飛蝗(ひこう)


 ドラゴンレイク、その湖畔こはんにある林の中で。フリークスはシャリアに追い詰められていた。氷漬けとなった湖から飛び出した際、勢いよく上空から踏みつけられ、地面に嫌と言うほど叩きつけられたのである。


「ひ、ひあぁ!?」


「どうした? 仮に王であるなら、最後の意地でも見せたらどうだ?」


 どんなに姿を消して逃れようとしても無駄だった。気配を察知され、動きを読まれ、先へ先へと回り込まれてしまう。その度に体を斬り刻まれ、遂には動けなくなった。


「まて、わかった! 薬ならいくらでも作ってやる! だからもう止めろ!」


 フリークスの言葉に、魔王は何を言っているのかとうすら笑いを浮かべる。


「もう貴様からは何を聞いても虚言きょげんにしか聞こえぬ。貴様の命など無価値に等しいが、余に命を差し出せなどとほざいたむくい、その身でつぐなうがよい」


 シャリアがそう言って刀を構えた時、遥か頭上から轟音ごうおんが鳴り響いた。

 そして、大地に凄まじい縦揺れが起こったのである。


「な、なんだ!?」


「魔黒竜ファーヴニラを呼び寄せたのだ。すぐにこの地は火の海となるだろう」


「ファーヴニラだとっ!? あっ……!」


 フリークスは声を奪われた。喉元のどもとに刀を突き通されたからである。


「冥土の土産に良いことを教えてやる。魔王軍侵攻の際、ドラゴンレイクを訪れなかったのは妖精族おまえたち畏怖いふしたからではない。余の父が妖精フェアリーごときの巣など何の役にも立たぬと判断したからだ!」


 そう言って喉元から素早く刀を引き抜くと、今度は縦に振り下ろした。



 ソフィーナから事の顛末てんまつを感じ取ったファーヴニラは、結界を突き破りその巨体を竜の墓場へと下ろした。舞い上がる土煙の中で、真っ先に彼女が目をつけたのは、巨岩と化した古竜のむくろだったのだ。


 あろうことか火炎を吹き付けると、その太いあしで粉々に踏み潰したのである。


──何が『竜の墓ドラゴングレイブ』か! 老いた竜一匹仕留めた程度でいい気になるな!


『ド、ド、ド、ドラゴンだぁ~~~!!』

『魔王の娘の仲間だっ!!』


──弱者にも満たぬ雑輩ざっぱいどもめが! 思い知るがいい!


 魔黒竜が次々吐き出した火炎球は、草地や木々に当たると爆発し、立ちどころに燃え広がった。その度に隠れていた妖精たちは、またも爆風に吹き飛ばされ、その身を焼かれ、悲鳴を上げては逃げまどった。


(燃える……あたしの故郷が……燃える……)


 セスは目前の光景を、ただ黙ってソフィーナやユリウスと見ていた。


 誰一人として突如現れた巨竜に挑もうとするやからは居ない。セスら温厚派の妖精を外に追いやった訓練とやらは、妖精王のたわむれに過ぎなかったことを意味していた。


「お前たちも焼かれたいか!? さっさとここを出るぞ!」


 皆が声に反応すると、シャリアが既にファーヴニラの背へ飛び乗っていた。

 三人は急いでそれに続く。


「竜の石は手に入れたのだろうな?」

「あぁ、うまいこと手頃なのを拾えたぜ」

「ちょ、ちょっと待って下さ……あっ!」


 何故か躊躇ちゅうちょしていたソフィーナはユリウスから強引に抱きかかえられる。

 魔黒竜は巨大な翼を広げると、ゆっくり上空へと羽ばたいていった。



──魔王よ、約束は憶えているのだろうな?


 ドラゴンレイクから少し離れた上空で、ファーヴニラはシャリアに問う。


「好きにしろ。見せしめになる」


「約束? 見せしめ? ……何ですか?」


「知れたことだ、このまま妖精どもの巣を焼き払う」


 シャリアの言葉に皆は驚きの声を上げた。

 ファーヴニラは魔王軍の配下になっているわけではない、あくまで協力関係だ。ドラゴンレイクへ送り届ける役目を依頼された際、彼女はすぐ引き受けてくれた。


 だが彼女の提示してきた条件は、交渉が破断となった場合に、ドラゴンレイクを跡形なく焼き払うこと。


 シャリアはこの条件を飲んだ。



「ちょっと待って下さい! ドラゴンレイクはセスさんの!」


「ソフィーナ、余に意見して、お前はどうするつもりだ?」


「う……」


 その時だった。


『いいよ、それで。全部消しちゃって』


 セス本人からの声に、視線が集中する。


「その方が、さっぱりするから」


(先生……)


 淡々とした声の調子から、ソフィーナは胸にヒヤリとした感覚を受けた。

 どんな思いで言葉を発したのか、想像もしたくなかった。


 そして、ファーヴニラの口から圧縮された白色の光線が吐かれる。

 光はドラゴンレイクに注がれると、天にまで届くほどの巨大な火柱を上げた。


(……さよなら、私たちの楽園ドラゴンレイク……)


 楽しかった思い出が無いわけではなかった。しかしながら、気の合う仲間はもう誰も居ない故郷……。永久に戻って来ない、退屈ながらに幸せだった日々……。


 目をつぶると顔をそむけ、歯を食いしばってこみ上げるものにこらえた。



 帰りはわざわざ危険なグライアス領を通る必要はない。進路を南へ大きくとり、そのまま魔王城を目指す魔黒竜ファーヴニラ。


「……あー、ところでよ。誰も帰郷ききょうの羽根、持ってねぇのか?」


 ポツリとらしたユリウスの言葉、もっともである。事態は一刻を争う。優雅に飛んで帰るよりも、アイテムで帰還したほうが早いに決まっている。


 何よりユリウスは黙って出てきた手前、早く騎士団領へと帰りたかった。


「……持ってはきたのですが、大精霊の風で持ち物を飛ばされてしまって……」


「お前は転送呪文を覚えていないのか?」


「覚えてはいますけど、巨大な魔黒竜様ごと転送させる自信はちょっと……」


 シャリアはあきれ、人の姿になって貰えばいいだろうと言い放つ。このむねを聞いたファーヴニラは、一旦地上へと降りるために高度を下げ始める。


 その時だった。

 遥か後方の空が、赤黒く染まっていることに気付いたのである。


「なんだぁ、ありゃ?」


 ユリウスは目をらし遠方を見るも、何が起こっているのかわからない。

 魔黒竜の角の影で一人黄昏たそれていたセスが、事態の異様さにいち早く気付いた。


「……妖精王の追っ手だ」


「追っ手……? ……う、嘘です……よね?」


「あれ全部そうだってのか!? ……マジかよ」


 言葉の意味を知り、二人は戦慄せんりつする。

 よく見ると空は動き、こちらへと向かって来ているではないか。


 赤黒く染まっている空に見えたのは妖精の大群だったのだ!

 その数、ドラゴンレイクで見た数など遥かにおよばない!


小癪こしゃくな真似を。今一度ちりにしてやればよい」


 ファーヴニラは体を反転させ、妖精の群れ目掛けて再び白色の光線を吐く。

 その瞬間遠方の一部が炎に包まれるも、群れは空を覆い尽くすように広がった!


「いやぁぁっ!?」

「おいおいおいおい!?」


「ファーヴニラ! 逃げろっ! 追いつかれたら石にされるぞ!!」


──振り落とされるな!


 セスの言葉を聞くや否や、ファーヴニラは急転させ全速で飛び始めた。

 

 しかし、妖精たちは思った以上に素早く、その一体一体の形が判別できるほどにまで追いつかれてしまったのだ! 目は真っ赤に染まり、羽根の形状も大きく変化している。手には銀の槍をたずさえているではないか!


 そして上と左右に囲まれたかと思った瞬間に、一気に襲い掛かってきた!

 ユリウスが最強の盾の力でヴィーヴニラに結界を張る!

 だが妖精たちはお構いなしに、力押しで攻撃を与え始めた!


「こいつら、まともじゃねぇぞ!?」


 視界に広がるのは一斉に群がり、無心で結界をつつき出す妖精たち。その異様極まりない光景に、ユリウスは心のしんから恐怖した。結界が長く持たないとも感じられたからである。

 確かに最強の盾はあらゆる攻撃を防げる。だが、多方面からの長時間攻撃を受け続けていたらどうかと言うと、そこは話が変わってくる。何より所持者の精神力が持たない。


「早くなんか手を打ってくれ! ……おい!? どうした!?」


 振り向くと、セスがうずくまって苦しそうにしていた。


「うぅ……」


「先生!? どうしたんですか!?」


「声が……だめだ……正気が……!」


 目が赤く点滅し、羽根の形が変化し始めている。


「シャリアッ! あたしを石にしろっ!! がぁっ!」

「先生っ!? あっ!」


 気付くとシャリアが横に居て、セスは魔黒竜の背に槍を突き立てる姿のまま石となっていた。

 セスを拾い上げたシャリアは「持っていろ」とソフィーナへ手渡し、周囲を観察する。


「ファーヴニラ、奴らを振り払うために少し粗く飛べ! その間に余が神術を使う。お前たちは時間を稼げ、振り落とされるなよ」


 神術とは一体何だ? と思った人間二人だったが、シャリアの足元にレリーフが現われたのを見て、この状況を打破する術があることを知る。


「くそ……力を使い果たしちまいそうだ! ……ソフィー、情けねぇが少し代わってくれないか?」


「わかりました! タイミングはまかせます!」


 英知の杖を持ち、魔法の詠唱を始めるソフィーナ。


「よし、いくぞ! 一、二、三、それっ!!」

「シェル・ガーディアッ!!」


 最強の盾が妖精たちを押し返した瞬間に結界は消え、少しの間だけ無防備な状態をさらけ出す。だが次の瞬間にはソフィーナの魔法が新たな障壁しょうへきを張り、魔黒竜を包み込んでいたのである。


 完璧と思われた交代だった。が、そのほんの一瞬のすきを突いて、何体かの妖精が入り込んでしまったのである!

 あっと思う間もなく、妖精たちはユリウスにも、ソフィーナにも、神術を唱えているシャリアにも目をくれず、ファーヴニラの巨体を攻撃し始めた!


「休んでる暇も無いってか!」


 剣を抜き、無心で魔黒竜の背をつついている妖精相手に剣を振るユリウス。斬るのは容易たやすいが、その数が多すぎて対処しきれない。

 見る見る槍で突かれた部分が変色し始めた。


──グオォォッ!


 自分の背中が石化し始めたのを感じたのだろう。ファーヴニラは雄叫びを上げ、ぐらりとバランスを崩した。


(どうしようっ! このままだと……でも、やってみるしかないっ!)


 英知の杖に精神を集中させていたソフィーナは、別の魔法の呪文を唱え始めた。

 異なる二つの魔法の二重詠唱である。


 連続魔法とも呼ばれるこのすべは、上級者でも難しいとされていた。

 相性の良い術同士ならまだしも、例えば火と水など相反する術同士の二重詠唱は極めて難易度が高いと言われている。失敗すれば術が発動しないばかりか、術者へ全て返ってくるという危険な代物だったのである。


「エアロ・スライサーッ!」


 それでもソフィーナからは術が放たれ、妖精たちを切り刻み吹き飛ばしたのだ。


(できたっ!)


 喜んでも居られない、すぐに障壁へと意識を維持しつつ、次の呪文を唱える。


「キュア・ディスベルッ!」


 ファーヴニラへ状態回復の呪文がかかる。石化が解け、なんとか飛行体勢を持ち直し出す。ソフィーナの方はいちじるしく魔力と精神力を消耗しょうもうし、その場へとへたり込んでしまった。


「無理し過ぎだぜ! 俺に任せろ!」


 ようやく全ての妖精を片付けたユリウスは、駆け寄ると魔法障壁を破りつつある妖精たちへ向け、盾を構える。もうソフィーナに障壁を張る力は残されていないだろう。あとは自分だけで、いつまで防ぎ切ることができるのか……。



「もうその必要はない! ──開け異空の扉……。秩序と空間の主『アエリアス』に従い、今全てを飲み尽くさん!」


 シャリアの足元のレリーフから、凄まじい量の魔力が放出された。放出された魔力は飛行中のファーヴニラ後方へと集中し、やがて黒い球体を作り上げる。


 いや、それは球体ではなく、空間に空いた穴だったのだ。

 ポッカリと空いた穴はいなずまび、次第しだいに巨大化していった。


「全力で飛べ! 力尽きれば飲み込まれるぞ!」


 シャリアの言う通り、黒い穴は周囲の物を吸い込み始めたのである。飛んでいた妖精たちは勿論、地上に生えている巨木さえも引き抜かれ、簡単に引き寄せられていく。ファーヴニラは引き込まれまいと懸命に羽ばたき続けた。


(ファーヴニラ様、がんばって! あぁ……神様……!)


 魔黒竜の背にしがみつきながら、ソフィーナは必死で祈っていた。


 一方で、ユリウスは異空間へと飲まれていく妖精を見ながら別のことを考える。


(凄まじい威力だ、 確か『神術』と言っていたな。こんなもんを使われた日には、人間なんぞに勝ち目はねぇ……!)


 魔王軍とシャリア。そして、今自分が助けようとしている軍師のアルム……。

 今は休戦中でも、戦わなくてはならない日が来るのだろう。


 その時、自分は戦えるのだろうか、勝ち目はあるのだろうか?


(……なぁ親父たち、あんたらならどうした?)


 じっと最強の盾を見つめ、握りしめる。まだ障壁にしがみつく妖精らに向け気を込めると、風に舞い散る花びらのように離れていき、異空へと飛ばされていった。


 妖精を全て飲み込むと、黒穴は小さくしぼみ、消えていった……。


「他愛もない」


「ようやく団体様も、お帰り遊ばしたってわけか」


「わ、私たち、生きてますよね? ……ふぅ」


──まだだ! まだ私の尻尾にしがみついているぞ!


 三人が安堵あんどしたのも束の間。言葉通りにファーヴニラの後方へと向かうと、そこには一体の妖精がしがみついていたのだ。


「あの様子ではすぐ振り落とされるだろう。放っておけ」


 皆が安全な場所へ戻ろうとした時、妖精から声が。


『待ってくれ! セスッ! そこにいるんだろ!? ボクの話を聞いてくれ!』


「先生のお知り合いでしょうか? 敵意は見られませんが……」


 取り出されたセスは魔法を解かれる。

 事情説明を受けると竜の尾に目を凝らした。


「ヴァニラ? お前『弱虫ヴァニラ』なのか!?」


『そうだよっ! 早くここから引き上げてくれ!!』


 セスは飛んでいくと、かろうじてしがみついていた妖精を引っ張ってきた。


 このヴァニラと名乗る妖精。今は目が赤く光っておらず、羽根も大きくはない。代わりに全身ボロボロであり、まともに飛べる状態ではなかった。


「はぁ……はぁ……。よ、よかった! 何とかここまでこれた……!」


「ヴァニラ……どうしてお前なんかがここに」


 ようやく息を整えたヴァニラは、疑心の目を向けるセスに顔を上げた。


「ボクもこのまま連れて行ってくれ! 薬の作り方なら、ボクが知ってる!」

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