エピローグ

その後の話


 思わずあくびの出てしまいそうな長閑な日曜日の昼下がりだった。


 例年の平均気温を五度以上上回り、冬とは思えぬ暖かな日中に、道行く人々の中にはコートを脱いで腕に抱えている者も多い。

 前夜に降った雪も一晩で溶け、コンクリート道路は早くも乾き始めていた。


 時計塔喫茶≪rencontreランコントル≫の店内からは賑やかな声が聞こえてくる。

 テーブル席はほとんど埋まっており、お客のほとんどが複数人で店を訪れていた。


 カウンター席にはいくつか空席がある。

 一番壁際の席に座っているのは、先日恋人とめでたく仲直りが出来たらしい常連客の一人だった。彼の目の前には店主。


 二人は楽しげに会話を弾ませており、青年はたった今まで聞いていた面白可笑しい店主の実体験に感嘆した。


「へー、そんなことがあったんだ。出逢いのスポットなんて風に持て囃されていたから、一体何があったのかと思っちゃったよ」


 暫く店に顔を出さない間に、あの寂れた時計塔喫茶がすっかり噂の的になっていたので青年は随分と驚いたものだ。

 まさかそれまでの過程に奇妙奇天烈な実験の存在があったとは。


 シェリの実験に巻き込まれた三組の口コミで広まったであろう噂に店主は苦笑いをする。


「作為的なものだから、本当に運命の出逢いができるってわけじゃないよ」

「でも、その実験のおかげで店が繁盛したならいいんじゃない?」

「そうなのかなぁ。なんだか騙しているみたいで罪悪感が……」


 ウンメイカーがインストールされたメモリーキューブが取り外されたため、時計喫茶≪rencontre≫は以前と同じ古ぼけたただの喫茶店に過ぎないのだ。

 ウンメイカーの力を借りずとも、思い込みの力で運命が生まれることもこの先あるかもしれないし、もしそうなれば喜ばしいことこの上ない。

 一概に騙していると言いきれるものではないが、それでも店主はなんとも微妙な心境だった。


「噂になったくらいだから、その人たちって本当に恋人同士になったんでしょ?」


 期待に満ちた青年の顔と言葉に、店主は「いや、それが……」と気まずそうに店内を見渡す。

 青年は店主の視線の向く先を見た。


 まずは例の南側の席。

 二人の女性がきゃあきゃあと喧しく騒いでいる。


「だから! 今回の彼はなかなか良い物件なんですって! 白百合さんにも紹介しますよ!」

「やだよ、私は運命の王子様がいいの。紹介される出逢いなんて嫌」

「そんなんじゃ一生恋人できないですよ」

「うるせぇ、ほっとけ」


 ロリータ服の美少女と、ずぼらな格好の女。

 不釣り合いな組み合わせが、なんとも仲が良さそうに恋バナをしているではないか。


 今度は反対側の席から、楽しく弾ける若者の笑い声が聞こえてきた。


「この前の合コンのエリコちゃん超可愛かったよなー。俺メアド交換しちゃった」

「俺も交換した。え、お前エリコちゃん狙い?」

「まさかお前も?」

「負けねぇぞ! ウェーイ、ウェーイ!!」


 他の客への迷惑も考えずに、大きな身振り手振りでハンドシェイクを交わす二人の大学生。

 息はぴったり合っており、互いの間に遠慮という文字はないように見えた。


 白百合、郷之丸、小林、大林。四人が皆、初めてこの店に訪れた時よりも明るい雰囲気を纏い、晴れやかな表情をしている。


「……少なくとも、恋人にはなっていないみたい」


 騒がしい二つの席を眺めながら苦笑いする店主の言葉と、先程まで聞いていた話の登場人物の特徴そのままの四人の人物に、常連客の青年は驚いた。


「ひょっとしてあの人たちが例のないものねだりの女たちと、同族嫌悪の男たち」

「そうだよ」


 肯定の言葉を聞いて、再び四人へと視線を向ける。

 仲はとても良さそうであるが、確かに恋人って雰囲気ではない。となると気になってくるのは、最後の一組だ。


「じゃあ、三組目は? 愛されない男と、愛せない女の二人組」


 ――組み合わせは男女なのだし、聞いた話では終盤はかなり良い雰囲気だったようだ。きっと期待通り恋人になったのだろう。いや、なっているはずだ。


 後日談を期待する青年だったが、店主は首を横に振ってからひょいと肩を竦めた。


「二人はその後どうなったか分からないんだ。あれ以来、この店には来ていないし」

「そっか。結局、実験は失敗に終わったってことだね」


 世間的には密やかに、しかし店内では大々的に行われた実験の結果なのに、なんだか肩透かしである。


「いいや、僕は成功なんじゃないかなって思っているんだけど」


 誰よりも傍で実験を見てきた店主がにこりと笑う。

 物足りなさに唇を尖らせていた青年は、今までの話でどうしたら成功に繋がるのか分からず身を乗り出した。


「どうして?」

「それは……」


 賑わう店内の話し声と軽快なジャズに混じり、来客を告げるベル音が鳴った。


「いらっしゃいませ」


 窓から差し込む太陽光で、金色の髪がきらりと光る。

 来店客に歓迎の言葉を向ける店主は、扉の前にシェリが立っているのを見ると息を呑んだ。

 実験以来見かけなかった彼女の姿に、僅かな戸惑いさえ覚えた。


 シェリはお気に入りの席が既に別の人間に占領されていると知ると、遠慮もなくその青年の前に立ち「そこ、私の席」と威圧的に相手を睨みつける。

 今まで店内で見かけこそすれど、言葉を交わしたことのない金髪の女に突然思わぬ言葉をかけられ、青年はごくりと唾を飲んだ。


 ――大丈夫、実験話を聞いた限りじゃ彼女も悪い人間ではなさそうじゃないか。


 己に言い聞かせ、気軽に話でもできればと青年は笑顔を作って返事をしようとした。


「どけ」


 だがその前にとどめの一睨みをされてしまい、今度は唾でなく言葉をごくりと飲み込んだ。


「……マスター、ご馳走様。また来るね」


 あまりの居心地の悪さに青年は素早く財布を取り出す。

 そして代金をカウンターに置くと、そそくさと早足に青年は帰っていってしまった。

 今まで青年が座っていたカウンターチェアに当然といった様子で座るシェリ。

 しかし久しぶりの来店にやはり気まずさがあるのか、ぐるりと椅子を回してカウンターに背を向けていた。


「…………ここの紅茶に慣れ過ぎたのよ」


 店主はまだ彼女が再びこの店に訪れた理由も、あれ以来この店に来なかった理由も尋ねていない。それでもシェリは無理に理由を口にした。


 いつも以上に彼女の口が不機嫌そうに尖っているが、その唇に込められた力には緊張も含まれていると気づいていた店主は、あえていつものように迷惑そうに声をかけることにする。


「彼、帰っちゃったじゃない。営業の邪魔しないでもらえるかな」

「誰のおかげで店が繁盛したのよ」

「誰のせいでこの前、僕がご近所中に謝りに回ったと思ってるの」

「誰もそんなこと頼んでない」

「久々に顔見せたと思ったらご機嫌ななめ」

「客に文句言うな」


 少しの言葉のやりとりでシェリはいつもの調子を取り戻したらしい。

 小生意気な態度に安堵を覚えつつ、「これは失礼致しました、お客様」と嫌味を込めてわざとよそよそしく頭を下げた。

 注文はまだだが、どうせいつも通りだろうと店主は彼女のお気に入りの角砂糖が三つ入った紅茶を淹れる。


「…………やっぱり、文句言ってもいいよ」

「え?」

「なんでもない」


 小さな声が聞こえた気がしたのだが、シェリはつんと顔を背けるだけだ。

 それなら気のせいだろう。そうでなくても言及すればまた機嫌を損ねかねない。

 彼女の言葉を真に受け、店主は紅茶をシェリの前へ置いた。


「あれ以来めっきり来なくなったから心配していたんだよ」

「心配?」


 驚きと戸惑いの混ざる声で聞き返された。

 意外だとでもいう反応に、こちらが驚かされる。


「毎日のように店に来ていたお客が来なかったら心配もするでしょ。躍起になって続けていた実験も、望む結果にはならなかったようだし」


 実験最終日から今日こんにちまで二週間近く経っている。

 今まで毎日のように店に訪れていたシェリはその間まるっきり姿を現さなかったのだ。気になるに決まっているではないか。


 自分の言葉にシェリが僅かな落胆を見せたのも気づかず、店主は続けた。


「様子を知ろうにも、よく考えたら僕は君のことを何も知らないんだ。何をしている人なのか、どこに住んでいるのか、それに名前も。本当にシェリなんてふざけた名前なわけじゃないんでしょ? 他の常連さんに聞いてみても、君は僕以外の人間とはなかなか話さないから、皆知らないって言うし」

「あんたが話しかけてくるから話してやってるだけ」

「はいはい。で、ずうーっと引き籠って落ち込んでいたわけ」

「うるさいな」


 珍しく掛け合いの攻守が逆転し、シェリは子供のような文句しか口にできない。


「実験結果を気にしているならもう忘れなよ。確かに彼らは恋人同士にはならなかったけど、良い出逢いができたみたいなんだし」

「慰めの言葉なんかいらない。実験失敗だって笑えよ。笑えばいいじゃん。あれだけ啖呵切っておいて、運命の一つも作れやしないって馬鹿にすればいいじゃん」


 優しい言葉はかえって屈辱に感じ、シェリは意地になって早口に喋った。

 お得意のマシンガントークからも自信が消えている。これではまるで駄々をこねているだけの子供だ。

 どうやら彼女は勝手に自身を敗北者にして、貶めろと言っているらしい。

 だが店主はそう思ってはいなかった。


「僕は失敗だって思わないよ」

「え?」

「確かに、君の本来の目的は果たせなかったかもしれないけれど、でも彼らは運命の出逢いってやつができたんじゃないかな。ほら、運命の出逢いって何も恋する相手とは限らないんじゃないかな。自分を変えてくれる人との出逢いも、運命の出逢いだと僕は思ったんだ。ね、そう考えてみたら?」


 いつもと変わらぬ穏やかな微笑みと共に諭され、シェリは唇を戦慄かせた。

 店主の言い分も理解できるが、彼女にはそれだけで納得できない理由があるのだ。

 しかし言い返そうにも言い返せず、音のない声を薄く開いた唇から零した。


 ベル音が鳴る。

 新しい来店客のようだ。

 店主の視線が店の入り口に向き、シェリは返答せずに済むことができた。


「あれ、いらっしゃいませ!」


 意外な来客に店主の声が弾む。


「こんにちは」

「お久しぶりです」


 やって来たのは愛されない男こと内村と、愛せない女こと松崎の二名だった。

 噂をすればなんとやら、だろうか。

 実験以来の二人の来店に店主は喜んだ。

 松崎と内村はこじゃれた私服を着て、近い距離で立って嬉しそうに笑っており、そんな二人の様子に店主も浮き足立つ。


「気になっていたんだよ、君達のこと! 今も二人一緒ってことはもしかして……?」


「好きじゃないです」

「好かれてないですね」


 すぐさまの切り替えしに「なんだ。そうなの」と膨らんだ期待を萎ませる。

 いっそ爽やかな程に吹っ切れたらしい男女に、こっちがついてゆけない。

 がっかりした様子の店主だが、内村は親しげに松崎の手を取って、進展した二人の仲を見せた。


「けど時間が合えば、こうして一緒に出掛けたりしているんですよ」

「お互い好きになろうと努力したり、好きになってもらえるよう努力しています」

「そっか。いい出会いができたみたいで嬉しいよ」


 他二組のように、内村と松崎の表情も以前とは違い晴れ晴れしたものになっている。それだけでも十分だと、店主は何度も頷いた。


「そうですね。運命の出逢いができたと思います。ね?」

「まあね」


 フロアで立ち話をしていた三人の会話から聞こえてきた、ここのところ親しみを覚える単語に、綺麗なお姉さんが来店してきたと鼻の下を伸ばしていた小林と大林が顔を合わせた。


「あの、お二人もこの店で運命の出逢いをしたんですか?」


 小林が席を立ち、内村と松崎に声を掛ける。

 突然知らない男に声をかけられたことより、小林の言葉の内容に二人は驚いた。


「ひょっとして君たちも?」

「この南側の席で運命の出逢いをしました」


 ついてきた大林が、女が二人座った南側の席を示す。


 ――この流れはまずい。


 店主は冷や汗をかき、そうっとその場を離れてカウンターへと戻って身を潜ませる。


「最初は可愛い彼女ができると思って来たんだが、どういうわけか親友ができたってわけさ」


 快活に笑いながら小林と大林は肩を組む。


「面白いのがさ、後から分かったんだけど、お互い占いサイトを見てこの場所に導かれたってことだよ」

「あなたたちもそうなんですか? 実は私たちもなんです!」


 南側の席に座っていた郷之丸が飛び上がり、男たちの間に入って笑う。

 美少女の乱入に若者の顔が緩むが、その後ろからのそのそとやって来た白百合の姿にすぐに顔は強張った。


「私も彼氏ができると思ったのに、どういうわけかこんな現状よ。ま、悪くはないけどね」


 若者の反応にも気づかず、白百合はにこにこ笑って郷之丸の頭をやや乱暴に撫でる。郷之丸も満更ではないらしく嬉しそうだ。


「どう頑張っても恋人同士になれる気はしないんですけど、よくよくサイトを見たら恋愛について書いてあるわけじゃなくて。運命の出逢いって、恋愛じゃなくて自分を変えてくれる誰かとの出逢いも指すんだなって、後から納得しました」

「実は私たちも占いサイトを見て、運命の出逢いができると思ってこの店に来たんです」


 松崎の告白に、四人は驚いた。

 ここにいる六人全員が占いサイトに導かれて、この南側の席で運命の出逢いを果たしたという。


「全員が全員占いサイトを見て、この南側の席に座るなんて……」


 内村の呟きに全員が頷いた。

 六人の顔から笑顔が消え、思案する表情に変わってゆく。


「なんだかこれって……」


 ――やばい、ばれる。


 店主はカウンターの中で目を瞑った。

 カウンター席のシェリも壁側を向いている。

 今さらそんなことをしたって逃げようはないのだが。




「「「「「「すごい偶然だなぁ!!」」」」」」




 ――呑気な声が六つ重なった。

 

 わはははと明るい笑い声が店内に広がってゆく。


 店主とシェリは麻酔銃でも打たれたかのように脱力した。


「やっぱりこの店は出逢いのスポットなんだ!」

「パワースポットを当てるなんてさすが占い師ツェリ!」


 わいわいと喫茶店や占い師を褒めちぎる六人の声を聞きながら、大きな身体を丸めていた店主は膝についた埃を払って立ち上がる。

 緊張して息を呑んだ分、安堵のため息は長かった。


(工作に気づくタイプの人間だったら、はなから占いにつられてこんな寂れた店には来ないか……)


 いかに個性豊かでも、そういえば彼らはシェリ曰く「人類単純代表」なのだ。


 和気藹々としている人類単純代表者達に、毒気を抜かれたシェリは紅茶を啜る。

 人類単純代表はシェリの予想を上回るほど単純だった。

 そもそもそんな彼らを思い通りに動かせると思ったのが間違いだったのかもしれない。

 思わず天を仰いだ彼女の金髪が、たまたま郷之丸の視界の端で輝いた。


「あれ、噂をすればツェリさんじゃないですか」

「え、ツェリ?」

「彼女が占い師のツェリなのよ!」


 白百合が鼻高々に四人にシェリを紹介する。

 六人の視線が自分へと向き、シェリはぎょっとした。


「まじで! 本物かよ!」


 まさか店内にいた謎めいた女が、今をときめく有名占い師とは思いもしなかった若者は興奮した様子でカウンター席へやって来る。勢いにシェリが怯む。


「あ、いや、彼女は……!」


 店主は止めようとしたが、あれよあれよと彼女はフロアまで引きずり出されてしまった。


「あなたのおかげで運命の出逢いができました。ありがとう!」

「ずっと俺たちを見守っていてくれたんだな。ありがとう!」


 彼女の厳しい言葉も、自分の人生を見つめ直し、運命の相手と素晴らしい出会いをするためだったのだと一方的な勘違いに拍車をかけて皆は口々にシェリに礼を言う。


「あ、いや、ちょ、私は別に、う、……」


 なんとか逃げ出そうとするシェリだが、満面の笑みの六人に取り囲まれ逃げ場を失う。

 無垢な笑顔と感謝の言葉を向けられ、彼女は黙り込んで俯いた。

 一見すると落ち込んでいる風に見えるその様子に、店主はフォローしようと輪の外から声をかける。


「まあ、ほら……こうして皆喜んでいるわけだし、良かったってことでさ」


「……くない」


 呟きは誰の耳にも届かず、全員が「え?」と聞き返した。

 勢いよくシェリが頭を上げる。


 その顔はいつかの般若顔負けの気迫だったが、瞳にはうっすら涙の膜が張っていた。


「良くない良くない良くない良くない良くない良くなあああああい!! はああああああ!? 意味分かんない! なんなの、なんなのよあんたたち!!」


 意味が分からないのは六人のほうであった。

 突然ヒステリックに叫びだしたシェリに、店内の視線がフロアへ集まる。

 彼女は噴火した火山のように、怒りを爆発させた。


「何ヘラヘラ仲良しこよししてんだよ!! 私はあんた達の友達作りを手伝うために徹夜してプログラムを組んだんじゃないの!」

「なんの話ですか?」


 話についてゆかない小林がシェリを宥めようと冷静に尋ねる。

 シェリは勢いよく振り返り、小林に詰め寄った。


「占いなんか信じる単純な脳みそのくせに、どうして惚れないわけ!」


 間近に迫られ小林は後ずさり、唐突すぎる女の怒りに白百合は「いきなりなんなのよ!」と怒鳴った。

 だがシェリはもう怯まない。再び踵を返し、今度は白百合に詰め寄る。


「好きになれよ! 始めろよ恋を! 運命なんてただの思い込み、気の持ちようなんだから!」


 女の言葉に大林が戸惑い「思い込みって」と呟く。

 それを聞き取ったシェリは、すかさず大林を睨みつけ鼻を鳴らした。


「あんた達の出会いは私が仕組んだんだよ。人間は思い込めば、目の前の人間と恋に落ちることができるかって実験の被験者にされていたの! 騙されてたんだよ、バーカ!」


 真実を知った郷之丸が「仕組んだ? 嘘!」と口元を手で覆う。


 皆が皆、衝撃の事実に驚愕した。


 今さら騙されていたことを知った六人の間抜けな顔にすら腹が立ち、シェリは六人に向けて思いきり怒号を飛ばした。


「馬鹿なら馬鹿なりに最後まで信じろよ、馬鹿馬鹿馬鹿ァーッ!!」


「あの占いサイト、偽物だったんですか?」

「あ、ツェリじゃなくてシェリだ」


 内村と松崎が携帯サイトを開き、僅かな間違いをやっと見つける。


 全員が驚いてサイトを確認しに行くのを背に、「そんなのにも気づかないで、運命の相手なんて信じてバッカじゃないの」とシェリは吐き捨てた。

 叫ぶだけ叫び勢いを無くした彼女は、引き攣らせた目尻を悲しげに下げ沈痛な面持ちで言った。


「みんな運命なんて見えもしないものに振り回されて馬鹿みたい。お前らも、あんたも、……私も。馬鹿だわ」


 お前ら、と六人を指さし、あんたも、と店主を指さし、最後にその手をぶらりと下ろして自嘲する。


 シェリは重い足を引きずり、南側の席に座った。


 壁際には有名なラブロマンス映画のポスター。

 幸せそうに微笑むポスターの中の男女と『運命は常に開かれている』という宣伝文句。今はそれすら憎らしい。


 ――店内に重い沈黙が降り立った。


 六人はどうして良いか分からず、それぞれパートナーと目を合わせて、すぐに逸らした。

 運命と信じた相手は、実はどこにでもいる人間の一人に過ぎなかった。

 その事実に気まずさが膨らんでゆく。


 だが奇妙なことに晴れやかだった六人の表情より、実験を仕掛けた本人の方が苦痛に歪んだ表情をしていた。


「えっと……仕組まれた出逢いだったっていうのはショックだったけど、でも僕はあなたがおかしな実験をしてくれて嬉しかったです」


 沈黙を破ったのは内村だった。

 責めるでもなく、穏やかに喜びを口にされ、「は?」とシェリが素っ頓狂な声をあげる。皆も何故だと問いかける視線を内村に向けた。


「あなたがいなければ、僕らは出逢えなかった。彼女と出逢えなければ、僕は自分のことに気づけないままだったかもしれない」


 内村は隣にいる松崎を見つめ微笑む。

 男に微笑まれ、松崎も強張った表情を綻ばせた。

 今の二人には、もはや事実がどうであったかなど意味を成さない程の絆が生まれているのだ。


「だから、ありがとう」


 礼まで言われてしまったシェリは、「ちょっと、やめてよ」と鳥肌の立った腕をさする。

 内村の意見を聞いた他の五人も、彼の言うことは最もだと気づいた。


「それに、運命なんて気の持ちようなんでしょ? じゃあさ、あなたがその実験とやらをするところから、全部運命で決まっていたって思ったっていいじゃない!」

「あんたら何言って……」


 郷之丸の明るい声にシェリは絶句する。

 ネタバラシをしたにも関わらず好意的な言葉を向けられ、予想外の展開に顔が引き攣る。


「確かに。さながら運命のキューピッドか」と小林。

「恋のキューピッドではないようだけど」と松崎。

「ありがとう、キューピッドさん」と白百合。

「占い師よりよっぽど凄いんじゃないか」と大林。


 彼らは先程と変わらず満面の笑みでシェリに礼を口にしてくる。

 再び取り戻された明るさに、シェリはわなわなと震えあがった。


「やめてよ!! 私はあんた達の為に実験したわけじゃないのに!」

「ほら、皆も受け入れてくれたし、実験成功でいいじゃない」


 六人を掻き分けて店主が興奮したシェリを落ちつけようと宥める。


「だめだめ、こんなの認めない!」


 これ以上騒ぎになっては、折角上がった店の評判も落ちてしまう。

 それに今までになく感情的になっている彼女に、なんとか平静を取り戻させなければと、店主は彼女の向かい側の席に腰を下ろして向き合った。


「何をそんなに意地になるんだよ。君が証明したがっていた僕が、紛れもなく実験成功を認めているんだ。それでいいじゃないか」


 運命は目に見えず曖昧なもので、思い込みや気の持ちようで作れるものだと散々シェリは言っていたのだし、店主も六人もそれを受け入れ、運命が作れることを認めた。

 ここまで良い結果になっているし、皆が運命を認めているのに、本人だけがどうにも納得しない。

 一体どうすれば彼女は納得するのだろう。


「哀れみで実験成功なんて言われたって嬉しくない!」

「哀れみじゃないさ。ただ、運命の出逢いは必ずしも、恋愛に関することだけじゃないってだけで……」


 一体何度この説得を繰り返せば良いのだろう。

 そう考えながら、もう一度話を繰り返そうとする店主の言葉を、シェリの悲痛な声が遮った。


「恋愛じゃなきゃ意味ないの!」

「へ?」

「運命の相手なんか簡単に作れるって、あんたに証明しなくちゃ意味ないんだよ!」


 机を強く叩いて、シェリは泣きそうに歪んだ顔のまま叫ぶ。

 あまりにも必死な様子に、店主はきょとんと目を丸めた。


「なんで?」

「なんでって」


 訳が分からないという店主の顔に、シェリは勢いを失う。

 信じられないとばかりに店主を凝視するが、彼は本当に何も分かっていないようだった。


「なんで?」


 答えのないシェリに焦れ、店主は重ねて理由を尋ねる。

 シェリに逃げ場は無かった。


「なんでって……。なんでって……。運命運命って、見えないものばっか探して、目の前のものを見ようともしないから……」

「目の前のもの?」


 相手から視線を外し、もごもごと小さな声で喋るシェリ。

 遠回しな言葉の真意が理解できない店主は繰り返した。

 意図が伝わっていないと知り、シェリはがっくりと肩を落とす。ちらりと相手の顔色を窺っても、いつも通りの腑抜け面があるだけだ。


 彼女は覚悟を決め、ぐっと目を瞑って言葉を捻りだす。


「人間やろうと思えば、目の前の相手とも恋に落ちれるってあんたに証明したかったの!」

「それは分かるけど、なんでわざわざ証明したいのさ」


 目の前の相手と恋に落ちることが可能だと証明したいというのは、実験内容を思い出せば理解できる。しかし何故、自分に証明したいのか。


 店主はますます分からなかった。

 彼女ほどの頭の良さであれば、学会にでも発表したほうが余程利益があろうに。


 そんな彼の心境は、不可解そうな表情にありありと現れていた。

 勇気を振り絞ったのに、何一つ伝わっていないと知ったシェリは顔から血の気を引かせ、店主の顔を見つめる。


「ここまで言っても分からないの? その頭には夢しか詰まってないの?」

「え、うん。ごめんなさい」


 何故だか分からないが、物凄く責められているのは分かったので、店主はとりあえず謝った。

 理由も分からず謝っているのなんてシェリにはお見通しだ。

 彼女はもう我慢ならなかった。

 勢いよく机を叩き、衝動に身を任せて勢いのままに叫んだ。


「だから、あんたと私でだって、信じれば運命の恋ができるって言いたかったの!」

「へ?」


 怒りで赤くなったというには、あまりにも彼女の顔は可憐だった。

 勢いと気迫があるのに、満ちていた自信は消えていた。

 ただ必死に思いの丈を吐き出していた。


「思い込みでこの南側の席が運命の場所になるの! 思い込みで目の前の相手と恋に落ちるの! それは、例え私とあんたでも可能って言いたいの!!」


 店主は仰天した。


 目の前の女の顔が真っ赤な理由がやっと分かった。

 怒りではない、羞恥で彼女は真っ赤なのだ。引っくり返った声は怒りのあまりではなく、緊張のせいなのだ。

 額が少し光っているのは汗をかいているからだ。空調がしっかり効いているのに何故汗をかいてるからってそれは、緊張と興奮のあまりだ。


 勢いあまる声が引っくり返って掠れているのは、瞳に涙が薄ら浮かんでいるのは、彼女は決して魔法使いなんかではなく、どこにでもいる女であるからだ。


 ――彼女の顔に張りついていた仮面が剥がれたからだ。


 彼女は天才プログラマーでも、ましてや魔法使いでもない、どこにでもいる女の子だ。


 だからこそ彼女はどこにでもいる女の子と同じに。


「それって」


 喫茶店を経営する人のいい店主を象る仮面が剥がれ、運命の人を探し続けていた夢見る男の顔が赤らんでゆく。


 全員が固唾を飲み、時計塔喫茶の南側の席を見守る中、恋する女は叫ぶ。


「だぁかぁらぁ! 私はね、ずっと前からあんたのことが……!」


 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン――……


 時を告げる鐘の音が、街中に響き渡った。


 街中の音が、鳴り響く時計塔の鐘にかき消されてゆく。

 荘厳な鐘の音は正午を告げるために、街の人々の迷惑も考えずに、きっちり十二回、美しい音を響かせる。

 時計の針が少し進むのと同じように、街で生きる人々の運命も、本人たちの知らぬところで今もまた、動き出した。



――四組目 夢見る男と恋する女 END――


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運命製造者~ウンメイカー~ 光杜和紗 @worldescaper

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