涅槃(ねはん)


 魔王軍軍師アルムが倒れたことにより、休戦協議は中断となってしまった。

 相互不可侵と通行規制緩和を確認できただけ幸いか。


 しかし何よりも心配なのはアルムの容態ようだいだ。魔王軍側にとっては大黒柱の危機である。救護にはヴィルハイムの医者ではなく、魔王城から態々わざわざ医療班を呼び寄せてあたらせている。魔王軍側の強い要望によるものだ。


 休戦協議に参加した騎士と魔王軍の面々が待つ中、時間は刻々と過ぎていった。

 夜も大分遅くなったところで、騎士たちは一人、また一人と去って行く。

 皆、ヴィルハイムを支える重鎮じゅうちんである、油を売っているわけにはいかないのだ。


「若も休まれては? アルム殿が目を覚ましたら呼びに行かせます」

「……大丈夫だ、もう少し待つ」

「明日からの公務に支障が出ますぞ。後は医者や身内方に任せるべきです」

「……」


 バッチカーノに言われるも、ユリウスは中々動けずに居た。アルムのことが心配というのもあるが、魔王軍の女たちは患者の容態がわかるまで動かないつもりだ。それを自分だけ休む訳にもいかないのだろう。


「どうしてここに! 城で何事かあったの!?」


 不意にファラが声を上げた。

 見ると魔王城に残っていた筈のサディが、こちらへと歩いてくるではないか。


「サボりじゃないわよ。おじいちゃんたちだけじゃ心配だから、付き添い」

「アルムが倒れたというのは本当なんか!?」

「一体何があったんじゃ?」


 サディはドワーフのミーマたちを転移魔法陣で連れて来たのだ。

 いや、ドワーフたちだけではない。


「ソフィー!? どうして貴女まで!?」

「アルム様のご身内が必要と聞いて……その……私も付き添いを……」


 ソフィーナがそう言うと、突然妖精フェアリーのセスが姿を見せる。


「っ!!妖精フェアリー!? まさか、貴女が……?」


 初めてセスを見たキスカは驚き、更にはソフィーナの部屋に住んでいる事を聞かされ二度驚かされた。だがそこはキスカであり、すぐに落ち着きを取り戻す。

 

「…………アルムは……?」

「詳しいことはまだわからないわ。みんなここで待っているの」

「……そう」


 不安に満ちた顔で、セスは言葉を出すのがやっとだった。


(……あたしのせいだ……あたしがアルムに辛くあたったから……)


 セスの移した視線の先、シャリアが無言で座っていた。目が合ってしまったが、シャリアの方から顔をそらし、目を閉じる。罪悪感を感じつつ、セスも顔をそらした。


ガチャリ


 開かれた扉へ、皆が一斉に顔を向ける。

 魔王軍医療班の第一人者、耳長亜人のココナが出てきたのだ。


「あー……今からあたしの言うことを落ち着いてよく聞いてくれ。患者の容態だがさっき落ち着いたところだ」


 この言葉に、一同はひとまずホッとする。


「できれば患者には誰とも会わせたくない。本人も目を覚ましていたら同じことを言うだろう。しかしあたしから話したいことと聞きたいことがある。だから絶対に患者を見ても驚かず、絶対に大声を上げないと約束できる者から入ってこい」


 ココナに先導され部屋に入ると、まずツンとした匂いに気付いた。

 これにシャリアやハルピュイアたちは思わず口元を覆う。


(ア……アルム……)

(こ、こりゃ、なんとしたことじゃぁ……!)


 そして一同は、医療器具をほどこされ透明なテントの中で寝かされている患者に絶句ぜっくする。

 蒼白そうはくとなったアルムの顔には、不気味な黒い斑点はんてんが付いていたのだ……。


「息苦しそうだったので呼吸補助器を付けこういている。病名がわからなかったので身体外観や体液についても調べさせて貰った」


「身体外観……それに体液って、いや~ん」

「……馬鹿」


 サディのおふざけにつられ、何人かは顔を赤らめる。


「あー女子共、体液と言っても血液とかだからな? ……それで病の原因だが、結果としてよくわからなかった。一見いっけん毒に近いがそうでは無く、細菌でも無い。外傷も殆ど無い。しかし発病のきっかけは過度の精神的負担や過労だと見ている」


(……アルム……)


「ココナさん、アルム様は助かるんですよね?」


 今にも泣き出しそうなセスに耐えきれず、ソフィーナが尋ねる。


「病名がわからぬことには治療の方法が無い。そこでだ、患者の身内は居るのか? 以前にも同じ症状しょうじょうが出たことはあるのか? 何か持病持ちなのか? 肉親が似た病気を持っていたりはしなかったか?」


 ここでドワーフたちは、アルムの両親について説明し出した。


「母親は晩年、随分とき込んでおったの。エルフの血を引くものはエルフの里を離れると長く生きられんそうじゃ」

「だがおかしくはないか? 仮にそれが原因だとして、カーラは随分と綺麗な死に顔じゃったぞ? 斑点なぞ付いておらんかったではないか」


「今朝方苦しそうな軍師様を見掛けましたが、特に咳き込んではいませんでした。大丈夫だと言いつつ、すぐ歩き出したので心配ないと思っていたのですが……」


「ふむふむ……」


 ドワーフたちやセレーナの証言を、ココナはカルテに書き込んでいく。


「きっと勇者の呪いじゃ……勇者は異世界から来た悪魔だったんじゃあ!」

「馬鹿を言え! まだお前は酔っとるんか!」


「いや、それはないな。呪術のたぐいかどうかも調べた。他に誰か、どんな小さなことでもいい。知っていたら教えて欲しい」


「……あたしのせいだ」

「ん?」


 セスが口を開き、皆の視線が集中する。


「……あたしがアルムに酷いこと言って、離れたから悪いんだっ!」

「せ、先生……」


 セスは両手で顔を覆い、ついにわんわんと泣き出してしまった。

 ココナは困り果て、ペンで頭をかく。


「患者のエルフの血は薄いそうだが、身体的特徴はこの通りはっきりと出ている。先祖返りなのかもしれんが、一概いちがいにそうとも言い切れない。エルフも異世界人も、医学分野では未知の存在だ。その混血ともなると手に負えぬかもしれん……」


「魔法では治せないのか?」


 ここでシャリアがようやく口を開いた。


「無理ですね。魔法での治癒ちゆは被術者の再生力を強制的に飛躍ひやく化させる理論です。下手をすれば患者の寿命を縮め、ショック死を引き起こす可能性まであります」

「ならばこやつはこのままにして置いて治るのか?」

「それは……」


 魔王に問い詰められ、ココナは返答にきゅうした。

 しかし流石は医学の心得ある者である。眼鏡を正し、静かに言葉を発する。


「このままでは三日と持たないでしょう」


「なんだとっ!?」

「そんなっ!!」

「嘘……」

「うおぉぉー! アルムぅぅぅー!!」


「貴様っ! 何とかできぬのかっ!?」


 シャリアがココナに詰め寄るも、先にユリウスが前に出ていた。


「おい医者の姉ちゃんよ!? 何とかアルムを死なせずに済む方法は無ぇのかよ!? 手に入らねぇ薬ならこっちでいくらでも用意するから何とかしてくれよっ!!」

「そんなものがあるならとっくに言ってるってのっ! 今は患者の病気を調べるのが先決だ! 魔王軍内で文献ぶんけんを調べて貰ってる! 今はその結果を待つしか無い!」

「その間に死んじまったらどうすんだよ!? くそっ……こうなったらとっつぁま、ヴィルハイム中の名医を呼んで片っ端から診せるんだ! 今すぐだ!」


 焦るユリウスに、バッチカーノが厳しい目を向ける。


「落ち着きなされ若! ……お忘れですか? 現在ヴィルハイムの医者は、その大半が辺境の村に出ていて居ないのですぞ?」

「っ!!」


 そう。ヴィルハイム辺境の村では原因不明の奇病が発生し、多くの医者が対応にあたっていたのだ。


「ならヴィルハイムの外でもいい、とびきり腕のいい医者はいないのか!? 連れて来れるなら城の転移装置を起動させても構わん! 俺が許可する!」

「……グライアス領にどんな病も治す奇跡の医者がいると聞いたことがあります。名を確かモーゼフ。大分昔に聞いた話しで今も存命かどうか……」

「グライアスだと!? いや、そんなこと言っていられねぇ! 今すぐにでも!」


「そのモーゼフの弟子が無理だと言っているのだがな!」


 発せられた言葉はココナからだった。


「それに御主人なら二十年前に死んだよ。表向きは病死になってるがそうじゃない、ルークセインの手先に消されたんだ。……同じ人間に殺されちまったよ」

「なっ!? ……くそぉっ!」

「なんということだ……」


 ココナは淡々とした表情で眼鏡を取ると、一同を見回す。


「とにかく、こちらもできうる限りの処置はほどこすつもりだ。一旦皆は部屋から出て行ってくれ。それから力自慢が何人か呼んで来い。患者を以前暮らしていた環境に戻したほうがいいだろう。そこの妖精。お前だけは残れ、ゲン担ぎだ」


 テキパキとした指示で皆が出ていこうとする中、キスカがシャリアに近づく。


「魔王様。私が一旦城へと戻り、軍師様を運ぶ者を連れて参りましょう」

「ふむ……わかった、任せる。セレーナ、水晶玉はあるか? 爺と話がしたい」

「はい、では結界の影響下から一旦外に出ましょう」


(アルム……ごめんね……ごめんなさい……)


 患者と医者、そして涙に暮れる妖精を残し、皆は診療室から出て行くのだった。



 この様子を先程から、誰にも気付かれずに見ていた三人が居た。

 三人は騎士でなければ魔王軍でもない。例のアスガルド三柱である。


 今こそ魔王軍の一大事。もし異界の魔王が存在し、今も干渉しているとすれば、何かしら行動を起こしてくる筈だ。そう考えていたのだが……。


「……あーあ、どうすんのさ。アルム君このままだと死んじゃうよ?」 


 そう言ってファリスはアエリアスを見上げる。


「きっと何か起きる筈です。あの軍師は今後も魔王軍にとって、必要不可欠な存在の筈……。彼を救うため何かしら手段を打つ筈です」


「それまでここで見張ってるってか? もし何も起こらなかったらどうすんだ?」

「そんな筈は……」


「可能性が無くはないぜ? 例えば、だ……。『異界の魔王の真の目的が、魔王軍に大陸を支配させること』ではなかったとしたら?」


「まさか……い、いやしかし!? ……成程、確かにありえない話では無いですね!ヴァルダス! 最近の貴方は随分とえていますね!?」

「へへっ、だろ?」


 お互い指を差し合う二柱に、ファリスはついて行けず「???」となった。


「……よくわからん。でもアルム君は治しちゃっていいってこと? じゃあ治す」


 そう言うと再生と創造の神は杖を振り上げたのだ。


「だから人間に干渉するなってのっ!」

「なんかよくわからんけど凄い偶発ぐうはつ的な奇跡がたまたま起きちゃって、アルム君は病気が治っちゃいました、ってことにすればいいじゃん」

「そんな無茶苦茶な話がありますか! 駄目です!」


 二柱から止められたファリスはブーを垂れ、杖を突きつける。


「……お前らには『ゆうもあ』のセンスが無い。そしてあたしはアルム君の苦しむ姿は見たくない。……じゃあの」

「あ、おい!?」


 ヴァルダスが止めようとするも、ファリスは姿を消してしまった。


「ったく。あいつガーナスコッチの一件があってからアルム贔屓びいきだよな」

「気持ちはわかりますけどね。と言うか、どちらかと言えば我々もそうでしょう」

「……ま、まぁな」


 アエリアスに言われ、ヴァルダスはやれやれと両手を上げるのだった。

 

 そして二柱は、散らばっていく魔王軍の観察を始める。


「魔王様? そちらは出口ではありませんよ?」

「……わ、わかっている! 何があるか見に行こうとしただけだ!」


 セレーナに連れられ歩く魔王シャリア。冷静を装っているが、内心アルムが心配で動揺しているようだ。


「んー、見張るなら軍師よりあのお嬢ちゃんか? でも裏があるようには見えないんだがなぁ」

「では、あちらはどうでしょうか?」

「むっ?」


 見るとそれは、ソフィーナを呼び止めるキスカであった。

 

「ソフィー、貴女に手伝って貰いたいことがあるのだけど、いいかしら?」

「はい、何でしょうか? お姉さま」

「私は今から魔王城へ向かうの。ところで貴女、転移魔法は使える?」

「この英知の杖があれば! 実は何回か練習してみたんです! お姉さまを魔王城まで送って差し上げれば宜しいのですね?」


 するとキスカは辺りに誰も居ないこと確認し、小声で話し始めた。


(静かに! ……いいえ、先にセルバで待っていて。後から私も行くわ)

(?? セルバで? 一体どうしてです?)

(そこで話すわ。この事は誰にも話しては駄目よ? いいわね?)

(え? は、はい……わかりました)


 不思議そうにするソフィーナを残し、キスカは外に出ていってしまう。

 傍で話を聞いていた二柱は、うなづき合うとキスカの後を追うのであった。

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