大きな誤算


 ソフィーナの制止も届かず騎兵隊は真っ直ぐに突進していった。馬にいたるまでが強固きょうこな鎧に包まれ槍や剣を持つヴィルランドの重装騎兵隊。何を恐れるものがあるものかと言わんばかりに声を張り上げ、我が物顔で道をはばむ卑怯者を飲み込まんと大地をる。


 しかしそれこそがアルムの待ち望んでいた結果だった。


「今だっ! 引けっ!」


 アルムが通信機で合図を飛ばす。すると街道では不思議なことが起こった。先頭を走っていた騎兵が何騎もつまづき前方へとね飛ばされたのである。後続の騎兵らもまるで見えない壁にぶち当たったように動きが止まり、馬から投げ出される者や、更に後続の者らから次々と押しつぶされる事態となったのだ。


 やはり罠はあった。ドワーフとノッカーに作らせた「見えず切れない魔法の糸」である。これを前日から街道を横切るようにどこまでも伸ばし、地中に埋めておいたのだ。


 騎兵隊の動きが止まったのを見るや否や、ルスターク将軍は飛んでくる矢をかわしながら、シミターを引き抜くと高く振り上げる。


「放てぇーっ!!!」


 将軍の号令に大盾を構えかがんでいたリザードマンたちは、盾の裏に隠されていた武器を取り出し一斉に撃ったのだ。クロスボウだ!

 放たれたクロスボウの矢は強固な鎧によって弾かれてしまう。しかし幾本いくほんかは鎧の隙間すきまい兵士や馬に刺さる。矢を受けた者は尋常じんじょうではない声を上げ、周囲を飛び跳ねまわった。強力な痛みをともなう毒矢!


 それでも騎兵隊は再び魔法が解けたかのように前進を始める。余りにも大勢が糸に引っかかり切れてしまったのだ。


──糸じゃなくて巻きつけといた支柱の方がぶった切れたぁぁー!


「ならば次っ!」


 アルムはゴブリンにもう一本の手前の糸を張るよう命じた。



「罠だーっ!! 前進を止めて弓で応戦しろーっ!!」


 かろうじて糸の罠から生還したヴォルトは、隊から離れた位置から叫び命じる。今の罠は一体何だ? 騎兵隊が見えない何かに引っかかったように見えた。

 いや、それより今は矢を撃ってきているリザードマンを蹴散らさねば!

 そう思い前方を向いた時、信じられない光景が目に飛び込んできた。


 二十数人程しかいないと思っていたリザードマンたちが増えていたのだ。いや、何もないところから次々現れ続ける。刹那せつなで数が幾百にまでふくれ上がったのだ。


「っ!! 散開して後退しろー!!」


 ヴォルトの命令よりも早く、四百のリザードマンたちが引き絞る剛弓ごうきゅうから放たれた矢は、前方で再び藻掻もがいている騎兵だけでなく後方の兵たちの頭上にまで降り注がれたのだ。



 一方、勝手に飛び出され取り残されたソフィーナ本隊は、前衛の騎兵隊が混乱し新手あらてが現れたことを知る。一体あんなに大勢どうやって転移してきたのか?

 いや、今はそんな事はどうでもいい。前衛で戦う騎兵隊を援護しなくては。


「両翼、広がりつつ前衛の援護を! 我々本隊はここで敵を迎え撃ちます!」


 既に前衛が被害を受けていることは目に見えていた。残念だが勝手に命令を無視して飛び出した方にも責任はある。

 撤退という選択肢も頭を過ぎったが迷っている暇など無い。予想外ではあったがまだ対処しきれないわけではないと判断し、魔道士たちに遠距離魔法の詠唱えいしょうを開始させたのだ。


(……?……なに?)


 その時、突然風向きが変わり西の山林からかすかな風を感じたのだ。まさかこのに及んでまだ伏兵ふくへいが存在するとでもいうのか? 目を凝らすと今度は山林の木々が揺れ動くのが見えた。


──ソフィー! 後方上よっ!


 キスカの声に反応し、見上げたと同時に声を張り上げる。


「詠唱中止っ!! シェル・ガーディア!!」


 ソフィーナは即座に杖を振り上げ、上位の魔法障壁しょうへき呪文を唱えた。

 間一髪、空から何か落とされたと同時に広範囲の魔法防御が間に合う。その範囲は魔道士だけでなく魔道士部隊を囲っていた兵士らの一部にまで及ぶ。岩か爆弾でも落とされたのかと思いきや、落下物から煙が吹き出し瞬く間に広がり始めたではないか。

 慌てて兵士らは落としていった魔物へ応射するも、余りの素早さと高い飛行高度のため届かず、矢は地に落ちていくばかりであった。


「キャハハハッ、人間たちの悲鳴がここまで聞こえるっ」

「ねぇあんなに居るんだから、かまいたちで百人くらい殺してもいいでしょ?」

「そんなことしたら煙幕えんまくが飛んでしまうわ。次の仕事へ行くわよ」


 ハルピュイアたちは宙を大きく旋回すると山の奥へと姿を消した。


 彼女たちの落とした煙幕弾は本隊の西側へ落ち、煙は風に乗って本隊ほぼ全域へと瞬く間に広がった。障壁を張ったので煙はその中へは入ってこない。しかし外では大勢のき込む声と悲鳴が聞こえ始めた。


カツン


 それは山林の頂上から放たれてくる毒矢だった。そして外からは大勢の兵士たちが中に入れろと障壁を叩き始めたのである。


「全軍後退! 障壁を解くのでウィンドストームの準備を! 煙を散らします!」


 ソフィーナの声は誰にも届かない。外は四方煙に包まれ方角ほうがくすらおぼつかない。そればかりか障壁が崩れ始めたのである。慌てて他の魔道士らがソフィーナへ魔力を送るも、障壁はふっと消えてしまったのだ。


 本隊中央へ煙と大勢の兵士たちがなだれ込んでくる。

 そこに降ってくるのは幾本もの毒矢!


 慌ててソフィーナら魔道士は風魔法の呪文を唱えた。


「……魔法が!? まさかこの煙……ゴホッ!」


 サイレス鉱石の粉末の混ざったしびれ煙幕である。慌てて口元を押さえるも、馬は煙をまともに吸ってしまい暴れ出す。ソフィーナはその場に落馬してしまった。


 正面には煙、山林からは毒矢が降ってくる。これを見た後方のセルバ兵士大隊は恐れおののいていた。勇敢ゆうかんな者は小隊を組んで森へと入ろうとするも、罠が仕掛けられていたのか悲鳴が聞こえてくる。阿鼻叫喚あびきょうかんの事態にとうとう逃げ出そうとする者まで出始めた。


 これに殿しんがりの騎兵隊が槍を向ける。


「逃げるな!撤退の命令は出ていないぞ!」

「俺たちにこのまま死ねというのかっ!」


 その時突然後方の山から何かが転げ落ちてきた。ゴーレムである。軽装備で来た兵士らは太刀打ちできる装備を持ち合わせていない。倒せるほどの強力な魔法を使える魔道士たちは、全員煙の向こうなのだ。

 辺り構わず人間を蹴散らし始めたゴーレムに、兵士たちは散り散りになって逃げ出し始めた。中には荷物持ちから強引に帰還アイテムをかっさらい、それを奪い合う喧嘩まで起き出す始末だ。もはや演習師団は形をなさない群集と化していた。


 落馬し体を強く打ったソフィーナだったが、何とか煙を吸わないように立ち上がると杖を拾い上げた。煙でなにも見えなかった辺りはようやく視界が開け始める。

 何かに蹴躓けつまづき足元を見ると、それは矢を受けて倒れた兵士だった。自分のそばにいた魔道士たちもほとんど立っている者はいない。


 そこに前方から掛けてくる騎兵とその声。


「ゴホッ……ヴォルト隊壊滅……隊長は名誉の戦死……! 撤退を……ぐっ!」


 ようやくここでソフィーナはローブの一部を外し、杖に仕込まれていた射出機を外して付け、空へ放り投げた。全軍撤退の合図である。これに呼応するかのように他方から撤退の花火が上がる。まだ花火持ちが生きていたのが不思議なくらいだ。


「……」


 しかしソフィーナ本人はすぐ撤退しようとしなかった。壊れてしまった自動人形の様に、隊前方へと歩き始めたのである。そこへ煙の間から撤退する兵士や騎兵らが走って来た。


「司令官殿ーっ!! ぐっ!?」


 中にはソフィーナを抱えて逃げようとしてくれた騎兵がいた。思わず手を伸ばすも兵は首筋に矢を受け、目の前でむなしく落馬していくのであった。


(……こんな……私は……)


 一体どこで何を間違ったのだろう。撤退の時期が遅すぎたのか? ……いや、そうじゃない。いくさの中で撤退の機会すら与えられなかったのだ。自分はこれまで学んできたことを忠実に行おうとしただけだというのに……。


 これが、いくさなのか……。


 視界は完全に晴れ、目の前にはそれをまざまざと思い知らされる光景が広がっていた。死んだ主を乗せ狂ったように走り回っている馬、倒れてもまだ息があり天に手を伸ばしている兵士、街道一面に広がる強者つわものだったであったろう大勢のむくろ……。


 その奥には大勢の隊列を組んだ魔物たちが、矢をつがえこちらを見ていた。


「……はは……、あはは……」


──ソフィー、返事をして! こちらからは何も見えないの! 何があったの!?


「……何も心配ありませんわ……お姉さま……」


 そう呟いたソフィーナの右目から涙が伝った。様々な負の感情が頭を駆け巡り、どうにかなってしまいたかった。


 気付くと少女は小さな声で歌を歌っていた。それはセルバの歌でなければ、王都バルタニアの歌でもない。確かに聞こえる歌声のそれは、歌ではなかった……。



 アルムはセスと山林の頂上から煙の晴れる街道を見下ろしていた。もはや雌雄しゆうは決した。この状況をくつがえせるのはそれこそ神様でもないと無理だろう。


「……いっぱい人間が死んだね。大勢の命が消えた……」

「……戦争だからね。生き残った人間が居るならできるだけ助けよう。今の僕らにできるのはそれくらいだ」

「……うん」


 狭い塹壕ざんごうの中でセスは背を丸め震えていた。アルムは恐怖から震えているのかと思い優しく抱きかかえる。そして再び視線を街道へと落とし、煙の間から出てくる一人の魔道士らしき人影を見つけたのだ。


(……何だあの子……。まさかあの子が指揮官だったのか?)


 様子がおかしい。たった一人で街道の真ん中に立ち、微動だにしない。


「……呼んでる……あの子……呼んでる……」

「……呼んでる?」



「あの人間の子、大精霊呼ぼうとしてるよっ!!」

「──っ!!」


 再び双眼鏡を覗き込み、アルムは即座に通信機をつけた。


「全部隊に告ぐ! 急いでその場から離れろ!! できるだけ急ぎ遠くへ!!」 

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