愛しき者へ…


 アルムの小屋へ戻ってきた魔王軍。作り方を知っているという妖精フェアリーのヴァニラに従い、ソフィーナとココナは早速薬の作成に取り掛かる。


「ドラゴンの石を細かく砕き、それから綺麗な水に溶かしてさせるんだ」


「成程な……。竜の血肉を用いた不老不死薬、過去に挑んだ錬金術師は少なからずいた。今日こんにちまで完成に至らなかったその理由がよくわかった」


 今やアルムの専属医となっていたうさ耳のココナは、石をつぶしながら納得する。


 竜の血肉は人体にとって猛毒もうどくである。石となり風にさらされて、はじめて毒気が抜け、薬へと用いることができたというわけだ。


「魔黒竜の血肉など使ったら、患者は全身から血を吹かせて死ぬだろうな」


「ひっ!?」


 ソフィーナは慌てて冷水に手をひたし、消毒液を探し始める。

 ココナは呆れ、触れた程度なら問題ないとさとした。



 ようやく薬を鍋で煮詰めだした頃には、外はすっかり暗くなっていた。 


「今から最後の仕上げに入る、セスも手伝って欲しい。 悪いけど呪文を唱えるのに集中したいから、ボクとセス以外は出て行って欲しい」


 少々不躾ぶしつけなヴァニラの頼みではあったが、ソフィーナは快く出て行った。

 ココナは患者を置いて離れるわけにいかない。邪魔をしないからと机に突っ伏し仮眠を取り始める。もう何日もろくに寝ていなかったのだろう。すぐ静かになった。


「じゃあ始めよう」

「どうすればいい?」

「簡単さ、ボクの言葉を繰り返してくれればいい」


 ヴァニラは目を閉じ、呪文の詠唱を開始する。


 アスガルドの呪文ではない、この世界では全く耳にしない……聞いたことのない発声音……。


 それをセスは、懸命にヴァニラの言葉を追いかける。

 全てはアルムを助けるため……。



「……これで呪文はおしまい。本物の不老不死薬には王様の力が必要なんだ」


 慣れない言葉を発し続けたセスは、置いてあった大瓶おおびんへとかかった。


「……本当にありがとう。もうあんたは昔の『弱虫ヴァニラ』なんかじゃないね。あたしにとっては英雄そのものだよ! でもどうして追いかけて来てまで力になってくれた?」


 これにヴァニラは寂しげに視線を落とす。


「……前にさ、みんなでドラゴンレイクから抜け出そうとしたよね。ボクは途中で王様の怒りが怖くなって引き返したんだ。あの頃は自分でも情けないくらいに弱虫だった……」


「あんただけじゃないよ、みんなそうだったよ。あたしだって一人じゃ外に出ようだなんて考えもしなかったさ」


 ヴァニラは首を振る。


「こっそり戻った後で、みんなにいじめられるんじゃないかって思った。でも幸いバレずに済んだ……そして安心すると同時に悔しくて仕方なかった。どうしてボクはいつもこうなんだろうってね。もうあの時みたいに後悔したくなかったんだ」


 せめてもの罪滅ぼしがしたかった、そう下を向きながらぽつりぽつりと話す。

 ……と思いきや、いきなり顔を輝かせて喋り出した。


 ヴァニラがドラゴンレイクに戻り暫くして、人間の勇者が訪ねて来た。その時に不老不死薬を作ることになったが、一番早く呪文を覚えられたためフリークスから頼りにされたらしい。周囲を見返し、一目置かれるきっかけになったと話した。


「あー、あんた物覚えは良かったっけ。あんたの臆病と物覚え良さに感謝だな」

「はははっ」


 お喋りしているうちに、鍋の中の液体が変色し始める。


「……じゃ、これから本当の仕上げに入るよ。セス、ボクが今から言う呪文を全部覚えて欲しい」


「……あんたがそれをする必要はないよ。これはあたしの役目なんだ」


「えっ?」


 

 引き止める間もなく、セスは落下を始め、煮詰めた鍋の中へ消えていった……。



 薬が出来たことを知らされたココナは、魔王城からシャリアを連れてくる。

 しかしセスの姿が見当たらず、薬を完成させた経緯を聞かされて絶句した。


 万能薬に必要な最後の材料は、妖精の生体だったのである。


「セスは何故かそれを知ってて先に……。ボクが飛び込む筈だったのに……」


 寝ているアルムに配慮してなのか、魔王の口からは何も言葉が出なかった。これにココナは心底しんそこおくする。並々ならぬ怒りが伝わってくるように感ぜられたのだ。


 だがこの時、シャリアは怒ってなどいなかった。

 狭い部屋の中をつかつかと進み、火の落とされた鍋の中を覗き込む。


「……」


 もはや姿なき相手を、シャリアは見下ろし続けた。


「……」


 シャリアにはセスの行動が全く理解できないでいた。欲しいものは手段を選ばず手に入れろと教えたではないか。それを真っ向から否定された気分でいた。


 他人を巻き込むくらいなら、自ら身を投げ出すのが自分のやり方だと言うのか。

 自分の身を捧げれば確実にアルムを助けられると確信していたとでも言うのか。

 自らが消えてしまっては全てがそこまでではないか……。


「そうだ、花は!? 花はありませんか!? 花さえあれば甦ることができます!」


 かそうとする妖精の言葉を、亜人の医者が首を振った。


「今は寒冷期だ。この時期に花が咲いている場所など、あたしは知らない……」

「そんな!? じゃあ……セスは……そんな……」


 ヴァニラは青ざめ、頭を抱えるとうずくまってしまった。



「確かにそやつは『ユーファリア』と名乗ったのだな?」


「……はい。この大陸の神だと言っていました」


 ココナが薬を処方している間、落ち着きを取り戻したヴァニラはシャリアからの質問に答えていた。


 勇者たちがドラゴンレイクを訪れる少し前、妖精たちに来客があった。

 フリークスを始めとする妖精たちは、唐突とうとつに現われた部外者に対して臨戦態勢を取るも、次々に目を疑うような事象を引き起こされて感服してしまう。外の世界で起こっている出来事を説明され、教え言われるがまま、竜の巨岩から不老不死薬を作り出す手段を仕込まれた。


──もうすぐ人間の勇者たちがここを訪れる。その時、この薬を渡しなさい。


(やはり妖精どもに不老不死薬を伝えたのは神だったか!)


「でも変なんです。王様が勇者に薬を渡した後でした。今度は大陸の神と名乗る者たちがやってきて『一体どうやって作った!? もう二度と薬をつくるな!!』って言ってきたんです」


「どういうことだ?」


 フリークスは驚いて怒り、ユーファリアに作れと言われたのだと伝える。これに大陸の神々らは戸惑った様子を見せるも、次に不老不死薬を作ったらお前たち妖精を大陸から追放すると言い残し帰って行ったのだった。

 この出来事の後、妖精王フリークスは始終不機嫌だったという。だが元々妖精は大陸の外から来た存在であり、間借りしている立場上この大陸の神々に逆らうことが出来ない。結界を張り外部からの出入りをしにくくするのが精一杯だった。


(大陸の神どもが仲違なかたがいいを? 離反した三神ではなく、他の五柱内でか……?)


 シャリアの中で疑問が生じるも、一つだけ確信が持てることがあった。

 今の神々は『神』として、大陸の支配者としてうまく機能していない。


 こちらに神具が渡っているのが何よりのあかし。魔王軍が大陸侵攻するにあたり、今がこの上ない好機なのは間違いないようだ。


「お前の働きに感謝する。褒美は何がよいか?」

「……何もいりません。ボクはドラゴンレイクに帰ります」

「あの馬鹿王の元へ帰るというのか? 余の支配下に入るならばお前を妖精王にしてやることも可能なのだぞ?」


 シャリアの言葉に、ヴァニラは首を振った。


「……確かに、あそこでの生活に満足していたわけではありません。妖精の王様はあんなです。……でも今を変えたくないです。ボクには今まで通りで精一杯です」


「ならば何も言うまい。ココナ、黒魔術師に送らせてやれ」


 ヴァニラは一礼すると、ココナと共に扉の外へと出て行った。


 アルムと小屋に残されたシャリアは、部屋の中に霊気れいきが感じられないことを確認すると、小さな息を吐いて椅子に腰掛ける。やはりもうここにセスは居ないのだ。


「そうやっていつまでも寝ていれば幸せなものを」


 何も知らず呼吸補助機から薬を投与されるカーテン越しのアルムの顔を見て、ホッとする反面なにやら憎らしい気持ちにもなってきた。ポツリと漏らした小声と同時に、胸の奥底からなにか湧き出てくるような感覚を受ける。


(──ッ!?)


 あの時だ、セルバ市の塔の中でアルムと居た時に受けたあの感覚──。

 先代魔王から受け継いだ漆黒の血を汚されるような、あの感覚……。

 これはやはり、人間である母の血が自分にも流れているからなのか。


(……ふざけるな……余は……魔王であるっ!)


 浄化に似た奥底にある光を再び闇で覆い隠すように、心を再び漆黒で満たす。

 そして今度は寝ているアルムにも、機械に入れられた薬の瓶にも目をくれず、真っ直ぐ前を向いて外に出た。



 魔王城の城門前、ヴァニラはここまで案内してくれたココナに力無く礼を言う。その別れ際、ふいに視線をかたわらへと投げかけると、何かを見つけて目を見開いた。


(セス……君ってやつは本当に強くて凄い妖精だったんだね。だから自分を犠牲にしてでも助けたい『誰か』を見つけることが出来たんだね……。ボクには君がまぶしすぎるよ……。君のことはこれからも、ずっと忘れない……!)


 暫く見つけたその『何か』を見つめていたが、意を決したかに顔を上げた。

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