染める

経木サビオ

染める

「なんで俺は死ぬことが出来ない?」

 録音機テープレコーダから響くチープな音。仕事が終わるたびに何度も繰り返してきた、自問自答だ。決意を改めるための確認。俺は死ぬことが出来ない。死ねないのだ。

 雨が降っている。濁った大気にそびえ立った建造物ビル。空から降ってきた冷たく禍々しい液体が、街中を腐敗させていた。錆びた金属片が路上に滑っており、それを蹴り飛ばしながらアスファルトを踏む。東洋人のデザインした鮮やかな服を着た白人の集団が俺の横を通りすぎていった。上空ではどんよりとした重苦しい雲が、摩天楼と絡みついている。

 その空を見上げるたびに暗鬱あんうつとした気分が俺を包んでいた。


 ある日、人類は神になった。有限だった細胞の分裂限界を無限化する研究に成功したのだ。この研究を皮切りに、損傷したDNAの自動修復、がん細胞の人工的なアポトーシス、テロメラーゼのコントロールが成功する。これらにより、急速な体組織の再生能力や、老化の停止を行うことができ事実上の不老不死となった。つまり人類は生命の実を食べ、神となったのだ。

 しかし、生まれながらにして神の体を手にすることはできなかった。細胞への施工をするには、あるきっかけを迎えることで神の体を得ることができる。そのきっかけは死だ。細胞への施行をした瞬間の体がそのまま維持されるため、成長する以前の幼少時は人であったが、成人式を迎えたその日に人は死んだ。そして神となった。

 この技術は瞬く間に世界に広まり、世界成人人口の八割以上は不死の体を持っている。死への恐れが無くなり、世界は平和に包まれたかに思われた。

 人の意識が変わった。暴力や戦争に対する考え方が大きく変化し、死なずに増え続ける人間達は醜く富と力を求め続けた。そして、大きな戦争を幾つも越えて、神をも殺す兵器が作られる。その大きな発明により、世界にはまた偽りの平和が訪れた。それらの兵器は開発を止めさせられ、所有者そのものを政府が管理し、持ち出すことはもちろん触れることすら禁じられた。

 しかし変わってしまった人の意識は治らない。その人間の貪欲な欲望は犯罪という形で発散されることになる。人が死なないことを良いことにおぞましい事件が多発したのだ。牢獄には、抜けることも死ぬこともできない人間で溢れかえった。

 そう世界は狂ってしまった。神を作るという革新的な研究は、人を退化させてしまった。そして、禁止された兵器を用いて死なぬ犯罪者を断罪するそのために、俺がいる。俺は死なぬ人間を相手に殺しを生業にしている。この職業を始めて知ったとき、俺はまるで怪物を倒すヒーローのようだとも怪物そのものだとも思った。


 雨が降っている。駐車している鈍色にびいろのスーパーカーが地表を照らす。絶え間なく降り続く雨の雫が路上を濡らしていた。俺は首が濡れぬようにコートの襟を立てて、虹色に輝く傘をさして歩く。ブーツが地面に当たるたびにケコンケコンと、生まれたてのキツネの鳴き声のような軽快な音があたりに響いた。

 二時間ほど前に会った警官を思いだす。仕事の依頼だった。刑務所にはいない。裁判すら行われずに、刑罰が決まったらしい。もちろん死刑だ。渡された小包の中身は、犯人の顔写真と愛用している拳銃だった。

 俺は軒先のある貸衣装屋の下で傘を閉じると、内ポケットから紙タバコと写真を取り出した。火をつける。湿気と煙の中で、手にした写真を確認した。目の下のくぼみが大きい青年だ。面長で鼻と目の間と目からおでこまでの距離が同じで、緑色のドレスを着ている。檻に入れられたオランウータンを見たときに感じた思いが蘇った。写真の裏には、この店の近くの住所が書かれている。俺は紫煙しえんくすぶらせると、写真から目を外した。

 道の向こうにある中華料理屋からは、魚醤ぎょしょうの独特な匂いが漂う。雨に濡れたアドバルーンが飛行する車の横で右往左往していた。紙タバコを踏み消すとチカチカと赤緑に点滅するネオンの下から離れ、虹色の傘をさす。雨は止まなかった。


 ゴミだまりの路上を越えると、鋭利なデザインをしたアパートが現れた。ロビーは新聞紙に包まれている。悪趣味な悪魔の像と、天使の像が互いに向き合っていて、その中心にアパートへの入り口がある。二つの像は同じ表情で、顔だけをこちらに向けて微笑んでいた。奇妙に思う気持ちを止揚させ、ホルスターから銃を、ズボンのポケットから録音機テープレコーダを取り出してスイッチを入れた。

「ナンバー二一五一八、只今より刑の執行を行う」

 入り口の扉をあけアパートへ入った。

 チェス盤のような白と黒の市松模様の床が広がっている。ひどい悪臭がした。四階建てで、各階に二部屋ずつ住居がある。中心まで歩いて、レトロな形の昇降機を起動させた。俺はデコッキングレバーを解除しつつ乗り込んだ。モーターの静かな振動が吹き抜けのアパートに響く。深い緑色をした壁とオレンジ色の回廊が、階を上がる毎に目の中に流れてくる。トリガーガードにかけた指で、二・三度銃を叩いた。昇降機が停止する。四階だ。

 壁のスイッチを背に、気配を確認する。廊下には誰もいない。薄暗く、ここにも新聞紙がばら撒かれている。どこからか雨漏れしてきているのか、新聞紙のインクが地面に滲んでいた。蚊の羽音よりも小さな音で息を吐く。もう一度廊下を確認すると、足を外へ伸ばした。

 クシャリ。

 新聞紙を踏む音。一歩を踏み出す度に同じ音が鳴った。昇降機を中心に丁度コの字状に伸びた廊下は、右側と左側に一つずつ扉がある。青年の部屋は右だ。扉まで歩くともう一度深呼吸をする。ノックをした。反応はない。ノブをひねると、ドアが動いた。押す。鈍い音と共に扉は開いた。

 今までとは比べものにならない悪臭だ。鼻が全く効かない。頭がクラクラしている。まるで幻に足を踏み入れたように、俺の平衡感覚はグルグルしている。部屋の中には今まで以上に新聞紙が充満していた。そこからは今までに感じたことも嗅いだこともないような、腐って溶けたテレビのようなえた匂いがする。ただただ不快だった。

 部屋は何室かあるようで、玄関から全容を把握することはできない。ブーツのつま先をドアになすりつけると、そのまま新聞紙をこすりながら侵入した。

 見える場所からは人の気配はない。玄関から廊下を抜けるとロビーらしき所につく。広々とした部屋から、三つの通路に分かれていた。しかし一つを除き、ろうそくや机に壊れた電気機器が大量に溢れていてとても先に進めそうにない。足場が安定していそうな場所を探しながら、唯一進める通路を行くことにした。ひどい臭いはどこまで行っても収まらない。それどころか進むに連れて、鼻がグチャグチャに潰されていくようだった。

 通路の終着点は一つの大きな扉だった。両開きの冷蔵庫のような鉄製の無機質の扉。触れるとひんやりしている。綺麗な板に指紋がじっとりと張り付いた。俺はここにいると、直感した。

 一息で思い切り開け、銃を構える。

「寒いね」

 部屋には窓からネオンの灯りが入り込んでいる。ごちゃごちゃしていた今までの部屋とは違って何もかもが整理されている。いくつもの食器棚が扉と窓以外に壁沿いに並べられており、棚の中には何か大きな瓶のようなものが大量に敷き詰められていた。

「なんでこんなに寒いんだろうか」

 そしてその中心に写真で見た顔をした青年が、新聞紙に包まれながら鎮座していた。彼は震えている。俺の方を見ることはなく、ただ震えている。

「寒いね、寒い」

 新聞紙が擦れあう音がする。この部屋の中では悪臭がしなかった。

「君は神の死についてどう考えてる?」

 彼は機械のように必要最低限の動きだけで言葉を発している。発生した響きが俺の耳から前頭葉に直接届く。ケーブルで直結されたように電気信号が俺の体に流れていった。

「僕はさ、救世主になろうとしたんだ。いや、今でも目指している」

 おでこから目と鼻から目まで同じ距離の青年は、ネオンの光が眩しいのかその特徴的な顔を曇らせている。

「この世界は狂ってしまった。追求しすぎるあまり、人はたどり着いてはいけない領域にまで達してしまった。世界のシステムを狂わせたんだよ。単なる研究で。それから人の幸福は失われてしまった」

 彼の様子は何かに怯えている爬虫類はちゅうるいに見えた。

「僕はね、単なる研究で狂ってしまった世界を修復しようとしている。単なる研究でね。一度死んで細胞への施行を行った後、本当に人は死なないと思うかい?」

 手に持った銃に汗がベッタリと吸いついている。グリップの溝から体液が床にこぼれ落ちた。

「そうだね、そんなものもある。けれどそんな唐突な死ではないんだよ。人を治す。今まで通りにね。とりあえずこれを見てくれよ」

 新聞紙を体から剥がすと、棚に入っていた瓶を俺に見せてきた。人の足だった。足首より上が切り落とされている。無数の足。棚には何百人もの足が詰まっていた。

「不快そうな顔をしないでおくれ、どうせ取ってきた所でまた生えてくるんだ。今の人間相手にはトカゲの尻尾を切ってくるのと何も変わりはしないよ。それに今更不快そうな顔をしても、遅いね。今まで君が踏みつけてきたものや僕がみにつけていたものを見てごらん」

 無表情だった青年が初めて俺と目をあわせて微笑んだ。俺は思わず目を離して、うす暗くてよくわからなかった新聞紙に目を凝らす。紙のように見えていたそれは、薄い半透明の何かを黒い糸で縫い合わせていた。

 触れた感触から有機物であることは間違い無いだろう。しかしそれが何なのかはよく分からない。人の足。寒いと言いながら彼はこれをみにつけていた。乾ききっていて、思いきり握ったら潰れてしまいそうである。これは。

「トカゲの尻尾さ。それもトカゲの尻尾と同じ。剥いでもまた生えてくる」

 俺が握っていたものが何か気づいた瞬間、思わず手を離してしまった。

「彼らは苦しんでいた。痛いと泣いていた。けれど死ねない。全身を裸にされても、一日経てば体は元に戻っている。苦しみだけを残して」

 役に入りきってしまった演者が、涙を見せながら述懐じゅつかいする。しかし、その様子はやはり無機質に見えた。俺は不気味なその様子から生まれた吐き気を誤魔化して、銃を握る手の力を強めた。

「天国だよ。ここは地獄だ。天国に行くにはやはり死ぬしかない。まるで矛盾だ。足の細胞を使って、確かめ続けた。ここにある足はまだ生きている。どうやっても、細胞は復活し続ける。足だけの姿になっても、酸素が入らなくても、長期間生き続けている。なんだよ、何なんだよこれは! おかしいんだよ! どうしたらいいんだ? 僕はどうしたらいい? 救世主になるにはどうしたらいい? 苦しい。狂わしい。僕は」

 哀願する。彼は棚を思い切り倒した。倒れこんでいく棚から、割れたガラスの破片が飛び散る。赤い半透明の液体がドロドロと地面を流れていった。次々と棚を倒す。ガシャンガシャンと、大地が割れる音がする。

「僕はヒーローになりたいだけだったんだよ」

 泣きながら取り出した人の足に彼は齧り付いた。身につけているドレスが踊る。裸足で踏みつけたガラスの破片が彼の足に齧り付いた。

「僕はね、感謝されたいんだ。きっと。ねえ、褒めてくれよ、僕を」

 生々しい足が俺に向かっている。共食いしたトカゲが飛び散った仲間を拾い集めるように俺に向かっている。無機質で不気味で、けれど本当に涙を流しているその表情の青年に、俺は銃弾を撃ち込んだ。

 飛び散る。ガラスが割れるように人の表情が壊れていく。肉が灰に、体中の細胞が腐った。凍りついた顔が俺に「君は救世主だね」と漏らした。寂しそうで嬉しそうな矛盾だらけの壊れたその顔で、俺をじっと見つめていた。黒目は不愛想な俺の顔を映していた。

 クシャリ。

 青年が崩れた部屋に倒れる。

「なんで俺は死ぬことが出来ない?」

 俺は一言呟いて録音機テープレコーダのボタンを押した。


 雨が降っている。濁った大気にそびえ立った建造物ビル。空から降ってきた冷たく禍々しい液体が、街中を腐敗させていた。錆びた金属片が路上に滑っており、それを蹴り飛ばしながらアスファルトを踏む。東洋人のデザインした鮮やかな服を着た白人の集団が俺の横を通りすぎていった。上空ではどんよりとした重苦しい雲が、摩天楼と絡みついている。

 その空を見上げるたびに不思議な気分が俺を包んでいた。

 口を開く。

「俺は死を与え、死を得るために死ねない」

 雨は止まなかった。

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