メガフロート
高崎市議からどうしても個人的に会いたいと言われ、伊刈は市議の自宅に一人で向かった。
「わざわざ来てもらってわるいわね。あなたの評判を聞いてどうしても会いたいと思ってね。本を出されてたなんて知らなくて失礼したわ。ペット霊園ではお世話になったわね」高崎は議会棟では見せなかった素顔を見せた。普段はつっぱって生きているのだ。
「仕事ですから」
「あなたは大物になるわ」
「社交辞令より本題に入ってください」
「大物にはなるけど出世はしないタイプね」
「先生、忙しいので手短にお願いします」
「国土交通省が首都圏第三空港予定地を横須賀沖に決定して以来、山砂残土業者が色めきたっているのはご存知ね」
「そのことですか。埋立工法が採用されれば莫大な土砂需要が生じることが確実ですからね」
「土砂を必要としないメガフロート方式や桟橋方式が採用される可能性もあったんでしょう」
「建設族代議士がロビー活動で潰したんでしょう」
「ずいぶんはっきりとした物言いをするのね。さすが本を書く人は違うわ。でもロビー活動というのは議会のロビーで議員に圧力をかけることを意味するのよ」
「それはアメリカの話ですよ」
「確かに日本では逆に議員がロビーになって省庁に圧力をかけてるわね。それはそうと国土交通省は一応『首都圏第3空港調査検討会』とか『横須賀沖空港新設事業工法評価選定会議』とかもっともらしい会議でもんだことにしてるわね。だけど最初からできレースだったわけよね」
「審議会とか検討会とかみんなアリバイですよ。結論は政治家が作って資料は後からシンクタンクにでっちあげさせるんです。今は飛行ルートについて『横須賀沖新空港建設事業に関する協議会』とかってのが動いていますね」
「あなた仕事と関係ないのにずいぶん詳しいのね」
「関係ありますよ。廃棄物は景気変動に敏感な業界なんです。つねに需要を追っていないとだめです」
「なるほど他のお役人とは言うことが違うわね。どうしてメガフロートが潰されたのかもっと詳しく聞かせてもらえないかしら」
「現場の噂しか聞きません。真相は知りませんよ」
「その噂を聞かせて」
伊刈は一瞬押し黙った。高崎市議を信用していいかどうか迷ったのだ。だが今回はペット霊園のときみたいに住民向けのジェスチャーをしている様子はなかった。政治生命どころか命を賭して残土問題をライフワークにしてきた迫力が感じられた。伊刈は普段の左翼嫌いには似合わない本音の話を始めた。
「メガフロートは鉄鋼不況と造船不況を背景にした計画ですよ。ところが鉄の価格が上がり始めているし中国の需要で造船も景気がいいです。そうなるとメガフロートで鉄鋼造船を救済するって意味は薄れるわけです。むしろゼネコン不況を救済する意味で埋立方式の方が意味が出てきた」
「そんな業界の一時の思惑で空港の工法が決まって、そのせいで貴重な自然が残っている山が削られたらかなわないわね」
「技術的にはメガフロートはおもしろかったですよね。横須賀沖に実証浮体が建造されて離発着試験も行っていたし、四千メートル級のメガフロート滑走路を建造する技術は完成してたんですよ」
「最後には政治的な駆け引きで決着したのね」
「それは僕にはわかりません」
「山砂運搬のシンジケートが組まれたってのはほんとうなの」
「山砂運搬を仕切ってるのは三社です」
「東亜港運の響社長、亜細亜運輸の磐木社長、京洋石材の田名網社長でしょう」
「なかでも磐木社長が土砂運搬のドンですね」
「せっかく逮捕したのに罰金払っただけでもう完全復活みたいね。許可を取消される前に施設の名義を他社に移しちゃったし」
「聴聞通知後の自主廃業や役員変更は認められなくなったんですが施設の譲渡はまだ規制がないんです。磐木社長は勉強されていますよ。あの手を使われたら許可取消しは無意味なんです」
「法律を変えるしかないのね」
「変えたところでまた別の抜け道を見つけますよ。イタチゴッコなんです」
「なるほど勉強になるわ」
「新空港工事の需要を見込んで丘陵地域の買い占めが進んでますし、国有林の利権の争奪戦も始まっているそうです」
「ところがその思惑が外れそうだってご存知かしら」
「どういうことですか」
「メガフロートは潰れたけど単純な埋め立てではなく桟橋とのハイブリッドになったのよ。しかも土砂にも再生土が使われるので山砂は期待したほどの需要にならないのよ」
「それは一大事ですよ。山を買い占めてるヤクザは首吊りものだ」
「ほかにもいろいろおもしろい噂を聞いてるんだけど、あなた知らないかな」
「なんですか」
「ゼネコンが山砂を使う契約をした現場で無断で再生土を使ったのが詐欺だって告発する動きが早くもあるの。しかもスーパーゼネコンよ」
「もしかしてそれも出来レースですか」
「さすがね。私もそう思うの。空港には再生土を使うなって牽制球じゃないかな」
「先生のお立場はどこにありますか。山を切らなければいいんですか」
「私は空港にそもそも反対だから」
「空港は必要ですよ」
「空港が一つも必要ないとは思ってないわ。だけどそのために海を埋めたり山を切ったりするのは反対よ。再生土も問題だわ」
「じゃどうすれば。海を埋めたり山を切ったりしないでどうやって空港を作るんですか。空中に作りますか。それだってきっとバードストライクが問題とか言うんじゃありませんか」伊刈はつい左翼嫌いの皮肉を言った。
「それは今日の議題じゃないわ。あなたもうちょっと調べてくれないかしら。空港関連の山砂がどうなるのか」
「県庁に戻ればできるかもしれませんけど犬咬に居たのではこれ以上ムリですね」
「だったら県庁に戻ってよ」
「県庁に戻ったら先生にはお会いできないですよ」
「大丈夫私の目に狂いはない。あなたは私たちの同志だわ。県庁に戻られたら私たちの仲間の県議が支援するわよ」
「市民派の県議の後ろ盾ですか。それこそ出世と仕事の妨げですよ」
「まあ言うわね」
翌週、首都圏第三空港への山砂供給基地として白羽の矢が立った房総丘陵の国有林の頂上から伊刈は東京湾を眺めていた。意外なほど近くに横須賀の軍港が見えた。その沖合いが埋立てられて新空港が建設される計画なのだ。そのために今立っているこの山が丸ごと消える運命だった。ここに眠る砂の価値は五千億円とも一兆円とも試算されていた。まだ試掘も始まっていないので、どれほどの価値のある砂が出るか正確には見積もれなかったが、大変な利権を生むのはわかっていた。山砂、残土、汚泥の黄金循環が再び作動しようとしていた。山を崩して海を埋立てるのは環境派にとっては二重の痛恨事だ。この国有林のすぐ隣には長年の山砂採取のために既に消えてしまった山波がかつて幾重にも連なっていた。
高崎市議がこの崖から滑落して瀕死の重症を負ったのは三日前のことだった。ドクターヘリが出動して一命をとりとめたものの、政治家としてはもはや再起不能だと見られていた。高崎を病院に収容したドクターヘリは伊刈が県庁医療整備課で救急・災害医療を担当していた時に全国初の本格導入として予算要求した一号機だった。誰かに突き落とされたのではないか。一報を耳にしたとき伊刈はそう直感したが、新聞では滑落事故として報道されただけだった。黄金循環の巨大な利権の前に高崎は押し潰され伊刈もまた無力感を感じていた。高崎が何をめざして土砂利権と戦っていたのか伊刈には漠然としかわからなかったが、いくらか共感を覚えていた矢先の事件だった。
高崎市議は意識が戻らぬまま、結局一週間後に息を引き取った。その同じ日、磐木奈緒美が手首を切って病院に担ぎ込まれたという長嶋からの報告が伊刈の携帯に届いた。傷は浅くすぐに退院できるが、再び覚せい剤反応が出たので今度は家宅捜索をすることになるだろうと長嶋は言いにくそうに言い添えた。遺書には本気かどうかわかrないが、「太ったから死にます」と書かれていた。伊刈は二人のどちらも守れなかった。いや誰も守ろうとなんかしていなかったのだ。
産廃水滸伝 ~産廃Gメン伝説~ 13 シロアリ塚 石渡正佳 @i-method
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