終着点

◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 目の前の坂を一台の車が通り過ぎていった。考えてみれば、最初から僕が自分の車を出していれば、事は早く済んだのだ。暑さに苦しむこともなければ、訳の分からない会話をすることもなく、事務的に目的地に向かえただろう。

 それでも、僕たちにはこの無駄が必要だった。僕たちは、ここで生きているという自覚が必要だった。その上で、夕輝に会う必要があった。

 いくつもの「必要」を意図的に積み重ねて、行動を造る。

 それは宛ら、あの日のように。

 見ず知らずの誰かの車が生み出した風圧が、頬を撫でる。風の中に、幻聴が混じっていた。あの日の僕の声が。

 ――僕たちは罪を犯したんです。同じ罪を。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 栄花堂を出て、僕たちは再び夕輝の元へ向かう道に戻る。

 ここで菓子を買って夕輝の元に持っていったらどうかと提案してみたが、「そういうの、良くないって聞いたよ」と夜美に言われてしまった。だから、僕は相変わらず手ぶらである。

 今度こそ本当に話すことが尽きて、僕は黙々と歩く。和菓子屋で腹ごしらえをしたお陰か、体が軽くなっていた。それは夜美も同じようで、僕たちはかなり速いペースで山を登っていった。

 やがて、急なカーブを何度か曲がった先に、大きな家が現れた。

 屋敷というのは流石に大仰だが、手前に離れがあり、本宅が奥にあるという贅沢なつくりだった。山に建っているせいか、本宅は二階に玄関があり、一階部分が地面に埋まっているように見えた。

 これが夕輝と夜美の実家だろう。夕輝から聞いて、朧げながら覚えている彼らの実家の特徴とも一致している。

 夜美は特に何も言わなかった。このまま通り過ぎるのだろう。そう思っていた矢先、


「最近さ、本を読んだの」


 それはまるで、独白のようだった。いや、実際独白だったのだろう。


「二冊、同時進行で読んでてさ。どっちも、寿命あと僅かの女の子と主人公の男が出会う話なの」


 夜美がよく本を読んでいたことを、今になって思い出す。病院の待合室で、彼女は必ず文庫本を膝に置いていた。


「全くの偶然で二人は出会って、色々交流して、最終的には女の子は死んでしまう。その流れは一緒なのに、二人の女の子はね、全く違うことを言うんだよね。

 一人は、『私は、死ぬときに誰も悲しんでほしくない。死んだ瞬間に私の記憶が生きている人から消えてしまえばいいのに』って言うの。

 もう一人は、『死んでほしくないって思われるほど必要とされるのが、嬉しい』って言う」


 僕は、一切口を挟まなかった。ただ、聖書の一説を聞くような気持ちで、夜美の声に耳を傾けていた。


「死者の本心はどっちなんだろう。どっちが真実なんだろう、ね」


 夜美の声は掠れていた。

 いつの間にか彼女の実家は通り過ぎている。

 夕輝のところまで、後もう少し。




「ここ、ですか」


「うん」


 終着点がついに目の前にきていた。二人して、足を止める。

 長かった、というありふれた感想が、まるで作り物のように綺麗な感慨とともに胸から洩れだす。

 僕は表情を消して、目の前の大きな石を凝視していた。

 石にはこんな文字が彫られている。

 ――花岡霊園、と。

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