ドライアードの嘆き 死者への冒涜


 セスの一言にアルムの心境は一変した。大精霊召喚しょうかんによる魔法は時として神術に匹敵する力を呼び起こすのだ。

 召喚魔法というのは単に己の魔力を消費するだけでなく、召喚された者によって威力や攻撃対象が左右されるため、扱いが極めて難しい。一歩間違えれば暴走をともなう危険な術でもあり、それによって不毛の地と成り果てた場所も存在する。

 ファーヴニラの住む「死の渓谷けいこく」もそんな場所の一つらしい。


 今のセルバに、そんな魔法を使える魔道士はいないと聞いていたのに……!


「将軍、大魔法が来るっ! 『帰郷ききょうの羽』(帰還きかんアイテム)を使わず後退して! 村にリザード隊が入ってしまっても構わない!」


 四百人もの人数で帰還アイテムを使えば、転移先でえらいことになる。


──軍師殿、私一人が汚名を着ます! 術者を射抜く許可を!


 街道には緑色の光を放つ巨大で複雑な魔法陣。そしてはるか離れた場所から剛弓ごうきゅうを引きしぼるルスターク将軍の姿が。

 リザードの戦士には例え異種族であっても女子供に剣を向けないという誇り高きおきてがあった。雌雄しゆうが決した今で戦場に一人立つ娘、将軍は射殺す覚悟を瞬時に固めたのだ。


「ダメだ! 召喚し始めた術者を殺せば何が起きるかわからない! 今は後退を!」


ザワザワ……


 通信機で必死に命令を飛ばすアルム。木の生いしげる視界が突然ゆがみ、まるで山林が生き物のように動き出す感覚に襲われた。


「……樹霊じゅれいドライアード……」


 セスのつぶやきにアルムは動けなくなった。街道には双眼鏡を覗かなくても確認できるほどの巨大な精霊が姿を現していたのだ。裸の女性の姿をしたその体には植物のつたや葉が巻き付いている。魔法陣からは木が生え始め、新たな森林を形成しようと天に向かって突き伸びる。その姿はまさに大自然の権化こんげそのものであった。


 最悪極まりない状況、全ての植物はドライアードの目であり手である。

 これはつまり、今の自分たちは逃げ場など無いことを意味していたのだ。


「みんな! できるだけ木の生えていない所へ避難して!」


──そんなところ無ぇぇぇぇ──っ!!


「マードル! 山奥へ避難しつつ、闇魔道士たちから帰郷の羽を使わせて!」


──了解でやすっ!


 命令を飛ばしながらも、アルムはそれが気休めでしか無いことはわかっていた。

 それでも軍師という立場は決して迷ってはいけない。間違っても敗北を匂わせる言葉を吐いてはいけない。その上で、常に最良の判断をしなければならないのだ。


 異世界をふくむ多くの武人ぶじんたちがゲンをかつぐ理由、それがここにはあった。


「……セス?」


 セスがいつの間にかアルムから離れ、両手を前に伸ばして光を放っていたのだ。


「……今、あのドライアードと交渉してみてる……!」

「……そんな事できるの!?」

「……あの子……迷ってる……怒ってる……とても悲しんでる……」


 集中していたセスは何かに気付き、アルムへと振り向いた。


「アルム! 力を貸して! いけるかもしれない! ドライアードに語り掛けて!」


 言われるままセスへ手を伸ばし、目を閉じた。セスを通じて大精霊の感情が流れ伝わってきたのだ。し飲まれそうな負の濁流だくりゅうを感じながら、アルムは優しい心で接しようと試みたのだ。


──僕たちは敵じゃない、どうか怒りを収めて欲しい。



 兵士たちのしかばねの中で、ソフィーナは無意識に大精霊を呼び出していた。


 彼女は魔法に興味があり、以前に父のコネで王都魔法アカデミーを訪れたことがあった。そこで知ったのは魔法研究が政治家によって制限されているという事実。平和となったこの世に強力な魔法は不要、自分たちの存在をおびやかすことになりかねないとの判断からだったのだろう。政治家の本心など本当の所わからないがそれを知ったソフィーナは以来、王立魔法学校への興味は失せてしまった。

 それよりも他の分野の学問を学びながら独学で魔法を学んでいった。


 魔法の学問を突き詰めていくうち、ソフィーナはアスガルド魔法の原点でもある精霊魔法へと行き着いた。王都で禁忌きんきとされた召喚魔法の研究、それでも手探りで研究するうちに小さな精霊を呼び出すことができた。借家一軒をダメにした結果でもあったが、この時の彼女が手に入れた自信は何よりもはるかにまさり、大きかった。


 今、目の前に現れた大樹の精霊は、初めて呼び寄せることのできた大精霊。

 そしてこれが自分の最後になるであろう、死の水先案内人でもあったのだ。


(……本当に……来てくれた……嬉しい……)


 絶望のふちで喜びへとすがるように、ソフィーナは両手を空へと伸ばした。


(キスカお姉さま……ごめんなさい、ソフィーは取り返しのつかないことをしてしまいました……せめて目の前の敵を道連れに致します……。大精霊ドライアード、私の全てをささげます……今、目に見えている全てを消して頂戴……)


 魔道士一人一人に与えられる小さな自決用の小剣。それを取り出し自分の胸元へと向ける。一方で呼び出された大精霊はゆっくりと向きを変えたのだ。


「……どうしたの? もう何も見たくないの、全部消してしまって!」


 ソフィーナが叫んだその時であった。ドライアードは凄まじい絶叫を上げ、数え切れぬほどの太い枝を伸ばし遥か先を逃げる兵士らへと襲いかかったのだ!

 地面から伸びた草が兵士たちに絡みつき、地中へと引きずり込もうとする!


「っ!? 違うっ! 止めてっ!!」


 一本の太いつたしなり打たれ、小さなソフィーナの体は高く宙を舞った。



 こうしてガーナスコッチ街道の戦いは一応の終わりを見せた。幾多いくたしかばねに混じる生存者に魔王軍は回復魔法をかけ、臨時で村の入口に設置された拠点きょてんへと運ぶ。

 中にはセレーナたち、ネクロマンサーの姿があった。今日はメイド服姿ではなく少しきわどい衣装に闇魔道士のローブを羽織はおっている。手に剣が握られていた。


「息がある者は運んで頂戴、少しでも反抗はんこうするようなら殺して。……こっちはまだ生きてるわね、運んで。……貴方は手遅れね、ご愁傷しゅうしょうさま」


サクッ


 そして、ここからが死霊使いネクロマンサー醍醐味だいごみとなる。


 街道に大きな黒い炎を呼び出すと、セレーナは杖を振り上げ聞き慣れない呪文を唱え始めたのだ。アスガルドでは使われていない言葉、使ってはいけない呪文だ。


 セレーナのじゅに呼応し、死者たちは再び起き上がり歩き出したのである。


「お名前は?」

『パドリック……』

「お名前は?」

『グリッジ……』

「お名前は?」

『……』


 一人づつネクロマンサーに名を聞かれ、遺品か体の一部を残して黒い炎へと入っていく。炎をくぐった死者は骨の戦士へと姿を変え、転移魔法陣へと消えていった。

 この異様極まりない光景は、できるだけ遺族に遺恨いこんを残したくないというアルムの意見を取り入れた結果であった。せめて戦死したことを家族へ伝えることができたならと……。


(……それでも死者を冒涜ぼうとくすることに変りないというのに。人間の考えは理解できないわ)


 生まれながらにして魔物の中で育ったセレーナにはピンとこなかった。

 それより一晩で何百もの転移魔法陣設置をいられ、オーバーワークでぶっ倒れた同胞どうほうたちの方が心配であった。


 今回の戦で、人間側は四百人近い死傷者を出した。

 魔王軍は軽傷者数名と、ゴーレムが大精霊の巻き添えを食らい破壊されたのみ。

 つまり被害はゴーレム一体のみで、逆に兵士は二百人以上増えたことになる。

 

 魔王軍のガーナスコッチ拠点きょてんではテントが張られ、大勢負傷した人間の捕虜ほりょたちが収容されていた。


「……殺せ! 俺たちを助けてどうする気だ化け物め!」


「生かすか殺すか軍師殿と魔王様の判断にゆだねられる。戦にやぶれた者は何も言える立場でないことを知れ!」


 リザード兵が地にシミターを突き刺すと、捕虜たちは何も言わなくなった。


 一方、他のテントではシャリアが直々に訪れ各部隊の隊長をねぎらっていた。


「見事な働きだルスターク、引き続きセルバの突入を任せる。亡きバストン将軍の墓前ぼぜんにもう一花添えてみせよ」

「はっ! ありがたきお言葉! 必ずやセルバを落としてご覧に入れましょう!」


 ルスターク将軍が去ると、こんどはアルムを見つけ近寄ってきた。


「ダメじゃないか、城に残るよう言ったのに! 君は魔王軍の切り札なんだから!」

「固いことを言うな。ドライアードが現れた時はお前が死ぬかと思い、折角とどめを刺しに来たというのに……しぶとい奴め」

「アルムはあたしが殺させないって言ってるだろっ! べーっだ!」


 彼女なりの冗談を言い、シャリアは周囲を見回した。


「して、捕まえた捕虜はどうするのだ?」

「全員セルバに帰すよ」


「そうではない、指揮をとっていた人間の娘も捕らえたそうではないか」

「……」

「殺せ」


 シャリアはアルムに顔を近づけ、真顔でそうささやいた。

 隣りにいたセスもアルムの方を向き直す。


「アルム、悪いけどあたしも魔王と同意見だよ……。あんな危ない人間を野放しにしておいたら、この先どうなるかわかんないよ?」


 妖精フェアリーからもこんな事を言われてしまうが、アルムの考えは決まっていた。


「どうするのだ? まさか情けをかけるのか?」


「……いや、彼女には死ぬよりも酷い目にあって貰う」

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