現れた白き狼


 タルクの街、南防壁の物見塔から、でっぷりと太った男が外を見下ろしていた。


「ふっふっふ。そうですか、ようやく引きもっていた魔物共が出てきましたか」


 タルクの街の地主でもある、豪商ごうしょうドルである。朝っぱらから肉にかぶりつき、酒まで飲んでいた。


「いくら防御が手薄だからって、入り口の無い南側から攻めてくるなんて。魔王軍とやらはお馬鹿さんの集まりのようですね。戦いは知略だということをたっぷりとわからせてあげなさーい」


 防壁上部通路の影には大勢の傭兵が待機していた。手に持っているのは最新銃、砂漠を越えた場所にあるグライアス領からの密輸品である。

 元々この街はエルランド領の玄関口として栄えていた。豪商ドルが実権を握ってからは倹約けんやくを務めているように見せかけ、実は裏で私腹を肥やしていたのである。街が要塞化しているのは騎士団領と隣接しているから……というのは名目上での話に過ぎない。実はラフェルを裏切りヴィルハイムへ帰属きぞくする準備もしていたのだ。


「しかし、騎士団は何をしているのでしょうね? もう大分前に使いを送ったのに」

「役に立たない堅物のウスノロ共めが。このままでは我々が魔物に襲われてしまうではないですかまったく……。彼らと取引するのは止めましょうかねぇ、うひひ」


 ……強欲で卑怯ひきょう極まりない、とんでもない男であった。


 私兵と無駄口を叩いていた豪商ドルだが、大勢のリザード兵をよく観察する。

 そして、川の堤防へ合図を送るように指示したのである。


「そぉら、今ですよ! 堤防を切りなさーい!」

「今です! 撃って下さい!」

 

 豪商ドルと軍師ソフィーナ。離れた場所にいる二人の合図は、ほぼ同時だった!

 しかし…………。


 ブルドの撃った無反動弾は予想軌道かられ、壁のはしへと着弾したのだ!


「あぁっ!? なんだこりゃ!? おい! もう一組予備があっただろう、寄越せ!」

「へ、へい! ……うわっちゃっちゃ!」

「すぐにそいつへ弾を込めとけ!」


 加熱した砲身に触れてしまい、コボルトは思わず落としてしまう。

 構わずブルドは新たな無反動砲を受け取り、構えた。


「た、隊長! 試作なのでもう弾はありやせんよ! そいつで最後の一発です!」

「な、なにぃぃぃ──!?」


 アルムから「弾は二つ入っている」と聞いていたブルド隊長。入れ物が厳重であったため実際に中を確認しなかった。一組につき、二つと思い込んでいたために起こってしまった事態である。

 そして、最後の弾は壁の上部へと命中する。結果として壁にリザードマンたちが通れる穴は開けられなかった……。



 一方でソフィーナは、杖に魔力を込め、セスを頭に乗せながら意識を集中させていた。


「余計なことは考えるな! 呼びまねくことだけに集中しろ! 手伝ってやる!」

「はいっ!」


 壁に穴をあけるのが失敗してしまった。このままでは堤防が切り終えられ、水が流れ込んで攻め込めなくなってしまう。リザード隊にも危険が……!


(考えるな私っ! ……お願い! 一度でいい! 私の声に応えて……!)


 ソフィーナは今回も召喚しょうかん魔法を使おうとしていたのだ……。


…………


『全く、また性懲しょうこりもなくそんな事を考えてたのか!』


 ソフィーナの水攻めを逆手に取った策とは、またしても大魔法に頼った策だったのである。水の大精霊「ウンディーネ」を呼び出して水の流れを変えるというものだったが、さっき回廊で呼び止められた妖精フェアリーに駄目出しされてしまったのだった。


『前にお前の呼び出した樹霊ドライアードは戦いを好まないんだぞ! 相手の都合も考えずに大精霊を呼び出そうとするな! しかも今度は何だぁ!? ウンディーネ!? お前って本当にばっかじゃねーの!?』


『だ、駄目でしょうか……』

『駄目に決まってんだろ! 何でお前ら人間ってそう単純で想像力がないんだ!?』

『す、すみません……』


 臨時で与えられたソフィーナの部屋で、誰も来ないことをいいことに烈火れっかごとく怒鳴り散らすセス。


『どうせ呼び出すならもっと凄い奴を呼べ!』

『えっ?』


 セスは持参した本を開いて見せる。部屋にあった本を勝手に持ってきたのだ。

 部屋でアルムを避けるために、暇つぶしもかねて読んでいた本であった。


…………


 そして時と場所は再びタルクの街南側。念じた甲斐かいあってか段々と気候が変化し始めてきたのだ。これにいち早く気付いたのはリザードマンの部隊だった。


(将軍……新兵器は失敗したんでしょうか? それと妙に寒くなってきましたね)

(……黙って低地まで進め。敵に気づかれるぞ)


 この時のルスターク将軍は、壁に入り口を開けるための無反動弾がもう無いことを知らなかった。リザードマンの大隊はそのまま低地へと足を踏み入れ始めていたのである。


 そして間もなく、東側から轟音ごうおんが聞こえ始めたのだ!


(水が来たっ!!)

 


(もう少しだ! 集中しろっ!)

(お願い! 今すぐ貴方の力が必要なの!)

 

 召喚魔法は召喚対象を呼び寄せるため、大きく分けて二つの方法がある。一つは実際に相手に会って契約けいやくを交わすこと。もう一つは実際には会わずとも祈り念じることで協力を依頼する方法である。後者の方は圧倒的に断られる可能性が高い。


 しかし人間の少女と妖精フェアリーの奇妙な念の組み合わせは、強大な力の興味を誘い、類稀たぐいまれなる奇跡を生んだのである。

 間一髪、丁度リザード部隊の東側、迫りくる濁流だくりゅうを阻むようにして、巨大な白き狼が現れたではないか!


パキパキパキ──!!


 濁流は白狼へと触れる前に凍り始め、水を伝って川の向こうまで凍っていった!


「や、やりましたっ!」

「まだだ! こっからが大事だぞ! 呼び出された相手は今の状況が飲み込めてない! もう一度自分がどうして欲しいか一生懸命お願いしろ! 今はまだ奴の活動が本格化する時期じゃない! 落ち着いてお願いすればちゃんと聞いてくれるぞ!」

「はいっ!」


 セスは付けの知識を我が物のようにのたまった。ソフィーナもソフィーナで素直に言うことを信じてしまっている。もはや誰が指揮官で軍師なのかわからない。

 だが確かに呼び出された方は、呼び出した本人を探しているのか周囲を見渡しているだけだ。ソフィーナはもう一度、白狼に向けて意識を集中し始めた。



(何だこれは!? 幻獣げんじゅうなのか!?)


 ルスターク将軍らリザード部隊は、突然現れた巨大な姿に茫然ぼうぜんと立ち尽くす。

 いや、それよりもこの寒さだ。このままでは皆、こごえてしまう!


──将軍! そいつに手出しするな! 手を出さなければ襲ってこない!


 ブルドから通信が入るもそれどころではない。なるべく白狼を刺激しないようにゆっくりと西側へ移動する他無かった。


「ブルド隊長……あいつは一体……。隊長は知ってるんですか?」


 呆気あっけにとられていたコボルトがブルドに尋ねた。


「……あれは恐らく伝説の幻獣『フェンリルフロージア』だ! 俺も生きてこの目で見れるとは思ってもみなかったぜ……!」

「で、伝説の幻獣ですって!? 何でそんなもんが急にここへ……!?」


 フェンリルフロージア、はるか北方の山奥にいるとされていた白狼の幻獣である。幻の存在であり、遭遇そうぐうしたものはおろか伝承でんしょうすら少なく、魔王軍の中でも目にした者は誰も居なかったのだ。

 昔、ワーウルフ部隊のかしらであった魔族四大魔将が、このフェンリルフロージアの血を引いているのではないかと言われていた。しかし確たる証はなく、ブルドたちワーウルフ族にとっては完全に神格化された存在だったのである。



「ひぃぃぃぃぃ!?」


 タルク防衛側は一度に色々なことが起こり混乱を極めていた。突然の壁への攻撃に、現れた巨大な白狼の姿、なにより水が凍りつき水計は失敗してしまった。


「ドル様! ば、化け物が現れました! 如何しましょう!?」

「そんなの見ればわかりますよっ! どうせ奴らの仲間です! 撃ち殺しなさい!」


 しかしこれがいけなかった。フェンリルフロージアは始め近くのリザード隊へと興味を示していたが、急にタルクの壁の方を向いたのである。白狼の幻獣は極めてかんが鋭い。自分への敵意を感じ取ると、壁に向けて圧縮された冷気をきかけた。立ち待ち巨大な南の壁は、氷の壁となってしまったのである。

 これだけに留まらず、白狼は遠吠えすると飛び上がり、氷の壁に前足を叩きつけたのだ! 無反動弾の衝撃もあったせいなのか、壁はもろく氷ごと崩れ始めた。


「ようし、この辺でいいだろう! 引き際が肝心だぞ、あいつに帰って貰え! 感謝の心も忘れるんじゃないぞ! また来てくれるかも知れないしな!」

「はい!」


(今日はありがとう、もう大丈夫だから安心して帰って下さい……)


 ソフィーナの呼びかけに応じ、フェンリルフロージアはその姿を消した。


「よし、上出来だ! 今の感じを絶対に忘れるなよ!」

「はい! 自信が持てました! ありがとうございます、先生!」


 先生と呼ばれ、セスは満更まんざらでもなく得意になる。


「お前は資質がありそうだから今後も色々教えてやる! でもこれは内緒だからな!特にあのアルムって軍師には何も言うなよ!」

「わかりました! またお願いします、先生!」


ピキ……ピキピキ……


 何か物音がし、振り向くと氷にヒビの入るところだった。幻獣が消えたことによって溶け始めたのである。ソフィーナは慌てて軍師としての役目に戻る。


『ルスターク様! 急いで低地を抜けて下さい! 間もなく氷が溶けます!』


「氷が溶けるぞ──!! 死にたくなければ壁まで急げ──!!」


 これを聞いたリザードマンたちは大慌てだ。冷え切った身体に携帯秘薬を口から流し込み、急いで傾斜けいしゃを走り出す。ようやく全員が低地を脱したところで氷は崩壊し、勢いよく水が流れ始めたのだ。

 しかし駆け上がった先で待ち構えていたのは生き残った傭兵ようへいたちの銃撃である。ルスターク部隊は必然的に崩壊しかけた壁と勢いよく流れる川にはさまれる状況となってしまった。


「押せ押せ!! 死ぬ気で敵を押し返せ!! さもなくば全員死ぬぞ──!!」


(……あれ……? この状況って、もしかして……)


 死ぬ気で大盾を前にしながら突っ込む、リザードの戦士マードル。戦いの中で、ふと前に読んだ異世界の文獻ぶんけんのことを思い出していた。

 異世界の戦いの歴史はリザードマンたちにも好評で、貸し出しが間に合わず印刷して配られるほどだった。その中でマードルが読んだ文獻に、それはあった。


(こ、こいつが噂に聞く『背水の陣』ってやつですかい~~~~!?!?)

 

 リザードマンたちは死にものぐるいの末、どっと壁の内側になだれ込んだのだ。



「い、一体何をしているのですか! 早く西側の大砲を奴らに向けなさい!」

「街の内部へ大砲を向けるのですか!?」

「いいから言われた通りにしなさい! 貴方たちに一体いくら払ってると思ってるんですか! なんとしても奴らを追い払うんですよっ!」


 運良く凍結とうけつから死を逃れた豪商ドルは、慌てて塔を下りると私兵に命じる。


「た、大変です! 西側の大砲の台座が、何者かによって全て破壊されてました!」

「な、な、なっ!?」


 ぜいぜいと息を切らせて走ってきたドルは、その場に腰を抜かし動けなくなってしまった。


 

──こちら工作部隊隊長のグロー! 西側の大砲はみんなダメにしてやりました!


 突如ソフィーナの通信機に声が入ってきたのだ、ビッグラット部隊だ。タルクの兵士は完全に注意が南側に向いていたため、彼らの侵入には気付けなかったのだ。


『お疲れさまでした! 警戒しながらこちらと合流して下さい!』


──了解! 新しい軍師さん、また俺たちビッグラット部隊を頼ってくださいよ!


 彼らにタルクの街を探らせていたのはアルムだった。しかしソフィーナはさらに機転を利かせ、密かにビッグラット工作部隊へ破壊工作を命じていたのである。


 リザード部隊が街へ流れ込んだところ、タルクの傭兵や私兵たちはすぐに抵抗を止めて降伏してきた。彼らの雇い主である豪商ドルが、一人逃げ出そうとしていたところを他の傭兵に見つかり、捕まえられたのである。


 こうしてタルクは魔王軍の手によって制圧され、その日のうちに魔王シャリアが街へとやってきたのだった。

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