第二十一話 勝利こそ正義か

怒れる豊穣と慈愛の女神


 グライアス領を出発した「アスガルド号」はそのまま南下を続け、マウリア領上空を飛ぶ。


「念のため高度を高く維持した方が良いですね。まだバレてはいないと思いますが、マウリア領にルークセインの身内がわんさといますから」


 神具を覗くアルビオンは、どんな高性能な電探(レーダー)よりも重宝する。


「まぁ確かに。あ、いいよそれ。僕がやったもんだし僕がやるから……」


 兵士の一人が先ほどノブアキのぶちまけたものを掃除しようとして止められた。

 こういう時の処理は大概下っ端、つまり比較的新米の兵士が処理するものだ。


 だがノブアキは自分がやってしまったものを他人が処理することに抵抗を示した。自ら進んで雑巾がけをする勇者の姿に、周りの兵士らは内心「えらいなぁ」と思うのだった。


「貴方のそういうところは嫌いではないです」

「う、うるさい! じろじろ見るなっ!」


 汚物を処理しながら、ふとノブアキは保育園時代に同じ経験をしたことを思い出していた。昼食の時間にやはりゲボッてしまい、アキラから「きったねー!」と叫ばれる。しかしその後ですぐ、保育士よりも早く雑巾とバケツを持って来てくれた。


(そういえばあの頃のあいつは元気だったというか……やんちゃ者だったな)


 高校生になってからのアキラは、どちらかといえば控えめな性格になっていた。逆にノブアキの方はアキラより社交的で、どんどん女の子に声を掛けまくっている。


 もっとも、二人とも彼女などできたためしが無いのだが……。


(一体どこへ行っちまったんだ、アキラ……。俺だって、本当はお前と魔王を倒しに行きたかったんだぜ? このアルカ……じゃなくアスガルド号に乗ってさ……)


 アルムに指摘された通り、自分はアキラを置き去りにしてしまったかも知れない。

 他人から勝手だと思われるかもしれないが、それでもノブアキの本心であった。



…………



 神々の住まう世界にて、万有の女神ユーファリアはじっと水鏡の前で立ち尽くしていた。まだ煙の立ち上るグライアスタワー跡地。大勢の人間が集まる中で捜索救助が行われるも、生存者など殆どいないことが彼女には見て取れてしまっていた。


(……こんなことって…………)


 この事態を引き起こした張本人こそ、彼女が神具を与えた勇者ノブアキ。

 誰であろうとこんなことをして許される筈がない。だが彼女が驚いたのはそこではなかった。

 長きに渡り築き上げられてきた人間社会の秩序が、異世界からの人間の手によって破壊される。世界が侵されたという事実を目の当たりにし、愕然がくぜんとなったのだ。


(違う……! 私はこんなこと望んではいない……!)


『これで少しは目が覚めたかしらね、ユーファリア』


 驚き振り向くと、そこに豊穣と慈愛の女神レナスが立っていた。


「どういう意味かしら?」

「ふざけないで! 貴女のことは知っているのよ!」


 白を切ろうとした万有の女神へ、ついに豊穣と慈愛の女神は怒りをあらわにした。


「……魔王ヴァロマドゥーが現れた時から……いえ、それよりも以前からおかしいと思ってた! 世界にそぐわない魔王の発生、異世界からの人間の召喚と、彼らに与えるべく造られた神具、そして不老不死薬! 一体どこから手に入れたものなの!?」


「レナス、一度落ち着きなさい」


「答えられないの。なら言ってあげる! 異界存在でしょ! 以前に貴女が話していた人は何者なの!? 人間なの!? 神なの!? 魔王なの!?」


「……」


「答えなさいよ! 黙ってちゃわからないからっ!」


 怒りのあまりレナスは杖を突きつけていた。向けた杖先が小刻みに震える。それは万有の女神に対する恐れからではない。怒りと悲しみによってもたらされたものだ。


「鳥が空に、魚が水に、人間が地に住まうように、異世界の人間は異世界に住むべき

だわ……。呼んだとしても長く止まらせるべきではなかったのよ…… 」


「私もすぐ帰ってもらうつもりだった。でも勇者は妖精たちが勝手に作ってしまった不老不死の薬を飲んでしまったわ。元の世界に戻すのはもう不可能よ」


「……嘘ね」

「っ!」


 ドキリとするユーファリアへ、レナスが睨みつける。


「アエリアスの力も借りずに異世界人の召喚ができること自体、おかしかったのよ。……そうやってどこまでも嘘でごまかそうとするのね。……何が万有の女神よ。貴女にも見えてる筈よ……大陸が異世界からの力に耐えきれなくなり、成すすべなく崩壊していく未来が……。もう勇者を異世界に戻しても止められないわ!」


 言葉で訴えながら、最後には涙声になるレナス。


「……そうかも知れないわね」


「っ!!」


 それにユーファリアは他人事のような言葉を吐き、剣を取り出したではないか!


「でもねレナス。知っていながら何もできなかった貴女にも責任があるのよ? 酷いじゃない、私ばかり裏切り者呼ばわりするなんて……。貴女こそ隠し事をしているでしょう? みんな薄々気付いていたのよ?」


「う……」


「貴女は一体誰に神具を与えたの? あの『ルシア』という人物は本当に貴女が選定した神具の保持者なの?」


「……わ、私は……」


 話を痛い方向へ逸らされ、思わずレナスは後ずさりした。今度はユーファリアが剣の切っ先を向ける。


 絶体絶命の状況の中、二人の間を裂くようにどこからともなく杖が飛んできたのだ!


「……妹に物騒なもん向けんな、ブス」


「貴女はファリス!?」

「お姉ちゃん!?」


 行方をくらませていたファリスが突然現れ、二人は面食らう。だが当の本人はおかまいなく二人の間に入ると杖を拾い上げる。


「ファリス! 貴女は今までどこに!?」


「……答える義理はない。強いてお前に言うことがあるなら……」


 妹をかばうかのように立ちはだかると、


「バーカ! バーカ! バーカ! それとブス! ……じゃあの」


 くるりと向きを変えて立ち去ろうとする。


「待ちなさい! 今度はどこへ行くつもり!?」


「……お前から逃げるんだよ。いくぞレナス」

「え、あっ!」


 妹の手を強引に掴み、歩いていく。

 と、急に振り返り……。


「……もう一言あった。お前なんか、死ね死ね死ね死ね死ね。死ななくても死ね!」


「……」


 自ら「逃げる」宣言をする創造と再生の女神を追う気すら起きず、ユーファリアはただ突っ立っているだけだった。そして姉妹神の姿が見えなくなると、剣を床に落としてガクリと膝をついた……。


(……間違ってなどいなかった。私はただ繁栄を望んでいただけなのに……)


 己の望んでいた結果からほど遠い、あらぬ方向へと進みだした世界。

 彼女の中で「後悔」の念が徐々に色濃くなっていった。

 


 

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