ウォー・ゲーム


「支度をするから暫く待っていろ」


 アルムは明かりの付いた部屋に案内され、テーブル席へと座った。部屋の中は随分と明るい。照明は何だろうか? 集光石のようだがアルムが使っている物より純度が高そうである。


 そのうち小悪魔らしき魔物がガラスの容器に入った液体を運んできた。


 グラスに注がれる赤い液体、となりに置かれたのは器に入った円柱の粒。

 普通に考えれば飲み物と菓子であるが、一見すると血と骨にも見えなくはない。


(酒ではないようだが……)


 試しに匂いを嗅いでみると、柑橘かんきつにも似た香りがした。


「どうぞどうぞ、お飲み下さい。毒は入ってませんよ? ヒヒヒ……」

「止めておくよ」

「お、お願いします飲んで下さい! 私が魔王様に叱られてしまいます!!」


 必死に懇願こんがんするのでかわいそうになり、試しに円柱の粒を一つかじってみた。

 途端に甘い味と感触が口に広がる、これはキャンディーだ。


(貴族の嗜好品しこうひんじゃないか、流石に贅沢というべきか……じゃあこっちは?)


 恐る恐る赤い薄透明な液体に口をつける。林檎に似ている気もするが、なんとも言えない味で、不思議な歯触りのする果肉も入っている。キャンディーと合うか微妙なところだが、不味くはない。


「待たせたな、色々と手間取っていた」


 入ってきた黒いお洒落な衣装の人物を見て、一瞬誰が来たのかわからないでいたアルム。やがてそれがシャリィであることに気付き、二度驚く。尖った耳を除けば少し裕福な家の娘にしか見えない。黒い髪に大きな赤いリボンが似合っていた。


 思わずボーッと目を奪われていると、キャンディーを頬張りながら尋ねてくる。


「どうだ? この飲み物、悪くあるまい?」

「林檎のジュースか何か? まぁまぁかな」


「そうか美味いか。美味いであろう、赤子の臓物ぞうもつしぼり汁は」

「…………」


 苦虫を潰したような顔になるアルムを、魔王は腹を抱えて笑った。

 一通り笑い、ジュースの正体が異国の果実であることを明かす。


「……趣味の悪い冗談だ」

「そう怒るな。お前に出された茶よりはマシであろう」

「君が執念しゅうねん深いことはよくわかったよ」

「そうだ、心して置くがよい」


 テーブルの上に大きな黒い箱を置き、使い魔は出ていった。魔王が箱を開けると中に入っていたのは、地図のようなパズルと小さな駒、チップにダイス、カードに複数枚のシートと様々。時計に似た精密な機械も入っていた。


模擬戦バトルゲーム。成程、これで決着というわけか」

「ルールを知らぬとは言わせぬぞ。お前の家に本があったのだからな」


 人間の社会では一時期貴族や騎士の間でブームになった。大会まで行われたがルールが細かく難解、高価なものなので庶民の間では流行はやらなかった。そのうちに簡易的なボードゲームが開発され、そちらへ火が付きすたれていったものだ。


「余を負かせば無事家に帰してやる。この城も他所へと移そうではないか」


「本当だな? なら勝負は受けよう。ただし勝敗が一度ついた時点で終わり、不正ができないようにジャッジは自分たちだけで行う、それでいいね?」


「いいだろう、他に聞きたいことはあるか?」

「何か特殊なルールがあれば聞きたい」

「特には無い、始めよう」


 透明なクリスタルの十面ダイスが振られ、テーブルに地形が組み上がっていく。

 シートや駒などが配られ遂に模擬戦が始まった。


(……フフッ)


 魔王は喜びを押さえきれない。武芸や魔法は元より模擬戦は得意中の得意。幼少からたしなみ無敗を誇っていたのである。わざわざ配下にねだり、人里から人間をさらってまで相手を求めていた。「負ければ殺す」と脅すよりも、僅かな財宝をチラつかせた方が相手は本気で挑んできた。無論、勝てる者などいなかったが。


(手付きからして相当手慣れているな。何より自分が負けた時のことを聞いてこなかった。……フフフッ、こんなに血が騒ぐのは何年振りの事か!)


「良い手札が来た、軍の技術を一つ上げるぞ」

「半年間の停戦交渉だ、Ⅵ─8の兵を退かせてほしい」

「ならばチップ六枚と手札一枚の開示かいじを要求する」

「こっちの村の『流言りゅうげん』はまだ有効だね? ダイスを振らせて貰うよ」


 この模擬戦は異世界の将棋やチェスなどとは異なり、持ち時間によるターン制だ。兵士の置かれた状況に応じ、持ち時間の許す限り如何様いかようにも動かすことができる。その度に行われるのが舌戦ぜつせん(相手との口上勝負)で、いかに相手を丸め込み、あざむくことが出来るかが勝負の決め手となる。


 勿論もちろん舌戦が噛み合わず平行線を辿たどる時もある。その時はダイスを振って決めるのだが、手札を切ることにより相手を従わせるという切り札も存在した。運も勝負を大きく左右するのだ。


 最初のうちは双方出方を伺っていたが、やがて各地で争いが起き始める。

 徐々に魔王側の勢力が拡大を始め、アルム側は押され気味にあった。


「山のカードは……『疫病えきびょう』か。こっちは『特効薬』があるから使うけど?」

「一時退却だ、運に救われたな」


 お互いにターンを終了しては時計のスイッチを押し、長い時間これを繰り返す。そのうち勢力の動きは微動だにしなくなった。『冷戦』や『千年戦争』と呼ばれる状況、つまり引き分けである。


「お前の手は随分と慎重だな、優しい戦術だ」

「そっちの手の内を見たかった、というのもあるけどね」

「舐められたものだ、余程自信があったということか?」

「それはお互い様だろ? ここでの戦いで一気に攻めれば状況は違っただろうに」

「ふふふ、見破られたか」


 戦いの後で、二人は心から楽しげに語り合った。つい先程までいがみ合っていたのがまるで嘘であるかの様に……。しかし、勝負は勝負だ。


「もう一戦といこう。次は手を抜かぬぞ」

「勝負がつくまでだったね。続けよう」


 乗り気なアルムに、魔王はまたも嬉しくなった。

 


 一方でアルムも楽しいと思い始めていたのは確かだった。そして同時に母との記憶も思い起こしていた。アルムが模擬戦を知っていたのは母の影響からだったのだ。


(次は手を抜かぬ、か……)


 本ばかり読んでいたアルムはある日、母から模擬戦のルールを教えてもらった。争いを好まない筈の母がどうして? と始めは不思議に思っていた。


 しかしアルムの母はめっぽう模擬戦が強かった。そこでアルムは何冊も模擬戦の本を読み、何年も知識を蓄え研究した。しかしあと一息というところでいつも戦況を逆転され負けてしまう。読書以外に新たな趣味が増えた。


 母が亡くなる一年前に、ようやく一勝することができた。喜びの中で母が話してくれた事は、アルムに模擬戦を教えたその理由だった。


『今は平和だけど、いつかまた大きな戦いが必ず起こるわ。平和の中で暮らしていては、真の平和の大切さはわからないもの。模擬戦は血を流さずともそのいくつかを教えてくれる。お父さんの生まれた所は模擬戦で戦争を防いだ歴史もあるのよ』


 その後、母は二度と模擬戦の相手をしてくれなかった。

 思い起こせば父のことを教えてくれた、数少ない貴重な機会だった。


(わかってるよ母さん、戦を防げるのは本当に戦を知ってる者だけだって事を)


 卓上では既に攻防が始まっていた。宣言通りに魔王の軍はガンガン攻めてくる。始めは動きが大人しかったアルムの勢力も、応戦を開始し各地で小規模戦が勃発。やがて小さな戦同士が合わさり『全面戦争』という大きなぶつかり合いとなった。状況は魔王側の数が多く優勢、徐々にアルムの軍を押し始める。やがて圧倒されたアルム軍は追われるように退却を始めた。


「手札の開示を要求する。そうだな、一番左だ」

「……」


 アルムは手札をめくって見せる。『伏兵』と書かれていた。


(思った通り、こちらが大隊と見て分断を誘うつもりだったか。やはり甘いな)


 地形は平地、深い森が横に広がるが、魔王はそこを避けてアルムの軍を追う。


(だが向こうの殿しんがりに色違いが居るのが気になる、何の工作兵だ?)


 ここで魔王はあえて隊を二分させ、前の隊に敵を追わせることにした。機動力が上昇し、みるみるうちに敵兵の殿しんがりへと追いつく。


「勝負あったな、お前の隊の士気ではもう応戦もできまい」

「どうかな、ここで『自爆兵』を使う」

「自爆兵?」


 アルムがダイスを振る。大した被害は与えられなかったが、相手の士気を下げるには十分だった。更にアルムは手札をめくり使用する。開示を要求されないわくにあった、強力な作戦『遊撃ゆうげき』のカードだ!


「馬鹿な! この状況で遊撃だと!?」

「こちらの待機兵数からして、ギリギリ使用可能な筈だ」


 後方に分断された魔王の本隊を、遊撃の騎馬隊が突如現れ奇襲をかけたのだ。

 魔王の軍隊は大幅に士気が低下、大混乱におちいる。

 アルムは更にダイスを振ると、魔王が出した目よりも遥かに大きい目が出た!


「待て、休戦協定だ!」

受諾じゅだくできない! 思うにそちらの手札は交渉系がメインだろ? 使われたらこちらが一溜ひとたまりもない、そちらの将軍は討ち取らせてもらう!」

「……」


 決して相手を侮っていたわけではない。だが卓上の戦況が事実を物語っていた。切り札で魔王が応戦することは不可能。相手を追い詰めた時、複数重ねて使おうとしていた非戦闘系の手札が枠を圧迫し、あだとなってしまった。一瞬の判断とダイスの目が吉凶を分けたのである。


 次第に魔王は長考ちょうこうが増えてきた。

 勢力は縮小し、本土を山頂へと追いやられる。


 まさに現実の魔王城、そのものであった。


(勝負あった)


 相手の残り時間を確認しつつ、アルムが遂に口を開く。


王手チェックメイト、僕の勝ちだ」

「…………」


 残された手も時間稼ぎでしか無く、数ターンで負かせる自信がアルムにあった。

 完全なる勝利宣言に余韻よいんすら覚え、飲み物を口にする。



「……どうして」

「え?」


 小さな声に反応し、アルムは思わず凍りついた。先程まで下を向いていた魔王の目からしずくが落ちていたのである。何か声を掛けなければと思った瞬間、テーブルに突っ伏して泣き出してしまった。


(…………)


 こんな時、どうしていいのか見当つかなかった。相手に負ける悔しさはアルムがよく知っていたことだったから。ましてや負けたことのない者の悔しさなど想像を絶する。悲痛な幼い少女の声が、一つ一つ胸に刺さるようだった。


「……出ていけ……約束……だ……」


 やがて魔王は涙を拭き、しゃくりながら扉を指差す。


「君と勝負できて楽し」

「貴様の顔などもう見たくもない!!」


「……」


 悲鳴に近い叫び、かがんで泣く小さな背を最後に、アルムは黙って部屋を出た。

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