第三章 17

「いつ地上に出られるの?」


 理科の授業中、突然に起立したオリガが、教師役の父に問いかけた。


 初等授業によって、天候、宇宙、そして、あらゆる生物や植物のことを習ったことで、第一世代の子供たちは地上の存在を知り、自らが生きる環境が普通ではないことに気づいたのだ。




 就学してから二年が経った、二二四四年の十月六日。


 子供たちは八歳となり、急成長した知能によって、自身が置かれた環境に関する疑問を抱くようになっていた。


 誤魔化しが効かないようになる年頃だと考えた父は、教室の後ろに待機している妻と無線通信を介して打ち合わせて、適度な情報開示をすることにした。


 教師役の父が、交渉人のように穏やかに、それでいて厳格な姿勢で説明を開始する。



「外には出られないんだよ、オリガ。戦争という国家間の喧嘩で、旧式の原子力爆弾が使用され、たくさんの人が死に、人が住めないほど汚染されてしまったんだ。昔の人が始めた喧嘩のせいで汚染された大地が元に戻るまでは、どうしても出られないんだよ」



 地上には今も敵のロボット兵が巡回している可能性が高く、迂闊に地上に出たら命を落としかねないことは伏せておいた。父も母も、子供たちを恐怖させたくはないという共通の思いを抱いていたからだ。



 地下二十キロメートルの閉鎖空間で産み落とされた真の目的を知らない第一世代の子供たちは、父の説明をすぐに理解し、地上で起きた惨劇を知って深く悲しんだ。


 教室が、いつもとは異なる質感の沈黙に包まれる。


 このやりとりのきっかけを作ったオリガが、沈黙を晴らした。


「戦争が起きて、私たちは地上に出られない……。お父さん、もしかして――」


 オリガは何かを言いかけたが、首を左右に振って、おもむろに着席しながら呟くように言った。


「ううん、なんでもない」


 兄弟姉妹はオリガの発言を気に留めなかったが、両親は、その言葉に含まれた彼女の思考を読み取った。


 オリガは、戦争相手が今も地上に存在している可能性を感じ取り、そのせいで地上に出られないという事実に気づき、それを問いただそうとしたようだった。



 父は深慮した。オリガが質問しようとして中断したのは、事実を明かせば兄弟姉妹が悲しむと考えてのことだろう。優しい子だ。しかし、一人で抱え込むのは不憫だ。



「オリガ、聞いてくれ。時が経って汚染がなくなったら、きっと地上に行ける。だから、心配ないよ」



 適した嘘だっただろうか。そして、この嘘をそのまま受け入れてくれるだろうか。父はそう願いながらオリガの表情を見ると、そこには笑顔があった。


 しかし、それは擬装された、悲しい笑顔だった。それを見た父は、その嘘を突き通すと覚悟した。擬装された笑顔が、本当の笑顔に変わるまで。



 沈黙しながら決意した父を思わぬ形で救ったのは、マラートだった。


 彼は起立し、兄弟姉妹の顔を見回しながら宣言した。


「ぼくは、いつか地上に行くよ。いろんなものを見たいもん。汚染を取り除く方法だってあるはずだよ、ねえ、オリガ!」


「うん……、そうだね。きっとある。私も地上に行きたい!」


 擬装されたオリガの笑顔が、本物の笑顔へと変わり始めた。


 兄弟が希望を齎してくれた。父はマラートに感謝しながら、小さな希望の種に、水と光を注ぐ。


「マラートの言うとおりだ。状況を打開する方法を見つければいいんだ。それでこそ新生ロシア人だ。みんなも頑張って勉強して、解決方法を見つけるんだ」


 父が注いだ水と光によって、小さな希望の種が次々に芽吹いていく。今度はアレクセイが起立し、兄弟に続いて宣言した。


「勉強するのは大変だけど、地上に出られるなら平気だよな!」


 続いて、ソーフィアが宣言した。


「アクション映画が撮影された場所に行きたい!」


 エカテリーナが、少し恥らいながらも宣言した。


「たくさんの動物を、この目で見てみたい」


 最後に、大人びたニコライが宣言した。


「昔の人達みたいにケンカしなくて済むような、ちゃんとした世界を作りたい!」


 擬装されていたオリガの笑顔は、心から生じた純粋な笑顔へと変わった。


 兄弟姉妹の言葉を聞いた彼女は、現実を解決するための方法を模索すると心に決めた。

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