番外編 貴族と愛娘と、掟と


 これはつい先日の話となる。

 ユリウスとジョシュア、そしてソフィーナの三人が、王都バルタニア大会議堂へ転移した、その夕方のことだ。


 憲兵らから武器の持ち込みがないか確認をされた後、各々の宿泊室へと向かう。その後は三人の打ち合わせ通り。ジョシュアがソフィーナを連れ、そっと会議堂を抜け出したのである。


 街の大通りまで来れれば一安心だ。ソフィーナも顔を隠しているのでまずバレることはないだろう。ジョシュアは二、三の屋台や店をのぞいた後で、一台の鉱石車を拾ったのだった。


…………


 小さな鉱石車の後部座席、そこに座るソフィーナは窮屈きゅうくつそうであった。隣りに座っている大柄なジョシュアでぎゅうぎゅうなのである。しかもさっき買った食べ物を、遠慮せずにほうばっているのだ。


「……貴方って食べることばかりなのね」


 これから父の待つ屋敷へ戻るソフィーナは憂鬱ゆううつであった。黙って外を眺めているつもりだったが、ジョシュアのあまりの食べっぷりの良さにあきれ、つい口を開いてしまったのである。


「仕方ないだろ。夕食を食べ損ねたんだから。……あ、君も食べる?」

「……何もいらない。そんな気分じゃないの」


 リンゴのパイを差し出され、丁重にお断りするソフィーナ。


「あ、そう?」

「貴方って、昔から食べるのが本当に好きなのね」

「うん、まぁね」


 この態度に心底呆れ、ソフィーナは再び薄暗い窓の外へと顔を向けた。今朝方けさがたヴィルハイムで見せてくれた真摯しんしな態度はどこへ行ってしまったのだろうか? これでは自分を護衛するため来たのではなく、只の観光者ではないか……。


「俺さ」


 と、ジョシュアが唐突に口を開く。


「本当はさ、騎士じゃなくて料理屋をやりたかったんだ」


「え? 貴方が?」


 驚き振り向くと、ジョシュアは食べるのを止めていた。


「俺の親父っていうのは世間体せけんていばかり気にする厳しい人間でさ。それでいて家計はいつも火の車だったのさ。だから親父はいつもこう言っていた。『食うのに困っても丁稚でっちのような真似はするな! うちは元々由緒ゆいしょある家柄なのだからな!』ってね」


「……」


「とても料理屋をやりたいだなんて言える相手じゃなかった。だから反発して家を飛び出した兄さんの代わりに俺が騎士になったんだ。……君にケーキをぶつけられた後、そのことを思い出してさ。……君には二重の意味で謝りたかった。俺は君に説教できる立場じゃなかったんだなって……」


「そう……だったの……」


 そうだ、貴族というのはそういうものなのだ。一見なに不自由なく暮らしているようでも、それは家によって全然違う。そして多くの貴族に言えるのが、『家』という考えにしばられその一生を終えることだ。

 結局のところジョシュアもソフィーナも『家』にはあらがえなかった。だから二人は今こうしてここに居るのだ。互いに、似た者同士だったのだ……。


「……ねぇ? もし私がお父様に追い出されたら、一緒に料理屋をしない?」


 突然とんでもないことを口走るソフィーナに、ジョシュアは目を丸くする。


「な、何を言い出すんだよ急に!」


「今からでも遅くないじゃない。騎士を辞めた後、どこかの田舎でこっそりお店を開くの。名案じゃない? きっと毎日が楽しいと思うわ」


「駄目だよ! 君はお屋敷に戻らないと……」


「……冗談よ。……貴方って本当に鈍感どんかん!」


 ソフィーナはそっぽを向いてしまい、二度と振り向くことはなかった。

 ジョシュアは一緒に暮らそうと遠回しに言われたことに気付けず、何か悪いことでも言ってしまったのかと悩み苦しむのであった。


 やがて鉱石車は大きな屋敷の近くで止まり、二人を下ろすと行ってしまった。

 薄暗い闇の中、鉄の柵でできた門の前に見張りが立っている。


 その見覚えある光景を目の当たりにしたソフィーナは、思わず足がすくんだ。


「俺は門のそばまで行けない。ここからは君一人で行くんだ」


「……嫌……嫌よ……。お願いジョシュ、貴方も一緒に来て……」


 怖い、恐ろしい。これから起こることを考えると気を失ってしまいそうだった。

 か細い声を出すソフィーナに対して、ジョシュアは片膝をついて目線を合わせ、優しく肩を叩いてやった。


「じゃあこうしよう。俺、ここで待ってるよ。もし駄目だったらこのままどこかの田舎へ行って、そこで一緒に料理屋をやろう」


 ソフィーナは今にも泣き出しそうな目でジョシュアを見た。


「……うん、約束よ?」


──そんなことできるわけないじゃない!


 そうだ、この男の言っていることは気休めだ。

 だが気休めでも、駄々をこねる小さな娘の背中を押すくらいには十分であった。


 やがてソフィーナは一人歩いて行き、門の前の男に話しかけた……。




「旦那様っ! ソフィーナお嬢様がお戻りになられました!!」


 屋敷の自室にて、明日の会議のため書類をまとめていたエランツェル卿は、飛び込んで来た執事しつじに驚き振り向く。


「本当か!?」

「はい! 外にて旦那様をお待ちになっておられます」


「どういうことだ? どうしてここに呼んで来ぬ?」


 エランツェル卿は執事の表情を見抜き、これは何かあったなと悟った。


「旦那様! どうか何があってもお嬢様をお許しになって下さい! これは私めからの一生の願いにございますっ! 旦那様っ! どうか、どうかっ……!」


 必死にすがるよう訴える執事を横目に、エランツェル卿は急いで外へとおもいた。



「ソフィーナ!!」


 屋敷の庭先の門の前で、従者たちに囲まれている娘らしき姿へ声を掛ける。

 名を呼ばれたソフィーナは、一瞬ビクリとなると一歩退いた。


「お父様! 来ないで!!」


「な、なにっ!?」


 暗がりの中で、ソフィーナは掛けられた布とフードを脱ぎ捨てたのである。

 現れたのは、掟を破り髪を短くした姿であった。


「か、髪を……!」


「お父様っ! ご覧の通り私はお家の仕来しきたりを破りました! 本日はお父様にお別れを告げに参りました! ……ごめんなさいお父様っ! 今までお世話になりましたっ!」


 悲痛な叫びを上げ、顔を覆って泣き出してしまう。

 そのまま走り去ろうとしたところで、後ろから抱き止められた。


「何が仕来りかっ! そんなもののために大事な一人娘を手放すわけがなかろう!」


「────っ!!」


「心配をかけさせおって……。よく無事に戻って来てくれたな」


「……お父様ぁぁぁぁ────!」


 抱き合って泣く娘とその父に、周りに居た従者たちも涙を禁じ得なかった。


(へへっ……。これでよかったんだ……そうだよ、な……)


 門の外から様子を伺っていたジョシュアも、思わず目頭が熱くなり鼻をすする。

 やがて門番に礼を言うと、一人大議会堂へと引き返して行くのだった。



番外編 貴族と愛娘と、掟と  完

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