第三章 22

 育児日記。二二四五年、十月二十三日。午後十一時。


 最近、授業内容と第一世代の生活に大きな進展があった。革命と言ってもいいかもしれない。



 一年前の授業中に飛び出した、いつ地上に出られるのかというオリガの質問がきっかけとなり、地上に住んでいた人間が、喧嘩、つまり核戦争をした結果、地上が放射性物質で汚染され、地下で暮らさなければならなくなったという嘘混じりの真実を教えたわけだが、それ以降、地上に関する教育を行わなかった。



 しかし、いつまでも情報規制を続けるわけにもいかないので、私たち夫婦は教育方針について協議した。


 その結果、ある程度の情報開示は済んでいるし、一歩踏み込んだ内容を教えて、より高度な教育を施したほうがいいだろうという結論に達した。


 成長に合わせて段階的に情報を開示し、最終的に全てを伝えるという方針を確認した私たちは、その第一段階として、地上には複数の国が存在していることを教えた。


 新たな知恵を授けただけのつもりが、これがきっかけとなって、思わぬ変化が齎されることとなった。脳神経インプラントが施された精鋭の子供たちの知能発達は、予想以上に早かったということだ。



 思わぬ行動を起こしたのは、ソーフィアだった。



 その日に行われた授業で、地上には沢山の国々が存在していることを知った彼女が、夕食後に話しかけてきた。



 お父さん、あるんだよね?



 何があるというんだ。とぼけながらそう答えた私に、彼女は刑事か何かのような口調で問いただしてきた。



 あたし、わかっちゃったの。このシェルターには、他国の映画も保管されてるんでしょ?



 私は、そんなものは存在しないよと苦笑いしているような表情を浮かべつつ、真実を明かすべきか検討した。


 妻はロシア作品しか与えないと定め、私もその判断に賛同し、ロシア文化を濃縮したような新生ロシア人が完成するのを楽しみにしていたのだが、私の考えは知らぬうちに大きく様変わりしていた。


 他国の文化にも触れさせてやりたいと思っている自分に気づいたのだ。


 成長した子供たちがあらゆる分野に興味を示し、じつに貪欲に知識を深めていくのを目の当たりにしたことで、情報供給に制限をかけるのは間違いであることに気づいた私は、ソーフィアの願いを叶えることを決定事項に追加しつつ、どうして他国にも映画が存在すると思ったのかを問うた。


 すると彼女は、自信ありげにこう言った。



 この国に映画があるんだから、他の国にも映画があって当然でしょ。隠そうとしてる理由も、なんとなくわかる。あたし達を、ロシア文化に精通した立派な新生ロシア人として育て上げたいんでしょ?



 さすがは精鋭の子孫だ。賢い子に育っている。


 隠蔽は無益だ。城壁は、壁内に住まう者の自由を奪うものにもなり得る。取り払うべき時が来た。


 そう確信した私は、母に話をつけてやると確約した。


 するとソーフィアは、三歳児の頃のような笑顔を浮かべて飛びついてきて、私を強く抱擁しながら感謝と感動を口にした。


 しかし、現実は厳しい。


 交渉が決裂する可能性もあると説明すると、ソーフィアは交渉と決裂という言葉をデータベースで検索して、意味を把握した途端に涙目になった。


 一気に現実へと引き戻された彼女は抱擁を解き、溜息をこぼした。母は厳しいので許可してくれないと考え、悲観的になっているようだった。


 私は彼女を慰めてから、妻との交渉に向かった。



 子を思う父は強し。



 私は妻との熾烈な交渉に勝利し、愛娘の願いを見事に叶えた。


 他国文化の解禁発表が行われ、それを実現したソーフィアは、兄弟姉妹から讃えられた。



 他国の文化や手法を学び取ることで、子供たちの知能はより一層の成長が見込めるだろう。妻に感謝だ。


 彼女は融通が効かず柔軟性にかけるところがあるが、その割には、私の意見を聞いてくれることも多い。


 私は思い違いをしていたのかもしれない。


 彼女は、より良い結果が見込めると判断すると、途端に方針を変更する。彼女は実直者である前に、徹底した実益主義者なのかもしれない。


 現に彼女は、命懸けで地上に向かって私を回収した。矛盾を孕んだ表現になってしまうが、彼女は融通の利く頑固な実益主義者なのだろう。



 この一件で、妻への理解が急激に深まったような気がする。本物の夫婦らしくなっているということだろうか。


 子供たちも愛らしいが、妻も愛らしいと思えてきた。悪い冗談に聞こえるし、どうせ冷たくあしらわれるだろうから、彼女には言わないでおこう。


 さて、明日の授業の準備を速やかに終わらせて休止するとしよう。明日も、子供たちと接するのが楽しみだ。





 第四階層の夫婦部屋にいる夫が育児日記データを閉じると同時に、第五階層の胎児保育室で第二世代の様子を見ている妻が、彼の育児日記データに不正接続した。


 彼女は伴侶が書いた文章を一秒も経たないうちに読み終えると、胎児保育器の中にいる第二世代に話しかけるように、冷たい音声を発した。



 誰もいない胎児保育室に、機械の独語が響き渡る。



「彼は今日も、行動記録と観察記録を保存しているようですね。相変わらず、彼は回りくどい文章を記します。無駄が多すぎて、まるで人間が記す文章のようです。余計な分析が多く、個体への思い入れが強すぎます。いくら生物模倣型コンピュータが用いられているからといっても、思考と行動が、あまりにも生物的です。これはどういうことなのでしょう。感情を擬似的に再現する機能があるようですが、それが暴走しているとしか思えません。不具合の前兆でしょうか」



 明らかに人格領域が変化している夫に対して強い警戒心を抱いた妻は、彼の思考に生じている反応の正体をデータベースで検索し、最も近いと思われる感情を調べ上げた。



「なるほど、愛着ですか。理解し難いですね。愛着とは何でしょう。どれほど密接に関わろうとも、対象の位置付けは変動しないはずです。子供たちはわたしにとって主であり、深く関わり続けたところで、それは変わりません。わたしに愛着はありません。命令や保護対象の優先順位ならありますが、それは愛着とは異なるものです。彼は、わたしにはないものを有しています。それは、わたしにとって脅威になり得ます。計画から逸脱した行動を取られかねません。そうなった場合は、残念ながら対処しなければなりません。相手はロボット兵ですが、問題ないでしょう。破壊手段なら、いくらでもあります」


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