月明かりの夜に




 シャリアはベッドの上で目を覚ました。


「悪い夢を見た。シーツがなっていないせいだ」


 前までベッドメイクはエリサに任せていたのだが、今は他の給仕きゅうじ係が行っている。崩れた目玉焼きにはもう慣れたが、こればかりは譲ることができない。おかげで自分の寝室だとすぐ気付くことはできたが。


「起きてまず話すことがそれか」


 暗闇の中、足元で光るものが喋る。


「なぜおまえがいる?」

「あたしが勝手にあんたを助けて、勝手に居残ってるだけだ」

「どれくらい時間が経った?」

「半日くらい。もう宵闇よいやみ時だ」


 シャリアは起き上がり、クローゼットを自分で開ける。

 いつも着ていた服が見当たらず、人を呼ぼうとするも一旦手を止める。


「軍師の奴は何をしている?」

「リザードマンたちと打ち合わせ。そのあと部屋で仮眠するって」

「そうか」

「待ちなよ」


 部屋を出ていこうとするシャリアを、セスが呼び止めた。


「今度はあたしがあんたに聞く番だ。そのために残ったんだから」

「……」


 シャリアは小さく息を吐くと、タンスの引き出しを開け始めた。大きめのタオルを取りだし寝間着を脱ぎ捨て、自分専用のシャワールームへと入ってしまう。


 ここまで、セスと一度も目を合わせていない。


『何が知りたいのだ?』


 水が流れ落ちる音とともに、シャリアの声が響いてきた。


「あんたにとって魔族の誇りってのは、命を削り続けないといけないほど大切なものなの?」


『……』


「ラムダの爺さんがアルムに話しているのを聞いた。太陽の光にあんまり強くないんだって?」


『あのおしゃべじじいめ』


 何か叩きつける音が聞こえた。

 セスは構わず続ける。


「なのに晴れた砂漠へ出ていくなんて、毒沼に息止めて入るようなもんじゃないか。一歩間違えたら勇者に殺されてたかもしれないんだよ?」


『お前にとってはむしろ好都合だったのではないか?』


「あんたが生まれつき体弱いのと同じで! アルムだってそんなに強いわけじゃないんだよっ!!」


 叫び声に、一瞬だけシャワールームの影が動きを止める。


「……あいつのお母さんが死んだとき、酷いもんだったよ。気落ちしてたけど数日で元気になるかと思ってたら、一週間以上も飲まず食わずで寝もしない……。周りからわるわる説教されたり励まされたりして、ようやく立ち直ったと思ったんだ」


 それから少しして、アルムが人里へ仕事手伝いに行った時のことだ。気がまぎれればなんでもいいかとセスは送り出したが、夜遅くなってもアルムは帰ってこない。不安に思って探しに行き、獣道けものみちで倒れていたところを発見した。普段は飲まないはずの酒をびるほど飲み、中毒を起こしたのである。


 介抱してくれた魔物が言うには、一足遅かったら死んでいたらしい。

 暫く昏睡状態の中、何度も死んだ母のことを呼んでいた。


「あいつ感情がよく顔に出るけど、たまに表に出さないで本当にヤバい時があるんだよ。あたしがいなくなっただけで病気になっちまうくらいだ。あんたが勇者に殺されでもしたら、あいつはきっと死んじまうよっ!!」


 水の音が止まり、一糸まとわぬ姿となったシャリアが出てきた。色白で華奢きゃしゃな体と左肩に入った「廿」という入れ墨らしきものがセスの目に焼き付く。


 濡れた髪を乾かすのが面倒になったのか、給仕係を呼ぶベルが鳴らされた。


「……まぁ、考えてはおこう。話は終わりか? 今一度休むから出て行け」


 意外と素直に聞いてくれたものだ、彼女も少しは変わったのだろうか?

 そう思うセスだったが、次の言葉で甘い考えだったことを知る。


「お前に朗報ろうほうがある、少し奴のことが嫌いになった。余は軟弱者は好かぬ」



(……嘘ばっかり。やっぱりあたしはこの女が嫌いだ)


 部屋を出ると、セスは緑色の光となりどこかへと飛び去った。



…………



 魔王城、内壁上部の通路で。ルスターク将軍らとの会合を終えたアルムは一人苦悩していた。策を練っていたのではなく、寝付けずに苦悩していたのである。


──料理人を増やしたからといって料理は美味くならない


 ソフィーナが残していったバルタニアのことわざ。今回はまさにその通りとなってしまったようだ。組織内で意思疎通がしっかりとできていなければ、いくら腕利きの料理人を集めても無意味なのだ。


 だがそれよりも、やはり一番の悩みの種はアルベドニウムの存在にあった。


 砲弾や銃弾には使われているだろうとは予測できていたが、まさかアルベドニウムで戦車まで作ってしまうほどの技術がグライアスにあったとは……。この上なく強力な武器を搭載した難攻不落の城が、戦場を自由に走り回るのだ。その数、未だ不明。考えれば考えるほど恐ろしい未来しか浮かんではこず、寒気が走った。


(……今回ばかりは、僕にもどうしていいのかわからないや)


 現時点でアルベドニウムに対抗できる唯一の手、それは魔王であるシャリアの力を借りる他ない。朝の戦いで10輌以上の戦車を戦闘不能にしてみせた。


 だが今は無理がたたり床にせってしまっている。

 もう一度あの力に頼るのは心苦しい。

 シャリアが打ち取られてしまったら、その時点で魔王軍の敗北なのだ。


(彼女に初めて会った時は、本気で言い争ってしまったな……)


 馬鹿にされたことでつい怒鳴ってしまい、逆に首をへし折られるかと思った。

 その後で魔王城に招かれ、一緒に模擬戦で遊んだりもした。


 ついこの間のことが遠い思い出のようだ。そう思いながらシャリアの私室があるであろう高い塔の上を見上げる。窓に明かりがついていないのを見ると、まだ目を覚ましていないのだろうか……。


 今日は雪が降っておらず月が見えている。それでも夜風は切るような寒さを運んでくる。風邪をひく前に戻るかと目線を戻した先、それはいた。


(シャリィ……)


 シャリアはまるで黒猫のように積み石へと飛びのると、アルムが頬杖ほおづえをついていたすぐ横へと腰掛ける。アルムもそれを確認すると、また黙って視線を落とした。


「尻尾を巻いて逃げる算段でもしていたのか」


「違う、と言いたいけど……今回ばかりは良い策が思い浮かばない」


 具合はもういいのか、そう聞きたかったがシャリアを怒らせるだけだろうと思い、えて聞かなかった。


「良い策だと? 簡単なことではないか。余を主軸しゅじくとした策を練ればよい」


「……できれば避けたいな」


「では他にどんな方法がある? 異世界の『核』とやらを使うか? それともデーモンどもに頼り魔界から『全てを破壊するおぞましき存在』でも召喚して貰うのか? 到底お前や人間どもに対処ができるとは思えぬが」


「それも考えていない」


「ではどうするのだ?」

「それがわかれば悩んでいないよ」

「……あくまで余の力に頼ることを拒むのだな、お前は」


 そう言ってアルムの顔を覗き込む。


「だがこれだけは認めよ。今朝方けさがたは余が出る以外に方法がなかった、余を止めることができず、余の力に頼る他なかった。どうだ? 認めるか?」


「それは……認めるよ、君は恐ろしく強い。君が出て正解だった、でも!」


「ならば潔く対価たいかを差し出せ」

「対価?」


 対価とはなんだ?

 このおよんで血を差し出せとでも言うのか?


「ところで、その頭についているものはなんだ?」

「え、ゴミでもついてる?」


 唐突に言われ、アルムは頭に手をやる。


「とれておらぬ。余がとってやる、貸してみよ」



 言われ頭を差し出した、その瞬間のこと。



「──っ!?」


 唐突に首を引き寄せられ、気が付けば唇を重ねられていた。

 ほのかな甘い香りと、冷たさの中にある温もりがアルムへと伝わってくる。


 どれくらいそうしていたか。

 シャリアが離れてもまだ、目をらすことができないでいた。


「……君はいつも卑怯だ」


「余とこうするのは嫌か?」

「……」


 答える代わり、今度は自分から近づいて目を閉じる。

 いつの日か、シャリアに触れた時に襲ってきたあの感覚はやってこない。

 背徳はいとくすらも忘れ、ただ目の前のいとおしき魔へと唇をゆだね続けた。

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