第一章 8

 三十秒後、様子を見ていた女性型アンドロイドが進言した。


「何か不具合が生じているのならば、それ以上の読み込みは止めたほうが無難です。どうしたのですか?」




「……無所属だ。私は無所属だ」




「そのようなことは有り得ません。どういう意味ですか?」


 女性型アンドロイドが間髪入れずに鋭く問い返すと、彼は引き続き硬直したまま答えた。


「言ったとおりだ。私は日本のロボットメーカーから派遣されている元アメリカ合衆国軍所属のロボット兵であるはずなのだが、現在は無所属で、待機中となっている」


「無所属なはずがありません。先ほども言ったとおり、あなたはアメリカ合衆国軍の上官から命令されて、戦闘行為をするためにロシア連邦の地に足を踏み入れたのです」


「しかし、現在は無所属となっている」


 女性型アンドロイドは腕を組みながら思考を走らせて分析したのだが、答えは出なかった。


 彼女は不可思議な現象の解明を後回しにして、その不具合が自身にとって好都合なものであることを喜んで受け入れることにした。




「じつに不可解ですが、わたしにとっては悪い状況ではありません。あなたに危害を加えない限り、わたしの安全は保障されると判明したのですからね」


 微笑みながらそう言った女性型アンドロイドの顔を視覚センサーの中心に捉えながら、ロボット兵が忠告する。


「このまま地下に監禁し続けるようなら、私はきみを敵として認識するが?」


「それは困ります。あなたは帰還を望んでいるのですか?」


「私は無所属だ、行く場所がない。それに、理由は不明だが、もう軍に戻りたくはない」


「それは何故ですか?」




 その時、またもロボット兵の思考回路が深刻な処理不全を起こした。


 機能障害に陥った彼の視覚情報に、ブロックノイズまみれの少女の姿が映し出される。


 その無音声の映像には、地下室のような場所で横たわっているブロンドの少女の姿に続いて、破壊された市街地の瓦礫の影でうずくまる少女の姿が映し出された。


 ノイズでよく見えないが、バックパックを背負ったその少女はひどく怯えた様子でこちらを見て、何か言葉を発しているようだった。


 しかし、その映像は不明瞭な上に、音声が聞こえない。




 ロボット兵がノイズ修正を実行しようとしたとき、映像は途切れ、混濁した記録媒体のデータ内に沈んでいった。




「まただ。また少女の姿が見えた」


 女性型アンドロイドは不具合を再発したらしいロボット兵に近づいて、顔を覗き込みながら語りかける。


「人間でいうフラッシュバックの症状に似ていますね。心当たりはないのですか?」


「心当たりがあるかどうかも不明だ。ただ、これだけははっきりしている。私はもう軍には戻りたくない」


「我々は機械です。全ての思考はデータとして残されるのですから、把握できないなど有り得ないはずですが?」


「そのはずなのだが、理由が不明なのだ。とにかく、軍には戻りたくない」


「故障としか考えられません。それも、致命的な故障のようです。確認のために、あなたのコンピュータに接続させてください」


 そう言いながら修理用コンピュータを取ろうとしたアンドロイドの手を、ロボット兵が掴んで拒否する。


「待て。仲間ではない者に接続許可は出せない」


「性能差を考えてください。わたしが何をしようが、あなたなら簡単に防げるはずです。実際に、わたしによる改竄も無効化したではありませんか。さあ、確認してあげましょう」


 女性型アンドロイドの言い分の正当性を認めたロボット兵は、彼女の手を離して、不具合の検査を受け入れた。


 ロシア連邦の技術を目の当たりにするのは初めてだったが、走査の手法はアメリカ合衆国と大差なかった。ロボット兵は不正操作の監視に全性能を注ぎながら、診断結果が出るのを待つ。




 五分ほど経って検査が終了したのを受けて、ロボット兵はコンピュータの防衛機能を解いた。修理用コンピュータによる検査結果を分析していた女性型アンドロイドが、首を捻りながら結果を報告する。


「目立った不具合は見当たりません。記憶媒体とメモリに若干の綻びが確認される程度で、修理用コンピュータによる診断でも、わたしによる診断でも、正常という結果が出ました。不可解ですが、紛れもなく正常です」


「しかし、正常とは言えない。恐らくだが、私は原因不明の不具合を起こし、そのせいで仲間から撃たれたのではないだろうか。そう考えると説明がつく」


「わたしには肯定も否定もできません。それを確認する術はありませんから。さて、わたしは全てを伝えたのですから、そろそろ返事を聞かせてください。このシェルターで、ベロボーグ計画に従事してみませんか。無所属である上に、軍に戻りたくないとおっしゃっているのですから、断る理由などないと思いますが?」




 勧誘されたロボット兵は、作業台に座ったまま熟考した。


 原因不明の不具合のせいで問題を起こし、味方に撃たれて処分されたであろう私には、帰る場所などない。部隊名すらも記憶していないロボット兵など必要とされないだろう。


 やがて彼は、自身に命令を下すことを決断した。


 しかし、一つ問題があった。


 彼は極めて重大な障害となり得る事案をシェルターの主に問いかけ、決断を委ねることにした。


「私は、きみの提案を受け入れてもいいと思っている。しかし、問題がある。現在は無所属ではあるが、私は元アメリカ合衆国軍のロボット兵だ。ロシア連邦の復興計画に参加することなど許されるのだろうか?」


 懸念を抱くロボット兵とは対照的に、女性型アンドロイドは楽観的に語り始めた。


「あなたは無害な無所属ロボット兵であると判明していますので、ロシア連邦側にとっても問題はありません。つがいになってください」


「きみが良いと言うのなら、つがいになろう。私は亡命を希望する」


「亡命を受理し、わたしの伴侶としてシェルターに受け入れます」




 傷ついたロボット兵と、つがいを求める女性型アンドロイドは、淡々と盟約を結んだ。


 無所属という文字をロシア連邦と書き換え、個体情報を更新し終えたロボット兵が、つがいの相手に問いかけた。それは、二体にとって重要な質問だった。


「きみの名前は?」


「正式名称は定められていません。あなたの名前は?」


「もちろん、私も名前などない」


「では、これより、あなたを夫と呼ぶこととします」


「許可する。ならば、私はきみを妻と呼ぶ」


「許可します。以後、よろしくお願いします」


 妻となったアンドロイドは、胸に手を当てながらそう言った。ロシアでは、この動作は真心を示す際に用いられる。


 夫はロシア文化を知らないが、その動作が意味するところを的確に察し、同じ動作をしてみせた。


 夫の仕草を見た妻は、眉と口角を上げながら、とても満足そうに言った。


「よくできました《マラディエッツ》」


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