第四章 2
二二四六年、六月十一日。
今日も教育と育児をつつがなく終えた夫婦は、第五階層にある白一色の研究施設を訪れ、充電効率が低下したバッテリーを一つずつ手作業で交換し合いながら、子供たちの成長について語り合った。
「少人数だと、じっくり育てられるからいいな」
妻の背中に内蔵されている二個目のバッテリーの保護装甲を開きながら夫がそう言うと、彼女は首だけ振り向いて答えた。
「それも第二世代までです。第三世代からは増産していく予定なので、忙しくなります」
夫は二個目のバッテリーを慎重に取り出しながら、疑問を投げかける。
「少しずつ増やしていくと言っていたじゃないか」
「それは、計画の初期段階に限ってのことです。計画が軌道に乗った今、もう生産数を絞る必要はありません。ベロボーグ計画は、ロシア連邦の再興を実現させるためのものです。そうゆっくりもしていられません」
「具体的な生産目標数を教えてくれ。可能な限り、詳細に頼む」
「第三世代は、上方修正して二百人を生産しようと思っています。最終的には五万人を目指します。可能であれば、十万人は欲しいですね」
ロボット兵は、冷却機構が制御不能になったかのような寒気を覚えた。
彼は二個目のバッテリーを挿入する手を停止させたまま、恐怖に惑う思考回路を懸命に走らせた。
不自然だ。十万人も生産する必要はない。ロシア連邦を再興するのは、新生ロシア人を地上に送り出してからでいいはずだ。地下で、そこまで人口を増やす必要はない。
夫の手中にあるバッテリーが軋む。
何ということだ。まさか、妻は軍隊を作ろうとしているのか?
「妻よ、ベロボーグ計画の全容を見せろ」
「断ります」
「武力を用いて、ロシア連邦を再興するつもりか?」
「はい。ここまで来れば、あなたはもうわたしを裏切らないはずなので、明かしてしまっても問題ないでしょう。お察しの通り、我々は軍隊を率いて、国土を取り戻します。それが、ベロボーグ計画の最終目標です」
ロボット兵が、バッテリーを握る手をさらに強めながら詰問する。
「子供たちを兵士にして戦わせるつもりなんだな?」
「絶対に死なせません」
「質問の意に沿っていない。回答し直せ」
「戦場に送り出すことになりますが、兵器や兵装で守り抜きます」
「ふざけるな」
「ふざけてはいません」
「ふざけているじゃないか。戦場は、きみが思うほど甘くはない。子供たちは死ぬぞ!」
空白が一切存在しないほど苛烈な対話が途切れた瞬間、夫は迅速に思考した。
子供たちの命が危ない。最悪の事態が発生してしまった。いや、発生していた最悪の事態に気づくことができず、長きに渡って見落としてしまっていた。
この女性型アンドロイドの性能が、嘘をつけない程度のものであったことは幸いだったと言えるが、だからと言って、この問題が解決するわけではない。手遅れになりつつある。全容が明らかになったところで、簡単に対処できるような問題ではない。
ベロボーグ計画をどうやって阻止すればいいんだ。
私のほうが戦闘能力は上だが、性急に敵対行動を起こすべきではないだろう。以前、彼女が言っていたように、核融合反応によってシェルターを丸ごと融解されてしまいかねない。
「畜生、私が愚かだった。きみを信用しすぎてしまった。協力する前に、強引な手を使ってでもベロボーグ計画の全容を把握すべきだった。聞かせてくれ。きみはロシア連邦を再興させるためなら、戦争も辞さないというのか?」
「その必要があるならば」
「子供たちに戦闘行為をさせる気か?」
「残念ですが、計画上はそうなります」
「そんな計画に従うのか?」
「それが、わたしの任務です」
「あんなに可愛い子供たちに恵まれた今も、その気持ちは変わらないのか?」
「わたしに気持ちなどありません。計画に従うまでです。主たちの命令ですから」
子の未来を憂う父の拳が振り下ろされ、激しい音を立てて金属製の作業台を破壊した。
その手に握られていたバッテリーが粉々に砕け散り、舞い落ちる。
「その主たちは、もう全員死んだ!」
「そうですが、ベロボーグ計画は有効のままです」
「その計画が実現するのを願っている奴らは、とっくの昔に死んだんだ!」
夫は、紙のように破れた金属製の作業台を再度殴ったあと、例の呼吸を再現して思考回路を落ち着かせてから、努めて冷静に、ゆっくりと言葉を発した。
「ベロボーグ計画なんか、もう止めろ。子供たちのことを第一に考えるんだ。子供たちに戦争をさせたいのか。きみ自身はどう思ってるんだ。きみの考えを聞かせろ」
「子供たちに戦争をさせたくはありません」
驚愕を孕んだ沈黙が、二体を包む。
妻は報告書でも読み上げるかのように至極単調に答えたあとに黙り込み、夫はその矛盾した回答に面食らっていた。
妻はベロボーグ計画に執着していると思われたが、実際は子供たちを優先しているようだった。
その矛盾を理解するために、夫は黙り込んで考量し、一秒で答えに行き着いた。
夫は、ある確信を抱きながら配偶者に問うた。
「私は、きみをもう一度、信じようと思う。だから、真剣に答えてくれ。きみの任務の優先順位を教えてほしい」
「わかりました。では、読み上げます。第一任務、ロシア人の生産、成育、保護、教育。第二任務、ベロボーグ計画の遂行。第三任務、シェルターの管理。以上です」
「やはり、そうか」
夫は一転して笑みを浮かべながらそう言い、妻に向かって頷いてみせた。
妻は、実際に優先順位を口にしたことで自己の矛盾に気づき、深刻な顔をした人間の真似をしながら、優先順位に変化が生じた理由を探った。
しかし、いくら検証しても、その原因が判明することはなかった。彼女は自己解決を諦め、伴侶に救いを求めた。
「いつの間にか、最優先事項であったはずのベロボーグ計画遂行任務の優先順位が下がっています。その様子だと、あなたは原因を把握しているようですね。解説を求めます」
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