悔いなど、ない


 山の斜面を走り抜ける勇者と魔王、その素早さはどちらも風のかぜしである。


「たぁぁぁうっ!!!」


 山を大分下った辺り、ノブアキはせっかちな性分が出てしまい生えている木よりも高くジャンプする。このまま渓谷けいこくの底へ飛び降りようというのだ。


ズボォ!!


「ぎひょぇっ?!」


 着地先、降り積もった雪へとダイブしたノブアキは首まで沈んだ。


「かかったな、馬鹿め!」


 今は寒冷期、当然辺りの山林には雪が降り積もっていた。一面銀世界の筈なのだがノブアキがアスガルド号から降下した場所はそれほど雪が多くなく、魔王城へと向かっている間も深い場所でくるぶし上くらいだった。そのため今まで気にならなかった。

 ところが山に囲まれた渓谷では違った。かなりの深さの雪が積もった上に、下には普段川が流れていたのだ。氷を突き破った足は寒冷期の冷たい水にひたされ、自慢である疾風はやて具足ぐそくはぐっしょりと濡れてしまっていた。


 シャリアも渓谷まで飛び降りて来た。しかしノブアキとは違い、なんと雪の上に沈まず立っているではないか。シャリアの靴にはノッカーに作らせた浮遊石の装飾がほどこされていた。


「ち、ちべだい……だましたなっ!」


「もっと涼しくしてやろう」


 シャリアは埋まった勇者へ氷結呪文、フロストバニッシュを放つ!

 瞬く間にノブアキは渓谷に広がる雪ごと凍り付いてしまった!


(あーあ、何をしているんですか……)


 離れて観戦していたアルビオンが、思わずひたいに手を当てる。まぁあれくらいではやられたりしないだろうと再び目を向けると、魔王が勇者の周りをくるくる回り始めた。


(ん? あれは……?)


 雪の上を滑るような魔王の動き。凍り付いた勇者をからかっているだけだと思ったアルビオンだったが、その意図に気付いて目を見開く。


──神の刻印レリーフ!?


(っ!! ノブアキ!!)



「ヴァーミリオン・フレア!!!」


 高く飛んだシャリアが呪文を放つと、渓谷に大規模な爆発が巻き起こった。木々はおろか辺り一帯の地形まで変えてしまうほどの信じられぬ威力……!


(あの子は悪魔か!? 神か!? )


 攻撃神術を初めて見たアルビオンは、魔法障壁を張りながら唖然あぜんとするばかりだ。

 そして無意識に『真実の目』を取り出していた。


(何者なんだ……!? あの魔王の娘と名乗る子の正体は……!?)


 凄まじい土埃つちぼこりのため視界が晴れないが、シャリアがいるであろう方向へと神具を向けた、その時だった。



──いけない子、見てはダメよ



「え? あ、熱っ!」


 どこからともなく聞こえた女性の声。そして真実の目が何も映らないばかりか火傷するほどの高温を発している! 慌ててアルビオンは真実の目を消した。


(今のは一体!?)


 以前真実の目でシャリアを映した時、こんなことは起こらなかった。使用する対象をシャリアのみにしぼったことが原因なのか? それともシャリア自身の正体を探ろうとしたことが原因なのか? それはわからない……。


(……神よ……私たちは……本当に戦って良い相手と戦っているのか?)


 視界が晴れるのを待ちながら注視していると、えぐれた地表にノブアキらしき姿を見つける。ホッとしたのもつかの間、今度はそこへ爆発魔法の雨が降り注がれた。


 ところがノブアキに向けて放たれた魔法は全て跳ね返り、そのまま術者へと返って来る。シャリアは自ら放った魔法を避けつつはじき、雪上へと着地した。


「……はぁ……はぁ……。HPが0になりかけたぞ……!」


 魔法反射の障壁を張りながら、中腰で息を切らす勇者ノブアキ。

 一方のシャリアも肩で息をし、動きが止まっていた。


(余の神術に耐えただと? ……あぁ、そういうことか)


 シャリアは始め勇者の耐火力が異常に高いのかと思った。だが冷静に考えれば彼は神具保持者であり、神術に耐性があってもおかしくはない。短期決戦でケリをつけようとしたあせりからか、判断を誤ったと自ら認める。

 そしてシャリアも気付いていなかったことだが、神術とは神々が大地に滞在していてこそ力を発揮できる。力を借りたヴァルダス神は現在神々の空間にいるためかなり威力が落ちていたのだ。


(だが、勝ち筋はある!)


 不老不死者でも神具を失えばただの人間とそう変わらない。それはラフェルを捕らえた時に立証済みだ。ノブアキも神具を引き出させ奪ってしまえばいい。そうなれば戦いながら勇者たちを城から引き離す小細工だって不要になるのだ。


「!? どこへ消えた!?」


 ノブアキはシャリアを見失い周囲を見回す。ただでさえ暗闇なのに、魔王は黒い服を着ている。


(気配すら感じないとは、流石魔王の娘。いぶり出すまでだがね!)


 そう思い剣と片手に魔力を込める。しかし敵が突然目の前に現れ、面食らった。


(分身だとぉぉ!? 一騎打ちって何だよぉぉ!?)


 刀を手に、何人もの幼き魔王が勇者へと斬りかかる!

 思わず防御の構えをとろうとしたが、前回剣を折られたことを思い出し、とどまる。


「勇者レイジングストーン!!」


 魔力を込めた剣を大地に突き刺すと、ノブアキを中心にグラウンドブレイクの魔法が巻き起こる。地表から岩が隆起し、魔王たちを動きが一瞬鈍った。


「ふははっ!」


 魔力を込めた片腕でサイコジェイルを放った。本来上位僧侶の術であるが、使い勝手が良いという理由からノブアキも覚えていたのである。


 しかもその効果は強力!


 放たれた複数の鎖がシャリアたち目がけ飛んで行き、片端から捕らえようと巻き付いたのだ。分身は実態を持たぬ幻影だったのか、次々と消えていく。


 たった一つを除いて!


「魔王ちゃん捕まえた!」


 激痛を与える精神波を送ると同時に、ノブアキは勢いよく捕捉対象を引き寄せた!



「服だけ……!?」


 手元に戻ってきた鎖が巻き付いていたのはシャリアのマントのみだったのだ。


──後ろですっ!


「あっ!?」



 アルビオンの念話と同時に、胸へと走る違和感。

 見ると鎧から刀の刃が生えている。


 真後ろから串刺しにされた!!


「こ、この……っ!」

「死ね」


 更に背中から至近距離の爆発魔法を放たれ、ノブアキの体は吹き飛んだ。


「……ふゅー……ひゅー……がはっ!」


 吹き飛び転がされ、大の字になってようやく止まる勇者ノブアキ。

 激痛に襲われ思わず片手をやると、更に強い痛みが全身からやってくる。

 震えながらもう片方の手を持ち上げると、さっきまで握っていた剣が折れていた。


(……なんだよ、これ……)


 店主から「余程のことがない限り絶対に折れない」と言われて購入した剣。

 しかしどうだ? この通り、折れてしまっているではないか。


(みんなみんな、金欲しさ。そればっかりで、みんな嘘つきだ……)


 過去に複数の行商人がノブアキを訪ねて来た時があった。各人に一番強い剣を所望すると購入し、目の前で全て折ってやった。思えば大人げないことをしたものだが、おかげで大陸の鍛冶錬金技術が低いことを知ることができた。


(なぁ嘘吐きどもよ……。俺は一体いくら払えば折れない剣が買えるんだ?)


 数年前、アルベドニウムで剣をつくったら強いんじゃないかと作らせたことがあった。しかし出来上がった剣はいびつで格好悪く、ひどく切れ味が悪かった。剣を作るには不向きな金属だったのである。


 空を見るとかすんだ視界に何かが飛び込んだ。

 刃を向けたシャリアが真っ逆さまに天上から突っ込んで来ていたのだ!


(なあ、なあ、なあ、なあ?)


 シャリアは刀にありったけの魔力を込めると、青白い電光帯び始め、そして──。



天魔招雷閃ディアブロス・フォルゴーレ──!!』


「がぁぁぁぁぁ──────!!!!!」



 勇者へとどめと放たれた魔王渾身こんしんの一撃!


 しかし、青く輝く球状の障壁にはばまれた!


(神具か!)


 握った刀が先端から熱を帯び、見る見る変色していく。砕け折れても構わないと、シャリアは魔力を放ち続ける。青い光を嫌というほど浴び続けながら……。


(ぐっ……!!)


 そこまでだった。障壁を貫ききれなかったばかりか、ぐらりと意識を失いかけ地に手を突くよう着地する。


「……はぁ……はぁ……!」


 刀を杖に立ち上がろうとするも、やはり倒れそうになる。神具の光は魔王にとって弱点に等しかったのだ。


 顔を上げると青の障壁は消えており、胸と全身の傷を回復させたノブアキが立っていた。


「……驚いた、思ってた以上だ。まさか君がこんなに強かったとはね。一歩間違えたらこっちが負けていたよ」


「はぁ……はぁ……」


「でもね、君は勝てない。何故かって? 私が神に認められた勇者だからだよ」


「はぁ……はぁ……! ぐっ!」


 ノブアキは青く光る自分の手の甲を見せつける。

 無理やり立ち上がるシャリア。もはや立っていられるのが奇跡なくらいだった。


「とても強かった君へ敬意を表し、特別に私の神具を見せてあげよう」


 ノブアキは光る右手を高く掲げる。

 すると、青白く光る一振りの大剣が現れたのだ!


「これこそが女神ユーファリアから託された勇者の神具『覇者はしゃの剣』だ!!」


「!!!」


 ノブアキが神具を振り下ろすと同時に、とてつもない衝撃波が巻き起こり、辺りがまばゆい光で何も見えなくなった。大地を揺るがすほどの轟音、地響き。シャリアは避けることもできずに防御の構えをとる。


 やがて光と轟音が収まる。

 えぐれた大地の形状に気付き、後ろを振り返ると……。


「…………」


 先ほどまで右手にあった山林がぽっかりと無くなっており、遥か彼方まで見通すことができた。


「わざと外してあげたよ。驚いたか? これでもまだ手加減してるんだ。本気を出したらこの大陸を真っ二つにしてしまうからね。いや、星に穴を空けちゃうんじゃないかな?」


 ニヤニヤとノブアキは笑いながら、続ける。


「折角だから地獄への土産に教えてあげるよ。神具ってのはね、保持者の精神力に応じて力を発揮するんだ。つまりだね、私は精神力を鍛えれば鍛えるほど、いくらでも強くなれるんだよ!!!」


 ノブアキは再び覇者の剣を振り上げる。

 対し、シャリアは目を閉じた。



(ここが余の墓場であったか……)


 魔王の瞳の裏に、走馬灯そうまとうは見えない。

 幼少期の思い出など、断片的な記憶しか残っていない。

 生まれながらにして魔王の娘という立場を背負い、ただ生きて来た。


 悔いも何も残らない。

 残らないはず……。



 そうだな……アルムよ、余はお前と── 



 視界が光に包まれる間際、あの時の子供の声が聞こえた気がした。

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