荒れる相互不可侵協議


 協議が行われる部屋に通されると、アルムはその圧倒的な広さに思わず目を見張った。

 その中でひときわ目を引いたのは、正面に設置されていた巨大な肖像画である。恐らくあれがヴィルハイム先代領主なのだろう。一部からは破天荒はてんこうな人物であったとの評価もされているが、描かれているのは正面を向いた騎士の厳格げんかくな表情姿だ。


 これからり行われる協議に対し「ここから全て見ているぞ」と言わんばかりの覇気はきが伝わってくる。


「今日はお前が中央に座れ。その方が都合良いだろう」


 シャリアに言われユリウスの正面へと座るアルム。テーブルの向こうには二十名ほどの男性が二列に分かれ、所狭ところせまししと着席している。そしてこちら側に対し奇特な視線を投げかけているのであった。

 アルムを除けば女性ばかりの魔王軍。その中でも幼い魔王の存在は、より一層の奇彩きさいを放って見えるのだろう。


「ではこれより、ヴィルハイム騎士団領と魔王軍の休戦協定を協議したいと思う。改めて、こちら側の代表はこのユリウス・エルド・ウル・ヴィルハイムが務める。ここにいる者たちは付添つきそい人、思うようにしぼりこめずこの人数となってしまった」


 騎士の中でもりすぐりの者や、その側近の者たちなのだろう。

 若い人間は少なく、武骨ぶこつ者といった老人の姿が目立つ。


「今回の協議は王都議会をかいさぬ臨時的なものであり、あくまで騎士団と魔王軍間だけの非公開協議であることはこの場の皆が承知している。大まかなこちらの要求を紙にまとめてきた、これから詳細しょうさいについて話し合っていこう」


 この言葉に、アルムは一礼する。


「ありがとうございます。改めて、魔王軍側の代表を務めさせて頂きますアルムと申します。本日は協議について私が一任されております。よって私の発言は魔王の発言であり、魔王軍の意向であるとお考え頂きたく」


 ヴィルハイム側から互いに顔を見合わせる者が出る。流石にあの幼い娘が話す訳ではないか、という反応だ。これに対し、魔王は特に気にも止めない様子。


「同じくこちらも要求をまとめて参りました。まずはお互いに要望内容の確認からと参りましょう」


 そう言ってアルムはユリウスと要求書の交換を行う。

 即座に双方、自分の代表のそばに集まり内容を確認するのだった。


(……なるほどな、まぁこんなところだろう)


 騎士側の要求内容を見ると、ヴィルランド及び他領への軍事侵攻の禁止が書かれていた。これは当然のことだと見ていたが、どういうわけかヴィルランド遠征軍の損害における賠償や、タルクやセルバからの魔王軍撤退も書かれている。


(軍師様、いくらなんでもこれは……)


 亜人あじんのセレーナが眉をひそめるも、アルムは平然としている。


(あくまでこれは要望に過ぎないから。これから話し合って調整すればいいさ)


 始めは興味なさげに一人ポツンとしていたシャリアだったが、やっぱり皆がコソコソ話し合っているのを見て気になったようだ。ヒョイと紙に目を通したところで声を上げる。


「なんだこれは!? 奴らは終戦処理と勘違いを……むぐっ」


(しっ! 静かにして! 向こうの心証しんしょうを悪くしたら駄目なんだから!)

(……気安く余に触れるなっ!)


 チラリとアルムがヴィルハイム側に目をやると、数人がシャリアの声に反応しただけで、それどころではないとまた視線を戻す。やはり向こう側もこちらの要求に対し疑問を抱えたようであり、表情が難色なんしょくしめしているのがわかる。


「……さて、そろそろいいだろうか?」

「はい、大丈夫です。ではヴィルハイム側から質問など、どうぞ」


 これに真っ先に手を挙げたのは、あの老将バッチカーノであった。


相互そうご軍事ぐんじ不干渉ふかんしょうとのことですが、こちらからすればエルランドへの軍事侵攻禁止と受け取って宜しいのですかな?」


「はい、差しつかえありません」


「そちら側からすればヴィルハイム領への軍事侵攻禁止となるわけですが、我らは王都に忠誠を誓った騎士です。もしも魔王軍が王都や他領へ軍事侵攻するならば、騎士団は彼らを守る盾として貴殿らと戦わねばなりませぬ。それがおわかりか?」


 騎士団との休戦は、人間側との休戦そのものだと言っているのだ。


「承知しております。魔王軍側からは、今後人間の街へ侵攻しないと約束します」


 部屋全体からどよめきが起こった。


(何をまいい言を!? アルムよ、正気か!?)


 視線を集中して浴びるアルムだが、言葉を続ける。


ただし条件があります。万が一、こちらが他領からの軍事行動を確認した場合、それに応じて専守防衛せんしゅぼうえいの行動をとります。この場合、騎士団側は軍事介入せず傍観ぼうかんを決め込んで下さい」


 遠回しに言っているが、要するにグライアス領が魔王軍側に攻め込んできた時、騎士団は彼らの肩を持つなということだ。


「皆、静まれ! ……話は大体わかった。もし本当に魔王軍が人間の街へ侵攻せず、領土をこれ以上広げないというのならその条件を飲もう」


「ユリウス様、そんな簡単に決めてしまって宜しいのですか!?」


「この上ない条件じゃないか。……大体、あの大砂漠を越えてこっちに攻め込もうなんて、大それた考え起こす領も無いだろうしな。それから今まで黙っていたが、実は勇者ノブアキ殿から魔王軍といざこざを起こさないよう言いつかってあるんだ」


『な、なんですと!?』

『それで今までエルランドに援軍を送らなかったのですか!?』

『なぜノブアキ様がそんなことを!?』


 ユリウスの言葉に誰もが驚いた。アルムも初耳であり驚愕きょうがくしている。

 ただ一人、それを見てユリウスはニヤニヤしていた。


「理由は詳しく聞いていないがそういうことだ。他に誰か意見があるか?」


 皆が唖然とする中で、バーバリアンの騎士が挙手する。


「私からは一点だけ。エルランドとヴィルハイムを結ぶ街道は今も閉鎖しておるのでしょうか?」


「はい。条件を設け、原則閉鎖の形をとっています。ですが早期に解く方向で調整したいですね」


 エルランド領では街道を閉鎖したことにより、物価が上昇して経済に打撃を与え始めていた。留まっている商人たちから強い解決要求を受けている案件の一つでもある。協力してくれている彼らやエルランド庶民しょみんらのためにも、早期に街道閉鎖は解いてやりたい。


 きっとこれは、ヴィルハイム側でも同じことが言えるに違いない。


「それを聞いて安心しましたわい。私からは以上です」

「他に意見はあるか? 無いな? 時間も惜しいし仮承認ということで次へ行くぞ」


 強引にユリウスが質問を打ち切ってしまった。魔王軍側としてはありがたいが、まさか早くキスカとの婚姻こんいんを発表したくて焦ってるのではないだろうか。アルムにそんな考えがぎった。


「次の項目の『行方不明者捜索への協力』について詳しい説明を頂きたい」


 一人の老人が手を挙げる。

 これに対し、アルムはラフェルの行っていた強制逮捕について語り出した。


「ヴィルハイムの騎士方々にも是非聞いて頂きたい! どうして私が魔王軍に協力しているのかを! どうしてエルランド主要都市を占拠したのかを!」


 もう幾度と他人に話した内容を、アルムはヴィルハイムの騎士たちへ聞かせた。

 大魔道士ラフェルの行っていた不当逮捕、強制労働場への強制送還、非人道的な実験……。後にキスカやソフィーナの口から知ったことではあるが、この事実を知った者たちへの口封じも行っていたことを暴露したのだ。


 騎士たちは驚き、口々に騒がしくなる。


「この事実を王都議会へ提出したところでみ消されてしまうでしょう。現に公表すべく王都に向かった者は、ことごとく帰ってきませんでした。しかしヴィルハイム側からもこの問題にたずさわって頂けるのなら、話は変わってくることでしょう」


 アルムが一通りの話を終えた時、騎士団側から声が上がった。


『信じられぬ! あの大魔道士ラフェル様がそんなことをする筈がない!』


「そうだ、そうだ!」と同調する声も出始めたではないか!


「私も始めは信じられませんでした。しかしこの身で受けた事実でもあり、被害を受けた多くの人も存在しています! 彼らは我々魔王軍の手で、ラフェルの呪縛じゅばくから救い出したのです!」


 必死にアルムは訴えるも、声は大きくなるばかりだ。


『そんな話聞いたこともない! 我々の耳に一切入ってこないのが嘘である証だ!』

『そもそもラフェル様はどうしたのだ!? お前たちが殺したのか!?』

『話が本当だと言うなら、我々の納得できる証人を連れてくるべきでしたな!』


 アルムの話に唖然としていたユリウス。ようやく我に返り周囲を静まらせようとするも、騒ぎが収まる気配が一向にない。

 ヴィルハイム領とエルランド領。二つの領は長きに渡って交流があり、現在でも騎士団側が師団を送るほどの固い絆で結ばれている。皮肉なことだが、外面そとづらだけは良かったラフェルの行動が実を結んだ、厄介極まりない置き土産だったのだ……。


 そんな中で、キスカが発言をすべく手を挙げようとする。


(駄目よ、ひかえなさい)


 これを即座に、隣りに座っていたセレーナがはばんだのだ!


「何故止めるの!?」


(貴方は大魔道士の縁者だった立場として発言するつもりなのでしょう? 今ここで話したら、それこそ収集がつかなくなるわ)

(ラフェルの弟子だった私が証言すれば、わかってくれる人も出てくる筈よ!)


 他にどんな方法があると言うのだ? そう言わんばかりのキスカだが、セレーナはキスカの手を掴み続ける。


(それでも駄目。これは軍師様から言われている事でもあるわ。忘れたの?)

(……)

(もう一度自分の置かれている立場を考え直して頂戴)


 眼鏡を正しながら小声で告げるセレーナに、ようやくキスカは大人しくなった。


ドンッ!


『皆様、ご静粛せいしゅくに! これでおわかりになったでしょう? 如何いかにこの協議が無意味なものであり、魔王軍側の謀略ぼうりゃくに過ぎなかったかということが!』


 突然一人の若い男がテーブルを叩き、声を上げたのだ。

 この言葉に一旦は騎士団側も静まり返るが、ユリウスは厳しい表情を見せる。


「ミッツェル! お前に発言を許した憶えはないぞ!」


(あの男がミッツェルか!)


 見ると如何にもズルしそうな男である。

 ミッツェルはチラリとユリウスを見るも、言葉を続けた。


「いいえユリウス様、これはヴィルハイム騎士団の名誉にも関わることなので発言させて頂きます。そもそも何故正面から戦ったこともない相手と休戦協定など結ばねばならないのですか? 相手は魔物をべる、あの魔王軍なのですぞ?」


「魔物とは協定を結べない、そうおっしゃるのですか?」


 言葉を返すアルムに対し、ミッツェルは小馬鹿にしたような表情を浮かべた。


「当然でしょう。過去に魔王軍が何を行ったか、そんなことは言うまでもない事実です。ユリウス様、騎士の皆様、目を覚まして下さい。魔物と協定を交わすなど、アスガルドへの反逆はんぎゃくそのものですぞ?」


「ミッツェル! お前は騎士団を裏切り者呼ばわりするつもりか!?」


「そうならないために申し上げているのですよ! ……思い出して下さい、魔王軍が我々に対し何をしたのか! ヴォルト遠征師団が奇襲をかけられ、大勢の死者が出たではないですか! これは捕虜から帰ってきた者の証言による動かぬ事実です!」


 これに言葉を返すべく、アルムは即座に手を挙げた。


「師団を襲ったのはセルバ攻略の妨げになると判断した結果であり、騎士団側への敵意はありませんでした。その証拠に、戦没者全ての名前と遺品の一部を用意してあります。セレーナ」

「はい。必要あれば全てそちらにお渡しできます」


 セレーナは紙を数枚騎士団側に手渡し、カバンを取り出すと中を開いて見せる。

 そこにはペンダントやブローチ、紋章、歯や骨の一部が収められていた。


「い、一体どうやって!? 一人一人名前を聞いて回ったわけでもあるまい!?」


 バッチカーノが堪らず声を上げる。


「死者の声を聞いたまでのこと。人間の騎士様、我々魔族には人間にできない事をやってのけることも可能なのですよ」

「死者の声、とな……むう……」


 眼鏡のふちを光らせ話すセレーナに、老将の騎士は信じられぬと頭を抱えた。


「……ふん馬鹿馬鹿しい。例えそれが本当だったとしても、遺族の怒りや悲しみが収まるとでもお思いか?」

「ミッツェル殿、貴方の方こそ思い違いをしている。我々は終戦処理をしている訳ではない、休戦の話をしているんだ」

「お話にならないと言っているのですよ。……騎士の皆様も知っているでしょう? 魔王軍は死者を兵としてよみがえらせ、人間と戦わせる道具にしているということを! そんな外道なやからとの話し合いなど、私なら御免だ」


(ファラ抑えていろ。面白い男だ、喋らせてやろうではないか)

(……はっ)


 魔王軍に対し愚弄ぐろうする言葉を吐く人間に、殺気むき出しのファラ。

 これを珍しくシャリアが止めに入るも、ミッツェルは席を立ち、部屋を出ようとし始めたではないか。


「待て、ミッツェル! どこへ行く気だ!?」

「これ以上の話し合いなどできません、時間の無駄ですので帰らせて頂きます」

「勝手な真似は許さぬぞ!」


「……さてはこの場から逃げるつもりですか、ミッツェル」


 アルムは着席したまま、静かな声でそう話したつもりだった。

 しかし、場の空気は一瞬にして静まり返ったのである。


「……なんだと?」


「話されて困ることがあるから逃げようとした、違いますか? お察しの通り、我々は死者の声だけでなく生者の声も聞くことができるのです。例えば、貴方と交流の深かったタルクの商人『ドル』のことであるとか」


 ドルの名前を聞き、表情が一変したのをアルムは見逃さなかった。


「ミッツェル殿。これはそのドルから聞いたのですが、貴方は元々グライアス側の出身らしいですね?」

「……それが何か? 騎士団領では周知の事実です」

「ドルの話では、ラフェルがセルバで捕まえた人間を引き取る側がいたそうです。その中心人物の名前に貴方が上がっています。これはその証言記録です」


 どよめきが起こる中で、アルムは紙をひらひらと振ってみせる。

 慌ててミッツェルは駆け寄ると、その紙を取り上げた。


「ミッツェル! その紙を破れば厳罰にしょすぞ!!」

「ユリウス卿、彼に差し上げますよ。どうせ写しですから」


 紙を破ろうとしたミッツェルだが、震える手で書かれている内容に目を通す。


「どうです? 貴方がグライアス領領主、ルークセインの手先であることをほのめかす供述きょうじゅつもありますが?」


 暫し顔を真っ赤にして紙を眺めていたミッツェルだったが、突然笑い出すと紙を放り投げた。


「ハハハッ! 馬鹿馬鹿しい! ここに書いてあるのは事実無根の内容ばかりですよ! そもそも私はこのドルという人物と面識がない! 何故ならタルクへ行ったことなど無いし、客として迎えたこともないのだから!」


「待てっ! おい! そいつを部屋から出すなっ!」


 遂にユリウスは立ち上がり、部屋のすみで控えていた騎兵らに命じる。

 扉から出ようとしたミッツェルは、たちまち囲まれてしまった。


「おっと私を拘束こうそくしたところで何の意味があるのでしょう? それよりユリウス様、魔王軍などよりグライアス領のルークセイン卿を頼られては如何かな? 私で宜しければ双方を取り持たせて差し上げますよ?」


「て、てめぇは……!!」


 もはや自分がルークセインの手先であることを隠さないミッツェル。

 悠々ゆうゆうと扉のノブに手を掛けたところで、それは起こった。

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