第三章 11
育児日記。二二三九年、五月八日。午後十一時。
子供たちは三歳になった。
話し始めるのが遅れていたマラートとアレクセイも、すっかりおしゃべりになって、私が抱いていた懸念が全くの杞憂だったことを証明してくれた。妻が言っていたとおりだった。
彼らは、妻のことをマーマと呼び、私のことはパーパと呼ぶ。
不愉快なことがあると嫌だと言い、好きなものを食べるとおいしいと言う。
性差は顕著だ。男子はとにかく体を動かすことを好み、思考は短絡的だ。女子は驚くべきことに、見た目を気にし始めている。自分の容姿だけでなく、人形も飾るのだ。心なしか、男子よりも発達が早いように感じられる。理性的で素直なのだ。性差というものは面白い。
子供たちは、擬似透明化迷彩を使って頭部前面に映し出している私の顔に違和感を覚えることもなく、よく懐いてくれている。
彼らが私を慕うたびに、私は父になったのだなと感慨に耽る。
子供たちと密接に関わっていて、気づいたことがある。以前から想定していたとおり、質問が多いのだ。
絵本を読んであげれば、描かれているものや動物の名詞を質問し、それらが何をしているのかを知りたがる。
物を指差し、何をするための道具なのかを訊いてくる。
道具の用途に興味を抱きやすい傾向があるようだ。道理で、人類がここまで進化するはずだ。
やがて彼らは、私の容姿にも興味を抱いた。
ある日、アレクセイが私に訊ねた。
どうして、ボールをかぶってるの?
もちろん、私はボールを被ってなどいない。彼は、私が擬似透明化迷彩を使って頭部前面に映し出しているフルフェイスのヘルメットを被ったマリーニン氏の顔を見て、ボールのようなものを被っていると勘違いしたらしいのだ。
確かに、濃灰色素材と透明素材を貼り合わせて作られたボールを被っているように見えなくもない。
三歳児に説明しても理解できないだろうと思いつつも、嘘が苦手な私は、正直に答えてあげることにした。
いいかい、アレクセイ。少し難しいから、よく聞くんだぞ。ボールを被っているように見えるかもしれないけど、それは違うんだよ。私の顔は偽物なんだ。この頭の表面に、フルフェイスのヘルメットを被った男の人の顔を映し出しているだけなんだ。
すると、アレクセイは興味なさげに相槌を打ち、それから兄弟姉妹のところに戻って、何事もなかったように遊びを再開した。
やはり、三歳児には理解できなかったらしい。父が意味のわからないことを言い出したと思っているのだろう。信頼関係が崩壊しないことを願うばかりだ。
このように、子供たちの理解力は未熟だが、言語的発達は順調だ。主語と述語と接続語を組み合わせて、自身が抱く欲求を示すことができるようになった。
子供たちのたどたどしい言葉から欲求を探る必要がなくなったので楽になったし、子供たちも対話によって欲求が満たされやすくなったことに喜びを感じているようだ。
しかし、その一方で、伝えるのが困難な欲求や感情をうまく言い表せず、返ってストレスを感じているらしい場面も多々ある。
何とかしてやりたいが、こればかりはどうにもならないので、早く成長してもらうしかない。
三歳となった子供たちは、個性の塊となった。
顔、声、体格、全てが個性的で、見ていて楽しい。
男子の頭髪は、上部を多少残し、横と後ろを短く刈り込んでいる。女子の頭髪は、髪を二つに分けて三つ編みにしてある。
髪型も髪色も似ているが、これから真性メラニン色素が増加して、変化していくことだろう。
普段の服装は、男女ともに紺色のパンツと、白と青と赤の三種類あるドレスシャツが用意されている。妻が着用しているような軍服もあるにはあるが、まず着用しない。
運動用のジャージは、ワインレッドに黒と白のラインが施されたデザインだ。
子供の成長において最も興味深いのは、やはり性格の変化だろう。
三歳児というものは、とにかく忙しい。
お互いのことを大切に思うようになり始めた反面、おもちゃの奪い合いは、日に日に激化している。戦争が絶えない地球の縮図を見ているかのようだ。
以前に行われていたような興味による収奪はなくなり、今は占有欲求によって収奪し合っているらしい。
取り合わないで済むようにおもちゃを大量生産したのだが、それでも対立は発生してしまう。
微笑ましいと言えば微笑ましいのだが、やはり仲良く平和に過ごしてほしいものだ。こればかりは、成長を待つ他ない。
今はまだ子供だ。未熟なところがあって当然なのだ。
大変ではあるが、叱りはしない。説得し続けるのみだ。そうしなければ、いつまで経っても理解してはくれないし、親子の信頼関係も崩れてしまう。
私たちは親子だが、別個の存在である。脅かすような行為は無しだ。そのおかげで、私たち夫婦と子供たちは、良い信頼関係を育んでいる。
私たちは、よい家族だ。
父は育児日記を閉じ、明日の予定を思い描きながら休止状態に移行した。
それに伴い、頭部前面の擬似透明化迷彩機能も切られる。
その寸前に映し出されていた彼の表情には、安堵感と充足感が満ちていた。
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