九死に一生、得るか、終えるか

 

 セルバの街に現れた巨大な影。その姿はかつて大陸を闇に染め、勇者たちの手によってほうむられたとされていた魔王「ヴァロマドゥー」。


 確かにその姿が今、アルムたちの目の前に現れたのだ。


 これは決して夢などではない。かつての魔王が確かに現れ、街を破壊しつつ南下し始める。このままでは市民が避難している中央広場へと向かってしまう。


 あれがもし本物の魔王なら、この場に居る者たちが何とかできる相手ではない。

 それでも最悪の結末だけは何としても避けたい!


「マードル! あの巨影が見えるか!? 奴の注意をひきつつ後退してくれ!」


──注意って、あんなでかい奴をどうやってです!?


 この言葉にアルムは少し安心する。魔王軍とて先代魔王から仕えている配下は少ない。故にリザードマンたちはその姿を知らず、ヴァロマドゥーと認識していないようだ。


「遠くから奴に矢を浴びせてくれ! 無論太刀打ちできる相手じゃない! そこからは全力で逃げるんだ!」


「お待ち下さい軍師殿、それは私が許しませんよ」


 命令をさえぎった声は、アルムを掴んでいたファラからであった。


「ヴァロマドゥー様に矢を放つと仰るのですか? ヴァロマドゥー様は今の魔王様の父君にあらせられます。そんな真似をなさるのなら貴方をただでは置きませんよ?」


 かぎ爪に恐ろしい力が込められるのが、皮の鎧越しに伝わってきた。


 ハルピュイアのファラは、ヴァロマドゥー時代から魔王軍に仕えていた数少ない配下の一人だったのだ。……これは厄介な事態となった。


「ファラ、落ち着いて聞いてくれ。あれはヴァロマドゥーなんかじゃない、きっとラフェルの作り出した幻影か何かなんだ、本物じゃない!」


「その根拠はどこにあるのですか?」

「他の理由で今の状況を説明できないだろ?」


「できますよ。ヴァロマドゥー様は生きていらっしゃった、それだけです。勇者に首をねられたとはいえ、その瞬間を目撃した配下は一人としていません。それに刎ねられた首を一体誰が見たというのでしょうか? 人間たちが我々の戦意をぐため流した戯言ざれごとだったかも知れません」


 確かにその可能性もゼロではない。だが今はそんな事を言っている場合では無いだろう! このままでは本格的に市民へ被害が出てしまう!

 もしかすると魔王軍にも……。いや、セルバごと壊滅してしまうだろう!


「セルバの人間など放って置いても宜しいではありませんか。人間に内通者が居たそうですが、それならその人間も魔王軍に手を貸した代償を支払うべきでしょう。自業自得というものです」

「……ファラ、君は僕にマルコフを裏切れと言うのか?」

「それも手の一つだと思いますが? こちらの配下を無駄死にさせるよりかはずっとマシです。軍師殿の言う通りヴァロマドゥー様が偽者だったとしても、勇者や他所の人間たちが野放しにはしないでしょう。漁夫ぎょふの利というものも狙えます」


 流石ハルピュイアの長を務めていることだけはある、筋の通った話だ。

 これにはアルムの表情にも困惑の色が見えた……。


「……その案は却下だ、他に手がある筈だ」

「この状況下で撤退の他に手が?」

「ねぇ、ファーヴニラをぶつけさせるのは?」


 ここでセスから案が出るも……。


「……それもできないよ。ファーヴニラはセルバの市民たちの前で『中立』という立場を明確にしてしまった。ここで彼女を呼んだら後々収集がつかなくなる」


 それに魔黒竜とヴァロマドゥーが本気で戦えば……セルバがどうなるかは明白であった。


「じゃあどうすんのさ!?」

「……」

「どうするのですか、軍師殿」

「……」


 こうして考えている間にも、セルバ市街に残っていた冒険者や兵士たちは果敢かかんに向かっていく。しかし彼らは周りの建物ごと振り払われ、押しつぶされ、吹き飛ばされていった……。やはり神に認められ、神具を持ったものでないと魔王は倒せないのか……。


(……これ以上血を流さないためにも決断しないといけないのか、僕は……!)


 手はあった、切り札と思える一手が。 

 しかし今は考えていた状況と全く違う……。


 切り札の一手は、非情の決断である一手となってしまっていた。


「……全部隊に告ぐ。制御室を守っている部隊以外、壁の外まで後退してくれ」


──今度は後退でやんすか!?

──軍師殿……?

──私たちもですか?


 各部隊の通信機所持者たちから驚きの声が上がる。


──はぁ? 後……あっ! ひぁぁー!?


ガチッ


──とうとう策に溺れたか、たわけめが!


「えっ!?」


 ゴブリンの部隊と思わしき通信から、聞き覚えのある声が割り込んだ。


──た、大変だぁぁぁ!! ま、魔王様が一人で中へ入っちまったぁぁぁー!!


 見ると西門から入り、すごい速さでヴァロマドゥーへ向う小さな影!


「ファラ! 急いでシャリィの後を追ってくれ!!」




 その頃、ラフェルは体を引きずりながら、セルバの地下にある秘密通路を歩いていた。体の痛みは依然いぜんとして消えないが、折れた骨などが徐々に修復されていっているのが自分でもよく分かる。吐血も収まったようだ。


(はぁ……はぁ……おっと!)


 地上のセルバ市では予定通り、ラフェルの作り出したヴァロマドゥーが暴れているようで、時折通路が激しい揺れに見舞われた。


(……く、くく……。いいぞ、もうセルバもろとも破壊してしまえ! 腐った愚民も魔物たちも、俺を邪魔する者共全てをだ! ……ここは壊さないでくれよ、くくっ)


 ラフェルの行っていた研究、それは「細胞と遺伝子」の研究であった。


 以前ノブアキの部屋に行った時、偶然異世界の科学知識の本を見つけた。興味が湧いたラフェルが借用を願い出ると、ノブアキは大して考えもせずに貸してくれたのだった。

 そこから悪魔の研究が始まった。人間や魔物を捕まえては遺伝子サンプルを採取し、魔法と組み合わせては新たな生物を生み出していったのだ。

 魔物の細胞は集めるのは簡単だった、冒険者に頼めば大抵は持ってきてくれた。

 問題は人間の内臓の細胞だった。そこで不当に人間を捕まえては機密強制労働者として働かせ、時には細胞を採取していったのである。


 実験を続けていくうち、最も原始的な魔物「スライム」を利用してどんな生物も細胞の欠片さえあれば造れる装置を開発した。勇者がコレクションとして持ち帰った魔王の首。これを少量拝借し、培養ばいようさせた液体を装置へ投入したのがつい先程。


 どうやら装置はうまく完成していたようだ。


(惜しかったな……。だが設計図はここにある、また作ればいい。そして俺はもう一度英雄になるのだ……!)


 ラフェルの真の目的……それはこのアスガルドに自分しか倒せない強力な生物を放ち、アスガルド全ての人間たちに自分が英雄だと再認識させること……。

 魔王を倒した英雄とはいえ、時が経てばその敬意は薄れゆく。しかし、もう一度誰にも倒せない魔物を自分が倒せば、アスガルドの人間たちは今よりも自分を称賛しょうさんすることだろう。


(話せばノブアキたちも俺の考えに賛同してくれる筈だ……。だがその前に英知の杖を取り戻さなくては……。しゃくだがアルビオンの「真実の目」に頼る他あるまい。ともかくこの場所から外に出ねば……)


 もう大分歩いた。セルバの外に出た頃だと思ったので転移魔法を試みたが、やはり使うことはできなかった。仕方なくこのまま通路の出口へと向う。


(はぁ……はぁ……)


 発光石の光る、空気が重く狭い通路を歩くこと暫く、ようやく地上への階段が見えた。何とか上がりきり、力を振り絞ってふたを開ける。


ゴゴ……


 地上に隠されていた秘密通路の出口。ゆっくり開けて周囲を伺うと暗い森の中、そこには誰の気配もしない。完全に蓋を開けて外に出ると、体に魔力がみなぎるのを感じる。これなら魔法が使えそうだ。


(……よし、王都へ転移を……)



ヒュッ


「がぁっ!!」


 転移呪文を唱えようとした時、何かがラフェルの胸に刺さった。

 と、続け様にラフェルの体へ激痛が走ったのだ!


『撃ち方止めろーっ!! ふんじばれーっ!!』

『こいつこれでも生きてんのかよ!?』

『死んでたって構わねぇや!! やっちまえっ!!』


 次の瞬間、木の上に隠れていたコボルトたちが姿を現したのだ。ラフェルの姿を確認するなり、刺さっていたボウガンの矢ごと縛り上げたのである。


「勇者の仲間を、俺たちブルド隊が捕らえたぞーっ!!」


『うおおおおおおぉぉぉぉぉぉ──────!!!!』


 ブルドが斧を振り上げ雄叫びを上げると、呼応してコボルトたちが勝鬨かちどきを上げる。この声はセルバの市街地まで届いたという。




 アルムを掴んだファラは急いでシャリアと思わしき姿を追う。見ると大きな何かを引きずっているようだ。しかしそれでも走る速度は恐ろしく早く、軽々と建物を飛び越えていくのだ。

 やっと彼女に近づけたところで、二人は声を上げた。


「シャリィー! 何をする気だ!?」

「魔王様っ、今はお引き下さいっ!!」


 必死の呼びかけにもシャリアは振り向くことをせず、走り過ぎていく。

 そしてようやく止まった先……セルバ中央通りの真ん中、巨大な姿がこちらへと向かって来る真正面であったのだ。


「お前たちは退け、邪魔だ」

「魔王様っ!? 如何いかがされるおつもりですか!?」

「知れたことだ。余の邪魔立てする者を排除するまで」


 驚きファラは何も言えなくなってしまう。暫く振りに地上に降ろされたアルムはやっと立ち上がると、声を振り絞って叫んだ。


「シャリィ! 駄目だっ! 君は戦っては駄目だっ……!」


 父の顔を生まれた時から憶えておらず、母の愛情を注がれて育てられたアルム。だからなおの事なのだろうか、親の大切さは人一倍よく知っていた。

 シャリアにとってヴァロマドゥーは実の父親である。一度死んだ筈の父と対面し、今度は戦わなくてはならないとは……こんな辛く苦しいことがあるだろうか。もし自分なら絶対にそんなことはできない!


 それが例え偽物だったとしても……。

 多くの命を散らすことになるとしても……!


「ファラ、その甘ったれを連れて行け」

「シャリィッ!!」


 見るとシャリアは今まで引きずっていた大きな何かを持ち上げた。身の丈の三倍はあろうかと思われるそれは、折れた巨大な大剣だったのだ。


 配下がアプラサス島から持ち帰った唯一の魔王の遺品、『魔王の剣』である。

 シャリアはそれを涼しい顔で持ち、悠然ゆうぜんと構えた。


「やめろーっ!! 君は自分の親を殺せるのかーっ!?」


「親一人斬れずして魔王がなるかぁぁぁ────っ!!!」


 今まで誰にも見せたことのない覇気を放ち、シャリアは地を蹴り上げた。

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