再会


「……はっ!」


 キスカはベッドの上で目を覚ました。寝ていたのが自分の部屋では無かったが、どうしてここに寝ていたかはすぐ見当がつく。


 また自分は英知の杖を使おうとし、倒れたのだろう。


「ん、起きたか。具合どう?」


 メガネを掛けた耳長の亜人が近づいてきた。


 彼女の名はココナ、魔王軍内で新たに医療班として配属された亜人である。

 既にキスカにとっては馴染みの人物となっていた。


「……私はどのくらい眠っていたの?」

「正確にはわからない、でも発見されてから一日は経ったね。近くを通りかかった人間の魔道士たちがあんたを見つけたんだよ。運が良かったね」

「ここはどこなの?」

「セルバの街の民家。倒れたあんたのためにわざわざ家一つを間借りしてる」


 キスカは段々と記憶が蘇ってきた。色々と場所を変えて神具を試してるうちに、どんどん南下してセルバの近くまで来ていたようだ。


「その人間の魔道士の子たち、あんたのこと知ってたみたいだ。引き離すのに苦労したよ。でもあんたの身柄はこっちで預かってるわけだし、仕方ないね。はいこれサインして。規則だから」


 書類を数枚手渡される。

 そのうちの一枚はセルバ市長マルコフへと届くのだろう。


「人間の体はあたしらよりヤワい。これ以上倒れ続けるなら命の保証はできないね。でも魔王様の命令だし、あんたを止めることはできない」

「……もう私は死んでるのも同じなのよ。次は放っておいてくれても構わない」


「残念だけどそれ決めるのもあたしじゃないんだな、これが。ただね、あんたが倒れると迷惑をこうむる他人もいるってことは自覚して貰いたいな。あたしは勿論もちろん、あんたを見つけた人間たちも含めてね」

「……はい」

「わかれば宜しい。じゃああたしは撤収てっしゅうの準備するからあんたもすぐに着替えて。沐浴もくよくする時間くらいはあるからこの家のを使いなよ。謝礼は魔王軍から出てるから遠慮はいらない筈だし。あ、着替えと装備はそこね」


 よく喋る亜人だ。ココナは話を終えると部屋を出て行く。

 キスカも自分の服と装備を手にすると、部屋を後にするのだった。


 この家の沐浴場は実に質素なものであった。それでも顔すら洗えない牢獄ろうごくよりかは遥かにマシだ。水は流れているがお湯が使えないところを見て、ふと自分の実家を思い出す。今頃両親や弟妹ていまいたちは何をしているのだろうか……。

 診療用の服を脱ぎ、キスカは裸になると自分の体を見た。鏡を見なくとも随分と痩せてしまったことがわかる。きっと顔はやつれて酷いことになっているだろう。桶に水をんで体へ掛けると、切るような冷たさに襲われた。


 沐浴と身支度を終え、外に出るとココナが見知らぬ人間とキスカを待っていた。


「美人は化粧けしょうに手間がかかるってか? 遅いから家主が帰って来ちゃたじゃないか 」


 家主は中年の夫婦とその子供だった。キスカがお礼を言うと「あぁ、気がついてよかったね」とだけ言われる。どことなくそっけない態度だったのは、自分が魔王軍と行動を共にしているからか、ラフェルの弟子だったからか、そのどちらかはわからなかった。わかったところで今更どうでもよいことだった。ココナから一緒に魔王城へ行くかと言われたが、これを断り別の道を歩いて行くのだった。



 その頃、身体検査のためユリウスは一室へと案内された。

 窓一つ無い部屋にて、男と二人だけになったソフィーナは、いささか警戒し距離を置く。一方で、ユリウスはそんなことお構い無しに鎧を外し始めた。


「あ、鎧だけで結構です。それ以上は……」


 慌てて止めるも、ユリウスは内に着ていたものまで脱ぎ、上半身裸となった。


(っ! ……凄い!)


 現れたのは鋼のように鍛え上げられた強靭きょうじんな筋肉と、数知れぬ大小の傷跡だった。傷は戦いでつけられたものでなく、全て騎士団の訓練と修行によるものだ。


 振り返ったユリウスは、思わず目を見張っているソフィーナへと声を掛ける。


「どうした魔道士のお嬢ちゃん? 俺の体に見とれちまったか?」

「……い、いえ!」


 ボーッとしていたソフィーナだが、目の前にあるのが男の裸であることに気付き顔を赤らめる。その姿を見てユリウスはニヤリと笑った。


「ついでだ、こっちも脱いでやる」

「なっ!? いえ、上だけで結構ですからっ!」

「これは身体検査なんだろう? 俺もしっかり身の潔白を証明したい、遠慮するな」

「い、いや……嫌ぁぁ────っ!!!」


 ユリウスが下の具足ぐそく甲冑かっちゅう、鎧のこと)を外し始め、インナーに手をかけたところで耐えきれなくなり、錯乱さくらんしたソフィーナは部屋から逃げ出そうとした。しかし鍵が古かったせいか、なかなか開けられない。とうとう扉をたたき始めた。


「なにこれ!? 開けて! 誰かっ!」

「こら、逃げようとするやつがあるか! おいジョシュ! 開けるんじゃないぞっ!」


(なんだ? 急に騒がしくなったぞ?)


 外で待機していたジョシュアは急に叩かれ始めた扉を見て身構えた。実は二人の入っていた部屋は古い門番の詰め所であり、今は使われなくなり放置されていたものだったのだ。女性の悲鳴が聞こえるもユリウスの開けるなと言う声も聞こえた。一体どうしたものかと真面目に考え込んでしまう。


 と、ここへ丁度キスカが通りかかったのだ。


(あら? ヴィルハイムの騎士がいるわ。捕虜にされたヴィルハイム軍は隔離かくりされてここに居ないはずだけど……)


 ジョシュアの姿を見かけて不思議そうに近寄るキスカ。

 何やら詰め所から叫び声も聞こえる。


「ここで何をしているのですか? 中に誰か居るの?」

「え? あ、身体検査中です……多分」

「身体検査中?」


『こっちを向かんかっ! 今から俺の大魔法を見せてやる!』

『いやぁぁっ!! 開けてっ! ここから出してっ!!』


 聞き覚えのある声に、キスカはギョッとした。


「ソフィーなの!?」


 扉に手を掛けるも、激しく叩かれている割に開く気配がない。よく見ると扉自体が古くなって歪んでしまっていたのだ。冷静に扉を持ち上げるようにして引っ張ると、顔を真っ赤にして涙目となったソフィーナが飛び出してきた。


「…………お姉さまぁぁ!!」

「ど、どうしたの!?」


 恩師を見るなり、抱きつき泣き出してしまうソフィーナ。キスカが詰め所の中を伺うと、そこには最後の一枚に手を掛け一糸まとわぬ姿となった男がいた。


「…………」

「あ………」


「……この変態っ!!」


 詰め所に乾いた音が鳴り響いたのだった。



 セルバ内にある少し小高くなった空き地。芝草にまぎれ置かれた石の上に、キスカは腰を下ろしてそっぽを向いていた。隣りに座ったユリウスは、先程の件を必死になって弁明している。


「別にやましいことをするつもりは無かったんだ! 本当だとも! それに君の教え子だったなんて知らなかったんだ、知ってたらあんな真似しなかったさ……あぁ参ったなぁ……」


「…………」


「わかった、俺が悪かった、謝るよ。だからそろそろ機嫌直してくれよ」

「……怒ってなどいません、呆れてるんです! ……まったく貴方という人は」


 ようやく口を開いてくれたキスカにホッとするユリウス。

 そして、怒った顔もなかなかだなと思ってしまうのだった。


「でも君の顔がまた見れてよかったぜ、キスカ」

「……え?」

「セルバが魔王軍に占領されたと聞いて、君まで死んじまったかと思ってたんだ。ずっと心配してたんだぜ? 無事にまたこうして会えて、何よりだ」


 自分のことなど忘れていると考えていたキスカ。それがこの男は名前を憶えていたばかりか、心配までしていたと言う。軽い男の言うことだとは思ったが、それでもつい嬉しく感じてしまう。


 そして、表情はやはり浮かないままだ。


(どうしたんだ?)


 キスカの様子に気付き、ユリウスは不審に思う。

 ずっと握られてばかりの手が気になり。強引に掴んで広げたところ目を疑った。


「何をなさるの!?」

「これは魔王軍にされたのか!? 奴らひでぇことをしやがって!!」

「っ!!」


 それは英知の杖を使おうとしてついた火傷のあとだった。ココナに幾度となく治療や回復魔法を施されたが、うっすらあざとなって残ってしまっていたのである。


「……そうではありません……これは私自身の問題なのです」

「なんだって?」


 キスカは腕を振り払うとうつむき、また視線をそらしてしまった。

 きっと何か深い訳があるのだろうとユリウスは察する。


「君はどこかに幽閉ゆうへいされているわけでもなく、一見自由にも見える。ここから飛び出す訳にはいかないのか?」

「……それはできません。……もうこの世には私の居場所など無いのです」

「そんな筈ないだろう! 君はあの大魔道士の弟子だったのだろう!?」


 その大魔道士の弟子だったからこそ居場所が無いのだ、そう叫びたかった。

 ラフェルが行っていた非道を、魔王軍が正式に公表することはなかった。しかし悪事は広まるものである。元々影で悪評が絶えなかったことも手伝い、今やセルバの隣街にまでラフェルの真実は広がっていたのである。


 その上で、無理難題を押し付けられ残りいくばもない命だ。

 今のキスカは、本当の意味で生かされているだけの存在だった。


 考えれば考えるほど意気消沈するばかりだ。

 そんなキスカに、ユリウスは覗き込むようにしてささやいた。



「嫁に来いよ、俺のところに」


「え?」


 余りにも唐突すぎて、キスカは自分が求婚されたことにすぐ気付けなかった。


「どうした? 俺みたいな男前に告られて驚いちまったか?」


 この言葉にキスカは口元を抑え、笑い出してしまう。


「おいおい、俺は真面目だぞ」

「……だって貴方のような身分の人なら『一生楽させてやる』とか『欲しいものは何でも買ってやる』とか、普通そんな感じでしょう? それを貴方は……」

「君がそんなもんでなびく詰まらん女じゃないことくらいわかるさ。それとも他にいい男がいるのか?」

「いないわ。……それでも、駄目なのよ」


 そしてやはり下を向いてしまうキスカ。


「もう私のような女を相手にするのは止めてくださいまし。今の私は偉大な肩書を持っていた師を失い、魔王にとらわれているどうしようもない女なのです」


 ユリウスは突然自分の具足を叩いた。


「それはいいじゃねぇか! 魔王に囚われ呪われし姫君を、勇敢な騎士が助け出す! ありきたりで陳腐ちんぷな話だが、これ以上絵になるものは無いぜ!?」


「な、何を言い出すの!? ……馬鹿ね」

「はっはっはっ!」


 思わず顔を赤らめ背けてしまうキスカに、大声で笑い出すユリウス。


『……あのう』


 と、ここでソフィーナが申し訳無さそうに近づいてきた。

 魔王がユリウスを待って居るのだという。


「おっとすまん、そうだったな。……大事な話の最中だったが時間が来ちまった、悪いが俺は行かなきゃならん」

「行くって、どちらへ?」

「それは……また今度話すさ。だから君もその時までによく考え直しておいてくれよな。俺もいつ死ぬかわからん身だ、またいつか、なるべく早く会えるといいな」

「あ……」


 ユリウスは立ち上がるとソフィーナに連れられていく。その後姿を見えなくなるまで見送っていたキスカ。一人になってもその場から動こうとはせず、ユリウスが座っていた場所にそっと手を置くのだった。



「というわけでちょっくら行ってくるわ」

「俺も一緒じゃないんですか!?」

「向こうも忙しいしすぐ終わるとよ。だからお前はそこら辺ブラブラしてろ」

「で、でも俺は兄貴を守らないと……」

「面倒くせぇなお前も! ほれ、これでいいだろ! 何かうまいもんでも食ってろ!」

「っ! ありがたき幸せっ! ではこのジョシュア、街で待機しておりますっ!」


 ジョシュアは銀貨を何枚か受け取ると、意気揚々として去っていった。

 その姿をユリウスとソフィーナは呆れて見送るのだった。


「……あの人も昔から変わらないんですね」

「まぁな……おっと、そう言えばさっきは済まなかったな。……先程大変な無礼をはたらいたこと、深くお詫び申し上げます。ソフィーナ・ロン・エランツェル殿」

「っ!?」


 突然かしこまって言葉を発するユリウスに、ソフィーナは驚き声を上げる。


「お姉さまから聞いたのですか!?」

「始めから気付いてたさ。一度会った人間の顔と名前を忘れるようじゃ、騎士団の長は務まらねぇよ!」


 そう言ってユリウスは豪快に笑ってみせるのであった。

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