番外編 ヴォーパルラビットの亜人奴隷 <前編>


 勇者が魔王を倒したからといって、すぐに平和は訪れない。

 それは勇者が魔王を倒してから十年後……つまり今から二十年程昔の話になる。


 二十年前のグライアス領、平民街にて──。


『さあさあ旦那方だんながた! 次にお披露目ひろめするのはオーク(いのししの頭部を持つ獣人じゅうじん)と人間の混血人だ! この腕の太さ! 力仕事にゃもってこいっ! みてくれとおつむはちいとアレだがきっとお役に立ちますぜ! さぁ金貨二百枚から!』


 人と魔物の混血である亜人あじん、その奴隷どれいオークションが真昼間から広場にて行われていた。ステージ前に集まっている裕福ゆうふくそうな大人が、こぞって手を上げている。

 この頃はまだ、亜人の人身売買がアスガルド法で禁止されていなかった。亜人の人権擁護ようご団体もあるにはあったが、奴隷の不当なあつかいや不法遺棄いきに対し勧告かんこくうながせる程度。もし事件となっても簡単な罰金で済んでしまうケースがほとんどだった。


 まるで祭りのようなこの有様ありさまを、離れた場所からけわしい目を向ける男がいた。


「……おぞましい光景だ。少なからず同じ血が流れている者同士だというのに」


 付き人にそうらしたこの男。王都バルタニアの貴族であり、名をエランツェルという。今日は視察のためにグライアス領の街を訪れていたのだが……。


「十年前の大戦の影響が根強いのでしょうね。……魔物の血が流れている、ただそれだけでみ嫌う人間は大勢おりますから……」


 付き人が主の言葉を拾い、続ける。


「ですが亜人の奴隷制度を無くすべきだという声も、至るところから聞かれます。それをアスガルドの議会は意見すら聞き入れない……。あっと申し訳ありません、私めが過ぎた口をきいてしまいました」


 主よりも年上の付き人は、慌てて口をつぐんだ。付き人は主が議会の議員も務めており、人権問題に対し身を削る思いで取り組んでいるのを知っていた。だからこそいきどおりを禁じ得なかったのだろう。


「君の言う通りだよ。……奴隷市場が経済を支えている面もあるかもしれん。だがあの舞台袖ぶたいそでにいる男を見ろ。あの様な者を見ると奴隷商人の私腹を肥やすためだけに存在しているとしか思えんよ」


 エランツェルの指差す方を見ると、でっぷりと太った男が満足そうに髭を撫でているのがわかる。このオークションの主催者しゅさいしゃなのだろう。


「このグライアスもエルランドのセルバ市のように、亜人奴隷売買を禁止するようにはならんのでしょうか? エルランドをおさめているのはあの大魔道士ラフェル様。他の領主もあの方のようなお考えを持つようになれば……」


「それは無理だろう。少なくとも商人と癒着ゆちゃくを行う領主や貴族がいる限りはな」


 主が付き人の言葉をバッサリ切り捨る。


「確かにラフェル様はエルランドの領主だ。だが実際にセルバの市政しせいを行っているのは別の人物と聞く。ノブアキ様ならともかく、ラフェル様自身は奴隷問題に関心をお持ちではないようだ。議会であの方から人権問題の発言が出たことはない」


「えっ!?」


「だから裏では何を考えているかわからんよ。君はうわさで聞いたことはないか? このグライアス領の領主とラフェル様が血縁者だという噂だ。今オークションにかけられているのは希少きしょう種となったオーク亜人、もしやあの奴隷はエルランドから……」


(旦那様、声が大きうございます! どこで誰が聞いておるのやら……!)


 エランツェル卿は聞かれても構うものかとあしらい、付き人とともに広場を後にするのだった。彼がアスガルド議会の長へと就任しゅうにんし、亜人奴隷問題に終止符を打つのはこれより数年後となる……。


 やがて広場にオークション終了の鐘が鳴り響き、集まっていた人間は散り散りと家路につく。目的の奴隷が手に入り上機嫌な者、それをうらやんで眺める者。うっかり会場に居たのを見つかり「ガキが見るもんじゃねぇ!」とゲンコツを食らわされる子供の姿もあった。


 客が去った舞台裏では主催者の『豪商ドル』が、思ったより儲けが少なくいささかか不機嫌そうに部下へと当たり散らしていた。


「まったくこんな場所で残り物を売りさばく羽目になるとは。奴隷商売にもかげりが見え始めてきましたかねぇ。この穀潰ごくつぶし共め、朝一で帰れる準備をしときなさい」


 ドルは部下を叱咤しったしながら奴隷のおりの横を歩いていく。

 ふと、鼻のひん曲がる様な匂いがして思わず顔をしかめた。原因の檻を覗くと、隅の方で小さくうずくっている奴隷を見つけたのだ。ドルは烈火の如く怒り、世話担当だった者にこれは何事かと怒鳴りつけた。


「こっ、この奴隷は道中でお館様が見繕みつくろった奴ですぜ? 『今は病気で弱ってるが、うまくいけば高く売りさばける』って……」


 こう言われドルは思い出した。グライアスに来る途中で、皮膚病にかかった亜人の娘を破格で買い上げたのだ。ヴォーパルラビット(大型の人食い兎)の血を引く亜人は生物学上の観点から見ても、それだけで希少価値がある。だが何より富裕層ふゆうそうの愛好家たちから愛玩あいがん用としての需要じゅようが高かったのだ。


「なんでさっき売りさばかなかったのです!?」

「ご冗談を! こんなもん売り物になんかなりゃしませんぜ? 大体こいつ飯を食おうともしねぇんですよ。病気が悪化してくたばっちまうんじゃないですかねぇ……」


「馬鹿者っ! そうなる前にどこかへ捨ててきてしまいなさいっ!!」

「ひぎぃ!」


 ドルは持っていた杖で部下を引っ叩き、ブツブツ言いながら行ってしまった。

 残されたドルの部下は尻をさすりながら、やれ面倒なことになったなとつぶやいた。仕方なく仲間を集め、奴隷をどうやって捨ててこようかと模索もさくし始める。


 ふとここで、檻を覗く見知らぬ老人の存在に気付く。


「おい爺さん! もうオークションは終わりだ! とっとと帰ってくれ!」


 すると檻を覗いていた老人は、ゆっくりと顔を向けてきた。


「この奴隷は売り物か?」

「こいつは今から森に……じゃなくて、あんたにゃ関係ねぇだろ! 帰れ帰れ!」

「今持っている銀貨五十枚でどうだ?」


 ドルの部下は少し悩む素振りをするも、すぐさま了承りょうしょうした。まさかこっそり森へ捨ててこようとした奴隷が厄介払いできる上、金が手に入るとは!

 他の仲間と奴隷を粗末な布で無理やりきにし、壊れた荷車へとくくりつけたのである。


 老人は銀貨を手渡すと、黙って荷車を引き去って行った。


「結構力あるジジィだな。しかしあんな汚ねぇ病気の奴隷をどうする気だ?」

「さぁな。……相当な好きモンなんじゃねぇの? 考えたくねぇけど」

「男が歳取っても下半身はおとろえねぇって本当なんだな、ヒヒヒ」


 男たちは今晩飲みに行く算段を始める。主には「奴隷は捨ててきた」と報告するつもりなのだろう。あの主にして、この部下たちなのであった。




 老人に買われていった奴隷が完全に意識を取り戻したのは、それから二日経ってからのこと。

 視界がさえぎられ、四肢ししが動かせぬまま横になっているのを感じる。あぁ自分は死んだのだなと錯覚するも、すぐに全身から伝わってくる激痛が否定した。必死に記憶をさかのぼり、朦朧もうろうとしていた中で聞こえた声を思い出すと、やがて自分は誰かに買われていったのだなとさとった。


『起きたか』


「……」


 すぐ横でしわがれた声が聞こえた。反応して声を出そうとしても言葉にならず、身動き一つ取れない。そうしているとカチャカチャ音がなり、自分の口元に熱いものを感じる。


「無理にでも口にせんともたんぞ」

「…………」

「ワシは医者だ。安心しなさい」


 こう言われ、奴隷の娘は口に突っ込まれたものを飲み込んだ。娘は安心から心を開いたのではない。自分になぜ買い手かついたのか悟り、あきらめついたからだ。

 きっとこの医者と名乗る老人は、自分を試薬や医術の被験体ひけんたいとして買ったのだ。そうでもなければ、小汚く死にかけの奴隷など買い手のつく筈がないではないか。きっと自分は毒を飲まされ、体をいじくり回された上で死ぬのだ。そう考えながら口に運ばれ飲み込む食事はこの上なく不味かった。


 次の日娘が目を覚ますと、心なしか全身の痛みが引いていた。相変わらず身動きはとれないが、昨日よりかは大分楽にも感じる。

 そのうち足音が聞こえ、入ってきた者によって包帯をがされる。全身に塗り薬をほどこされるのを感じると、再び包帯を巻かれ、食事を与えられた。娘は声を上げることもせず、ただなすがままにされているしか無かった。


 それから一週間が経っただろうか。あくる日娘は自分の体が回復に向かっていることに気付いたのだ。老人医者もそれに気付き、包帯を巻く箇所を減らしていく。

 もしかするともう立って歩けるかもしれない。娘はそう思ったが、まだ身動きがとれず声の出せない振りを続けた。


 あくる日の夜、物音に目を覚ました娘は暗い部屋の中で身を起こした。隣の部屋から明かりが漏れていることに気づき、そっとベッドから立ち上がる。物音を立てないよう静かに忍び寄ると、明るい部屋の中をそっとのぞき込んだ。


 そこに居たのはランプの明かりに照らされながら薬をせんじている、厳しい表情をした髭の老人であった。頭には毛がなく代わりに深いシワがいくつも刻み込まれている。時折、煮立った小さい鍋の中をかき混ぜているようだった。


(……あっ!)


 部屋を覗いていた娘は一瞬、老人と目が合ったような気がして隙間から離れる。慌てて身をかがめ、体をぶつけながらも急いでベッドの中へと滑り込んだ。すると隣の部屋の物音が止み、戸を開ける音とともに近づいてくる足音とランプの光。

 娘は頭からシーツをかぶり寝入りを決め込む。足音は光だけを枕元へ残し、すぐ部屋を出ていったようだった。

 こっそり娘が顔を覗かせると、煌々こうこうと焚かれたランプの横でぼんに乗ったパンとスープが置かれている。

 亜人の娘は気味の悪さと演技のバレていた恥ずかしさから、手を付けないでいるつもりだった。だが空腹でへこんだ腹を気持ちでふくらませることは不可能と気付き、躊躇ためらいがちにスプーンへと手を伸ばすのだった。




 朝、目を覚ますと盆が片付けられていた。長い耳を立て耳を澄ますも人の気配が全くしない。隣の部屋へ侵入するもやはり誰もおらず、入り口らしき戸には鍵が掛けられている。あの老人医者は留守なのだろうか。


(今なら逃げ出せる……)


 でも行く当てなどありはしない。ここがどこなのかすらわからず、わかっているのは恐らく大きな街の中だろうということだけ。また人間に捕まるのはごめんだ。

 仕方なく自分の寝ていた部屋に戻ると、窓から日で照らされた室内は驚くほどに簡素なものだった。置かれている家具は大きな棚とベッドだけ。ふとベッドの上を見ると、昨日まで無かった布が複数畳まれて乗せられていることに気づく。


(これは服?)


 女物の下着と服だ。ボタンが取れかかっているのを見るに古着。まさかあの老人が用意し、自分にこれを着ろといっているのか?

 少々躊躇いはあったものの、今までボロ布を身に着けらされていた事を考えれば天と地の差である。患者服を脱いで試しに着てみたところ、多少サイズが大きいこと以外は特に問題なかった。


(……これからどうしようか)


 一応命を助けてもらった手前、何も言わずに出ていくのはどうかとも考えたが、その必要はないだろうとすぐに気付く。

 あの老人は親切心からではなく自分を銀貨五十枚で買ったのだ。確かに世話にはなったが病気の完治しつつある今、これから何かの実験体にされてしまう可能性は十分にある。もしくはスケベで趣味の悪い金持ちの家に転売されるなどか。

 命が助かったと実感し始めた途端、娘は我が身の心配をし始める。結局のところ行く当てもなく、ここにいれば食いはぐれることもないだろうとし、様子見を決め込むことにする。


(……しかし、することがないな)


 ついに暇を持て余し、家の中を散策し始めた。どうやらあの老人は一人暮らしの訪問医のようで、小さな家屋かおくには他に誰も住んでいない。部屋は質素なものがいくつかある程度。入り口のついた広めの部屋には医療器具が所狭しと置かれ、大きなテーブルが中央に置かれていた。

 色々見て回りながら、つい本棚にあった一冊を手にする。内容を読み取ることはできないが、パラパラめくっては挿絵さしえに目を留める。何が書いてあるのかさっぱりわからずとも、自分が賢人けんじんにでもなった気分にひたることができた。


カチャリ


「!!」


 音が聞こえた瞬間我に返り、奴隷の娘は自分の愚かさと直面する結果になった。素早く入ってきた大柄の老人がこちらを見つけ、見下ろしているではないか。

 慌てた娘は本を隠そうとして落としてしまい、残酷にも床へと散らばった。


「……」


 ぶたれる! 反射的にそう思った娘は背を丸め、両腕で頭部をかばった。

 だが拳は一向に飛んでは来ず、うっすら目を開けると老人が本と紙を拾い上げ、本棚へと戻すところだった。


「字は読めるのか?」


 唐突な質問に一瞬驚くも、娘は首を振る。その様子を横目に確認した老人だが、黙って何も答えることはない。テーブルの上に食べ物を広げ始め、そのまま食事となった。


 夕方、いつもより早く帰ってきた老人に娘は呼ばれた。字を教えてくれるのだと言う。昼間に食事を並べたテーブルが学習机となり、勉強会が始まった。

 一体どこから手に入れてきたのか、老人は子供向けの本を開きながら文字の一つ一つを丁寧に説明しだす。紙に実際書いて見せ、それからペンの握り方から教えてくれた。


(どうしてあたしなんかにこんなことを?)


 教わっている当の本人はおろか、第三者の目から見ても実に奇妙な光景だったことだろう。互いに名も知らないばかりか、ろくに話したことも無い者同士が字を教え教わっている。娘はただただ老人から言われる通りペンを握る。手が痛くなったところで夕食になった。

 夜、娘は寝付けずにベッドで仰向けになりながら、隣の部屋から聞こえる物音に耳を傾けていた。右手の痛みと感触がわずかに残る中で、暗闇へと指を広げる。


(どうしてあたしなんかに……)


 物思いにふけるも答えは出てこない。やがて隣の部屋からの物音が止んで明かりが消えると、娘は深い眠りへと落ちていった。


 そして次の日から老人は、毎日のように読み書きを教えてくれた。相も変わらず娘は何も喋らずに、老人も必要のこと以外には口を開かない。

 一つ変わったことといえば紙とペンの使用許可を貰ったことくらいか。おかげで娘は日中も退屈をすることが無くなった。やがて書いてある内容を理解でき、写本しゃほんができるようになるまでそう時間は掛からなかった。



 娘が老人の家に来てからしばらく経ったある晩のこと、事件は起こった。


 その日は暗くなっても老人が帰ってこず、娘は先にベッドで休んでいた。

 突如乱暴に戸が開けられる音で目を覚ます。


急患きゅうかんだ!! 手が必要だ!!」


 只事ただごとではない老人の叫びに娘は飛び起き、隣の部屋を見て絶句ぜっくした。


『ぎぃぃ! ぐぐぐ……!』


 テーブルの上には見知らぬ男が寝かされており、苦しそうにもがいていた。

 酷い怪我を負っているようで、腹部が真っ赤な血で染まっていたのである。


「暴れないよう足を抑えていろ!」


 言われるがまま、男の両足を抑えにかかる娘。その間老人は患者の目と口を布で縛り、両腕両足の先を固定する。

 そして次の瞬間、娘は老人から腕を強引に掴まれ、消毒液の入った洗面器の中に突っ込まさせられた。娘が呆気にとられている中で、老人は実に素早く手術の用意を始める。


 娘が手招きをされ、大きなさじを持たされたところで男は静かになった。

 痛みにえきれず気を失ったのだ。


「いいか、そいつをしっかり握ってこことここを押さえていろ! ワシがいいと言うまでは絶対に気をゆるめるな! 気を緩めれば死ぬと思え!」


 娘は首を縦に振り、できるだけ痛々しい光景を見ないようにしながら、言われた通りにした。


「こいつは思ったよりひどいな……」


 開かれた患部を凝視ぎょうしする老人の眉間みけんに一層のシワが寄るも、的確な処置を施していく。娘も手のしびれを感じながら、必死に匙を握り続ける。


 両者が額に汗をにじませることしばらく、ようやく患部から小さなやじりが取り出された。


「……強い毒が塗ってないことを祈るしか無いな」


 血だらけの手を拭い、腹部の縫合ほうごうを始める。手術が終わったのだ。


「手を洗ったら休んでいいぞ。ご苦労だった」


 娘は極度の緊張から解き放たれ、その場にへたり込むのだった。



 朝、再び声で目を覚ました娘はそっと隙間から部屋を覗く。老人が複数の人間と話をしていたのだ。


「まだ傷口が塞がっておらん。ワシからは連れて行くことをすすめんぞ」

「これ以上ご迷惑になるわけにもいきませんので」


 どうやら昨晩の迎えが来たようだ。迎えの男たちは担架たんかの上に患者を乗せ、ゆっくりと持ち上げる。


「……ありがとな、先生」

しゃべるな。そしてもうここへ来てはならん」


 男たちが外に出たのを確認すると、娘は老人の前に顔を出した。それを見た老人は意外そうな表情を少し見せるも、すぐにいつもの険しい表情へ戻る。


「……オズワルド一家の若い衆だ、あまり関わらんほうがいいだろう。それよりも飯にするか」


「…………あ、あの……」

「なんだ?」


「今日はあたしが用意してもいいですか?」


 自然と口から出た言葉に本人が一番驚いた。老人の方は平然と椅子に腰掛け、「たのむ」とだけ答える。


 短い一言だったが、娘の心を嬉しさで満たす。

 二人の距離は僅かに歩み寄りを始めていた。

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