第2話 レムリアを覆う影 中編

『やぁ、やっと通信圏内まで出てきてくれたな。』

センター・ストリートを歩み進む理仁/白蝗びゃっこうのマスク内を、雅奏みやびかなでの声が反響する。同時に理仁りひとの視界の端に

[CONNECTING:KanadeMiyabiカナデ ミヤビSOUND ONLY]

のポップアップが出現した。


、無事か!?」

『ああ、無事だとも。がこの程度でくたばると思うか?私の研究所はレムリア一安全な場所だぞ?』

奏の優しい声色が義弟の心配に応える。幼い頃に両親と死別した理仁は、一時期雅家に引き取られていたのだ。

「一番危険な場所の間違い、だろ?……ああ、本当によかったよ。」

無機質な装甲の下で、理仁は安堵の表情を浮かべた。手近な建物の陰に隠れ、落ち着いて会話が出来る状況を作る。今の所、辺りに敵の姿はないようだ。


『それにしても、白蝗か。お前専用の黒蛩こっきょうはどうした?』

奏の声色は不機嫌そうだ。彼女が作った雅式外殻は使用者に合わせた繊細なチューニングが為されており、使い慣れていないトリガーではスペックの本領が発揮出来ないのだ。


「わりぃ、どうやら盗られちまったらしい。霄漢ショウカンがコイツを引っ張り出してくれなきゃ、今頃俺もシェルターの中で震えてただろうさ。」

『ほぉ、レイ少尉が……あいつめ、さてはレールガンで保管庫の扉をぶち破ったな。他のトリガーはどうなっている?』

「わからん。とりあえず全部持ち出し中だったみたいだが、盗られたのか自分で持って行ったのかまでは判別出来ん。」

『ふむ、やはりか。』

「やはり?姉貴はこの状況を予測してたのか?」

『いや、素人の推理ごっこだよ。私が奴らの行動を察知した時点で、既に私が動かせる防衛システムの大半がシステムダウンしていた。管制塔へ通信も何度か試みたが……ダメだった。事前に何者の工作があったことは間違いない。となれば、最高戦力たるティンダロスへの対処など最優先で真っ先に済ませているだろう。最悪、お前と雷少尉以外の隊員が既に死亡している可能性も考慮しなければならない。』

「……あいつらがそう簡単にやられるタマかよ。」

口ではそう返しつつ、理仁の脳裏に一抹の不安がよぎる。


『ふふふ、そうだな。ティンダロスは強い。きっと全員しぶとく生き延びているさ。大方、雷少尉のように皆独自で動いているのだろう。』

モニターの前の奏が、理仁の不安を取り払うように優しく微笑む。無論、その微笑みが理仁に届くことはないが。


「そういや、さっきの口ぶりだと姉貴は自分の研究所に籠城してるんだよな?やっぱり備え付けのシェルターより自分の作った防衛システムの方が信頼出来るのか?」

『それもある。それもあるが……実は現在進行形で敵の攻撃を受けていてな、外に出た瞬間ミンチにされるのが目に見えてるので、出るに出られないのだ。』

まるで他人事のような口振りだった。

「はっ!?」


「なんでそれを真っ先に言わないんだ馬鹿!バカネキ!」

理仁は慌てて物陰から飛び出し、乗り捨てられた電動オートバイの一台に駆け寄る。


『聞かれていないからな。』

「うるせぇ!今助けに行くからそこで大人しく待ってろ!」

ホルスターから引き抜いた装纏トリガーをバイクの充電ジャックに挿入し、引き金を引く。


『そうか、出来るだけ早めに頼む。甲板上の隔壁はまだ持ちそうだが、そういうことなら即席で白蝗を調整してやる。』


電動オートバイの各部が展開して内部構造が露出し、そこに白蝗の装着シークエンスと同じく空中に出現したパーツが次々と噛み合っていく。

「そんな事が出来るのか?」

『お姉ちゃんは天才で開発者だぞ?まぁやれるのは関節部の微調整程度だが、それだけでもだいぶ楽になるはずだ。』

バッタの後脚を思わせる巨大なジェットエンジンがタンデムステップあたりに固定され、最後にフロント部分を覆うように純白の装甲が装着される。


『あー……すまん、電力削減のために一旦通信を切るぞ。正直いつ電源が落ちてもおかしくない状況だからな。』

「まさか電力供給も止まってるのか?」

理仁は充電ジャックからトリガーを抜いてホルスターに戻すと、白蝗専用マシンに変形したバイクに跨った。ギアをローに入れ、クラッチを軽く握る。


『うん。だからこれ以上はちょっとまずい。』

理仁の視界のポップアップが[DISCONNECTED]に変化し、完全に奏の息遣いが聞こえなくなる。


「あーもう!」

行き場を失った文句をこぼしながら、バイクのアクセルグリップを捻る。向かう先は当然、この先3キロメートル地点にある奏の研究所だ。




―――――――――――

「きゃあああああああ!!」


くぐもった女性の悲鳴が第三シェルター内・メインルームを微かに反響する。

「通路からだ!」

一拍置いて中年の男性研究員が叫んだ。老若男女合わせて128名の避難者が、揃って不安気に通路側へ視線を送る。


「俺、様子見てきます!」

奥でベッドに腰掛けていた青年――戦刃勇馬いくさばゆうまが立ち上がって通路へと駆け出した。

 彼はいち早く襲撃に気づいた後、目に付く施設の戸を片っ端から叩きながらセンター・ストリートまで進み、最後にこの第三シェルターに逃げ込んでいたのだ。

「待て、危険だユーマ!」

白衣の老人がそれに続いて走り出す。



「雪華っ!あぁ……雪華あぁ!」

ここは第三シェルターに続く通路。冷たいコンクリートの床に仰向けに倒れて激しく痙攣する雪華の身体を、半狂乱になったリナが泣き叫びながら揺すっている。痙攣に加えて雪華は口から血の泡を噴き出し、全身に滝のような汗をかいて静かに失禁していた。

「ぁ……ぅ……り…………な……ッ」

「雪華!雪華ぁぁぁ!」


「どうした!?何があった!?」

駆けつけた勇馬が二人に近寄る。


「雪華が死んじゃう!早く助けて!」

錯乱したリナが勇馬の腕にすがりついて滅茶苦茶に喚く。実際、彼の目から見ても雪華の容態は一刻を争うものだった。

「これは……。」


「ユーマ!」

背後から白衣の老人が息を切らして駆け寄ってくる。

「ヨハン先生!」

「ここは危険だ、お前は患者を中へ運べ!わしはその子を落ち着かせてから戻る!」

「わかりました。」

ヨハンと呼ばれた老人が優しくリナを引き剥がすと、勇馬は痙攣する雪華を背負い、シェルターの入口に向かって歩き始めた。

「よっ……と。」

「ユーマ、一人で行けそうか?」

「はい、大丈夫です!」


「先生!雪華が!」

「大丈夫、落ち着いて。ほら、深呼吸だ。」

ヨハンがリナの背中を優しくさすりながら、慣れた声色で深呼吸を促す。

「はい、吸って……吐いて……吸って……吐いて……。」

「すー……、はー……、すー……、はー……。」

彼の指示に従って深呼吸を繰り返す内に、リナは徐々に平静を取り戻していった。

「大丈夫かい?何があったか説明出来る?」

ヨハンの問いにリナは無言で頷いた。

「OK、取り敢えず中に入ろう。怖かっただろう?もう大丈夫だ。」

リナはヨハンに肩を支えられながらシェルターの入口に向かった。


二人が虹彩認証で隔壁を開けてシェルターに入ると、ちょうど奥のベッドに雪華が移される所だった。勇馬の他に数人の避難者が協力し、激しく痙攣し続ける雪華をなんとかベッドの上に寝かせようとしている。

「この後は!?」

「気道の確保と、あとは照明を暗くしてください!」


「ヨハン先生、早く手伝ってください!」

勇馬に協力していた一人、若い生物学者の男がヨハンに声をかける。

「ああ、わかってる。代わりにこの子の話を聞いてやってくれないか?」

「私がですか?……わかりました。」

生物学者の男と交代し、ヨハンが小走りでベッドに向かう。


「ヨハン先生は凄腕の軍医だったんだ。大丈夫、きみの友だちもきっと助けられるさ。」

男はリナに励ましの言葉をかけると、壁際のソファーが置いてある場所まで彼女を案内した。


「さ、座って。」

促されるまま、リナが革張りのソファーに力なく腰を落とす。男はソファーに座らず、リナの正面にしゃがみこむ形で応対する。


「あの子を助けるためにも、何があったのか詳しく話してもらえるかな?」

「……ピンク色のナメクジみたいのが、私に飛びかかってきたんです。」

短い沈黙の後、リナが震える声で口を開いた。

「それは、どこで?」

「あの通路です。後ろから、いきなり。」

リナが震える指先で件の通路を指し示す。


「雪華が私を庇って……それで……。」

そこまで話して、リナは再び口を閉ざした。両手で顔を覆って静かに嗚咽する。


「大丈夫かい?」

「はい……大丈夫です。」

うつむいたままリナが答えた。

「それで、そのナメクジみたいのが、雪華の口から中に入ったんです。」

「あの子の身体の中に?」

「はい……そうです。」

「そうか……うん、わかった。話してくれてありがとう。」

男は優しくリナの両肩を叩くと、駆け足でヨハンの元へと急いだ。


「外傷はないが口から出血、てんかんではない……毒か?」

一通り応急処置を試しても、雪華の容態が好転する事はなかった。

次の手を考えるヨハンのもとに生物学者の男が駆け寄る。

「ヨハン先生、多分、原因がわかりました。」

深刻な表情でヨハンに耳打ちする。

「聞かせてくれ。」

「おそらくの寄生生物です。証言だけでは種類の同定までは叶いませんが、症状から見て、宿主の体内に自分の神経細胞を張り巡らせるタイプの。」

「うむ、わかった。もしそうなら脳幹に到達する前に投薬で死滅させる必要があるな。」

「薬の備蓄は?」

「ここには無い……。少なくとも儂の診療所まで戻らねば薬は用意出来ない。」

ヨハンは痙攣する雪華を見下ろし、奥歯を強く噛み締める。重たく沈んだ空気がベッドの周りを漂う。

万事休すかと思われたその時、


「俺、行きますよ。」

勇馬の声だった。

ヨハンは目を丸くして彼の顔をじっと見つめた。

「わかった、頼む。」

教え子の真っ直ぐな瞳に折れたヨハンは静かに頷いた。

「任せてください、30分で戻ってきますよ。」

勇馬は軽口を叩いて先ほどとは別の出入り口、2番ゲートへと走った。


「凄い子ですね。」

女性看護師の一人が言った。

「ああ、全く自慢の弟子だよ。」

ヨハンが複雑な感情のままに微笑んだ。




――――――――――

レムリア甲板街はより多くの施設を設置するために3層の立体構造が用いられている。

ここはレムリア最上層、地獄と化した街を一望する海抜86メートルの管制塔の屋上部。


「まだ残りの二人は始末出来ないんですか?」

修道服に身を包んだ痩身の女が、防弾ベストを着た壮年のアジア人男性に嫌味ったらしく詰め寄る。


「そうは言っても粛清隊長さんよ、本来ならひと月後の炉心メンテに合わせるはずだったのが隕石騒ぎのせいで急遽前倒しになって、しかもそれを伝えられたのは一昨日だぞ?“表”の業務と両立しながら今日までに十人も始末したんだから、逆によくやった方だと褒めてくれてもいいんじゃないの?」

男が飄々とした口調で言い返す。


「開き直らないでくださいよ。……5号が上代理仁にやられました。しかも、生身の。」

わざとらしく額に手を置きながら、修道服の女――ラクェル・ゴーシュが続けた。


「貴重な『純粋なる落とし子』のサンプルが一体失われたんです。これは貴方の失態ですよ?。」


「ハッハッハッハ!」

神宮寺と呼ばれた防弾ベストの男が高笑いを上げる。

「一体何が可笑しいんです?」

怪訝な表情でラクェルはさらに詰め寄る。


「ああいや、失礼。確かにそれは由々しき事態だな。責任を持って早急に対処しよう。」

「頼みますよ。……レイ霄漢ショウカンが貴方の報告に無かったトリガーを上代理仁に譲渡する場面も目撃されています。ちょっと詰めが甘いんじゃないですか?」

ラクェルは 神宮寺をじっと睨みつけ続けながら、一瞬の迷いもなく管制塔を飛び降りた。神宮寺も後に続こうとしたその時、

その背中に、冷たい金属と樹脂の塊が押し当てられた。


「まさかアンタが内通者だったとはな。」

雷・霄漢。

その声色は背筋が凍るほど冷たく、しかし煮え返るような怒りを感じさせるものだった。

「なぁ、隊長!」

彼は神宮寺の背中に右手に握ったグロック17の銃口を擦り付けながら、一転、ありったけの怒気を込めて叫ぶ。


彼は先の密会の全てを目撃していたわけではなかった。偶然見知らぬ女と話す隊長を目撃し、咄嗟に物陰に隠れて様子を伺っていただけで、会話の内容は断片的にしか聞き取れなかった。それでも、十分だった。十分過ぎたのだ。

、神宮寺禅十郎はアビス教会の内通者である、と結論付けるには……!


「……その声、霄漢か。ちょうどいい、お前を探していたんだ。」

神宮寺禅十郎はゆったりとした動作で両手を上げ、わずかに顔を後ろに向けながら、不敵な笑みを浮かべた。

你说什么なんだと?」

一瞬、霄漢の思考にノイズが走る。神宮寺はその隙を見逃さなかった。


「フンッ!」

瞬間的に身をよじって霄漢の右腕を左手で掴み、それを自分の右脇腹の横に引き寄せてグロックの射線から外れると、空いた右手で霄漢の顔面を殴打する。

しかし霄漢はそれを左手の甲ではたいて攻撃の軌道をずらし、さらに首を傾けて神宮寺の拳を躱すと、神宮寺の手を強引に振りほどいて腹を蹴りつけ、距離を取って場を仕切り直す。

神宮寺は蹴りに合わせて後方に跳躍することで直撃を免れ、ついでに咄嗟に銃身を掴んでグロックを奪い取った。この間、わずか2.5秒の加速度的攻防である。


「ぐっ!」

「あとはお前と理仁だけなんだ。悪いがここで果ててもらう!」

神宮寺が奪ったグロックを発砲する。

「チィッ!」

霄漢はそれをジグザグに走って回避しながら、隠し持っていた装纏トリガーを取り出す。

クソがっ!装纏!」


『TRIGGER ON! TYPE-DRAGONFLY ENGAGE!』

霄漢の身体を深紅の装甲が覆う!


「ハッ!」

神宮寺もグロックを投げ捨てながら装纏トリガーを取り出し、間髪入れずに引き金を引く!

「装纏。」

『TRIGGER ON! TYPE-CRICKET ENGAGE!』

神宮寺の身体が漆黒の装甲で覆われていく。

最後に彿いかついマスクがその顔を覆い隠す!


『『GUNG HO!』』

全ての装甲が固定されると同時に、紅蜻蜓べにせいていは裏切り者の顔面に渾身の右ストレートを叩き込む。

ッ!」

「ハッ!」

神宮寺の黒蛩がそれを片手で受け止める。

衝撃波がビリビリと空気を振動させる。


「やっぱトリガー盗ったのもアンタだったか!」

霄漢が叫ぶ。

黒蛩が紅蜻蜓の右腕を外側に払い除け、先ほどのお返しとばかりに腹部を蹴り抜く!

「ハァッ!」

「八ッ!」

紅蜻蜓はその一撃を上体を捻って躱し、その回転の勢いを活かした掌底で黒蛩の顎を突き上げる。

「ぐぅ!」

紅蜻蜓が更なる追撃を試みる。しかし、黒蛩の脚部ガス噴射装置を用いた強引な回し蹴りで機を潰されてしまう。

「ガッ!?」

強烈なキックが側頭部に直撃し、紅蜻蜓が横薙ぎに吹き飛ぶ。

深紅の鎧が火花を散らしながらアスファルトの上を転がり、貯水タンクに激突する!


「ああそうだ!俺の紫天牛してんぎゅう碧蜂へきほうにぶっ壊されちまったからなぁ!」

紅蜻蜓に接近した黒蛩が足を振り上げ、ギロチンのめいたカカト落としを浴びせる。

「くっ……!」

紅蜻蜓は瞬時に飛行ユニットを展開して、これを回避する。

インパクトの瞬間、コンクリートの床に放射状のヒビが広がる。

「呀ッ!」

紅蜻蜓はそのまま黒蛩の背部装甲を踏み台にして、天高く飛び上がった。


「碧蜂……てめぇ、まさかロミオを!」

霄漢が激昂する!

「ハッハッハ!殺したのはバルトロメイだけじゃないぞ! 」

ホバリングする紅蜻蜓を見上げながら、神宮寺が両腕を広げて挑発する。

「イヴァン!アジャンタ!アイリーン!フェルナンド!全員俺が殺した!ジュンソもセシルもフレデリックもラーヒズヤも全員だ!言っただろう!あとはお前と理仁だけだってなあ!アーハッハッハッハッハッハッハッ……。」

手にかけた部下達の名前を絶叫しながら、神宮寺禅十郎は狂笑する。そこに“みんなの頼れる隊長”の面影は、もはや微塵も残されていなかった。



―――――――――――

雅奏の研究所はレムリア中層サイト19に位置しており、20メートル四方の建造物が甲板上に突き出した構造で、地下、もとい船内の幾つかの施設とも繋がっている。奏は研究所の3階、10帖程の窓の無いモニタールームで無数の液晶画面と睨み合っていた。


「ぐぬぬ、思ったより隔壁の消耗が早いぞ……。」

液晶に表示された四本のメーターが徐々に磨り減っていく様を凝視していた奏が、下唇を噛みながら苦々しげに呟いた。

今も重低音の衝撃が仄暗いモニタールームを微かに揺らし続けており、それが研究所の四方を囲う隔壁が今も攻撃を受けていることを嫌でも分からせてくる。


『自慢の弟が来るまで保ちそうか?』

蠱惑的かつ威圧的な美しい女の声が、焦燥する奏を他人事のように煽り立てる。声の主の姿は見えない。

「なんとも言えん! クソッ!イカレ半魚人風情がご丁寧に増援まで寄越しやがって!!理仁が来たらケツにギョウジャニンニクを詰めて釜焼きにしてやる!」

奏はボサボサの黒髪を振り乱しながら、せきを切ったようにまくし立てる。


『敵は是が非でもここを制圧したいようだな。……やはり、狙いは此方か?』

「スゥーっはーっ……いいや、それはない。お前の存在は私以外誰も知らない秘匿中の秘匿事項だ。どんな些細な情報だってオンラインの端末には保存していない。切り札ジョーカーというのは味方にさえ秘密にしておくから意味があるんだ。特に、今回のような内通者がいる場合にはな。」

奏は呼吸を整えると、平静を装うために会心のしたり顔で応えた。


『フン。では、どうしてアレはここを執拗に狙ってくるんだ?』

「十中八九例の独自回線が目当てだろうな。あとはこの下の兵器製造プラントもか。」

奏が爪先で床の先を指差す。


『なんだそれは……初耳だぞ。』

「そりゃ、初めて言ったからな。」

さも当然といった口調で奏が切り返した。

『カナデ……なれの悪癖はいずれ己の身を滅ぼすぞ?』

声だけの女が呆れた語気で奏を諭す。


奏はわざとらしく両手を広げて開き直る。女の声が溜息をつく。


『本当にお前の弟が一人来た程度でこの状況がなんとかなるものなのか?』

「ああ、なるとも。あいつは規格外なんだ。だがもしなんとかならなかったら……その時はいよいよこいつの出番だ。」

奏はデスクの引き出しを開けて何かを取り出す。

それは黒銀の装纏トリガーだった。

しかし、現在ティンダロスで使われているものとは見た目が違っている。近未来的な流線型のボディに、折り畳まれた羽のようなパーツ、さらに先端には二つのカメラと、針金のように細い三対のアームが取り付けられている。それは蝶そのものの姿を模したような、異質のトリガーだった。


『遂に鴉鳳からすあげはもお披露目か。』

「ああ、これなら理仁のサポートくらいは出来る。」

『此方が手を貸す必要は?』

「いや、まだ、ない。お前は本当にどうしようもなくなった時の最後の切り札だ。……結局力を借りることになりそうだが、だからこそギリギリまで感づかれたくない。」



――――――――――――


「先生、勇馬がここを出てもう一時間です。」

せわしなく何度も腕時計を確認していた女性看護師が、ついにしびれを切らして言った。

「そうか……。」

ヨハンは血が滲むほど強く拳を握り締める。

視線の先の雪華は、今や完全に意識を失っていた。


その時、不意に2番ゲートの重厚な門が開いた。

「ユーマ……?」

ヨハンが一縷いちるの望みをかけて入口を見やる。しかし、そこに立っていたのは……


「おや、ここは大漁ですねぇ。潰しがいがあります。」

厚手のカソックに身を包んだ四体の混血兵士と、それを率いる痩身の女。ラクェル・ゴーシュ……管制塔の屋上で神宮寺と密会していた人物だ。

「なんだお前達は!」

ヨハンが声を荒らげる。


「ご機嫌麗しゅう、希望の舟の皆様方。私達わたくしたちは貴方がたを殺しに参りました。ちなみに、降伏は一切認めませんので。」

ラクェルは心底楽しげにそう宣言し、右手を素早く掲げる。その瞬間、4体の混血兵士が避難者に牙を剥く!


「ぶっ!?」

ある男の首がオオカミウオ頭のチェーンソードに跳ね飛ばされた。驚くほど滑らかな首の断面から、スプリンクラーのように鮮血が噴き出す。


「うわあああぁぁぁぁっ!!?」

シロワニ頭が生物学者の男の延髄を噛みちぎった。そのままくちゃくちゃと千切れた肉を咀嚼し、恍惚の表情で飲み込む。


「た、助け……あぎゃっ!?」

ノコギリザメ頭のふんが逃げ惑う中年の心臓を背中から貫いた。強引に引き抜かれた異形ののこぎりには、ピンク色の肉片がべっとりとこびり付いていた。


避難者達が2番ゲートとは反対の1番ゲートへ殺到する。襲撃者によって予め封鎖された1番ゲートに……。

ヨハンも雪華を抱えてそこに走ったが、ゲートが封鎖されていることに気づいた時には既に、四方八方から他の避難者に押されて身動きが取れない状態に陥っていた。


「そこの若いメスは生け捕りにしてください。顔が私好みなので、調教してペットにします。まぁ、多少壊れても構いませんが。」

革張りのソファーで足を組むラクェルが、長い茶髪の毛先をクルクルと指先で遊ばせながら怪物に命令する。


その指示を聞いたラブカ頭が、上下に分かれた青年の死体を手放してリナの確保に向かう。

「いや……来ないで……!」


「リナちゃん!」

女性看護師がリナを庇う。ラブカ頭は彼女の首を捻じきって殺した。

「あ、ああぁ……!!」

恐怖で金縛りのようになったリナをラブカ頭が羽交い締めにする。


使。」

ラクェルが再び心底楽し気に邪悪な笑みを浮かべた。それを聞いたラブカ頭が途端に鼻息を荒くする。生臭い吐息がリナの鼻を突く。

「い、いや!いやぁぁぁっ!」

避難者達の断末魔を尻目に、リナはシェルターの隅まで引きずられていった。


「神宮寺からのプレゼントです。好きに使いなさい。」

その様子を満足気に見送ったラクェルが、残りの三体にレグナントイーターを投げ渡す。

トリガー部分にはそれぞれ『桜蛾おうが』、『空蝉からせみ』、『黄虻こうぼう』の刻印があった。


異形達はそれを避難者が殺到している1番ゲート側の壁に向け、特に何の躊躇いもなく引き金を引いた。つい昨日までレムリアを守護ってきた3丁が、容赦なく避難者へ牙を向く。

「うぎゃああああああ!!」

「あ゛っ!!」

50口径のマグナム弾の掃射を食らった人体はどうなるか?

水風船のように弾けるのだ。

断末魔と銃声の悪趣味なセッション。血煙が上がり、鉄と硝煙の匂いが空間を満たしてゆく。


「最高!達してしまいそうですわ!」

ラクェルが深々とソファーに座ったままこの残酷劇に拍手を送る。

銃声がピタリと止み、薬莢が床を跳ねる音が残響する。弾切れである。



「痛い!離して!いやぁぁぁぁぁ……!」

銃声の嵐に代わってリナの痛々しい悲鳴とラブカ頭の荒い吐息が、そして一定のリズムを刻む粘着質の水音が、静まり返ったシェルターの中を反響する。

リナは泣き叫びながら必死で抵抗する。カソックを脱ぎ捨てて醜い本性を剥き出しにした怪物は、彼女の頭を片手で鷲掴みにして、それを易々と封じた。

カエルのようにうつ伏せに寝かされたリナの臀部に、ラブカ頭の腰が何度も何度も繰り返し打ちつけられる。その度にコンクリートの床にポタポタと血の雫が落ちた。


ラクェルは袖から取り出したブローニングM1910を肉塊の山に一発撃ち込んで反応がない事を確認すると、オオカミウオ頭、シロワニ頭、ノコギリザメ頭の三体にもリナを犯すように勧めた。

「貴方がたもここで発散して構いませんよ。シェルターはここで最後ですから、あとは神宮寺の仕事が終わるのを待つだけです。」

3体の怪物はその言葉を待っていたと言わんばかりにカソックを脱ぎ捨て、鼻息を荒くしながら悠々とリナの下へ近づいていった。



(すまん、嬢ちゃん。わしは無力だ。君にしてあげられることは何も無いんだ。)

雪華を抱えたまま死体の山に隠れて息を潜めているヨハンは、突然の銃声にも必死に声を押し殺して死んだ振りを続けていた。恐ろしい怪物に自分の鼓動を悟られぬように。そして何より、腕の中で眠る少女の鼓動だけは悟られぬように……。

(だからせめて、君の友達だけは……!)


「んっ、あまり抵抗するようなら足を折りなさい。どうせ袋に詰めて運びますから、多少コンパクトになった所で問題ありません。」

ソファーの上で下品に脚を広げたラクェルが、自らの湿った股座またぐらを布越しにまさぐりながら言い放った。

シロワニ頭が彼女の方を向いて軽く頷く。


「うあ゛ああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっぁっあああぁぁああああああ!!!」

銃声にも匹敵する破裂音のあと、喉を引き裂くようなリナの絶叫が血生臭い空気を震わせた。

シロワニ頭が彼女の右大腿骨を力任せにへし折ったのだ。


(なんと残酷な……!ああ、神様!一体彼女らが何をしたというのです!)

ヨハンは自らの無力さを呪いながら、思わず嗚咽しそうになるのを必死で堪えた。固く閉ざされたまぶたから涙の雫がこぼれ落ちる。



オオカミウオ頭が泣き叫ぶリナの髪を掴んで持ち上げ、限界以上に開かれた彼女の喉を卑猥なモノで強引に塞いだ。

「あ゛っ!ふごっ 、うぐっ、うぅ……!」

そのままリナの頭をがっちりと両手で拘束し、玩具のように乱暴に前後させる。

「ん゛っ!ふう゛っ! ん゛ぐっ! う゛ぐっ!」

リナの顔色が見る見る内にピンク色になっていく。気道を潰されて満足に呼吸が出来ないのだ。


そうしておよそ二分が経過した頃、ラブカ頭が恍惚の表情で動きを止めた。イボに覆われた固い肉の棒が、リナの中で脈動を始める。

「ぐぷっ!?ん゛おおっ う゛うぅぅぅ!」

リナの必死の抵抗も虚しく、最後まで子種を出し終えたラブカ頭が満足気に離れていく。

暫くするとオオカミウオ頭も一瞬動きを止め、彼女の頭部をより強い力で腰に押し当てた。


「ガッ……お゛ぇぇぇ……。」

喉の奥に腐った体液を吐き出されたリナが、耐えきれずに胃の内容物ごとそれを嘔吐した。これには堪らずオオカミウオ頭も手を離す。リナは自らの吐瀉物に顔をうずめる形で床に叩きつけられた。

「はぁ……流石に殺すのは許しませんよ?」

ラクェルがわざとらしく呆れた仕草で怪物達に目配せし、改めて釘を刺す。次いで不意に死体の山に視線を移し―――そして、異変に気がついた。気が付いてしまった。


(なんてことだ……このタイミングで!)

ヨハンが動揺する。再び水鏡雪華の身体が痙攣を始めたのだ。

(このままでは不味い! なんとか隠さなければ……!)

雪華の腕を掴んで必死に動きを抑えようとするが、彼の奮闘を嘲笑うかのように、痙攣は徐々に激しさを増していく。

「ぐっ!」

雪華の腕がついにヨハンの体が弾き飛ばした。


「死後硬直……ではないですよねぇ、どう見ても。」

ラクエルがソファーに座ったままブローニングM1910を構えて警戒する。リナを犯していた四体も異変に気づき、死体の山に注意を向ける。


そして――――――――


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!」


獣の咆哮を上げて、水鏡雪華が屍の山の上に立ち上がった。





――――――――――


マジかよ……。」

一方その頃、トップギアでレムリア中層を疾走する白蝗の数百メートル前方には、五十体以上もの混血兵士が立ちはだかっていた。

「Ia! Ia!」

「ゲッゲッゲッゲ……。」



(道中やけに敵の数が少ないと思っていたら、まさかこんな事になっているとは……。)

視界の奥、奏の研究所に群がる混血兵士を目視で確認しながら、理仁はその異様な光景に息を呑んだ。

しかし、当然アクセルグリップを握る右手の力を緩めることはない。


「ゲアアッ!」

白蝗の接近に気づいた一体、シュモクザメ頭の混血兵士が、なたと小銃が合体したような奇妙な武器を構える。

理仁はギアをハイトップに入れる。

モンスターマシンがさらに急加速する。

外付けされたジェットエンジンのバーニアから、熱風とともに青い炎が噴き上がる。


「ゲッ!?」

賢明なシュモクザメ頭が武器を下げて回避の姿勢をとった。だがしかし、時速402キロメートルで迫る鉄塊から最早逃れる事は出来るはずもなく……

ドンッ!

断末魔を上げる時間さえ無く、シュモクザメ頭は腹の中身をぶちまけながら爆散した。


凄まじい衝撃をものともせず、白蝗は速度を保ったままバイクを強引に直進させる。

「ガッ!?」

「ギィッ!?」

「グエッ!?」

立ちはだかる混血兵士を無差別に轢殺しながらひたすら前へ前へと突き進む。

次第に純白の装甲が返り血を浴びて赤く染まってゆく。

後方から彼を追う者のことごとくは、強烈な熱風に吹き飛ばされて燃える地面を転がった。


奏の研究所まであと500メートルとなったその時、

メーター付近に外付けされたスピーカーからけたたましくアラームが鳴り響いた。


(そろそろ限界か……。)

それはバイクの耐久限界を知らせるものだった。このまま無理に加速し続ければ水素バッテリーが発火し、連鎖的に外付けのジェットエンジンも大爆発を起こすだろう。


(だが、それでいい!)

研究所までわずか200メートル、白蝗は加速を続けるバイクから無理矢理飛び上がる。

乗り手を失ったモンスターマシンはそのまま怪物の群れに吸い込まれてゆく。そして、次の瞬間―――――――――


轟!!


凄まじい炎と衝撃波が、待ち構える混血兵士たちを無差別に飲み込んだ。

「ぐうっ!」

熱波が通り過ぎたと同時に落下した白蝗は、五点着地で即座に体勢を立て直すと、左腰のホルスターから引き抜いた装纏トリガーを右腰の装置に接続する。

ピー、という短い電子音の後に装置のロックが外れる。トリガー部分を含めたその装置のシルエットは、ヘリカルマガジンをそなえた短機関銃のように見えた。


『レムナントイーター』。全ての雅式外殻に搭載された基本武装であり、

12.7×99ミリメートルNATO弾を秒間11発連射可能なモンスターガンだ。無論、生身で撃とうものなら1秒と保たずに両肩を脱臼するピーキーな代物だが、外殻の補助があればこの暴れ馬も片手で制御出来る。


「ギ……ギィィ!」

「カカカッ…ガァ!」

数体の混血兵士が黒煙の中から起き上がろうとする。白蝗はそこに容赦無く弾丸の雨を叩き込む。

「アギャッ!?」

「ギェッ!?」

14本の空薬莢が放物線を描いて地面を弾んだ。

これで爆発の直撃を耐えた個体も駆除出来たが、貴重な弾をかなり消費してしまった。


「……滑り出しは上々だな。」

一連の攻撃を生き残った混血兵士は三十二体、対してレグナントイーターの残弾は十八発……。必要以上の消費を防ぐために設定を単発モードに切り替える。


「ガアアアッ!」

先程とは別のシュモクザメ頭が、両手で小銃鉈を構えて白蝗の胸へ吶喊する。

「ハッ!」

「グエッ!?」

白蝗は鉈の袈裟斬りを肘で受け流し、レグナントイーターの銃身をその無防備な腹に押し当てた。

「カハッ……。」

レグナントイーターの接射を受けたシュモクザメ頭の混血兵士は咳き込むように少量の血を吐き出し、そのまま静かに絶命した。

残り三十一体、残り十七発。


「さて、次はどいつだ?」

穴の開いた亡骸を放り捨てて挑発する白蝗に、十数体の混血兵士が一斉に飛びかかる。




――――――――――


『ここは……どこ?』

水鏡雪華は冷たくくらい海の中を漂っていた。


――ここは君の深層意識だ。


所謂テレパシー能力のように、雪華の頭の中に直接その『声』は響いた。


『貴方は、誰?』


――私は君だ。今はそうではないが、じきにそうなる。


『どういうこと? 』


――すぐにわかる。



『リナ!!』


血の河に積み上がった屍の山と、 異形どもに陵辱され尽くした親友の無惨な姿。瞼越しに、それが、はっきりと見えた。


『そんな……。』


――安心しろ、あれでもまだ息はあるようだ


『早く助けなきゃ!』


――今の君に何が出来る?


『ッ!それは……』


――今すぐに私を受け入れろ


『それでリナを助けられるの!?』


――総て、君次第だ




――――――――――


咆哮を上げてカッと両の目を見開いた雪華は、床を四つ足で駆けて4体の怪物に肉薄した。


「キシャァァアァァッ!!!」

肉食獣のように両足を揃えて跳躍し、オオカミウオ頭の首に飛びかかる。

「グガッ!?」

オオカミウオ頭はジタバタと暴れ回り、必死に雪華を振り解こうとする。

雪華はそれを物ともせず、人間離れした膂力で怪物の頭部を掴み、その首筋に犬歯を突き立てる。

「ギャアアアア!!?」

オオカミウオ頭は断末魔を上げて絶命した。雪華がその頭部をズルズルと脊髄ごと引き抜いのだ。……顎の筋力のみを使って、だ。



「ウグゥゥゥゥ……。」

雪華は生首を咥えたまま、幽かに反射運動を続ける首無し死体の胸を思いきり踏み潰す。視線の先には3体の異形、親友を純潔を汚し尽くした憎き敵の姿があった。


「シャァァァッ!」

ノコギリザメ頭が極端な前傾姿勢で雪華に突進する。弾丸めいた凄まじいスピードだ。とても人間の反射神経で回避出来るような一撃ではない。

「ガッ!?」

雪華の腹を正面から鋭利なふんが貫く。衝突の衝撃で咥えた生首を落とし、代わりにおびただしい量の血を口から垂れ流しながら、しかし雪華は仁王立ちでこれを耐え切った。


「グオオオッ!」

「ガアアアッ!」

間髪入れずににシロワニ頭、ラブカ頭が左右から攻撃を仕掛ける。

1トンにも及ぶ咬合力で、雪華の首筋を両側から噛みちぎろうというのだ!


「グギャッ!?」

「ゲェッ!?」

直後、寸前まで雪華に迫っていた二体の短い断末魔がシェルターに響く。

雪華の背中からムカデを彷彿とさせる一対の触手が勢いよく飛び出し、シロワニ頭、ラブカ頭の喉笛を掻っ切ったのだ。

「グッ?」

同胞の死を察したノコギリザメ頭が吻を引き抜こうとし、それが不可能な状態に陥っていることに気づいた。凄まじい腹筋力で吻を固定されているのだ。

「グッ……ギィィ……!」

自らにも迫る死の気配を感じ取ったノコギリザメ頭が必死にもがく。だがしかし、もがけばもがくほど吻はズブズブと雪華の腹に沈んでいく。

「ウ゛ォィィィィィィィ!」

雪華の舌が触手のように伸び、ノコギリザメ頭の脳天を貫いた。 うねる舌がノコギリザメ頭の中で蛇のように動き回り、脳髄をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

「グ……。」

ノコギリザメ頭は小刻みに痙攣し、数秒で動かなくなった。


「アアアアアアアアアアアアッ!!」

再び咆哮を上げ、三本の触手をズルズルと体内に仕舞った雪華は、ノコギリザメ頭の吻を力任せに腹から引き抜いた。腹に開いた大穴を一切気にも止めずにリナの下へと駆け寄り、吐瀉物の中から彼女を優しく抱き起こす。


「リ……ナァ……。」

汚物を手で払いながら、ぎこちなく親友の名前を呟く。その瞳には微かに理性が戻ったように見えた。



「ェア゛ッ!?」

銃声、4発の弾丸が雪華の背中を貫く。

「化け物が……。」

ラクェルは拳銃を構えたまま、銃撃を浴びても平然としている雪華を見下ろし、憎々しげに表情を歪める。


「グウルルル……。」

雪華はその場にゆっくりとリナの身体を横たわらせ、ぎこちなくラクェルに向き直る。瞬間、その瞳から再び理性の光が消え失せた。


「しかし……そうですね、貴女をサンプルとして献上出来れば、さぞお兄様も喜ばれることでしょう!」

ラクェルは革張りのソファーからスッと身を起こし、首の関節をパキポキと鳴らしながらファイティングポーズを取る。


甲板での激闘の最中、ここ第三シェルターで、もう一つの激闘が幕を開けようとしていた。



つづく

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