第三章 15

 育児日記。二二四二年、九月十八日。午後十一時。


 六歳となった第一世代への初等教育が開始された。


 もう六歳か。不具合を起こしていた時に観たノイズだらけの映像に映っていた少女も、このくらいの年齢だった。


 あの少女と共に暮らせたら、どんなに幸せだったろうか。


 いや、悲しんでいる暇はない。私は父なのだ。あの少女の分まで、子供たちを幸せにしてやらなければならない。




 初等教育の初日は大変だった。妻が突然、前置きもなしに学校が始まると伝えたからだ。


 学校というものの存在すら知らされていなかったあの子達は、きょとんとしていたが、やがてアニメに出てくる場所であることに思い至ると、一転して歓喜の声を上げた。


 それから興奮状態が続いてしまい、初めての算数の授業はまるで手につかなかった。私自身も、急だったので準備が疎かになってしまい、まともな授業ができなかった。


 妻は、いつも唐突に行動を起こすから困る。


 今後の予定くらい見せてほしいものだが、彼女はそれをひた隠しにする。何故だろう。まあいい。愚痴のような記録はこのくらいにして、授業のことを書き残そう。




 教育開始から二日目。


 学校という新たな文化に慣れた子供たちに、私たちは人間ではなく、機械なのだと明かした。


 動揺するのではと心配したが、予想に反して、子供たちはすんなりと受け入れた。ごはんを食べないから変だと思っていたとか、そもそもお父さんは見た目が全然違うなどと語り、その後は平然としていた。


 アニメや映画で、人間の両親というものがどんな存在かを観てきているはずだが、子供たちは気にする素振りもなかった。


 彼らにとって親とは、大きく、硬く、重く、食物を摂取せず、自分たちとは異なる存在であるとして、当たり前に受け入れているらしい。


 彼らはまだ幼く、自身がどのようにして生を受けたのかを考えないので、両親が機械であることに何の違和感も覚えないのだろう。




 正体を明かし終えた私たちは、いよいよ本格的に授業を開始した。


 前日は、初めて授業を受ける子供たちの興奮が止まず、まともな授業を施せなかったので、実質的には、二日目が授業開始日となった。


 教室には、一人掛けの授業机が六台、少しのずれもなく並んでいる。今の子供たちにはまだ大きすぎるが、じきに馴染むだろう。


 両側の壁には、他の部屋と同じようにディスプレイが貼り付けられていて、在りし日のロシアの風景映像が常時再生されているのだが、授業中は気が散ってしまうようなので、自然光照射モードに切り替えた。


 授業は、ロシア連邦が滅亡する前に撮影された授業映像を手本にして行われた。自画自賛になるが、私は臨機応変に授業を展開できた。


 しかし妻は、授業映像に登場する女性教師の言動をそのまま真似するため、まるで別人のようになってしまい、子供たちをひどく困惑させた。


 注意したが、彼女は私のように柔軟な授業ができず、ひたすら物真似を続けていた。これは直りそうにない。


 しばらくの間、子供たちの困惑は続くだろう。



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