第三章 18

 多少の嘘や隠蔽がありながらも、地上の様子を知った子供たちは、より積極的に勉学に励むようになっただけでなく、地上に関する情報も積極的に集めるようになった。




 授業を終えたあと、両親の元にニコライがやって来て質問を投げかける。


「ボク、すごいことに気づいたんだ。自分でも驚いてるんだよ、どうして質問しなかったんだろうって。ボクたちは、お父さんとお母さんの名前を知らないんだよ。ねえ、教えて。お父さんの名前はなんていうの?」


 そう問われた父は、頭部前面に表示している顔が無表情になってしまうほどにまどった。


 この類の質問に答え続ければ、やがてはロボット兵という機械の存在意義まで知られてしまいかねない。自分たちの父が戦争の象徴的存在であることを知ったら、子供たちはどう思うだろうか。


 そんな懸念が、思考回路を縦横無尽に走って支配する。


 うまく取り繕って隠しながら問答をしたとしても、利口な子供たちはいずれ地上の真実に行き着いてしまう。だからと言って、無視するわけにもいかない。父は懸念を押し殺して、正直に答えた。



「私の名は、M&HHI―J024―HF57244215だ。いや、これは機体番号だから違うか。コードネームもあったが、作戦終了時に削除されてしまって覚えていない。すまないが、答えられそうにない。名前がないんだ」



 父が言ったことを理解しきれなかったニコライが、唯一まともに聞き取ることができた単語の意味を問う。


「コードネームって?」


「仕事中だけの呼び名だよ。仕事によって変わるんだ」


 父とニコライの会話を少し離れた場所から聞きつけた子供たちがやって来て、結局、家族が勢ぞろいした状態で会話が展開されることとなった。


 人数が増えたことで、自身の正体が露呈しやすくなってしまったことに焦る父の気も知らず、一番最初に駆け寄ってきたソーフィアが発言した。


「名前がいっぱいあったなんてすごいね。名前が変わるなんて不思議。あたしは、一つしか名前がないのに」


 続いて、アレクセイが無邪気な笑みを浮かべながら言う。


「じゃあさ、お母さんの名前は?」


 問われた母が、擬似表情筋を微笑みの形にしながら答える。


「転属されるたびに呼び名が変更され、いくつもの名を所有するに至りました」


「知らない言葉がいっぱいあって、わからないよ」


「ごめんなさい、言い直します。仕事場が変わるたびに、新しいお友達から、新しい名前を貰ったので、わたしはたくさんの名前を持っているのですよ」


 授業中、自室で留守番をしている猫のラードゥガに早く会いたいと思ってばかりいたエカテリーナが、彼のことをすっかり忘れて、目を輝かせながら母に訊く。


「たくさん名前があっていいな。どういう名前か教えて?」


「いいですよ。では、読み上げます。秘書、マリアンナ、冷血女、鉄の女、アデリーナ、すまし顔、飲料供給機の妖精、棒立ち女、コーヒーメーカー、計算機、掃除機、マネキン、仔猫ちゃん、マーシャチカなどです」


 母が羅列した名前の意味など到底理解できないマラートが、無垢な笑顔を浮かべながら言う。


「わあ、いっぱい名前があってすごいなあ。ねえ、お父さん?」


「……ああ、そうだね。ずいぶん面白い渾名あだなをつけられていたようだな」


 父はそう言って苦笑いをしたが、次の瞬間、一転して表情を強張らせた。


 渾名という言葉がきっかけとなって、記憶媒体の奥底へと続く艶やかな糸が、思考回路上に現れたのだ。


 その糸を手繰って行くと、接続できなかった領域に隠されていた過去の思い出が、突如として甦った。


「思い出したぞ。たしか、ティップトウだ」


 突然、聞いたこともない言葉を放った父に、オリガが首をかしげて二本の三つ編みを揺らしながら問う。


「ティップトウって、なあに?」


 父は、長年会っていなかった親友と邂逅を果たしたかのような笑顔を浮かべて回答した。



「ティップトウというのは、英語で爪先立ちという意味だ。それが、私の渾名だよ。省略して、トウと呼ばれていた。私の足が常に爪先立ちのような状態であることから、そう名付けられたんだよ。ほら、父さんの足元を見てごらん。これが爪先立ちだ」



 子供たちは、偶蹄目の動物の後ろ足を模している父の足を真似して、笑いながら爪先立ちをして遊び始め、いつしか爪先立ちをする目的が変わり、誰が一番背伸びが上手いかを競い始めた。


 そんな第一世代の無邪気な様子を観察しながら、妻が横に立つ伴侶に語りかける。


「面白い由来の名前ですね」



「相棒の渾名も面白いぞ。相棒は、バフと呼ばれていた。黒山羊に似た姿をしているバフォメットという名前の悪魔がいるそうなんだが、その悪魔も爪先立ちで、立ち姿が似ている上に、頭部が山羊の頭蓋骨のようにも見えることから、そう名付けられた。私の機体は隠密兵装なので頭部が円形なのだが、相棒は通常兵装なので、頭部が大きなくちばしのように尖っていたんだよ。相棒の少し後ろに控えていた私を見つけた特殊部隊員は、もう渾名のネタがないと言って、適当にティップトウという渾名をつけた。いま思えば、私の卵型の頭部を見て、何か面白い渾名でもつけてくれても良かったのにな。初対面のときの扱いは寂しいものだったが、部隊の皆は、私と相棒をよく可愛がってくれたよ。懐かしい思い出だ」



 ひとしきり爪先立ち遊びをして満足したアレクセイが、話を本筋へと戻す。


「お父さん、本当の名前は思い出せた?」


「思い出したのは渾名だけだ。私の名は、お前たちが呼んでいるとおり、お父さんだ」


「では、わたしの名前はお母さんということになりますね」


 結局、ニコライが抱いた疑問は解決しなかったが、彼はとても満足していた。自分たちが生まれる前の話を聞いたことで、また一つ、強い絆が結ばれた気がしたからだ。


 そんなニコライとは異なり、アレクセイは人知れず、小さな野望を抱いていた。



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