毒蛇の罠、英雄の鉄槌


 ユリウスの転移先である王都バルタニアの大会議堂。ここには領主や貴族たちが会議を行うため、様々な施設もそろえられている。宿泊施設もその一つだ。


『ヴィルハイム領主ユリウス閣下、お時間です。お迎えに上がりました』


 ギリギリの時間まで、アルムから渡された書類を眺めていたユリウス。今行くと声を掛け、扉に手をかける。開けると呼び出しに来た声の主と、既に支度したくを整えたジョシュアが立っていた。


「おはようございます。ユリウス閣下にお尋ね致しますが、御一緒にお連れになられたセーラ様が朝からお見えになりません。何かご存知ではないですか?」


 偽名を名乗らせ連れてきたソフィーナのことだろう。ソフィーナはもうここには居ない。昨日のうちにここをたのだ。


「あぁ、セーラか。昨晩体調を崩してな。夜のうちに診療所へと運ばれた筈だが、君は聞いていないのか?」


「……そんなお話は伺っておりませんね」


 シラを切ると、男が疑惑の眼差しを向けてきた。

 ユリウスがチラリと目をやると、ジョシュアがそっと男に金貨を握らせる。


「こ、これは!?」

「お互い面倒は嫌だろう? ほら、会議が始まってしまうぞ」


「……わかりました。ご案内致します」


 男は素直に二人を案内し始めた。ユリウスは男について行きながら、「異世界の知識が取り入れられ文化が進んでも、まだバルタニアでは賄賂わいろが通じるのか」と、内心で呆れるのだった。


 広い大議場では既に議員である貴族たちが集まっており、世間話にきょうじていた。


(年寄り共め、いい気なものだ。……いや、逆に考えるとチョロいか?)


 ところが、である。ユリウスが自分の席へ着いた途端、場内は静寂せいじゃくに包まれたのである。それどころか皆が皆、嫌な視線を向けてきた。


──親の面汚しが! どの面下げて現れたのか


──放蕩ほうとう息子め、いらぬ厄介事を持ってきおって


──やはり騎士団領の若造は愚息ぐそくだ!


 ユリウスを悪視するひそひそ話が、すぐ近くの議席からも聞こえてくる。

 明らかにこの議場の殆どがルークセイン寄りなのだ。


(あん畜生め……!)


 正面にあるグライアス側の席を睨むと、領主ルークセインが不敵な笑みを浮かべ座っていた。本人が議会に顔を出すのは珍しいことである。今まで来なかったのは兄弟である大魔道士ラフェルと顔を会わせたくなかったからか。

 大魔道士ラフェルとルークセインが血縁者だという噂は、かねてからユリウスも聞いてはいた。今まで何度かラフェルと顔を合わせていたが、えて尋ねることはしなかった。正直自分にはどうでもいいことだと思っていたからだ。それが双方にとってうまくやっていけた部分なのかもしれない。


 だがこうして見るとやはり似ている。兄と噂されるラフェルが大蛇だとすると、弟はまるで毒蛇どくへび……そんな印象だった。


(兄貴……。俺、どうしたらいいっすか? 何もしゃべれませんよ?)


 隣りに座ったジョシュアから不安の声が上がる。


(お前は黙って座っていればいい。……何かしたいなら、こっから走って行ってルークセインの野郎をぶっ殺す心構えでもしとけ)


(バルタニアへ来て悪いもんでも食ったんですか!?)


 そんなことしたらヴィルハイムはアスガルド中の敵になってしまうではないか! そもそも議場内では万事に備え、りすぐりの憲兵が配置されている筈だ。それを一度に相手するのはユリウスでも無理だろう。


(冗談だよ馬鹿野郎っ! ビビっちまってるお前をからかったんだよ!……とにかく座ってればいい。だが捕まりそうになったら俺を見捨てでも逃げ帰れ! これは冗談ではなく本気の命令だ!)


(そ、それも無理っす! 一体これから何が始まるんですか!?)


静粛せいしゅくに! これよりアスガルド議会における臨時会議を開会致します!』


 エランツェル議長が議席に着き、開会宣言をした。

 昨晩はソフィーナが屋敷へ戻った筈だ。一体どんな思いで愛娘まなむすめを迎え、今どんな思いであの場所に立っているのだろうか……。


「始める前に、本日は国王陛下がお見えになっておられます。ですが諸事情により、本日は議長である私が代理で開会宣言をさせて頂きました」


(国王陛下!? 御病気だった筈じゃ……)

(しっ! 黙ってろ!)


 見上げると高い傍聴席から国王が顔を出し、手を振っていた。体調が優れないという話は本当のようで、立ち上がるにも付き人に支えられている。

 これもルークセインの仕業なのだろう。グライアス領は今やアスガルドの大黒柱である。拒めば心象を悪くさせると思い、無理に傍聴せざるを得なかったのだ。


 ルークセインは国王陛下の目の前でユリウスを裏切り者としてさらし上げ、本気でヴィルハイム騎士団ごと潰すつもりなのだ!


(絶対に許せねぇ……!! あの野郎ここまでするかよ!!)

(あ、兄貴……)


「それでは議会発起人のグライアス領領主ルークセイン殿。発言席へ」


 呼ばれたルークセインは皆から注目を浴び、ユリウスから睨まれながらも揚々ようようと発言席へと立った。


「本日は国王陛下を始め、諸侯しょこう方。臨時の緊急招集にも関わらず、ようこそおいで下さりました。深く御礼申し上げます。此度こたびは私から直接皆様にどうしてもお伝えしたいことがあり、こうして自ら足を運んだわけであります」


 ルークセインはいつも議会に代理を寄越していた。本来ならば絶対にありえないことだが、彼ならばまかり通ってしまう。まさにやりたい放題だ。


「現在、アスガルドには魔王軍が再び襲来し、エルランド領が魔物共によって制圧されました。セルバ市が陥落し、大魔道士ラフェルが行方不明となった事件はまだ耳に新しいかと思います。今まさに魔王軍に備え、各領が一岩となって警戒を強めている最中さなかといったところでしょう。……ですが残念なことに、その中から裏切り行為をする者が出てしまったのです!」


 場内が騒がしくなりだした。


「その裏切り者とは、そこにいるヴィルハイム騎士団領の領主です! あろうことか彼は無断で魔王軍と接触し、勝手にヴィルハイムとだけ休戦協定を結んでしまったのです! アスガルドの守り手にあるまじき、悪魔に魂を売るが如くおぞましき行為! これを裏切りと呼ばずして何としますか!?」


「ふざけるなっ!! 確たる証拠はあるのかっ!?」


 ついに我慢できなくなったユリウスは立ち上がり、大声を上げてしまった。


つつしみなさい! ルークセイン殿の発言中である!」


 すかさずエランツェル議長からの制止が入る。

 これに対し、ルークセインは余裕の表情。


「……皆様も根拠が知りたいでしょう。実はヴィルハイム領が魔王軍と休戦協定を結び、手を組んだ瞬間を目撃した人物がおります。……議長、証人召還しょうかんを」


(目撃者……? 証人だと?)


 ユリウスは耳を疑った。確かに魔王軍との協議の場において、グライアスの息がかかった者が居たことは否めない。だが疑わしい人物は謹慎処分にするか、牢獄へ閉じ込めた筈であり、ここへ呼ぶことなど不可能なのだ。

 呼べたとしても、証人としては不完全ではないだろうか? この場にいる諸侯からしてみれば、どこの誰かもわからない人物が証言をするのだから。


 しかし次の議長の言葉で、空気は一変した。


「それでは証言者として、勇者ノブアキ殿からの発言をお願い致します」


(勇者ノブアキだとっ!?)


 騒然となる場内へと入ってきたのは、贅沢な衣装に身を包んだ仮面の男。まさに勇者ノブアキその人だったのである。


 ノブアキはルークセインと入れ替わり、発言台へと立つ。


(あの野郎! 仲間集めに旅へ出たんじゃなかったのか!?)


 ユリウスはノブアキを甘く見すぎていた。何故なら今まで議会へ顔を出したことなどなく、政治の世界とは無縁の人物と考えていたからである。自由奔放な性格はルークセインと馬が合わないとさえ考えていたのだ。


 それが今この場に現れ、目撃者として証言しようというのだ!

 確かにこの男ならば、証言者に足る──!


「諸君、御機嫌いかがかな? 皆も御存知の通り、私が勇者ノブアキだ。わけあって顔を隠しているが、ご容赦願いたい」


 ユリウスにとっては地獄とも言える、勇者の発言が始まった。


「私は国王陛下の命により、今まで魔王討伐の糸口を探していた。そしてついに、魔王軍の本拠地である魔王城を突き止め、ラフェルの存命も確認した。そして現在エルランド領に魔王軍は居ないようだ。だから皆、どうか安心して欲しい」


(ハッタリじゃねぇか! クソが!)


 だが真実を知らない西側の諸侯からしてみれば、勇者の言葉は真に取られた。

 議場内は拍手と歓声に沸く。


「しかし悲しいかな……。私が留守中の間、そこにいる騎士団領の領主ユリウスが魔王軍と手を組んでしまった……そう、完全に手を組んでしまったのだ。何故私がそう言い切れるのか、それは皆も知っているだろう。私には僧侶アルビオンという強力な仲間がいる。騎士団と魔王軍の手を組んだ、まさにその瞬間を彼の神具がはっきりと映し出し、私もそれを確認したからだ!」


 決定的だった。


 ジョシュアが青ざめ隣を見ると、そこには下を向き拳を震わせるユリウスの姿があったのだ。

 ジョシュアはここに来て、ようやくユリウスが「逃げろ」と言った意味を理解できたのである。この会議が終わった後、自分たちはアスガルドに弓引く裏切り者として拘束されるだろう。

 ヴィルハイム領の騎士たちも只では済まないだろう。一人残らず更迭された後、ラカールの異端いたん審問しんもん裁判にかけられる。下手をすれば、その一族までもが……。


 その後何が起こるかは、想像に容易たやすい……決して想像したくなかった。


「……私は彼を信頼していた。彼がかつての盟友、ダムドの申し子だったからだ。私は彼が領主だったこともあり、旅には同行させずヴィルハイムの留守を頼んだ。だがそれは間違いだった。今は裏切られ、残念な気持ちでいっぱいだ! ……以上で私の話を終わりとする。諸君らの正しい意見と判断を乞おう」


 場内からは拍手に混じり、ユリウスに対する罵声や野次が飛ぶ。

 今まさに、裏切り者に対する勇者の鉄槌が振り下ろされたのだ。


「静粛に! 静粛にっ!!」


 エランツェル議長が制止の声を上げる中で、罵声がどよめきに変わった!


 見ると、ユリウスが挙手をしていたのだ!


「兄貴……!」


(このままやられっぱなしで終われるわけねぇだろ!)


「ヴィルハイム領領主ユリウス殿。発言席へ上がりなさい」


 ユリウスは名を呼ばれ立ち上がると、その足で壇上へと向かうのだった。



「素晴らしい証言でした。ありがとうございます、ノブアキ殿」

「当然だよ。私は勇者だからね」


 一方で証言を終えたノブアキは、ルークセインの隣に座ると握手を交わす。


「ユリウス……残念だが彼はやりすぎた。悪い子にはおきゅうえねばならん」

「ククク、何を話そうと無駄でしょう。せいぜいあがくのを見守るとしよう」


 もはやこれは会議などではない。ユリウス……ひいてはヴィルハイム騎士団領に対する異端審問裁判である。


 ユリウスにとって、到底勝ち目のない孤独な戦いが、今始まったのだ。

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