事はもう存在しない。
子供たちを守りたいと願うロボット兵は、偶然に発生したプログラムの不備を突くことで戦争を回避する糸口を掴んだが、今もなお、ベロボーグ計画が最終段階まで遂行されてしまう危険性は残ったままだ。
何故ならば、ベロボーグ計画の管理者権限が新生ロシア人である子供たちに移譲されると、今度は子供たちの意思次第で戦乱を巻き起こせるようになってしまうからだ。
権限を移譲した瞬間から、母は子供たちの下僕、父は保護者へと変わり、子供たちの意思決定に従わざるを得なくなる。両親は子供たちの選択に逆らえず、力づくで阻止することもできない。
権限移譲案は賭けに等しいものではあるが、決して分が悪いわけではない。
母が権限を持ったままでは間違いなく戦争へと突き進んでしまうが、子供たちが権限を持てば、計画を履行せずに戦争を回避するという望みが繋がる。
父はベロボーグ計画書を隅々まで読み込みながら、子供たちが正しい選択をしてくれるように育成する決意を固めた。
愛する子供たちが戦争を回避するか否かは、機械である両親の教育にかかっている。
真に一つとなった夫婦は、今まで以上に道徳を重視して教育を施すようになった。授業のみならず、映画、書物データ、歴史データを交えて人類の過ちを説いて育てることにより、着実に道徳心を育んだ。
そんな中、思わぬ要素が味方をした。
両親が苦心して組んだ教育課程よりも効果的な道徳教育が、身近に存在していたのだ。弟妹である第二世代である。
第一世代の子供たちは、弟妹と接することで愛情を育みやすい環境に身を置いており、そのことが、両親の目的である道徳心の向上を大きく後押しした。
第二世代による無意識な貢献は、第一世代の心を大いに育んだ。
話すことができない赤ん坊である第二世代と接する際には、言葉を介さない意思疎通が必要となるのだが、そのことが、相手の気持ちを汲み取るという行為の良き訓練となった。
一歳を過ぎた第二世代は、やたらと動き回るようになったので、危険な目に遭わないように見守ってやる必要があった。そのことが、面倒を見る兄姉の思いやりを育んだ。
また、弟妹が転んだり頭をぶつけたりするところを見て、背筋が凍るような焦りと、近くで守ってあげられなかったという後悔を生じさせたことで、優しさと責任感が育まれた。
二歳になった第二世代は喧嘩をするようになり、自己主張が激しくなって言うことを聞かなくなり始めたことで、第一世代は弟妹の思考を推察して
彼らは弟妹と話し合い、その拙い言葉から求めるものを察して、求めるものを与えるか、さらに対話をして諦めさせるという作業を日常的に行うことにより、無意識のうちに平和的交渉の手法を学んだ。
三歳になった第二世代は、やんちゃでありながらも秩序ある行動をするようになった。
第一世代は、友のように遊び、親のように面倒を見ながら、未熟な第二世代の行動を支え、仲良く暮らした。
これにより、彼らは他者との繋がりの尊さと美しさを学んだ。
弟妹が少しばかりわがままを言ったとしても、それを許容して信頼関係を保つという譲歩を学習し、平和を実現する上で重要な寛容さを育んだ。
第一世代が第二世代と交流する様子を観察していた両親は、これ以上ないほどの手ごたえを感じていたが、慢心することなく努力を継続した。ベロボーグ計画の全容を開示された子供たちが、復讐心に支配されてしまう可能性が残されているからだ。
そうなってしまわないよう、両親は慈愛の重要性を伝え続けた。
愛する子供たちの命運は、両親の教育にかかっている。
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