揺らぎ


 勇者ノブアキを退かせ、冒険者たちの進攻を防ぐことができた魔王軍。

 次なる一手、夜の砂漠に取り残された冒険者たちをおとりに、グライアス補給線へ奇襲攻撃をする筈だったのだが……。


 ドンッ!


「作戦中止ですと!? 今が奇襲する絶好の機会ではありませんかっ!!」


 リザード兵団ひきいるルスターク将軍の声が、作戦会議室内に響き渡る。

 声を荒上げるのも無理はない。日は完全に沈み、魔王軍にとっては大変有利な時間帯だ。出鼻をくじいた今こそが、相手を完膚かんぷなきまで叩きのめせる大好機。第二第三の追撃部隊が、今かと待ち構えていた、その矢先のことであった…。


 軍師アルムからの、突然の作戦中止命令!


「私には、いえ、リザード部隊は容認ようにんできません! 一体如何いかな理由で!?」


「静まれよ! アルム殿が説明される!」


 ラムダ補佐官のさとす声に、一同の視線がアルムへと集まった。


「みんな、これを見てほしい。順に回すよ」


 そう言ってアルムは小さな石をテーブルの上へと置いた。一見何の変哲もない金属の破片。これが作戦中止とどう関係するのかと、皆は不思議そうな顔で手に取る。


「ノッカーたちに鑑定を依頼して、先ほど結果が出た。これはアルベドニウム合金、熱や衝撃にすさまじい耐性を持つ恐ろしい金属だ。……グライアスはこの金属の実用化に成功し、実戦投入していると見ていい」


「なんですと!?」


「今、迂闊うかつに動く時でないと僕は判断した。それが作戦中止の理由だ」


「……」


 驚き、ざわつき始める魔王軍一同。

 ラムダ補佐官はその様子を黙って伺っていた。

 一方でシャリアは退屈そうにアルベドニウムをいじっていたが、やがてブルド隊長へと投げて渡す。


「ブルド、やれ」

「はっ!」


 ブルド隊長は鋳鉄ちゅうてつの小さな台の上にアルベドニウムを置くと、上から思い切りハンマーでぶっ叩いた!


ガチン!!


「やっ!?」


 すると、台とハンマーがくっ付いて取れなくなってしまったではないか! やっとの思いで引きはがすと、そこには台に半分埋まった無傷のアルベドニウムが現れる。ハンマーの方にはくっきりと穴が開いていた。


「成程、大体わかった」


 驚いて覗き込んでいる魔物たちとは対照的に、シャリアは納得すると自分の席へと戻っていく。ルスターク将軍も暫くアルベドニウムを見ていたが、突然アルムへと顔を向ける。


「して、軍師殿。その金属がどうしてここに? なぜグライアスが実戦投入していると認知できたのですか?」


「……すまないが、今は答えられない」


「答えられない?」


 アルムには答えられない。

 誰にも言わないで欲しい、そうファーヴニラから頼まれたというのもあるが、この場で皆に真実を告げるのは望ましくないと考えたからだ。リザードマンのルスターク将軍など特に、魔黒竜ファーヴニラが怪我を負ったなどと知ったら……。


 しかし、これが逆に悪手となる。


「なぜ答えられぬのですか? 私には納得がいかない!好機を捨ててまで作戦を中止する理由、詳細までしっかりとお聞かせ願えなくば、兵たちの士気にも関わります!」


「……」


「何故答えぬのです!? このようなことは貴方が一番……!」

「ルスタークよ」


 言葉が見つからぬアルムに苛立つ将軍へ、シャリアが割って入った。


「前にも言ったが、この者の言葉は余の命、理由問わず絶対である。貴様は余の命に逆らうのか? 貴様もこの前の亜人どもと同じ道を辿たどるのか?」


「……いえ、言葉が過ぎました。お許しください軍師殿、魔王様」


 納得いかない様子ではあったが、そう言ってルスターク将軍は静かに席へと座る。

 結局、この日の会議は各自の待機とグライアス及び人間側への警戒を怠らぬことの確認でお開きとなった。


…………


 巨人の遺跡へと戻るため、魔王城の暗い回廊を一人歩くアルム。

 先ほどは危なかった。多少強引ではあったが、シャリアが口を出してくれなければ今頃どうなっていたかわからない。正直、助けられた。


(本来ならば僕が……。いや、それより次の手を考えないと。敵は待ってくれない) 


 そう思いつつ、ポケットに入れたアルベドニウムの欠片に手をやろうとしたところ、持っていないことに気づく。色々あって会議室に忘れてきたのだ。


 やれやれ何をやっているのだ僕は。と、回れ右をする。

 すると暗闇の中に、見知った赤く光る目二つ。


「シャリィ?」

「どうした? 忘れ物か?」

「うん……まぁ」

抜けめ」


 闇に目が慣れてきて、ぼんやりとシャリアの姿が映し出される。


(え?)


 突然シャリアは刀を抜き、アルムへと振った!


 アルムは何もできず、顔のすぐ前で空が切れる音とパチンと何かが弾け落ちる音を聞いているしかなかった。ハッと我に返り服のボタンでも斬られたかと確認するも、幸い何事も無いようだ。


「危ないじゃないか! 何をするんだ!」

「腑抜けに活をいれてやったのだ」


 こんなところで冗談じゃない!

 ふざけるなと言いたかったが、瞬きをした瞬間に間合いを詰められギョッとさせられるアルム。気づけば自分の顔をシャリアが見上げていた。


「先ほどルスタークに答えられなかった事を余が当ててやろう。大方、あの石ころはファーヴニラからもたらされた物であろう? そして奴は怪我を負った、違うか?」


「!?」


 アルムは驚き声を漏らしそうになった。が、すぐそれを押し殺す。

 そうだ、慌てるな。こいつは人の驚く顔が何よりの喜びなのだ。

 何が何でも冷静さを保たねば、負けだ!


「……君は読心術まで使えたのか。まるでどこかの僧侶みたいだ」

とぼけたことを。一体どこで盗み聞いた、そうかんぐっているのではないか?」


 そう言いながら、シャリアはアルムの腕を抱えるように取り、強い力で強引にかがませる。更にそこへ、顔と顔がくっ付きそうになるほど近づけてきたではないか!


(な、なっ!?)


 更にさらに、目を閉じるシャリア。

 アルムの耳元へと小さな吐息がかかる。


「な、なにを…」

「匂いだ」

「に、匂い……?」


 シャリアは顔を少し離すと、意地の悪い笑みを見せつける。


「そうだ。石と貴様からわずかだが、あの小賢しい雌竜の血の匂いがしたのだ。助平すけべな貴様のことだ。奴から口止めされて大人しくそれに従ったのであろう」


「ば、ば、馬鹿っ!そういうんじゃないよっ!! 」


 ここで遂に冷静さが吹っ飛び赤面してしまう。どこまで人をからかうのかとアルムは身構えるも、意外とシャリアは真顔となった。そして、言葉を続ける。


「お前はもっと余に頼るべきだ」

「……確かにさっきは助けて貰ったけど……」

「ちっぽけな自尊心が邪魔をしてできぬとでも?」

「そういうわけじゃ……」

「余を信頼せよと言うのではない、利用して見せよ。もっと余に依存してしまえ」

「……っ!」


 魔王は耳元で悪魔のささやきを続けながら、手に何かを握らせる。

 会議室に忘れてきたアルベドニウムの破片だと、アルムはすぐに気づいた。


「決して忘れるな。策略ばかりがいくさではないということをな」


 そう言うと魔王はアルムの目の前から煙のように消え失せた。わずかにただよこうかおりだけが残り、それがへと染み入るような錯覚を受ける。


(匂い…か……)


 先ほどの会議を何気なしに思い起こす。あそこまで感情的になったルスターク将軍を見たのは初めてかもしれない。


(まさか、将軍も感づいていたのか。ファーヴニラのことを!)


 昔、旧友のマードルからリザードマンは意外と鼻が利くと聞いたことがある。

 感づいていたとすれば何故?

 作戦を中止するくらいなら、ファーヴニラが負傷したことを公表しろとでも言いたかったのか?

 それで皆がふるい立つとでも考えたのだろうか?


(意図はわからない……でもこれだけは言える。あの場はああするしかなかった)


 自分の判断は正しかった、間違いないはずだ。


(シャリィ、悪いけど僕は君に依存することはできない。怖いんじゃない、それではダメなんだ)


 まだ漂う香のを振り払うように立ち上がり歩き出した。



 松明たいまつの明かりの下で、まだシャリアの手の感触が残るてのひらを開ける。

 やはり渡されたのはアルベドニウムだった。

 が、次の瞬間、アルムは声を上げて驚いてしまう。


 掌の上で、砕ける筈のないアルベドニウムが真っ二つとなったではないか!


 切り口は鋭利な刃物で切られたかの如く、恐ろしく平面であった……。

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