穢された闇


(アルムのやつ、どこへ行っちゃったんだろう……)


 すっかり夜となったセルバの街を、セスは人間に見つからないよう飛んでいた。

 見知らぬ誰も居ない部屋で目を覚ましたセスは、寝ている間に置き去りにされてしまった事に気付く。日が暮れても置き去りにした本人が帰っては来ず、とうとう待ちくたびれて部屋を抜け出したのだ。

 人間の造った建物を眼下に望んで飛んでいると、目前にそびえる塔が嫌でも視界に入ってくる。この街の外壁といい、人間という生き物はなぜにこうも身のたけにそぐわぬ物を建造するのが好きなのだろうか。雨風をしのぐだけなら穴でも掘って暮せば十分であろうに。


「間抜けな人間家建てた~♪ こんなに高い山はない~♪ 喜び勇んで家建てたぁ~♪ ところがそこは…………あれ?」


 妙な歌を歌いながら塔に近づいたところ、塔の入り口でアルムらしき姿を見つけたのだ。急いで向かうもアルムは丁度中へ入って行くところだったようで、セスが追いつく前に扉は固く閉じられてしまった。


(そうだ! 先回りして脅かしてやれ!)


 塔の壁を垂直に飛びながら、時折こっそりとアルムの姿を窓から確認する。どうやらかなり上の階層へと向かっているようだ。それならと一番上の階層の部屋へと一気に向かうセス。

 丁度窓の開いている部屋があったので飛び込もうとした時、セスは慌て飛び出し身をひそめたのだ。


(ま……魔王……っ!)


 なんと部屋の中に居たのはシャリアだったのだ。運良く別の方を向いていたのでこちらを見られずには済んだが、もしかすると気付かれたのかも知れない。


(な、なんで魔王が人間の街の塔になんか……!)


 もしや、と悪い予感がよぎる。そして案の定というべきか、悪い予感通りに部屋へと入ってきたのはアルムだったのだ。



「ここを指定して来るとは思わなかった。そんなにこの塔が気に入ったのか?」


 部屋に入るなり、アルムはソファーでくつろぎながら夜景を見ていたシャリアへ悪態をついた。正直なところ、アルムはかなりいら立っていた。


「そうだな、気に入ったぞ。人間の欲と傲慢ごうまんの象徴ではあるが、それなりに眺めは悪くない。ここからゴミがゴミを見るような目で同族を眺めていたのかと思うと、いささか滑稽こっけい愉快ゆかいではあるな」


 そう言ってアルムにも座るよううながすが、アルムはその場から動こうとしない。


「随分と軍師殿は虫の居場所が悪そうだ。人間の処理に呼ばれなかったことがそんなにも不満か?」


「当たり前だろっ! 大事なことを勝手に決めてしまってどういうつもりだ!? 人をおとしめるような真似までして、君にはそんなに僕が頼りなく見えるのか!? 」


 いきどおるアルムにシャリアは溜め息をついて立ち上がり、窓の方へと歩いて行く。


「そうむきになるな、誰しも短所はあるものだ。余がお前の短所を見抜き、おぎなってやっただけの事だ。恥をかかずに済み、むしろ感謝して欲しいところだが?」


「恥をかかなかっただと? 感謝だと? ……君は人を怒らせる天才だな。もし今後も同じ様な真似をするつもりなら、その時は覚悟して置くんだな」


 シャリアは不意にアルムへ近づく。


「その時は魔王軍を離れ、余を勇者や人間共へ売ると言うのか? それは許さぬ」


 そして尖った紫色の爪を見せる。


「余はお前を離さぬと言った。それでもお前が離れると言うのなら死体にしてでも連れ戻すつもりだ」


「約束を守って欲しいならこちらをそれなりに尊重して欲しいものだな。今、君は誰しも短所があると言ったな。なら言わせて貰うが、君の短所は慎重さが足りないことだ。己の力を過信して行動があらくなり過ぎてしまっている!」


「言うではないか。例えば何だ?」


「ゴブリンたちを使ってラフェルへ拷問させていただろう! あいつが憎いのは僕もよくわかるが、ただ新たな憎しみを生むだけで意味がない無駄な行為だ!」


 言われたシャリアだが、何のことかすぐにピンと来ない様子だった。


「……あぁ、あのことか。そのまま離れたので忘れていたがまだやっていたのか。あれは魔道士が本当に不死であるか確かめようとしたまでのことだ。ゴブリンたちにさせたのは服がよごれるのを避けたためで、私怨でやらせていたのではない。別にあの魔道士を憎んでいたわけでもなかったしな」


 この言葉にアルムはポカンとする。

 ラフェルを憎んでいない? 強がっているだけなのか?


「ついでに言っておくが、異世界から来た勇者とやらも別に憎んではおらぬ。父の力が奴らには及ばず魔王軍は敗北した、ただそれだけのことだ」


「……嘘だな! それなら何故君は『祈りの間』に足を運んでいたんだ!? 殺された父親の仇を討つために誓いを立てていたんじゃ無かったのか!?」


「父の仇を討つためではない。魔族の誇りを取り戻すためだ」


「肉親を殺されたんだぞ!? それでも何とも思わないのか!?」


「……」


「だから昨晩も平気で父親を手に掛けることができたのか!? 答えろっ!」


 まるであの日、初めてシャリアに会ったあの日のように、アルムは恐れを知らずに憤り続けた。


「……ぷっ……ははははははっ!!」


 突然シャリアは笑い声を上げた。それでもアルムはシャリアを睨み続ける。


「くっくっく……やはりお前に人間の処理は無理だったようだ。もし戦場で肉親に似た者と出会ったら、お前はそうやって一々躊躇ためらっているのか? そんなことでは命がいくつあっても足りぬ。お前は感情に支配され過ぎなのだ。だから今も余に対してそのような態度をとっておるのだ」


「……そうかも知れない。でも君は余りにも情が無さ過ぎる」


「当然だ、余は魔王ぞ? ……成程わかったぞ! 貴様は余の恐ろしさに今更気付き、今更ながら動揺しておるのだ! 違うか!?」


 違うまい、とばかりに尖った爪でアルムを指す。可笑しくて嬉しくて堪らないといった表情をシャリアは隠すつもりもなく、感情をあらわにするのだった。


「……君を恐ろしく無いなんて思ったことは一度だって無い」


「ほう? ならば何故魔王軍におのずから協力を申し出た? 何故ここまでついて来た? 本当に余を恐れていたのなら利害が一致するという理由だけでここまで来たか?」


「……それは……」


 下を向き目を逸らすアルムへシャリアは詰め寄る。


「魔道士へ対する復讐のためか? それとも余に対する同情か? 共感か? 」


「……それもあったことは否定しない。……でもそれらは切っ掛けじゃない」


「では何だと言うのだ? その切っ掛けとやらは?」


「……聞こえたからだ……母さんの言っていた言葉が」


 アルムはシャリアへ再び顔を向けると、真っ赤な二つの瞳を見据える。


「……確かに聞こえたからだ! 助けを求めるシャリィの声が!」


 そうだ、アルムには聞こえたのだ。助けを求めているシャリアの心の声が……。


「…………余が助けを求めただと?」


 てっきりまた笑われるとばかりに思っていたが、シャリアは不思議そうにアルムを見つめた。その表情は次の瞬間怒りへと変貌へんぼうし、アルムを強引に掴み寄せた。


戯言ざれごとにも程がある。貴様は余を馬鹿にしているのか?」


「君は魔王という仮面を被り、真実を押し殺している。……僕にはそう感じた」


「そうか、ならば今すぐ思い知らせてやる。余は貴様など!」


(──っ!!)


「…………」

「…………」

 

 気が付くと、アルムはシャリアを抱き寄せていた。

 

 二人は動かない、動けなかった。


(……なんだ……これは……)


 シャリアは抱かれたまま、何かの記憶の中に居た。胸の内から沸き起こるような安らぎに似た感情、これは一体何だ……?


「──っ!」


 遠い記憶に似た何かを思い出しそうになったところで、シャリアは急にアルムを突き放した。


「……二度と触れるな」


「……」


 目も合わせず、急いで部屋を出て行ってしまった。


 残されたアルムは呆然ぼうぜんとなる。どうしてあんなことをしてしまったのか自分でもわからない。それよりシャリアを抱き寄せた時、流れ込んできた感情に押し潰されそうになっていた。


(……なんだったんだ、今のは……?)


 思わずソファーに腰掛け、手で顔を覆う。


 シャリアから流れて来た感情、それはどこまでも闇に包まれた悪の感情だった。

 闇に飲まれそうになりながらも感情の更に奥、小さな光のようなものを見つけたところで我に返った。今の自分では、とてもあの光まで辿り着けなかっただろう。


 体の震えは止まることを知らず、アルムは暫くそのままで居た。



「…………なによ、今の……」


 窓の外で一部始終を見ていた妖精フェアリーは、今まで感じたことのない胸の締め付けられるような思いにとらわれる。その場から離れるように自由落下を始め、一陣の風に体をゆだねると、さらわれるかのようにその姿を消した。

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