2-3


 ――結論から言うと、美里奈に対するイジメは止んだ。あまりにも呆気なく。拍子抜けするほど簡単に。


 黒森が『イジメをやめさせる』と請け負ってから十日ほど。美里奈は一度も新しい火傷の痕を作ってくることは無かった。実際、本人に聞いてもあれから高橋さんの『遊び』は無くなったらしい。


 それどころか美里奈は気になることまで言っていた。


「そもそも高橋さん、最近はずっと学校休んでるよ? どうしたんだろうね?」


 詳しく話を聞けば、高橋さんはあの日から急に何かに怯えたようになり、時々ヒステリックに同じグループの友達と口論をするようになったという。そして、やがて孤立し、ついには学校にも来なくなってしまったそうだ。


 そして、リーダーがそんな状態になったことで、他の女子たちも美里奈に対するイジメを自然とやめるようになった。


 もともと高橋さんが彼女らを統率してイジメに協力させていただけだったのだろう。指導者がいなくなったことで、高橋さんのグループも自然消滅した。元メンバーはさっさと他の友達グループに入れてもらおうと奔走しているらしい。学校の教室という共同体では、何にも属していないというのはそれだけで攻撃の対象となるから、当然の反応だ。


 しかし――どう考えても高橋さんの変化は不自然だ。間違いなく誰かの作為が働いている。


 まあ、考えるまでもなく黒森の仕業なのだろうが……しかし、具体的にどんな手を使ったのかわからない。


「で――だから、こうして呼び出したわけですか?」


 学生食堂の一画、あまり日の当たらないテーブルで、黒森は眼鏡の奥の目を面倒くさそうに細めながら呟いた。


 その前には、今日の日替わりメニュー、焼き魚定食デザート付きが振舞われている。


「少しは嬉しそうにしろよ。せっかく昼メシおごってやってるんだから」


「私、普段は購買のパン派なんですよ。わざわざ付き合ってあげているんだから、そちらがおごるのは当然のマナーです」


 嘯きながらも、ちゃっかりと焼き魚を食べ始める黒森。その様子に閉口しながら、俺も自分の頼んだカレーライスを食べ始めた。


「で、実際どうなんだ? どうやって高橋さんのイジメをやめさせた? というか、どうやって不登校に追い込んだ?」


「知ってどうするんです? 結果的にイジメが収まったんですから、過程なんてどうでもいいでしょう」


「おまえのやり方次第によっては、禍根が残ってる可能性があるからな。後々のトラブル防止のためにも聞いておきたい」


「なるほど。まあ、当然の懸念ではありますね。なら話しましょう」


 コップの水を一口飲み、唇を潤してから黒森は語り始めた。


「といっても、本当に大したことはしてません。端的に言うと、彼女が持っているネット上のアカウントをすべて特定して、捨てアカウントで大量のグロ画像を送りまくっただけです」


「は?」


「というか、現在進行形で送り続けてます。botで設定してますから。人間の死骸、犬、猫、ハムスター、愛玩動物の死骸画像。他にもゴキブリやゲジゲジといった害虫、糞便や吐瀉物とか、彼女が不快に思いそうな画像を片っ端から送るように」


 唖然とする俺をよそに、黒森は平然と説明を続ける。


「ブロックされても新アカウントを次々に作りまくってグロ画像を送り続けてます。アカウントに鍵を掛けたら、別のサービスのアカウントにターゲットを変えて送りつけています。イジメの首謀者のくせに、思った以上に早く参ったようですが。他人を傷つけるやり方には慣れていても、自分が攻撃されるのは慣れていなかったのでしょうか。アカウントもどれも簡単に特定できるくらい、個人情報の管理がザルでしたし」


「何というか……予想以上に陰湿なやり方だな。正直、ドン引きだ」


「誉め言葉と受け取っておきます」


「どう解釈しても誉め言葉にはならねえよ……それより、大丈夫なのか? おまえが犯人だってバレたら大事になるんじゃ」


「心配要りません。こっちの身元がバレないように接続経路は匿名化してますから。万が一バレたところで、単なるグロ画像では犯罪にもなりません。エロ画像なら違法ですけどね」


「そうか……でもそれ、他の連中にもやってるのか? 高橋さん以外は学校に来ているみたいだけど」


「やってませんよ。当然でしょう? ターゲットは首謀者の高橋さんだけです。複数人を一度に攻撃したらグループで結束してしまいますから。高橋さん一人だけグロ画像攻撃を受けているからこそ孤立して、疑心暗鬼になって、精神的に追い込まれるんです。獲物は一度に一人だけ。イジメの基本ですね」


「ずいぶん詳しいんだな」


「小中高、全部でイジメのターゲットになりましたから。やり口くらい学びますよ」


 何ともコメントに困る返答だった。こういうのも、昔取った杵柄というべきなのだろうか。


「なるほどな。しかし、何ともまあ……」


 美術部で平然とグロテスクな絵を描き続けている時点で変人だとはわかっていたが、思った以上にブレーキのぶっ壊れた奴だな、こいつ。


 だが、それでも美里奈を助けてくれたことは確かだ。


「何か問題でも?」


「いいや、無いさ。とりあえず、手段はともあれイジメが終わったことには変わりないしな。美里奈に代わって礼を言う。ありがとう」


「……その芦屋さんのことなんですが」


 それまで顔色一つ変えることなく話してきた黒森だが、そこで初めて表情が曇った。


「そっちこそ、問題でもあるのか?」


 俺も剣呑な雰囲気を察し、声を低くして先を促した。美里奈の身に、また何か新たな危害が加わっているのだろうか。そう考えると、気が気じゃなかった。


「いえ、問題というわけではないのですが……その、グロ画像攻撃とは別に、あなたに頼まれた通り、普段から彼女と一緒にいるようにしたのですが……」


 そして、黒森は大儀そうに大きく嘆息した。


「そのせいで、どうやら懐かれてしまったようで」


「懐かれた?」


 俺が聞き返したのとほぼ同時、食堂の入り口の方からパタパタと上履きを鳴らしてこのテーブルへと駆け寄ってくる足音が聞こえた。


「黒森さん、みーつけた! こんなところにいたんだね!」


 食堂に響き渡る可憐な声。振り返ってみれば、眼を輝かせた美里奈がこちらへと走ってくるところだった。


「はぁ……だから、かくれんぼじゃないですって」


 黒森は呆れた様子で美里奈に告げる。その疲れた様子から、ずっとこうして美里奈に追われていたのは明らかだった。


「一緒にごはん食べようって言ったのに、黒森さんが逃げるからだよ。……って、あれ? お兄ちゃんも?」


 そこで初めて気付いたように、美里奈は俺の方を見る。


「ああ、ちょっと話があってな。ちょうどいいし、美里奈も一緒に食べるか?」


「うん! じゃあお言葉に甘えて、ご相伴に預かっちゃうよ~」


「難しい言葉知ってるな。やっぱり美里奈は物知りだな」


「えへへ……もっと褒めて褒めて? 褒めちぎって?」


「えらいえらい」


 俺は美里奈の頭を撫でながら、褒めてやる。すると妹は幸せそうに蕩けた笑顔を浮かべていた。


 美里奈は今朝俺が作った弁当だが、食堂のテーブルも空きがあるし、この際大目に見てもらえるだろう。実際、他の生徒たちもよくこの食堂で弁当を食べていたりするし。


「…………」


 だが、その時黒森が苦虫を噛み潰したような微妙極まる表情で俺たちを見ていることに気付いた。


「どうした?」


「いえ、感心していただけです。兄妹仲が良さそうで、何よりですね」


「全然感情が籠っていないように聞こえるのは気のせいか?」


「気のせいですよ、たぶん」


「ふっふっふ……もしかして黒森さん、一人っ子? お兄ちゃんがいて羨ましいとか?」


「断じて違います」


「じゃあ……私を妹に欲しいとか? でも、私はお兄ちゃんの妹だし……」


「どっちでもありませんよ……はぁ……とにかく、一緒に食事するならお弁当を用意したらどうです? 雑談してる間に昼休みが終わっちゃいますよ?」


「おっと、そうだった!」


 ようやく気付いたように、美里奈は弁当箱の用意をする。俺が今朝作った煮込みハンバーグ、卵焼き、ポテトサラダに炊き込みごはん。いつも通りなるべく噛まずに済むようなメニューだ。


「いっただっきまーす!」


「口の中、噛まないようにゆっくり食えよ。怪我しないようにな」


「はーい!」


 元気よく答えながら、美里奈は食事を始める。小さい頃はよく怪我をしたが、成長した今ではさすがにもう食事で口の中を傷つけるようなことは無い。


「…………」


 そんな俺たちのやり取りを黒森はどこか興味深そうに見つめている。


「どうした?」


「いえ、ただ……ちょっとした噂のことを思い出しまして……」


「噂?」


「芦屋さんの、その――何と言ったらいいか……」


「病気のこと?」


 黒森がどこか慎重に言葉を選ぼうとしている様子のところへ、美里奈が卵焼きを頬張りながらあっけらかんと言った。


 美里奈は別に無遠慮な言葉で傷ついたり苦しむことは無い。下手に気を遣われて婉曲な表現をされるよりは手っ取り早い。


「……そうです。痛みを感じないって本当なんですか?」


「ああ、事実だ。そうだろ、美里奈」


「うん、そうらしいよ?」


「らしい、というのは?」


「私、生まれたときからこうだし、これが普通だからさ。痛みがあるっていうのがどんな感じなのか逆に知らないんだよね」


 生まれつき目が見えない人間は『光』を認識できない。生まれつき耳が聞こえない人間は『音』を認識できない。自分が他の人と比べて持っていない感覚があるとしても、それを『欠けている』と実感するのは不可能だ。


 美里奈にとっては痛覚がそれだ。概念として他の人間が持っていることを知っているだけ。だから、痛みや苦しみというものに共感することができない。


「なるほど……」


 どこか納得したらしい様子で、黒森は頷いた。美里奈の様子が、いじめを受けている被害者にしてはあまりにも明るすぎることに疑問を抱いていたのだろう。


 別に憐れむでもなく、恐れるでもなく、美里奈の病状をただ事実として受け止めているような態度。それは俺たち兄妹にとっては好ましかった。変に同情されたり、引かれるよりはよっぽど良い。


「ふっふっふー……」


 その時、不意に美里奈が黒森を見つめながら、不敵な笑いを漏らしているのに気付いた。


「……何ですか? 芦屋さん」


「嬉しいんだよ~。黒森さんが私に興味持ってくれて。私のことについて何か質問してくれたの、これが初めてでしょ?」


「別に……興味持ったわけじゃないです」


「ふふっ、照れなくてもいいよ。私もいっぱい黒森さんのこと知りたいな」


「私のことなんて聞いてもつまらないですよ。なのに、何でそんなに知りたがるんです?」


「そんなの当たり前だよ! だって、もう友達だし!」


「友達……」


 その時、黒森は箸を動かす手を止める。『友達』というワードに反応したらしい。ほんのわずかだが、今まで平然としていたその表情に動揺の色が浮かんでいる。


「良かったじゃないか、黒森。初めての友達ができて」


「……勝手に私に友達がいないという前提で話さないでくれませんか?」


「じゃあいるのか?」


「いません。必要ありませんから」


「友達は必要かどうかで作るものじゃないと思うよー? 一緒にいて楽しいから友達になるんじゃないかなー?」


「ぐっ……」


 まさかの美里奈から正論をぶつけられ、黒森はうろたえる。どうも友達関係の話題は弱点らしい。


 まあ、深く考えるまでもなく絶対友達いないしな、こいつ。間違いなくボッチって奴だ。


「そういうあなたこそ、教室で浮いてるじゃないですか。友達ゼロなのはお互い様でしょう?」


「ううん、木下先輩がいるよ。いつも一緒に電車乗ってるし、よく遊んでくれるし、友達だよ」


「残念ですが、先輩は友達にカウントしません」


「じゃあ黒森さんと一緒だね! お互い友達第一号だよ!」


「…………っ、勝手にしてください……」


 嫌味に対して純粋さ100パーセントのまっすぐな言葉で返され、黒森は視線を逸らす。そして、照れ隠しのように茶碗の白飯を食べて誤魔化すものの、その耳は赤くなっていた。


 何だかんだ昼食に付き合っている辺り、美里奈のことがまんざら嫌いというわけでもないらしい。


 友達、か……


 俺と美里奈は学年が違う以上、常に傍にいて守ってやることはできない。高橋さんの件は片付いたにしても、これからのイジメの予防策として美里奈に同じ教室の友達ができるのは歓迎すべき事態だ。


 ただし、留意するべき点が一つ。美里奈の動物虐待癖を知られるわけにはいかない。そうなれば、ひとたび築いた親交もたちまち破綻することだろう。


 俺はともかく、美里奈本人は動物虐待癖を秘密にすることは無頓着だ。ただ俺の言い付けだから隠しているだけで、ふとしたきっかけでバレないとも限らない。


「ねえねえ。そのプチトマト、私の卵焼きと交換しない?」


「好物なので嫌です。そんな卵焼きでは釣り合いません。自分で食べてください」


「美味しいのになぁ……お兄ちゃんの卵焼き。んむっ……うん、やっぱり美味しい♪」


「だったら交換する意味無いでしょう」


「だって、プチトマトも美味しそうなんだもん」


「はぁ……まったく。あなたと話していると疲れますね」


 提案を冷淡に拒絶して、プチトマトを箸で口に運ぶ黒森と、気にも留めずに卵焼きを食べる美里奈。その対称は友達という概念からは程遠い。


 ……まあ、無用な心配って奴だな。まだ美里奈と黒森が親しくなると決まったわけじゃない。美里奈は気まぐれだし、黒森は人間嫌いだ。性格も正反対だし、これから仲良くなる可能性は限りなく低い。杞憂はやめておこう。


 そんなことを考えながら、俺は自分の昼食を口に運ぶのだった。


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