異界の住人たち


(……朝……か)


 日も昇らぬうち、魔王城の自室でアルムは目を覚ました。

 いや、正確には一晩中眠れなかった。


 理由は、言うまでもない……。



トントントン


「アルム坊っちゃん、起きてやすか?」


 リザードマンのマードルの声だ。一体こんな時間になんだろう?


「あ、坊っちゃん。ラムダ補佐官がお呼びでやす」

「ラムダさんが? 何かあったの?」

「いえ、見回りしてたらバッタリ会って。坊っちゃんが起きてたら連れてこいと」


 今日はヴィルハイム騎士団領へ出立しゅったつする日、会議はない筈だ。

 何か不都合でもあったのだろうか?


 素早くアルムは着替えると、マードルと共に部屋を後にした。


「それにしてもマードル、君らリザードマンが城内の見回りなんて珍しいね」

「へい、骸骨兵たちは前線に出てやすから。あっしらが交代でやってるんです」

「ルスターク将軍に言われたの?」

「いえいえ。リザード隊は現在休暇中なんでやすが、あっしみたいに動いてないと不安になる連中もいるもんでして。そういう奴ら集めて自主的にさせて貰ってるんでやんすよ」


 これは一種の職業病みたいなものだな、とアルムは思った。


「ところで坊っちゃん。最近セスの姿が見えないようでやすが?」

「……うん」


 話したくない話題……。だがそれでもアルムは誰かに聞いて欲しかった。こんな話しを聞いて貰えるのは旧友のマードルしか居ないだろう。丁度いいと思った。



「……どうして離れなきゃいけなかったのか、僕にはわからないんだ。……ずっと一緒に居られると思っていたのに……」


 歩きながらする話ではなかった。

 だがマードルは聞いてくれて、やがて口を開く。


「それはきっとセスが坊っちゃんを、一人の大人として認めたということでやす」


「セスが僕を大人と認めた? でもどうして僕と離れなくてはいけないんだ?」


「それはセスにしかわかりやせん。でも大人になるということは、出会ったり別れたりの繰り返し。生きとし生ける者は、そうやって成長していくもんなんでやす」


 言われ、アルムは母と別れた日のことを連想する……。


「あっしらは戦に身を置いてる以上、いつ永遠の別れが来るとも知れやせん。でもセスは死に別れたわけじゃありやせんから、会いたいと思っていれば、いつかまたきっと会える日が来やすよ。だから坊っちゃん、元気だして下さい」


 旅して経験豊富な彼が言うと、なんとも頼もしげに聞こえる。


「……ありがとうマードル。でも死に別れは駄目だ、命は大切だよ」

「へい! でもそれを言うなら、坊っちゃんもですよ?」


 マードルに話してよかったなと、この時心からそう思えた。

 


 そして、城の地下にある通路にラムダ補佐官は立っていた。


「じゃあ、あっしは見回りを続けますんで」


 マードルと別れラムダに近づく。意味深に通路の真ん中に立たれていると、暗くなくても不気味なものだ。


「おはようございます、軍師殿」

「おはようラムダさん。僕に用事って何?」

「ついて来て下され」


 通路の突き当りに転送魔法陣が輝いている。先に歩き、魔法陣の前で立っているよう言われる。アルムが魔法陣の前に立つと、ラムダは近づき、素早く小さな箱の様な物を取り出した。


(あっ!?)


 ラムダが箱についているボタンを押すと、元来た道が白い壁に阻まれたのだ。

 前方と両側は壁。完全に転移魔法陣と共に閉じ込められる形となる。

 そして、青一色で光っていた転移魔法陣は、様々な色へと変化し始めた。


「ラムダさん、これは!?」

「飛び込んで下され!」

「う、うわっ!?」


 強引にそでを引かれ、アルムは光の中へ飛び込み、消えた。



「……アルム殿、どこに居られますかな?」


 真っ暗闇の中、ラムダの声が聞こえる。


「今、明かりを付けまする」


 ラムダが火の玉を作り出す。宙に浮いた火の玉は分裂し、散らばっていくと動きを止めて松明たいまつとなった。どうやら自分たちは少し広い部屋の真ん中に居たようだ。

 そこは実に奇妙な場所だった。ぼんやりとした灯りが筒状の空間の壁を照らし、円と線が混じった幾何きかがく模様もようを映し出す。何かの数式にも文字のようにも見える。だがこの世界の言葉でも、ましてやアルムの父が住んでいた世界のものでもない。


「アルム殿。手前が『異界の魔王』について話したことを憶えておりますかな?」

咎人とがびとと傾国の姫について話した時でしょ? でもあれは……」


 アルムが初めて魔王城を訪れた日。ラムダは『咎人と傾国の姫』についてアルムに話した。魔王ヴァロマドゥーに力を与えた『異界の魔王』の存在……。

 しかしそれは虚言だったと、後からラムダは確かにそう言った。だからアルムもあの話は自分の気を引くための作り話だったと納得していたのだが……。


虚言きょげんではありませぬ。異界の王は今もこちらの世界をうかがわれております。ヴァロマドゥー様の娘であるシャリア様を、今も見守り下さっておるのです」


「…………それで? 僕に何をさせる気なんだ?」


「実はこの間、王にアルム殿のことをお話したところ、直接話をしてみたいと申されましてな。どうやらアルム殿に興味を持たれたようなのです」


「……嫌だ、と断っても駄目なんだろう?」


 身構えるアルム、無理もない。

 ラムダは自分が異界の魔王から遣わされた存在だと話していた。今でもその魔王の臣下しんかなのだろうか?


「まぁ折角だし、会うよ。ところで『異界』というのは異世界のことなのか?」


「左様ですじゃ。ですがアルム殿の父君の居た世界とはまた別の世界です」


「そこは魔界みたいな感じなの?」


「ふむ……ちと違いまする。かく言う手前も魔界を実際見たことはありませぬが、全てがこの世界よりも超越ちょうえつしているという意味では同じ様なものでしょうな」


「超越している? 父さんやノブアキが居た世界よりも文明が発達しているの?」


 この問いに、ラムダはニヤリとした。


「はい、断言できまする。実際話されて確かめるのが早いでしょうな。ではご案内致しましょう」


 壁の一部から入口が現れ、ラムダはアルムを更に奥へと案内し始めた。

 細い通路を歩くこと少し、小部屋へと行き着いた。そこはやはり薄暗く、壁には大きな鏡が置かれている。よく見ると鏡の表面は波打っているようだ。


(まるで水みたいな鏡だ……)


「アルム殿をお連れしました」


 ラムダの声に、水鏡は突如とつじょ、奇怪で巨大な顔の姿を映し出したではないか!

 左右大きさが違う丸い目、髪の毛や耳は無く、顔の端まで裂けた口から鋭い牙が生えている。アルムが前に本で見た、異世界の南国部族の面にも似ていた。


 これがかつて魔王ヴァロマドゥーを誕生させた、異界の王だというのか!?


(いくらなんでも超越しすぎだろ……)


 横を見ると、何故かラムダも呆気に取られている。


──ご苦労。どうだラムダ、聞こえるか?


 奇怪な顔は、低い曇った声で話し出したのだ。


「え……あ、は、はい! で、ですがいつもとお姿が……。しかも声は聞こえますが、なんと言いますか……姿同様、まるで化け物のようでございますが……」


──ハッハッハッ! ならば成功だ。そちらに合わせた翻訳機が働いている証拠だ。


「翻訳機……な、成程」


──して、隣りにいるのが例のアルムという、異世界人とエルフの混血児か?


 混血児──この言葉にアルムは強い嫌悪感を示す。ラフェルから口悪く罵られ、蹴り飛ばされたことが、まだ昨日のことのように根強く心に残っていた。


──そう悪く思うことはない、混血というのは負い目ではないのだ。

──異種の血が混ざれば、それだけ可能性が増えるということ。

──現に我が配下にはお前のような者が大勢いる。皆、優秀な者たちばかりだ。


 フォローのつもりだろうか? 見た目とかけ離れた思わぬ言葉に、アルムは安堵あんどとも似た感情が芽生え始めた。


「異界の王、僕から聞きたいことがある。どうして貴方はこの世界に干渉と監視を続ける? どうして魔王を生み出し魔王軍に味方する? 貴方の目的が知りたい」


 正体が掴めぬ相手だと言うのに、どうしてだろか?

 次には聞きたかった質問が、アルムの口からすんなりと出ていた。


──始めはほんの気まぐれと同情に過ぎなかった。

──だが予想以上にこの世界の大陸は、理不尽なことであふれかえっていたのだ。

──それというのも、この大陸の神の怠慢たいまんが生み出したことだ。


「神の怠慢、とは?」


──無論、異世界から文化や知識を強引に取り寄せたことに他ならない。

──この世界のことはこの世界だけで解決すべきだ。フェアではないからな。


 だから魔王軍に力を貸し続けている、と言うのか?


──しかし、いつまでも私がこの世界へ力を貸し続けることはない。

──もしお前たちが異世界の勇者を倒したあかつきには、我らも干渉を止めるだろう。


 この言葉を聞いて、アルムは異界の王に対し、とある疑念を抱いた。


「……貴方の話には理解できた。魔王軍への助力、それに関しては僕も大いに感謝すべきだと考えている。でも今の話は本当か? 勇者を倒すことができたら、本当にこちらの世界と縁を切ることができると約束できるのか?」


 無償の異世界干渉などありえない。普通なら何か見返りを要求したり、こちらの世界へ侵略をくわだてようとするのが筋ではないか?


──ラムダから聞いていなかったか? 我らの世界は全てにおいて進歩している。

──それに強引な干渉は他の世界にも影響を及ぼし、崩壊の引き金にもなるのだ。

──我はただ、乗りかかった船を最後まで見届けたいだけなのだ。


「……」


 それでも今ひとつ納得できないアルムに、横に居たラムダは慌てた。


(アルム殿……余り機嫌を損なわせるような質問はお控え下され……)


──聞こえているぞ、ラムダよ。


「ひ、は、ははぁ!」


 ラムダがここまで平伏するとは。少なくとも目の前の奇顔はシャリア以上の力を持っているに違いない。想像を絶する。


「シャリアに魔王としての教育をほどこしたのも貴方なのか?」


──そうだ。今でも実の娘のように思っている。

──どうやらお前は、あの娘にとって良い影響を与えているようだな。


「……えっ?」


──そろそろ時間が来たようだ。今日はお前と話せてよかった。礼を言う。

──これからも、あの娘のことを宜しく頼むぞ。


 壁の水鏡が激しく波打つと、巨大な奇顔は姿を消し、何も映らなくなった。

 それと同時にラムダはホッとする。


「ラムダさんはさっきの人物と、今までずっと連絡を取り合っていたんだね」

「はい。この城の技術もほとんどあちらの世界のものを流用しておるのです」

「成程ね……。魔法も科学も、アスガルドや異世界より発達した世界か……」


 歩きながら考えるアルムに、ふとラムダは顔を覗き込む。


「ご存知とは思いますが、ここでの話しは一切他言無用ですぞ?」

「わかってるよ。とても誰かに話せるようなことじゃない」


 異界の王、少なくとも今は敵ではないようだ。だがどうしてもアルムは今ひとつ納得ができていない。ラムダという人物を派遣してまで、この世界を監視し続けている理由が、本当に同情と厚意こういからだけなのだろうか……?


(目的があるとすれば、何だ……? ……駄目だ、わからない。全てが超越した世界の存在の考えなんて、わかるはずない……。うっ!?)


 突然、アルムは鋭い胸の痛みを感じ、その場にかがんだ。


「アルム殿? どうされたのです!?」

「……なんでもないよ、大丈夫」


 先を歩いていたラムダが慌てて駆け寄るも、何とかアルムは歩こうとする。


「疲れが溜まっておるのかもしれませんな。ヴィルハイムへ向かう前に、一度医療担当のココナにて貰っては?」


「大丈夫だよ。それにこれからタルクへ行かないとね」

「無理は禁物ですぞ。もはやアルム殿の体は、一人のものでは無いのですからな」


 心配しているのか、プレッシャーを与えているのかと、思わず苦笑するアルム。

 再び城に帰ってくると、胸の痛みは嘘のように無くなっていた。

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