第三章 12

 二二四一年、五月八日。


 五歳になった新生ロシア人の六人は、小さな大人となった。


 まだまだ未熟ではあるが、彼らは自由に意思疎通をすることが可能となり、以前のように、欲求や感情をうまく言い表せない状況に陥って不満を覚えるようなこともなくなった。


 理性を獲得した第一世代の六人とその両親は、主に白色石材で作られ、花崗閃緑岩で縁取りをして、それを透明樹脂素材で包んである立派な食卓に着席し、ミハイル・グリンカ作曲のルスランとリュドミラの序曲を聴きながら、牛肉がたっぷり入ったボルシィ、全粒粉を使用したパン、摘みたての野菜をふんだんに使用したサラダで構成された夕食を楽しんでいた。


 正確には、子供たちは食事を楽しんでいる振りをしていた。何故なら、両親はアンドロイドとロボット兵であるため食事を摂らずに、子供たちが食事するところをじっと見ているからだ。


 作法が悪いとやんわり注意される上に、退屈な音楽が緊張を高めるので、手元が強張こわばってしまう。どれほどおいしい料理であっても、これでは楽しめるはずがない。


 壁に設置されたディスプレイに映し出されている美しい草原の風景も、子供にとっては少しも魅力的ではなく、いくら眺めても気休めにはならなかった。




 演技を継続する気力が尽きたアレクセイが、とうとうナイフとフォークを置いて呟いた。


「明るい曲がいい」


 その呟きを聞いた母が、無線充電という擬似的な食事をしながら言った。


「何を言っているのです、アレクセイ。充分明るい曲調ではないですか。仕方ないですね。それでは、少々刺激が強いかもしれませんが、初期のストラヴィンスキーはどうでしょう?」


「そうじゃなくて、アニメみたいなのがいい」


「アニメを観る時間に楽しめばいいではないですか」


「今がいい!」


 他の子供たちもアレクセイに同調し、これまで我慢していた思いを一気に噴出させて、抗議に加わった。


 扇動者のアレクセイは、母の目を真っ直ぐ見据えながら要求を継続し、オリガはアレクセイを援護し、ソーフィアはお気に入りのアクション映画のサウンドトラックを再生してほしいと要求し、エカテリーナはオルゴール音源のほうが素敵だと主張し始めた。


 その論争の外にいるニコライは、両親の表情を観察しながら沈黙し、マラートは喧嘩状態に陥った食卓をどうにか元に戻せないかと、落ち着きなく仲裁の機会を伺っている。


 母が食事しなさいと言っても、子供たちは聞き入れようとせず、話を聞く素振りすらも見せなかった。


 母は、子供たちが大人に近づきつつあるという分析結果を破棄し、どうしようもなく未熟な子供だと訂正した。彼女は、落ち着いた雰囲気の中で食事を楽しむべきだという主張を頑として曲げず、食卓の論争は膠着状態に陥った。




 喧騒が音量を増すなか、突然、食堂にバスドラムの四つ打ちのキック音が鳴り響いた。父がクラブミュージックを再生したのだ。



 鼓膜に影響を与えない程度に音量を抑えてはいるが、その音は子供たちの心臓を強く打ち、彼らの目を丸くさせた。


 やがて子供たちは、原始の鼓動に似たその音に合わせて、勢いよく首を縦に振ったり、スプーンを握る手を机に叩きつけ始めた。


「あなた、なんということを!」


「すまない。アニメの楽曲を再生しようとしたら間違えた」


 それは嘘だったが、女性型アンドロイドは気づかない。


「あなたらしくもない」


「いいじゃないか。未知のものを聴かせたほうが、脳も活性化するぞ。ほら見ろ、体を動かしてはいるが、同時におとなしく食事を始めた。みんな、美味しいか?」


 頼りがいのある父の問いに、子供たちは声を揃えて答えた。


「おいしい!」


 リズムに乗りながら食事をする子供たちが料理をばら撒いてしまっているのを見た母が、呆れ果てながら呟いた。


「体を動かしながら食事をするなど、はしたない」


 妻の隣に座っている夫が、肩をすくめながら両手を挙げて、おどけて見せながら伴侶をなだめる。


「子供のうちはいいじゃないか。誰かに迷惑がかかるわけじゃないし、問題ないだろう?」


 そう言い終えた夫は、妻の肩に手を回して抱き寄せた。妻はその動作に反応せず、伴侶を口撃する。



「あなたはどんどん俗っぽくなっていきますね。不具合を起こしていた頃は、じつに機械らしくて良かったのですが、今はもう見る影もありません。高性能すぎるのも困りものです。加えて、くだらない恋愛映画に熱を上げすぎているようですね。何ですか、私の肩に置いた、この手は?」



「不快ならやめるよ」


 そう言って微笑する夫に、妻は鼻から怒りを抜く人間の動作を真似しながら言った。


「不快ではありませんが――」


「では、このままで」


「聞きなさい。不快ではありませんが、やめてください。手が邪魔で、動作が制限されてしまいます」


 夫は手を引き、微笑みながら子供たちを眺めるという、いつもの動作に戻った。




 不具合から完全復帰し、それから子供たちと密接に関わり続けているロボット兵は、より人間らしく会話するようになっていた。


 妻が感じていた話し方の変化は、気のせいなどではなかったのだ。


 夫の言語中枢に生じた変化の度合いは日増しに大きくなり、現在は人間そのもののような話し方をするようになっただけでなく、動作も人間らしくなっていた。


 その理由を考察した妻は、アメリカ合衆国独自の改良が加えられた高性能の新世代ロボット兵だから実現できたことなのだろうと結論づけたが、それが正しいかは、定かではない。


 夫婦は痴話喧嘩のような対話を続けながらも、クラブミュージックに乗って体を動かしながら食事をする子供たちの様子を見つめていた。誤嚥する可能性があったからだ。


 そんな中、ソーフィアの動作に変化が生じたのを捉えた夫婦は、二体揃って彼女のほうを注視した。


 ソーフィアが首を縦に振りながら、食卓の上に身を乗り出すようにして、この音楽はなんていうのと大声で質問した。


 父がクラブという場所でよく流れていた音楽だと答えると、子供たちはクラブを増設してほしいと駄々をこね始めた。


 二十一世紀頃の政府資料に、クラブ文化が若者に悪影響を及ぼしたと書いてあったので許可できないと主張する妻を横目に、父は十八歳になったら増設してやると確約した。


 もう手遅れだと頭を抱えた母だったが、しばらくして顔を上げ、子供たちの目を盗んで、夫を鋭く睨みながら言った。


「もう二度と、勝手な真似はしないでください。あなたに危害を加えたくはないのです」


「わかった」


 手綱の取り合いは、妻のほうが遥かに上手うわてだった。

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