二人のソフィーナ


 シャリアが魔王城へ帰還したと聞き、ソフィーナは再び魔王城へとやってきた。曲りなりに自分は武功を立てたはずだ。今ならば気性きしょうの荒い魔王様でも話を聞いてくれるかも知れない。そんなあわい期待を抱いて……。

 朝の申し立ての時にはどうしても言えなかった。あんなに機嫌の良いシャリアを見たことがなく、下手に刺激すると返って逆効果であると判断したからである。


 ソフィーナがここまで慎重しんちょうを重ねてする魔王への陳情ちんじょう。それはキスカが英知の杖を使えるようになる、その期限をばして貰うことに他ならない。できることなら今すぐにでも止めさせ、命を救って欲しかった。


 例え、本人が望んでいなかったとしても。


(……私のことはお姉さまの耳にも入ってしまっているわね……。完全に人の道を外れて手に入れた武功……。今の私を見てキスカ姉さまは何とおっしゃるかしら……)


 人々を助けるため、魔物を倒したわけではない。

 誰かを救うため、国を背負ってあらそったわけでもない。


 魔王のために、魔王軍を率いて多くの人間を殺めたのだ。


 戦闘が終わった後に、一人になり湧き起こってきた罪の意識……。何故だろう?あの時の自分は髪を切り貴族の紋章を捨て去ることで、人として生きる自分と決別したと考えていた、その筈なのに……。


(……邪魔をしているのね……人として生きていた記憶が……)


 人間を止め、魔王の配下として生きていこうとしている自分。それをいつか人の世界に戻り、全てをやり直せたらと考える自分が邪魔をする。二人の自分は本人も気づけていない間、ずっと戦い続けていたのだ。


(……誰か来るわ)


 暗い回廊かいろうの先、正面から人ではない大勢の足音が聞こえてきた。不気味さにおびえて立ち尽くしていると、骸骨兵たちの行進であることがわかった。

 魔物に出会って物怖ものおじしない少女でも、死霊のたぐいだけはどうしても苦手だった。たとえ味方でも恐ろしいことに変わりない。回廊のはしで小さくなり、ひたすら過ぎ去るのを待つことにする。だが元々好奇心旺盛おうせいな性格がわざわいしてか、ソフィーナはうっかり先頭を歩いていた骸骨兵の姿を見てしまったのである。


「ヴォルト様!?」


 一人だけ古めかしく、肩部分が独特の形をした騎士の鎧。その骸骨は間違いなくくつわを並べたヴィルハイムの騎士、ヴォルトに他ならなかったのである。

 思わず声を上げたため、骸骨の行進は歩みを止めてしまった。


「話しかけないで! まだ思念が不安定なの!」


 ついて歩いていたネクロマンサーのセレーナにとがめられてしまった。

 彼女から再び歩くよう無言の指示をされ、骸骨兵たちは再び歩き始める。


「す、すみません!」

「……彼らは前世への未練が特に強くてね、まだ実戦投入が無理で訓練してる最中だったの。もしかして知り合いでもいたの?」

「……えと……多分……」

「話しかけても存在思念を乱し、混沌こんとんへとちるだけよ。安定すれば大丈夫だけど名前以外の記憶を失っているわ。いずれにしろ貴女が彼らに生前のことについてたずねても、その意味はないということね」


(そんな……)


 彼らは死してなお、今度は魔王軍のために戦い続ける。とても恐ろしいことだとソフィーナは思った。

 だがもう一人のソフィーナはこう思ったのだ。何が幸せかなんて本人以外わからない。少なくとも今の自分の立場よりかはずっと楽で幸せなのではないか、と。


「大分つらそうね」

「え?」

「今の貴女よ。魔王軍に入ったばかりで葛藤かっとうに苦しんでいる、そんなところ?」

「っ!」


 死霊を扱う彼女たち、ネクロマンサーにはわかるのだ。特に人間の負の思念は、目に見え手に取りわかるようだ。


「本当に辛くなったら原因を消し去ることね。できないのなら自分が死ぬだけよ。お望みなら私が手伝ってあげましょうか?」

「い、いえ……」

「……賢明ね。でも他者に頼ることも一つの方法だわ」


 立ち去ろうとするセレーナ、すれ違い様──。


「それを決断するのも、結局は自分自身なのだけれど」

「…………」


 心のすきを突かれた気がして、ソフィーナは暫く動けなかった。やがて思いを払い切るかのように回廊の奥へと走り去る。その様子をセレーナは振り返り、じっと見ていた。


(……それにしても、珍しい組み合わせだこと)


 掛けていた眼鏡を正すと、骸骨兵たちを追うべく歩いていくのだった。


 戦帰りで疲れもあるのだろう。

 骸骨兵となったヴォルトとセレーナの言葉が、何度も頭の中を駆け巡る。


(原因を消し去れですって!? 私にお姉さまを殺せと言うの!?)


 そんなことできるわけがない。そんなことしたら……しなくとも考えるだけで、本当に気が触れてしまいそうだ。

 いや、気が触れればできることなのか……それならいっそ、その方が……。


(嫌っ! もう何も考えたくないっ!)


 ソフィーナは思わず頭を抱え、闇の中を真っ直ぐと走り続けた。

 そして暫くすると再び前方から物音が聞こえ始めたのである。ドキリとして立ち止まると、それは台車を押す音であった。やがて人影がはっきりとしてくる。


(……エリサ、さん……?)


 人影は侍従長じじゅうちょう亜人あじんエリサだった。もう一人の亜人と洗濯物を入れた台車を押し歩いてくる。今度は恐ろしい相手ではなかったが、ソフィーナは思わず足を止めてしまっていた。


「……あ」

「あら? 髪型を変えられたのですね、どなたかと思いました」

「……はい」


 向こうも自分のことを憶えていたようだ。だがそれゆえに後ろめたく、何と言葉を交わして良いのかわからなかった。


「そう言えば初陣で勝利を収められたのですね、おめでとうございます」

「い……いえ……あの……」

「はい?」

「あ、いえ……魔王様はどちらに……」


 思い浮かばず、この場においてはどうでもよい質問が口から出てしまう。


「魔王様なら寝てるよ。起こすと面倒だから行かない方がいいよ」


 そして、じれったく思ったもう一人の亜人に答えられてしまった。


「そ、そうですか……」

「うんそう。じゃ、あたしら忙しいからこれで。姉さん行こう」


──決断するのは……。


「あ……ま、待って下さい! エリサさん! 」


「はい?」


「今度……私にお裁縫さいほうを教えて頂けませんか!?」


 大声で頼み込んできた少女に、エリサは……。


「では、お時間がある時にいつでもお越しください」

「っ! ……ありがとうございます!」


 頭を下げるソフィーナに、エリサは一礼すると今度こそ行ってしまった。

 どうしてあんなことを頼み込んでしまったのだろうか。自分でもわからないが、咄嗟とっさに言葉が出ていたのだ。それでもソフィーナはエリサとの繋がりができたことに喜びを抑えきれず、胸の鼓動が大きくなっているのを感じていた。


「あれが魔王軍に入った人間? ……変な子。姉さんの知り合い?」

「……まぁ、そんなところね」


 エリサはいつもの淡々たんたんとした調子だったが、わずかに笑みが浮かんでいた。

 そしてやはり、妙な組み合わせではあったなと思うのだった。


 亜人たちと別れたソフィーナだったが無駄足を運んでしまったようだ。寝ている魔王を起こすわけにもいかない。仕方がないので自室で仮眠でも取ろうかと思っていたところ、今度は後ろから自分を呼ぶ声が聞こえたのだ。


(今度は誰かしら?)


 振り返ると声の主はアルムであった。なんだあいつかとがっかりしながら待っていると、追いついたところで息を切らせる。


「はぁ! はぁ! ……丁度見つかって良かった! 君を探していたんだよ!」

「私を?」

「うん、ついて来て。君に見せたいものがあるんだ」


 一体なんだろうか? そう思い長い回廊をどこまでも歩いていく。突き当りの扉を開けるとそこはエレベーターになっていた。


「魔王城にもこれがあるんですね」

「うん、僕も驚いたよ。異世界の勇者が持ち込んだ『異世界の技術』なのにね」

「……そうらしいですね」


 アルムがボタンを押すと扉が閉まり、動き始める。


「ソフィーナは、本は好き?」

「え? は、はい。よく学生時代に読んでました。今でもたまに……」

「なら良かった。今から行くのは書庫さ、立ち入りは制限されてるんだけどね」

「どうしてそんな場所へ、私を?」


「戦いばかりじゃ息が詰まってしまうだろ? それに君のお姉さんを助けるヒントが見つかるかも知れない」


「えっ?」


 やがてエレベータは止まり、扉が開くと二人は明るい回廊へと出た。


「君はまだ僕を恨んでいるかも知れないけど、君は自分から魔王軍に入り、そして戦った。僕が魔王軍に居る限り君は仲間であるし、そう有りたいと僕は思ってる」

「……!」

「だから君の大切な人の助けに少しでもなりたいんだ。このことは僕からも魔王に言っておくよ。……余り期待はしないで欲しいけどさ」

「アルム様……」


 ソフィーナはアルムの言葉にハッとし、今までの自分が急に恥ずかしくなった。

 そうだ、思えば初めて会ったあの時、互いに敵として言い争った時だ。この男は決して声を荒上げず、こちらの立場を考えながら言葉を選んで話していた。それに引き換え自分はなんて子供だったのだろうと、後悔すら覚えた。


「さ、入って」


 そこは魔王城の外観からは想像も付かないくらいに広い部屋だった。驚き中へと足を踏み入れ早々そうそう山羊やぎの頭を持つ人物に出くわしギョッとする。


「これはこれは軍師様方、ようこそ悪魔の図書室へ」

「え……あ……」

「あはは……彼のことは気にしないで。自由に奥を見て来てごらん、本がたくさんあるから」


 言われソフィーナが奥へ向かうと、そこには本がギッシリと詰まった棚がどこまでも、何列にもなって並んでいたのである。もしかすると王立大図書館……いや、それ以上の数の本が置いてあるかも知れない。呆気にとられるまま、本の背を眺め奥へ奥へと歩いていった。


「……よろしいのですか? 異世界の本を見せてしまって」

「うん。それが今の彼女の支えになってくれるなら構わない。また来ると思うから今後自由に通してあげて欲しいんだ」


 アルムの言葉に、山羊頭のデーモンは首をかしげる。


「しかしこれは一種の洗脳ではありませんかな? 」

「そうならないように、彼女には自由に本を選ばせてあげて」

「まぁあの年頃の迷える子羊は、本来我々にとっては格好の獲物なのですがね」


 デーモンの言葉に、アルムはいぶかしげな顔を向ける。


「絶対にダメだよ。……それにそれは悪魔デーモンではなく、夢魔むま範疇はんちゅうだろう?」

「あぁ、これは一本とられましたな。ハッハッハッ」


 どうしようもない話をしていると、本棚の奥から音がした。慌ててアルムが駆け寄ると、散らばった本に囲まれソフィーナが倒れていたのだ。


「大丈夫!?」

「……あ……へ、平気です! 一人で立てます!」

「……よかった」


 抱きかかえられそうになり、ソフィーナは慌てて立ち上がる。


「実は昨日から寝て無くて……ついフラッと……」

「それはいけない。今日は部屋で休んだほうがいい、またここに入れるよう頼んだからいつでも来れるさ。僕も時間があったら手伝うよ」


 今までアルムのことを誤解してしまっていたが、同世代の男とはまるで違うではないか。どこまでも自分を気遣ってくれるアルムを見て、思わずソフィーナは顔を赤らめてしまう。


(……この人には……全てを話してもいいのかしら……)


「……アルム様、実は昨日……」


 そう言いかけ、ソフィーナは何か恐ろしい物を見たかように固まった。


「……? どうしたの?」

「……い、いえ、何でもありません。……今日はありがとうございました。何冊か借りていきますね」

「うん。でも今はゆっくり休んでね」


 ソフィーナは笑顔を見せると一礼し、本を抱えて去っていった。


(……よかった。彼女と話をすることができた)


 同じ本が好きという趣味がこうそうした。この分なら心を開いてくれるだろう。

 アルムが胸を撫で下ろし、床に散らばった本を手に取ろうとした時だった。



──あんたって誰にでも優しくするんだ──


「セ──!?」


 すぐそばから聞こえた声に振り向くも、気配は消えた後であった。

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