擬物
部屋を出ると真っ暗闇、帰り道が右か左かも分からない。
「お帰りですな、送りましょう」
ラムダ補佐官だった。
来た時とは異なり回廊で魔物に出くわすことはなかった。今にも動き出しそうなガーゴイル(石像の怪物、水の守り人とも)の像を通り過ぎるが、何事も無い。
(魔王を泣かせてしまったことが知れたら、僕はどうなるのだろう……)
幼い見た目とは裏腹に、高慢で見下した態度を取る小さな魔王。
初見の印象は最悪極まりなかったが、一時は友情まで芽生えかけた。
だからこそ、あの涙には
「実に見事なお手前でした。勝手ながらにこのラムダ、アルム殿とシャリア様の勝負を
「あ、え? は、はぁ。あの、『シャリア様』とは?」
「あの娘の名ですじゃ。名乗られませんでしたかな?」
──シャリィとでも呼べばいい
全くの偽名、というわけでもなかったのか……。
しかしこの補佐官の言葉は何か引っかかる。先程は『魔王様』と
「シャリア様は手前が教育したのです。模擬戦を教え、百の戦術を授けたのもこの年寄りめなのです」
「そうだったんですか」
「ですがそれも十分には活かせず、貴殿に無様な敗北を
「……」
育ての親とは言え、少し言い過ぎではないかと思っていると
「この先あの娘が魔王では、人間に滅ぼされるのが目に見えるようですじゃ」
「そんな言い方は……シャリィだって十分に強かったんですよ?」
「気休めは止して下され。やはり
「擬物……?」
アルムは耳を疑う。
擬物、とはどういう意味だ?
「アルム殿は本を読まれるそうですな。『
「好きな本です。咎人に力を授けた魔王は、魔王ヴァロマドゥーがモデルだとか」
ラムダは立ち止まり、くるりとこちらを向く。
「……やはり魔族以外にはそう伝わっておりますか。真実は咎人に力を与えたのは別の魔王であり、咎人の方こそがヴァロマドゥー様なのです」
「……本当ですかそれ?」
咎人と傾国の姫の物語……魔人となった咎人へ、娘が助けられた事など他所に、王は矢を降らせよと命令す。優しき姫は身を
姫の振る舞いに逆上し、王は娘が既に死に、怪物に食われたと言い放つ。あれは化け物のまやかしだと叫び、魔人ともども射殺すように声上げた。
これに魔人は憤怒する。姫掴むと
「……この話には続きがありましてな、異界の魔王は二人を
「それが、魔王ヴァロマドゥー!? じゃあまさか!?」
「はい。ヴァロマドゥー様と姫君の間に生まれた娘こそ、シャリア様なのです」
「で、でも! どうして貴方がそれを!?」
「異界の魔王から目付として
アルムは頭に雷が落ちたような衝撃に襲われた。
「魔の力を拒んだ姫君はやがて子を産み、そして死にます。魔王様の悲しみは言葉で言い表せぬものでした。この爺に娘を預け、人間に復讐を始めたのです。全ては死ぬ間際まで悲しみに
「その話を、シャリィは……」
「話した覚えはありませぬ。ですが
「そう、でしたか……」
ラムダは目を細めて遠くを見ていたが、やがて下を向いた。
「……異世界の勇者は今も存命と聞いております。この城もいずれ人間に見つかり滅ぼされることでしょう。その時、あの娘がどうなるか、
「シャリィはあんなに強いじゃないですか! 神術だって使えるのでしょう!?」
「強いだけで兵は集まりませぬ、従いませぬ。ヴァロマドゥー様は元人間なれど、その圧倒的な存在で配下を従わせていたのです。それが今では配下も二千足らず、あの娘ではとてもヴァロマドゥー様には遠く及びますまい」
「でもそれは!」
「
──薄汚い混血の遺児め
「血が……何だって言うんだ?」
思い起こされたラフェルの言葉に、アルムの中で何かが弾けた。
「ここに来て僕は驚かされた。この城は二千『も』魔物がいるんだろ? それをあの子は一人一人名前で呼んでいたんだぞ? ……配下を一人残らず把握してる王なんか聞いたことがない!あんなに必死な王を見て、あんたらそれでいいのかっ!?」
「そこまでにしなされ、お若いの」
アルムの
「貴殿に魔王の何がわかりましょうか? 力あり支配あっての魔王だからこそ、配下は皆ついていくのです。魔王は魔王たることが全て、それで決まります。必死どうこうなど全く問題にあらず。むしろ貴殿の考えこそ魔王への
「……」
「ご理解めされましたかな」
今の配下の数が全てを示している、そう言うならシャリアのせいでは無いではないか! そう言いたかったが「冒涜」とまで言われ、アルムは敢えて黙った。
やがて魔王城の入り口へと帰ってきた。既に外も真っ暗となっていた。
「もしあの娘のことを思って頂けるなら、もうここへ来てはなりませぬ。城を転移させる
城門が閉まりだし、ラムダの姿は見えなくなる。
(……これでいいのか? ……これで……よかったのか?)
完全に閉じた門の前で自問自答する。
付近を漂っていた精霊たちの仕業か……母の声が聞こえてきた。
──常に学び考え、正しいと思うことができる人になりなさい
今度はシャリアの声が聞こえる……。
──お前の生き様は実に下らないな
──気にするな、余も同じだ
この時思い浮かんだのは、城の中で見せた笑顔だった。
そして、アルムは門を叩いていた。
「開けてよ! ラムダさん! ここを開けてくれよ!!」
何故だろう? どうして気が付かなかったんだろう。
「お願いだから、もう一度シャリィと話をさせてよっ!!」
あの娘は最初から……。
「わかったんだ! 僕にできることがあるんだ! だからシャリィに会わせてよ!!」
『……伝えおきましょう。今はお引取り下され』
必死に門を叩いたかいあったのだろうか……。
今はラムダを信じるしか無かった。
(はーて、やれやれじゃわい……)
ラムダが客間を訪れるとそこにシャリアはいた。先程までの表情はどこへやら、ジュースを飲みながらケロッとしている。
「ご苦労だった爺よ、手応えはどうか?」
「必死に門を叩いておりました」
「ふふっ、それはまことか?」
グラスの液体を転がし、魔王シャリアは満足げに眺める。
「……なんだ爺、浮かぬ顔だな」
「あの者にここまでする価値があるのでしょうか? 手前には判りかねまする」
「きっとある、確信は持てぬが芝居を打つだけの価値はある筈だ」
「ふむぅ……」
不思議そうな顔をするラムダだが、シャリアはかなり上機嫌のようだ。
「あの者とは
「左様ですか」
「しかし爺、『女の涙』とは効果絶大だな! 奴の
「ホッホッホ、なにせこの爺『百の戦術』の一つでございますからな」
笑いながらシャリアは小瓶を取り出しテーブルへ置く。
本来の用途で使ったことのない『目薬』であった。
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