第十六話 忠義は誰がために

実弟ヘンリーの反乱


──ヴィルハイム領北部。


 高い山々と森林に囲まれたこの地方は、アスガルド大陸でも有数の鉱山地帯となっている。バーバリアン自治区の玄関口であるため人の往来おうらいも多く、大陸辺境でありながらそれなりに発展しているのである。


 数日前、ヘンリーの居城「ノースガルド城」では──。


「……何か御用でしょうか、ヘンリー様」


 早朝、主から呼び出しを受けた騎士ガストンは、少々面倒くさそうにひざまずく。

 小規模ながら、これから近隣の城の騎士たちを交え、合同訓練があるのだ。早く部下をひきいて向かわねば遅れてしまう。


「用があるから呼んだのだ。でなければ貴様など呼ばん」


 執務室にて、机に頬杖ほおづえをついていたヘンリーはそう応えた。もう何年も同じ主につかえていたガストンも、これには少しムッとする。


「これから貴様に緊急任務を与える。エスターとパドックの部隊も加え入れ、予定通り合同訓練地点へと向かえ。そこから近隣の城の隊と協力し、ヴィルハイム城を取り囲むのだ。既に他の隊とはそういう手はずになっている」


「な……」


──何を言っているのだ……!?


 ガストンは自分がまだ寝ぼけているのかと思った。


 だが確かに聞こえた。ヴィルハイム城を取り囲めとそう聞こえた。そんなことをしたら領主であるユリウスから……いや、騎士団全体から逆賊ぎゃくぞくと見なされてしまうではないか! 目の前の主は実兄と、ヴィルハイム騎士団領そのものと戦争でもするつもりなのだろうか!?


「なんだ? なにか言いたげだな?」


「……たった一つだけ、ヴィルハイム城を取り囲む理由をお聞かせ下さい! 理由が不明確であると、兵たちは存分に動けませぬ!」


「理由は明確だ。現領主である兄が魔王軍と手を組み、アスガルド全土を脅かそうとしている。それだけでなく代理で会合に送ったミッツェル卿を幽閉したそうだ。彼は私の大事な客人だ。帰すよう使いを出したが、あしらわれて帰ってきた」


「ならば、せめて私どもをヴィルハイム城へ使いにやって下さい! 私は領主代行であった英雄ダムド様とも交流がありました! 私が話をすればユリウス様も……!」


 その時である。突然隣の部屋の扉が開き、一人の女性が入って来た。

 女性の名はマリウ。二年前王都バルタニアから迎え入れたヘンリーの妻であり、貴族の出戸でどである。目つきがするどいのを除けば、中々の美人ではあるのだが……。


「話は聞かせて貰いました。ガストン、騎士というものは黙って主の命に従うものなのでは? それが主にくす忠義というものではないのですか?」


「……」


 知った風な口を聞く女に、ガストンは睨みつけてやりたかったがそのまま黙って下を向いていた。そこにヘンリーが立ち上がり、ガストンへと歩み寄る。


「ガストン。貴様の従うべき主は、兄上でも英雄でもない」


「……」


「この俺だ」


「…………はっ」


 ガストンの拳に力がこもる。


「エスターとパドックには連絡済だ。お前たちには補佐としてゴール秘書官を同行させる。必ず任務をまっとうさせろ、行け」


「……御意ぎょうい


 騎士ガストンが一礼して出ていくと、マリウとヘンリーは顔を見合わせた。


「……よく素直に聞き入れたものね」


「古い考えの騎士は扱いやすい。聞かなかったとしても手はいくらでもあるしな。殿は本日バルタニアへ立つとのこと、機会チャンスは今しかない」


 そう言った時、窓の外で音がする。見るとはとが飛び立つところだった。

 外では雪が吹き付けている。


「……ふっ、雪か。この様子ならヴィルハイムも吹雪いていることだろう。南方の騎兵たちは、さぞ動きが鈍ることだろうな」


 銀世界に埋もれる城下町を一望すると、不敵な笑みを浮かべるのだった。



(ヘンリー様は何を考えておられるのだ!?)


 城の回廊かいろうを歩く騎士ガストンは、誰の目から見ても不機嫌そうであった。

 幼い頃のヘンリーはやや病弱ながらも知性があり、何よりも兄のユリウスと仲が良かったものだ。それが二年前、あのマリウという女をめとってから人が変わってしまったようだ。今ではユリウスとも疎遠そえんになっている。


「ガストン殿、ヘンリー様からうかがっておりますよ。同行致します」


「……」


 回廊の出会い頭、先ほどの話に出てきたゴール秘書官と会ってしまう。

 ガストンが無視して先に行こうとすると、ゴールはやや後ろからついてきた。


「きっとヘンリー様にもお考えがあるのでしょう。取り囲めと仰られました、城を攻めろとは申されておりますまい」


 不意な言葉はガストンを逆なでさせ、ついに振り向かせた。


「何が違う!? 同じことではないか!」


「本気で城攻めをお考えならば、騎士でない私を同行させたりはしませんよ」


 にこやかにそう話す男を、ガストンはにらむ。一見、人が良さそうにも見えるが、ガストンはゴールがどうも好きになれなかった。元々この男も地元の人間でなく、あのマリウという女と大陸西部から来た人間なのだ。そのせいもあるのだろう。


「……これからおもむくのは仮にも戦場。貴公をお守りできると約束はできませんぞ」


 これにゴールは、にこやかに厚手のローブの中を覗かせる。

 中にはライトアーマーが着込まれていた。


「結構ですよ、私にも戦いの経験が全く無いわけではありません。ガストン殿らは任務へ存分に集中して頂きたく存じます」


 ガストンは小さく頷くと、再び前を歩き出す。


「ところでガストン殿にはお孫さんがいらっしゃるそうで」

「……今年で五つになります。それがなにか?」

「いえ、ただの世間話ですよ」


 嫌いな人間と世間話の花が咲くはずもなく、二人は外に出るまで無言だった。


 そして外に出ると、既に隊を整えた騎士エスターとパドックに出迎えられる。


「二人共、急な任務で済まない。宜しく頼む」


 ちらりと二人が集めた騎兵たちを見ると、明らかに士気の低いのが見て取れた。きっと兵士たちは何も知らされていないのだろう。訓練には多すぎる武器と食料を見て、不思議そうな顔をしている者まで居る。


「さぁ遅れてしまいますよ。急いで向かいましょう」


 そう言ってゴール秘書官はさっそうと騎乗するのであった。


 隊の合流地点へ向かう道中でのこと。エスターの騎乗する馬がガストンの横へとぴったりくっついて来た。彼は騎士の中ではまだ若い。きっと今回の任務に疑問を持ち、不安なのだろう。


「付き合わせて済まんな。お前はもうすぐ三番目の子供が生まれるから、折角暇を出しておいたというのに……」


「……ガストン殿は、ゴール秘書官から任務内容を聞いたのですか?」


「いや、ヘンリー様から直接与えられたのだが?」

「そうなのですか……。あ、いえ、それならいいんです……」


 そう言い離れていくエスターの顔は浮かなかった。振り返るとパドックも同様に暗い表情を浮かべている。その隣にいたゴールの表情はフードに隠れ、見ることができなかった。


 やがて騎士ガストン率いるノースガルド師団は、合流地点へと着いた。既に他の騎兵師団が待っており、ここでようやく全師団がヴィルハイム場へ赴くことが知らされたのである。騎兵らに動揺が走るも、一人として離脱する者は居なかった。


 ……しかし、訓練に参加した騎士の中には事態の重さに気付いていた者も居た。事実を伝えるべく、密かにヴィルハイム城へと早馬を走らせていたのだ。そのためガストンら北方騎兵団が城に着く一日前、バッチカーノ将軍の耳へと謀反むほんの報告を届けることができたのだ。

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