禁忌とされた救い
夕刻となり、キスカは物思いに
街中を堂々と歩ける身ではない。人目につかぬ裏道をただ
(…………)
ユリウスが帰った後、彼女の心にはポッカリと穴が空いたようだった。
どうしてあの時何も言えなかったのだろう。
どうして一緒にヴィルハイムへ連れて行ってくれと言えなかったのだろう……。
(……そんなこと、言えるわけがないじゃない)
後悔の念を振り払うように、諦めるよう自分へ言い聞かせる。浮かんでは消える思いに、ただ辛くて悲しくて、涙が出そうになった。
死ぬことは覚悟していた筈だ。だがユリウスの一言で、自分を想ってくれている相手がいると知ってしまったことで、覚悟が
(こんなことでは神具を
ふと後ろで物音がし、振り向くとローブ姿の人間たちがこちらを見ていた。後をつけていたのだろうか? 通り魔なら丁度いい、このまま自分を刺殺してはくれないだろうかと
「あっ……」
「貴女たち……」
ローブの者たちはキスカと目が合うなり、小さな声を上げて逃げるように立ち去ってしまった。一緒にラフェルの元で仕えていた魔道士の卵たちであった。
心配で後をつけていたのだろう。思えば自分が行き倒れになっていたのを助けてくれたのも彼女たちだったのかも知れない。声を掛けられなかったのは、魔王軍の監視がどこに潜んでいるかわからないからか……。
「……」
このまま歩いていても誰かと出会う度、寂しさが
今日はもう自室で大人しくしていよう。そう思った時、どこからともなく楽器の音色が聞こえてきたのだ。
(誰が弾いているのかしら?)
優しく、気が落ち着くようなその音に誘われ、キスカは自然と足が向く。
そしていつしか、セルバの中央広場へと来ていた。
(あの人だわ……)
琴を弾いていたのは背の高い年の近そうな男だった。身なりはお世辞にも良いとは言えず、隣には汚れた布を被った背の低い連れがいる。
吸い寄せられるようにキスカが男へと近づくと奇妙な事に気づいた。破壊された勇者たちの像の下で琴を弾いているのだが、こんなにも綺麗な音色なのに誰も足を止めないのだ。
キスカが男の前で音色に耳を傾けていると、やがてその演奏は止んだ。
「……静聴ありがとうございます。我らは旅する伝道師の
落ち着いた静かな声で男は話す。
「……腹減った」
そう言って隣にいた妹らしき者が、じろりとこちらを見上げてくる。
(可哀想に……何も食べていないのかしら)
「行く先々でこうして音を
「……なんかくれ、ねーちゃん」
小銭なら少しあっただろうか。キスカが携帯ポーチを開けようとするも、男がそれを制止する。そしてキスカの顔を見つめながら近づいてきた。
「貴女はとてもお優しい方ですね。今もこうして私の話を聞いて下さっている」
「い、いえ、そんな……。とても素敵な演奏だったので、つい……」
「そんな優しい心を持つ貴女でも、今はどこか
「そ、それは……」
そんな顔をしてたつもりはないのだが、表情に出ていたのだろうか。
「それはきっと、貴女自身が神様とうまくいっていないと感じているからです」
話が怪しい方向へ進んできたなと感じ、男が伝道師であったことを思い出す。
普段熱心な信仰者ではないキスカであったが、この時ばかりは男の言葉を素直に受け入れることができた。本心を言えば救いが欲しかった。自分のやるべきことを導いてくれる、ほんの僅かでもいい、救いが……。
「神と対話せよ!」
突然男が声を上げ、キスカは驚く。
なぜかこの瞬間、男の妹は口元を押さえ顔を
「神様とどうお付き合いするか? まずは神様とお話をすることです。言葉にしなくとも構いません、言葉にならないことでも神様はお受け止め下さるのです。楽しかったこと、嬉しかったこと、嫌なことや詰まらない
「神様に愚痴だなんて……」
「始めは何でもよいのです。誰しも生まれた時から言葉は話せないでしょう?」
「あ……」
「始めから神様を『神様』と認識できる人だって、まず存在しない筈です。そして何度も対話を重ねるうちに、神様と何を話すべきなのかがわかってくるでしょう。そこから神様とのお付き合いは始まるのです」
とても不思議な男だ。どこまでも澄んだその瞳に吸い込まれそうになりながら、キスカは言葉を受け止め続けた。
「これを差し上げます。神様と仲良くなるための手助けとならんことを、
「……もってけドロボー、ラーメン」
「神々はいつもあなた方と共にあります」
男から手渡されたのは一冊の古い汚れた本だった。こんなものでも貧しい者にとっては一財産だろうに。
ただで受け取るのもどうかと思い、遠慮しようかと顔を上げ、ハッとする。
目の前には誰も居なかった……。
その夜、キスカは男から貰った本に目を通していた。
『
(今まで読んだことのない種の本だわ……)
著者は独自の観点から神々の伝承について述べ、他の神学書では書かれていなかったことまで記していた。筋が通るものがあれば、少々疑問に残るものまで様々である。元々アスガルドの神々は八柱でなく、太古は十二の柱で大陸が支えられていたなど、僧侶の耳に入れば怒りを買うような内容まで書かれていたのだ。
目を通しながら、ふとした言葉にキスカは目を留めた。
──人は神の前で偽ることはできない、よって自ら真実を晒すべきだ。
──これはいかなる世界のいかなる神の前であっても変わることはないだろう。
読み進めていくうち、気付けば夜もふけ眠りへと落ちていた。
次の日の朝、キスカは英知の杖を持ち、セルバ西側にある森の中へとやってきたのだ。今までの経験から、
(……)
目を閉じ、気を静めて昨日読んだ本の内容を思い出す。
自ら真実を晒せ、と──。
(私の真実……)
思えばここ何日も、どうすれば神具が扱えるか、それだけを考えてきた。
どうすれば神に認めて貰えるか、ただそれだけを探してきたのだ。
(私の……)
寸でのところで拾った命。しかしそれも、もはや
疲れ果てた体ごと、刈り取られるのを待つばかりなのか……。
(私は……)
絶望の
ユリウスとの再会、そして……。
(……まだ、私は……死にたく……ない……)
ここでキスカはようやく気がついた。自分は元々死にたくなどなかったことを。
自分に好意を持ってくれていた相手の存在を知り、愛を打ち明けられたことで、やっとそれに気付けたのである。
英知の杖に力を込めるその腕は震えている。
怖いのだ。
また今度失敗し、すべての希望を絶たれるのが恐ろしいのだ。
(……嫌よ……怖い……私はまだ死にたくなんかない……っ!)
頬から涙が伝い、思いは言葉となっていた。
「お願いっ!! 生きる希望が舞い込んできたの! まだ死にたくないのっ!! 」
──ならば
どこからともなく聞こえてきた声。辺りは時が止まったかのように静まり返り、風すら感じなくなっていた。
そして次の瞬間、英知の杖から膨大な魔力が吹き出してきたのだ!
「うあっ……!」
世界が回るような感覚を覚え、全ての雑念が振り払われていく。空っぽになった自分へと、ありとあらゆる様々な情報が飛び込んできた。
やがて落ち着きを取り戻したキスカに、驚きの反応はなかった。事あるもの皆が事象とし、客観的に捉えることができる。これまでにないくらい清々しい気持ちが沸いてくることさえ感じたのだ。
「私……やったの……!?」
遂に自分は英知の杖をものにすることができた。
この気持ちをまず誰に伝えようか、それは決まっていた。
(おはようソフィー、今どこにいるの?)
──おはようございます、自室のベッドの上です。今起きたところですけど……。
(なら、その場から動かないで頂戴)
キスカが杖に魔力を込めると、その場から姿が消えた。
「お姉さま……!?」
突然現れたキスカに、ソフィーナはまだ夢でも見ているのかと目を
「夢ではないわ。私、ついにできたのよ!」
「っ!! お姉さま!!」
ベッドから転げ落ちそうになりながら、ソフィーナは飛びつき涙を流す。そして二人で喜びを分かち合った。長かった雨がようやく止み、晴れ間をのぞかせた瞬間であった。
「でも、一体どうやって神具を扱えるようになったのですか?」
私室でお茶を飲みながら、キスカは昨日の出来事を話した。
「それは不思議な体験でしたね。その伝道師は何者だったのでしょう? 神様?」
「わからないわ。でも私にとっては救いの神そのものね」
そう言ってテーブルの上に、昨日伝道師の男から受け取った本を置いてみせた。
ソフィーナは本を手に取ると、興味深そうに開く。
「誰の本でしょうか……どこかで聞いたような名前の本ですけど……」
「そうなの?」
著者の名前を見つけ、ソフィーナは言葉を失った。
「どうしたの?」
「……思い出しました。これ、何年も前に発行禁止になった本です」
「本当なの?」
「はい。この著者の人、ラカールの異端審問裁判にかけられて以後、本を書くことを禁じられたんですよ」
「な、なんですって?」
だが確かに、この本がキスカの手助けとなったことは紛れもない事実だ。
どこで何が救いになるのか、神の
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