番外編 ヴォーパルラビットの亜人奴隷 <後編>


 亜人の奴隷娘が老人の家に来て、はや一ヶ月。アスガルド西部では一足遅い雨季を迎えていた。今日も家に残された娘は学習のためペンを握る。今や教本も子供向けの童話ではなく初級学術書になっていた。

 アスガルドの書物はこちら側のものと比べかなり高額である。庶民しょみんの間では金を出してまで購入する者は、学生、学者などの少数派。それを奴隷に買い与えるとは余程よほどの金持ちなのか、物好きなのか……。


 娘は一区切りつくと背伸びをし、窓の外で降りしきる雨を眺めた。


(……あたしは、なんのためにここにいるんだろうか?)


 始め自分は家事手伝いのため買われたのでは、と考えた。だが老人は娘が動けるようになってからもほとんど仕事は言いつけず、大抵のことを自分でやってしまうのだ。娘が読み書きを覚えた今でも、特別何かさせるつもりは無いようだ。


(あの老人医者は、あたしにどうして欲しいのだろう?)


 最近の娘は、自ら進んでできそうな仕事を申し出るようにしていた。いやしい奴隷根性からではない。必要以上のことを喋らないあるじに対し、自分の立ち位置を明確にしめして欲しいという主張のつもりだったのだ。

「何のために自分を買ったのか?」と聞けば早い話だろうが、それだけはしたくなかった。たずねたことで気分を害され、今の生活を壊したくなかった。明日の生活が無くなることは、それすなわち死を意味すると考えたのだ。


 一方で老人の方は、娘の申し出た仕事を片っ端からやらせた。家事から医療器具の手入れ、薬の調合に至るまで、拒否すること無くさせるのだった。うまくできなくとも「また時間を置いてやればいい」とだけ言い残し、怒鳴りつけたりののしったりはしなかった。


(……なにやってんだろう、あたしは)


 考えれば考えるほどわからなくなっていく。いろいろと考えた末、もしかすると買ったはいいがどうしていいかわからなくなっているのでは? という結論に至る。馬鹿馬鹿しくこれはこれで嫌なケースだが、全くありえなくもない。


 というのもつい数日前のことだ。医術の験体にはされないだろうと確信していた娘だが、突然老人に言われ、奇妙な器具を顔に取り付けられてしまった。

 真っ直ぐ動かないよう指示される中で、器具に小さな透明の板がはめ込まれる。視界が急に歪んで立ちくらみを覚えると、すぐさま別の板が取り付けられる。そうやって老人は何回も透明な板を入れ替えては、娘の返事を聞きながらメモをとる。視界が一番はっきりしたところで実験は終わり、ようやく開放された。


 もしや自分は買われた時から実験が始まっていたのではないか、などと先日読んだばかりの小説めいた妄想もうそうがよぎる。

 集中力が切れた娘は書物とペンを片付け、時期に帰ってくるであろう主のために食事の準備へ取り掛かる。献立こんだてはありあわせの食材でサラダでも作ればいいか。


「あ……お帰りなさい……」


 思ったよりも早く主は帰ってきた。


 帰ってくるなりかばんから小さな箱を取り出す。そして箱から何やら怪しげなものを取り出し、娘の顔に装着そうちゃくさせたのだ。


「あっ!」


「具合はどうだ?」


 目を開けた瞬間、ガラリと変わった視界に娘は驚きの声を上げた。今までよりもはっきり周囲が見えるではないか。

 老人が娘に与えた物は、異世界の知識を元に作られた「眼鏡」だったのである。


「よく見えるか?」

「は、はい!」


 アスガルドで目の悪い人間は非常に珍しかった。だがグライアス領の産業革命が進むに連れ、領内で徐々に目の悪い人間が増え始めていたのである。

 この眼鏡は老人の知人の医者が作ったものであり、商品化させるための試作品だったのだ。


「家の中も飽きただろう。午後は仕事について来い。ついて来るだけでいい」


 拒否する理由は見当たらなかった。



 午後、昼食を終えた二人は外におもむく。雨が止み晴れ間が見えてるものの、路地は水はけが悪くグチャグチャになっている。


「これを持て。重いから気をつけろ」


 生まれて初めてくことになった「くつ」を気にしていたのもつか、商売道具が入っている鞄を手渡されたのである。成程、確かに重い。

 老人は娘が鞄を片手で持つことに意外な顔をするも、しっかり持てることを確認すると前を歩き始めた。


(この人は鞄持ちをさせるためにあたしを買ったのか?)


 大きな耳が目立たぬよう頭からフードを被り、鞄を持ちながら主についていく。前を歩く背中は一見ガッチリそうだが、そろそろ重い物を持つにはきつい歳なのかもしれない。


 歩くことしばらく、老人は大きな家の前で立ち止まる。


「おられるかな?」


 ノックをすると扉が開かれ、中から身なりの良い男性が出てきた。


「先生! お待ちしていました! 息子をてやって下さい!」


 そう言って家主らしき男性は老人を迎え入れる。フードを被り奇妙な器具を顔につけた娘にギョッとするも、すぐに老人の助手か何かだと思い、やはり家の中へと招き入れるのだった。

 立派な家具や絵画の置かれている屋内を歩き、一つの部屋に入ると患者はいた。先程の家主の息子なのだろう、喋りながらせきをしている。老人は挨拶もそこそこに診察しんさつを始めた。


「……ふむ、これで大丈夫だろう。安静にしていれば治るはずだ」


「あぁ先生、ありがとうございます! 知り合いから先生を紹介して頂かなければ、息子の病は治らなかったことでしょう! 本当にありがとうございました!」


 家主は何度もお礼を言うと、老人に銀貨の入った袋を握らせた。


(医者というものはこんなにもうかるものなのか……)


 この後、やはりお金持ちそうな家を何軒もまわり、その日は終えた。この日だけでも大分稼いだことだろう。奇妙なことに、患者は咳をする症状の者が多かった。



 次の日、朝から老人についてくるように言われ、やはり鞄持ちをさせられる。

 ところが今度は全く正反対の道を行き、やってきたのは貧民街だった。


(こんな場所にまでどうして……?)


 老人はオンボロの共同住居に入ると一部屋づつ訪ね入り、患者の様子を伺っては診察を行う。不思議なことに、これまた咳をする患者ばかりなのだ。


流行はややまい、というやつなのか?)


 環境の悪い貧民街であれば可能性もあるが、昨日まわった平民街でも同じ症状の患者が多かった。かなり広範囲に渡って流行している病なのだろうか?


「先生……本当に何と礼を言っていいか……。先生がいなかったら……俺は……」

「気にするな。早く元気になるといい」


 だが、昨日と明らかに違うことがあった。


「ところで、そっちの娘さんは先生のお弟子さんなのかい?」

「ははは、まさかな。まだ弟子が必要なほど耄碌もうろくしとらんよ」


 医者と患者がまるで友人であるかのように冗談を言い合っている。

 心なしか、老人の表情が昨日よりも柔らかく見えた。


 そして何よりも、金を一切受け取らなかった。


 こうして貧民街を歩き回り、気付けば日は大分沈んでいた。老人は何も言わずに帰宅の道を辿たどり始め、娘もそれに黙って続く。……どうもに落ちない点が多い。


「……どうして今日はお金をとらなかったのですか?」


 耐えかね、娘はついに聞いてしまっていた。


「無いところからはとれまい」


「……」


 それはそうだが……。


「そして、見殺しにもできん」


「……」


 自分が聞きたかったのはそういうことじゃない。そう言いたかったが、娘はえて黙っていた。黙っていると、今度は前を歩く老人から言葉が降ってくる。


「ワシの弟子にならんか?」

 

 来た!


 薄々思っていたが、多分そうではないかと思い始めていたところだった。きっとこの老人は、自分の後釜あとがまとなる弟子を探していたに違いない。それが見つからず、一から弟子を育てるために奴隷を買ったのだ。そうでなければ態々わざわざ自分に字を覚えさせたりはしないだろう。


「…………は、はい!」


「冗談だ、気にするな」


 老人はさっさと家に入ってしまった。

 娘は開いた口がふさがらず、しばし呆然ぼうぜんと立ち尽くした。



 この日の境に娘の勉学への熱がいっそう入ったのは言うまでもない。自分の主が何者で、何のために自分を買ったのかなど、もうどうでもよくなっていた。必死な自分に対し応援してくれていると思いきや、あの小馬鹿にした態度……!

 いつか必ず見返してやる、そう娘は心に誓った。絶対に主をうならせるような知識と技術を身に着けてやる。もしまた弟子になるよう言われても、絶対になってやるものか。はたから見たらつまらない意地だが張り通せる。元々その程度以下の命なのだから……。


 数日置きに老人に連れ出されるも、家にいる間は極力書物を開きペンを握った。本棚にある医学書にも手を出し始め、いつの間にか初級医学書や家庭医学書が増えていることに気付く。老人が最近購入してきたものなのだろう。

 自分のしていることを見透かされているようで嫌だったが、だからといって手に取らない道理はない。薬でも毒でも構わず食らうかように、知識をむさぼりまくった。


 この老人と娘の関係は長きに渡り、特に大きな変化もなく続いた。

 ある意味ではうまくいっていると言えなくもない。


 互いに相手の名を知らない、奇妙な主従しゅじゅう生活。

 聞くこともしないし、名乗らない。

 娘に至っては、名乗る名前すら無かった……。



 ある日のこと、老人は朝から体調を崩し、家で寝込んでいた。医者の霍乱かくらんというやつだ。一人外出を許された娘は、バザールへ買い出しにおもむく。

 きっと暑さバテだろう。何か体に良いものをと選んでいる最中、こっそり自分で調合した薬を出してみようかと思いつく。

 この時、娘は読み書きだけでなく、計算や簡単な薬調合までこなせるようにまでなっていた。死にもの狂いで努力した賜物たまものなのだろうが、元々自分が物覚えの良いことに改めて気付いたのだ。この調子で行けば、あの老人医者の仕事をとって奪う日もそう遠くはないだろうと確信し、嬉しさがこみ上げる。


 買い物を済ませ帰宅する途中、家の方角から声が聞こえてきた。

 家には入らず、物陰から声に耳を澄ます。


(聞き慣れない声だ……。御主人の声もする……客なのか?)


 珍しいこともあるものだ。そう思っていると、突然の大声!


『先生! いつまでこんなところでくすぶっているつもりですか!』

『我々に協力して下さい! モーゼフ先生!!』


 知らない男二人の声。

 モーゼフというのは、あの老人の名前なのだろうか?


『何度言ったらわかる!? ワシは何も知らんっ!』


 今度は主の声だ。


『ワシはモーゼフなどではない! もう二度と来るなっ!!』


 主の大声と同時に、家の戸が開けられ娘は身を潜める。こっそり様子をうかがうと、中から男が二人出て来る。地面につばを吐くと立ち去っていった。


「御主人っ!!」


 家の中へ飛び込むと、床に倒れている主を見つけ抱き起こす。


「何をされたんですか!? 今のは一体誰ですか!?」

「……聞いていたのか。……大丈夫だ、何もされておらん」


 よろける体を支えながら部屋まで連れていき、ベッドに寝かせる。その後で娘は滋養じよう薬の調合にとりかかった。

 ベッドまで持っていくと、老人は黙って乳鉢にゅうばちに指を入れ、舌でめる。


「……ふふっ、ここまでできるようになったか。……まだまだ甘いがな」


 そう言うと乳鉢に入っていた薬を飲み干し、横になると天井を見た。


「……あいつらはグライアス製薬社の手の者だ。新しい公害病の薬をつくるため、ワシを引き込みに来たのだろう」


 グライアス製薬社というのは、領主ルークセイン直属の製薬会社なのだという。

 この老人……モーゼフも昔、新薬を開発するためそこにいたらしい。


「どうして御主人はその会社を辞めたのですか? 御主人なら大勢の人を救える薬をつくれたのではないですか?」


「……ワシもそのつもりだった。だが奴らが欲したのはワシが監修かんしゅうしたという肩書であり、そこから生み出される富だったのだ。……当時ワシは『奇跡の医師』などと呼ばれ思い上がっていた……そこを奴らに付け込まれたのだ……情けない話だ」


 ろくな試験も行わず、会社は大量生産を強行した。薬は飛ぶように売れ莫大な利益を上げたが、後から酷い副作用があると発覚したのだった。

 モーゼフは薬を自主回収するよう訴えたが、会社は取り合わず逆に脅しをかけてきた。味方の居なくなったモーゼフは人知れず姿を消した。そして後日、副作用の原因は、ずさんな製造過程や粗悪な薬材使用が原因だとわかった……。


「……グライアスは人の心に住まう欲望が支配する土地だ。特に上流階級の人間は自分のふところ具合のことしか頭にない! ……ワシは奴らと戦う力もすべもなかった。ルークセインにはあの勇者ノブアキがついている……どうにもならん……」


「勇者ノブアキ……」


 モーゼフは咳をすると、器に注がれた水を一口飲んで横になった。


「グライアスにいる限り、奴らに逆らって生きてはいけん……。だが。これだけは覚えておけ! 医療において本当に重要なのは優れた薬や医術などではない! 患者が真に欲しているものが何かを見抜く、洞察力どうさつりょくと正しい心だ!」


「……はい」


「……明日早く、この家を出よう。荷物をまとめたら休むといい」


 モーゼフが目を閉じたのを確認し、娘は部屋を出た。

 荷物をまとめろと言われてもかさばりそうなものばかり。本は置いていくことになるだろう。簡単に運べそうな物だけ鞄に詰め、自分も横になることにした。


 その晩、娘は寝付けなかった。家を訪ねてきた男たちのこともあるが、主の半生はんせいと言葉が気になって頭にいつまでも残っていたのだ。


(……御主人は、自分の罪滅ぼしのために医者をしていたのか……)


 様々な思いが駆け巡る中で、娘は主よりも優れた医者になる決意を固めていた。それが自分の運命であり使命なのだと自分に言い聞かせた。


 そして、運命は時に残酷であった。



(……外に大勢の気配!?)


 まだ夜明け前。

 慌てて飛び起きると同時に、けたたましく叩かれる扉の音。


「ワシが出る! 顔を出すな!」


(御主人! いけない!)


 既にモーゼフは目を覚ましており、扉の鍵を開ける。

 途端、グライアスの制服を着た男らが数人、家の中へと押し寄せてきた。


「夜分遅くにどうも。わたくし、グライアス治安維持部隊のサジと申すものです。失礼ですがモーゼフ医師ですね? あなたに聞きたいことがあります」


「知らん! 人違いだ!」


「おやそうですか? まぁ否定されても無意味ですが」


 サジと名乗った男はそう言うと、持っていた紙を広げ、突きつける。


「逮捕状です。罪名は亜人奴隷に対する非道な扱い、同行願えますね?」


「何を馬鹿な!?」


 するとサジは細い目口を更に細め、いやらしい笑みを浮かべた。


「つい先日、亜人奴隷保護の法律が変わったのですよ。貴方の奴隷扱いに関しては目撃者からの証言が出ています。……連れて行け。暴れるようなら殺して結構」


「はっ離せ!!」


 男たちに掴まれ振りほどこうとするも、今度は銃が突きつけられる。

 その様子を隙間から見ていた娘は、顔を出し叫んでしまったのである。


「御主人っ!!」

「来るな! 逃げて生き延びろ! ワシの遺言ゆいごんだと思え!!」


 飛び出し駆け寄ろうとするも、サジたちに阻止され扉は閉められてしまった。


「これは驚きました、まさかヴォーパルラビットの亜人娘だったとは。お前たち、勇者ノブアキ様への手土産ができたとは思いませんか?」


 サジの言葉に、他の男たちも不気味な笑みを浮かべた。


「しかし困りましたねぇ。この娘にはあの老人をさばくため、証言台に立って貰わねばなりませんし」


「隊長、それでしたら似た亜人を代役に立てましょう。亜人保護団体からリストを見せて貰えば簡単に見つかります。団体には自分の知り合いがおりますので……」


 部下の言葉に、サジは口元で小さく拍手した。


「素晴らしい! 貴方も我々の仕事がわかってきたではないですか、ホッホッホ!」 


 瞬間、硝子ガラスが割れる音と共に、男たちの悲鳴が響き渡った!

 即座に娘は自室へ逃れ、鞄を手すると飛び出したのである!


『窓から逃げたぞ!』


 外で待ち構えていたのは大勢の制服姿たち。娘へ即座に飛びかかろうとするも、そこはまだ日の登らない暗がりの中。人間よりも遥かに夜目が利き、動きの俊敏しゅんびんなヴォーパルラビットの亜人を捕えることは困難を極める。


「御主人!! 返事をして下さい!!」


 制服男の攻撃をかわしながら、娘はモーゼフを叫び探した。しかし既に連れさらわれしまったのか、姿を見つけることはできない。そのうち捕まえるのは不可能と判断した男たちは、娘に対し発砲をし始めた。


(御主人……!)


──逃げて生き延びろ! ワシの遺言だと思え!!


 主の最後の言葉を思い、娘は諦めるとその場から姿を消した。


 数週間後、娘はグライアス領からオズワルド一家の手引によって脱出することとなる。その時にモーゼフが死去したことを告げられた。同時に亜人の奴隷保護法が改定されたことも嘘だったことがわかった……。



 それから二十年後の現在、娘は与えられた一室で薬品の棚卸たなおろしをしている。一人で数え切れぬほどの薬剤を調べる姿に、あの時の幼かった面影はない。名前も自ら『ココナ』と名乗っている。


 ノックの音がすると、一人の魔道士が入ってきた。


「遅いぞキスカ、薬ひとつ買うのに掛ける時間か?」


「騎士団領まで行っていたのよ。こんな貴重品、まだ物流の乏しいエルランド内で買うわけにもいかないでしょう?」


「とか言って、男と会ってたんじゃないだろうな? あたしの耳にも入ってるぞ」


 二十年という時間は娘の身長や知識だけでなく、他人に軽口を言える心のゆとりまで与えたようだ。今ではむしろ堂々と自分の意見を他人に伝えることもできる。


「……ところで、一ついいか?」

「な、なによ?」


 頼まれていた薬を手渡したキスカは、まだ何かあるのかとちょっと嫌そうな顔をする。


「この前もヴィルハイムへ一人行ったようだが、なぜそのまま亡命しなかった?」


「あぁ、そんなこと……」


 ユリウスとの仲を詮索せんさくされるのかと思っていたキスカは少しホッとした。


「だって私が一人逃げたらソフィーが殺されてしまうでしょう? ……少なくとも、まだその時ではないわね」


 時が来たら魔王軍からソフィーナと逃げるというのだろうか。

 よくも魔王軍の医療班長である自分に言えたな、そう言うとキスカは笑った。


「貴女だって最近までセルバに住んでいたのでしょう? だったら私と同期みたいなものじゃない。……私はね、ここにいて可能性にけてるの。逃げ出すんじゃなくて、全ておさまりここから堂々と外に出て暮らせる。そんな日が来る希望にね」


 きっと師であった魔道士ラフェルの件の事を言っているのだろう。彼女もまた、勇者たちのあり方に疑問を持っている一人なのだ。



(可能性……希望、か……)


 キスカが出ていった後、ココナは一人机に向かい、かけていた眼鏡を外した。


(……)


 他の亜人たちの物とは違う、今では形見となってしまった、モーゼフから貰った大切な眼鏡。丁寧に箱へ収めると、じっと集光石の明かりを眺めた。


(……もしかして御主人も、可能性や希望に懸けていたのかな。じゃあ、あたしが御主人に買われたのは……)


 姿を隠し、名も偽り、罪滅ぼしをしながら過ごす余生。大きな力にあながうことを許されない、明日すら見えない毎日の中で、何か希望にすがりたかったに違いない。


 モーゼフは弟子が欲しかったわけではなかった。

 今を変えるための可能性が欲しかったのだ。


 それが本当にわずかな、少しの何かであっても……。


(あたしは……御主人のたくした希望に成り得ているのだろうか……)


 油断し、こぼれそうになる涙をぐっと堪えると明かりを消した。


 強力な刃も強大な魔力も持ち合わせていない自分、主の敵討すらかなわない。だがむしろ好都合じゃないか。こうして主の意志をくみ、自分の思う道へ進むことができる。そのためにヴォーパルラビットの亜人奴隷は今も生きている。



番外編 ヴォーパルラビットの亜人奴隷  完

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