後ろ髪


「どうして私を帰すのです!? 何かの作戦なのですか!?」


 納得できない。

 自分をバルタニアへ帰し、魔王軍に何のメリットがある?


「どうかお考えを改め下さい! 私、神具をもっとうまく扱えるように修練を積んでいる途中なのです! これからまだまだ魔王様のお役に立てます!」


 この申し出に、魔王はソフィーナの後ろを指差した。


「その者らがどうしても、と言って聞かぬのだ。さて、どうしたものか……。あぁそうだ。お前がそやつら全員を説得できたのなら考えてやる。ちなみに言い出したのはそこにいる名誉軍師だ」


「……アルム様、これはどういうことでしょうか?」


 思わず逃げ出したくなるアルムだが、言い逃れができない。

 シャリアを恨みつつ、事の顛末てんまつをかいつまんで説明した。


「つまり、アルム様は私を騎士団へと売ったのですね?」

「……そう受け取って貰っても仕方ない」


「見損ないました……貴方という人は……!」


『ソフィー! それは違うわ!』


 ここで割って入ったのは、キスカだ。


「みんな貴女を心配しているのよ。私も軍師様も、ユリウス様も。貴女のお父様もきっと帰りを待ちわびているわ。よく考えて。貴女の居場所はここではない筈よ」


「居場所……? ふふっ居場所ですって? 」

「ソフィー……?」


 突然笑い出したソフィーナは、キスカを責めるように睨む。


「私の居場所なんて、もうどこにもないわよっ!!」


 当てつけるかに、ソフィーナは言い放った。居場所はどこにも無い。おきてそむいて髪を切り、名家の娘であるほこりを捨て、魔王の命に従い多くの人間をあやめた。


 こんな自分に、今更どこへ帰れと言うのか……。


「そんなこと、絶対にないわ。エランツェル卿はとてもお優しい方なのでしょう? 理由を話せばきっとわかって頂けるわ」


「キスカお姉さまは普段のお父様を知らないから言えるのです。おきてを破ればちかしい身内も躊躇ちゅうちょなくえん切りします。あの人はそういう人です」


「それが本当でも、貴女は一度バルタニアへ戻るべきよ!」


「お姉さま、どうしてわかって頂けないの? ……帰っても嫌な思いをするだけよ。 ……帰ってもすぐ追い出されるだけだわ! 私の居場所はここだと決めたの!」



『聞いてりゃお前、いいかげんにしろよ!?』


 ついに二人の話を聞いていたセスが怒鳴り込んだ。


「居場所、居場所って! そんなにここがいいところか!? あのちんちくりんな極悪魔王の言うことハイハイ聞いてて楽しいか!? 人殺しを喜んでする魔王軍だぞ!?雪に頭から突っ込んで冷静になって来い!」


(セスのやつ、攻めるなぁ……)


 チラリとシャリアを見ると黙って座っているだけだ。

 それどころか視線を一切動かさず、黙って皆の話を聞いているのだ。


「私は冷静です。それに、それならアルム様だって同じではないですか?」


「アルムは理由あってここに居るんだ! お前みたいに我儘わがままで居るんじゃねぇ!」


「ほら、最後に結局先生はアルム様の肩を持つのでしょう? それでは何を言っても説得力に欠けるのですが?」


「なっ!? なななっ、なにをっ!?」


 簡単に言いくるめられてしまった。


「それに、私にだって理由はあります。確かに入った当初は成り行きでしたけど、今は違います。ここに居ることで今まで見つけられなかったことが発見できている気がするのです。貴族の娘として生きていたら、決して見れなかったことを……」


「ソフィー……」

「お前……何を言って……」


「私は、自分が今まで見聞きしてきた中で、本当に正しいと思えることを正しいと思いたい。その上で自分が何をやるべきなのか判断をしたい」


 アルムは全く話に入っていけず、まずい展開だと悟る。

 これは完全にソフィーナのペースだ。


「そのためだったら悪魔に魂だって売るわ、人間だって殺すこともいとわない」


 かつて教え子だった者の信じられない言葉に、キスカは青ざめて首を振った。


「……なんて恐ろしいことを言うの。……ソフィー、貴女とても正気じゃないわ! このままいけばバルタニアと戦うことになるかもしれないのよ!? 貴女はお父様と戦う羽目になるのよ!? それでもいいの!?」



「覚悟の上です。父を殺すことになっても、私は信念を貫きます」


「────っ!」


 キスカはソフィーナへと手を振り上げた。


 ……だがそこまでだった。

 じっと真っ直ぐ前を見つめる瞳に叩いても無駄だと悟る。

 勢いよく振り上げた右腕を、ゆっくりと下ろし引っ込めるしかなかった。


「……残念です。初めてお姉さまから打って頂けると思ったのに」


『その辺りにせよ、もう見飽きた』


 魔王の声に、ソフィーナは自分の勝ちを確信する。


「魔王様、これで命令を取り下げて貰えますね?」


「何を言っている? 貴様は馬鹿か?」


「え?」


 思いもよらぬ返答に、ソフィーナの顔が一変した。


「どんなに熱弁したところで、その者らは決して考えを変えぬ。 まだわからぬか? 貴様は始めから勝てぬ勝負をしていたのだ」


「そ、そんな!? そんなの、卑怯ひきょうじゃないですか!!」


 すると魔王は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「卑怯結構、魔王である。命令に従わぬ貴様は配下にふさわしくない。……やはり薄汚い人間の小娘などに、余の眷属けんぞくはつとまらなかった」


「わ、私は……! これからもここで……!」


「まだ逆らうか! ならば代わりにキスカの首をね、ユリウスに送りつける!」


 ソフィーナはガクリと膝を付き、輝き失った目から涙を流した。本当の意味で、何もかも失ってしまった気がしたのだ。これが魔王に魂を売った者の末路なのかと心から後悔こうかいし、絶望した。


(ソフィー……)


 キスカはただ黙って寄り添う。

 言葉は見つからず、ただ黙って肩を抱いた。


 気がつくと、魔王が目の前に来ていた。


餞別せんべつである」


 そう言ってソフィーナの首へ掛けたのは、かつてソフィーナ自身の手で破壊したはずの紋章だった。ドワーフかノッカーに修理させたのだろう、完全に元の輝きを取り戻していた。


 やがて、キスカに付き添われながらソフィーナは部屋を出ていった。

 アルムが後ろ姿を気の毒そうに見送っていると、ラムダ補佐官は近寄る。


(……いやはや。何というおなご共の舌戦、敵にまわしたくないですな)

(……そうだね)


「お前たち聞こえているぞ。爺、従者たちに沐浴もくよくの支度をさせよ」


 慌てて返事をしながらついていくラムダ補佐官。やはりラムダにとって一番恐ろしいのはシャリアの癇癪かんしゃくなのだろう。これには同情を禁じえない。


「……ちぇ、何なんだよあいつ。あたしらに下らない茶番させやがって」


 聞こえている、と言った側からセスの憎まれ口が飛び、慌てるアルム。


「別に。……ま、少しはいいとこもあるみたいだけどさ」


 確かに、言われてみればシャリアは以前と比べ変わった気がする。口調は相変わらずだが、ほんの少し相手を思いやる姿勢が垣間見えたのである。

 しかしそれ以上にアルムが驚いたのは、セスがシャリアをめたことだった。



 翌朝、ヴィルハイムへ向かう前に謁見えっけんの間へ集まる。シャリアの言う通り神具を持ったままソフィーナを帰すわけにいかないからだ。

 キスカへ所有権を戻そうとするもできないことが判明した。一度神具を手放すと保持者になることができないようなのだ。アルムに一旦預けようとするも、これも失敗に終わる。保持者にふさわしい一定の魔力が無いと、譲渡じょうともできないらしい。


「……ふむ。では神々の手元へと返し、二度と人間に与えぬよう祈ってみては?」


「はははっ! いいぞ! 神も与えたものを返されては面子が立たぬだろうな!」


 ラムダの助言通り、ソフィーナが英知の杖に祈りを込めると、杖はまたたく間にその姿を消した。こうして地上から神具がひとつ無くなったのであった。


 アルムたちがヴィルハイム城に着くと、転移魔法装置がある部屋へと通された。

 転移魔法装置とは、帰郷ききょうの羽を除けば人間たちが用いることのできる唯一の瞬間移動手段である。設置されているのは大陸でも極限られた場所のみだ。それでいて定期的に王都からの厳しい監査の目が入り、使用の際は膨大な魔力を必要とする。これは人間の魔法知識と管理の限界を意味していた。


 部屋でアルムたちを待っていたのは、ユリウスとバッチカーノ将軍のみだった。


「本当に連れて来てくれたんだな。……約束を守ってくれて、ありがとう」


 そう言いながらユリウスはソフィーナへ目をやる。これから一緒にバルタニアへ転移するにあたり、名家の娘ではなくお抱えの魔道士として付き添わせる。変装のためにローブを着させ、顔には黒い布をおおわせていた。布の下の素顔は昨晩一睡もできなかったのか、大分やつれている。


「ユリウス、もう一人同行させると聞いていたけど?」

「あぁそうだ。……おい、いつまで隠れていやがる? 出てこいよ」


 ためらいがちに現れたのはユリウスの弟分、ジョシュアだった。今日は重鎧ではなく貴族の正装をしている。


「ソフィーナ、こいつが君に謝りたいそうだ」

「え……?」


 するとジョシュアはソフィーナの前にひざまずいたのである。


「先日は大変な無礼を口に致しました。恐縮ながら、此度こたびは貴女様の護衛をさせて頂く所存しょぞんです。……どうか私めにつぐないの機会をお与え下さい」


 がらにもなくかしこまるジョシュア。だがソフィーナはジョシュアよりも遥かに身分が高く、これが本来のしかるべき振る舞いなのだ。ソフィーナは始め戸惑うも、やがて同じように身をかがめる。


「……いいの。私の方こそ酷いことをしてごめんなさい。もう顔を上げて仲直りをしましょう。本日は宜しくお願いします、重装騎兵隊副隊長殿」


「……! はっ! この身に代えましても、必ず!」


「はっはっは! よかったなぁ、ジョシュ!」


 本当ならジョシュアではなく他の者を同行させる筈なのだ。だがこれも二人を思ったユリウスの取り計らいなのだろう。両者の顔に笑顔が戻るのだった。

 

 わだかまりが一つ解け、ソフィーナは少し気が晴れたようだった。

 その証拠についてきたキスカたちの元へと小走りに駆け寄る。


「キスカ姉さま、昨晩は酷いことを言ってごめんなさい。まだまだソフィーが子供でした。お先にバルタニアへ帰らせて頂きます。……どうかご無事で……」


「大丈夫、それに私のことなら心配いらないわ。平和になったらどこかへ美味しいものを食べに行きましょう」


「先生、昨日は生意気を言ってごめんなさい。お世話になりました」


「気にすんな! それともっとあたしを見習え! 死ぬ気でやれば居場所なんていくらでも作れる! どこだろうが自分が居ればそこが居場所だと思え!」

 

 そして、最後にアルムの前に立った。


「……アルム様。……どうか、ご武運を」


「ごめんよ……君には本当に済まないことをしてしまった。後悔はしていないし、するつもりもない……申し訳ないけどね。もしも別の形で出会えたら、もっと君と話しをしてみたかった。……きっと楽しかったと思う、それだけが心残りだ」


 この瞬間、ソフィーナは声を上げ泣きついてきた。張り詰めていた思いを一気に吐き出すよう泣く小さな少女へと、アルムは優しく肩を抱いてやるのだった。


「……よし、そろそろ行くか。とっつぁま、留守を頼むぜ」

「は! 行ってらっしゃいませ、若!」


 三人は魔法陣が敷かれた場所に立つ。


「……キスカ!」

「はい」


「……行ってくる」

「……行ってらっしゃいませ」


 見つめ合うユリウスとキスカ。互いに交わす言葉が短いのは、後ろ髪を断ち切るためだ。それは確かな愛しい者への優しさである。


「アルム! 今度は俺が約束を守る番だ! 必ずまた会おう!」

「あぁ! 必ずだ!」


 転移装置へ魔力が込められる。物凄い音が鳴り出し、三人は眩い光に包まれた。

 やがて光は止み、音も静かになると三人の姿は消えていた。


「……さて、私からすれば今すぐでも貴殿らを取り押さえたいところ……。ですが何やら若とかたい約束をされた様子。これよりこの老兵は貴殿らをろうの中ではなく、城の外へご案内つかまつりましょう」


聡明そうめいなご判断感謝します。バッチカーノ将軍」


 悪戯いたずらっぽく片目を瞑る将軍に、アルムは笑いながら答える。


 と、ここで激しく扉が叩かれる音!


「何事だ! 誰もこの部屋へは入れぬぞ!」


『アルム様はいらっしゃいますか!? 先程使者の方が参られました!』


「なんだって!?」


 扉が開かれると、高官らしき男が入ってきて事情を説明し出す。どうやらラムダ補佐官が至急アルムに伝えたいことがあるらしく、すぐ戻って欲しいとのことだ。


 一緒にアルムたちを送ろうとしたバッチカーノ。だが男に呼び止められる。


「将軍、一大事となりました。実は……」


「なんだとっ!? すぐに集められるだけ人を集めろ!! 今すぐにだ!!」

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