第一話 アルム、旅立つ

咎人と傾国の姫

 

 深い山奥の更に奥、アルムは一人で小屋に住んでいた。母親に先立たれてからずっと墓を守りながら暮らしている。一見十五歳程度にしか見えぬアルムが一人で生活することは容易ではない。朝起きて谷川の水を汲みに行き、昼は故人に祈りを捧げ、その後で食料調達へと奔走ほんそうする。生きるために精一杯の毎日だ。


 アルムの唯一落ち着けるのは夜、読書をする時だ。彼の部屋は母の残してくれた本が大量に置かれていたのだ。本と言っても魔導書はほとんど無く、大半が生活のための実用書、世界の地理、歴史や童話……。変わり種があるとするならば、異種族の言語が記載されている本くらいか。


 今夜も集光石しゅうこうせき(昼間に光を蓄え、暗いところで光る鉱石)の灯りで読書をしていると、窓から一体の妖精フェアリーが飛び込んで来る。


「アルムがまた本なんか読んでる。そんなに楽しい?」


 妖精の名はセス、夜な夜なアルムを冷やかしに来る。群れて暮らすという妖精の中では者、立場的にはたがいに似た者同士だ。


「こんばんはセス、楽しいよ。この本はね、怪物にさらわれたお姫様を旅人が助ける話なんだ。旅人は過去にあやまちを犯してしまった罪人で、誰からも相手にされない。神様ですらも力を貸してはくれないんだよ」


「それじゃあお姫様助けられないじゃん」


「そうだね。でもどうしてもお姫様を助けたかった旅人は、最後の最後に魔王と契約をした。『姫を助ける力を授けてくれ』ってね。自分の魂と引き換えに魔人の力を得た旅人は、死闘の末に怪物を倒してお姫様を助け出したんだ」


「そ、それで!?」


 興味無さ気だったセスが驚き食い入るように尋ねる。


「お姫様を助けた魔人だったけど、他の人間はそれを受け入れようとしなかった。王は娘がいやしい者に助けられた事実を拒み、民は悪魔に魂を売った姿へ恐怖した。戦いで傷ついた体に矢の雨が降り注がれ、幾本もの刃が突き刺さった」


「ひっどーいっ!! それからどうなるのっ!?」


 が、ここで本は閉じられてしまう。


「続きは読んでからのお楽しみ。セスも字を憶えれば読めるよ?」

「意地悪ー! 読んでくれたっていいじゃん!」

「読んであげても途中で寝ちゃうだろ?」

「だってアルムの読む声って催眠術みたいなんだもん」

「……はぁ」


 今夜は本を読む気が失せてしまった。アルムはフード付きコートを羽織り集光石をカンテラに入れて外に出る。もれなくセスも後を追って行くのだった。



律儀りちぎなもんだねー、そうやって昼も夜もお祈りに行くなんてさ」


 そう皮肉も込めてつぶやき、辺りを照らすように飛び回る。アルムが夜目の効くことを知っていても、セスなりに気配りは欠かさない。一見しっかりしている感じだが、どことなく危なっかしい彼を放ってはおけないのだ。


 彼の母から生前、目付けを言いつかっていた以上に……。


「昼には昼、夜には夜の精霊が来るからね。どっちかだけなんて不公平だろ?」


「そんな考え、今どき古参の妖精でも気にしないっての!」


「そうなの?」

「……知らなーい!」


 妖精の羽から鱗粉りんぷんがこぼれ、闇に薄緑色の弧を描いた。


 アルムの母の墓は開けた場所にポツンとあった。墓前に添える献花けんかは必要ない、そこらじゅう一面に咲いているのだから。アルムが墓石の前で身をかがめると、一迅いちじんの風が木々をざわめかせ花びらが舞う。夜空から月光が差し込みまるで死者をしのぶアルムを慰めるかのように照らした。


(……母さん)



──常に学び、考え、正しいと思うことができる人になりなさい


 母の残した言葉通り、アルムは沢山の本を読んだ。必要の有無を問わずに沢山読んだ。それでも全く興味が尽きないのは大好きだった母の影響なのだろう。

 優しく何でも丁寧に教えてくれた母、しかし父親のことはあまり教えてはくれなかった。困った顔をする母に気がとがめ、しつこく聞くことができなかったのだ。


(母さん。僕、父さんを探しに行っちゃだめかな)


 鳥の羽をした金属の首飾り。貴金属を身に着けるのを嫌っていた母から死の間際に父の形見だと手渡された遺品。天涯孤独となってしまった今、これが貴重な父への手掛かりだ。


(……闇夜に集いし数多あまたの精霊たちよ……母を見守りたまえ…………)


 祈り、胸の首飾りへと手をやるアルム。

 その光景を目の当たりにしたセスは、驚き硬直した。


(本当に精霊たちが集まってきてる! 今まで気配すら感じなかったのに!)


 やはりアルムは不思議な人間だ、人里の人間とは明らかに違う。

 どちらかといえば、自分たち妖精にちかしい、そんな気さえ覚えた。

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